22. 光side
家に帰ったオレを、父さんと母さんは泣きながら抱きしめてくれた。
今まで一体何をしていたのか訊かれることを覚悟していたのだが、二人は質問をしてこなかった。
オレが話すことに抵抗を覚えていることに、気づかれていたのかもしれない。
そんなわけでオレは家族には一切の出来事を話さずに、監禁される前と同じように学校に通っていた。
変わったことといえば――学校に辻村が来ないことくらいか。
「……どこで何してるんだよ」
オレはリビングのソファーに寝そべりながら、肺の中の空気を全て押し出すように、深いため息をついた。
辻村が学校に来ない理由は、オレに会いたくないからなのだろうか。
それとも……来れないような状況にあるのだろうか。
監禁されていた部屋にあった日記には、性的虐待を受けていることが書かれていた。
もしかして今度は、辻村が父親に監禁されている?
「――辻村」
だとしたら、たとえお節介なのだとしても助けてやりたい。
辻村はオレの気持ちが迷惑だと言ったけれど、やはり放ってはおけないのだ。
ふと視線を上げると、父さんの姿があった。
顔色がひどく悪く思えるのは気のせいではあるまい。
「父さん?」
「辻村って、そう言わなかったか?」
「あ……っ」
父さんは口元を押さえたオレに近づくと、両肩を掴んできた。
普段の穏やかさからは考えられないほどに、強張った表情をしている。
「どこでその名前を知った? もしかして、光がずっと家に帰って来なかったのは――」
「ま、待ってくれよ。オレにも訊きたいことがあるんだ。……父さんはオレ以外にも子供がいるのか?」
オレの問いかけに父さんは口を噤み、視線を彷徨わせた。
はっきりした答えは返ってこなかったけれど、それが逆に、肯定となった。
同時にオレと辻村が兄弟であることも肯定され、複雑な気持ちに俯きそうになる。
「父さん、教えて欲しいんだ。本当のことを」
知らなくていいこと――否、知らない方がいいことは世の中にたくさんあるのだろう。
辻村がオレとの関係を断ち切ろうとしているのだから、それを邪魔せずにぬくぬくと生きていけばいいのだろう。
けれどそんな他人の手によって作られた生温い幸せなんて、必要ない。
真剣な眼差しを向けていると、父さんは観念したのか嘆息した。
「わざわざ言うようなことでもないと思ったから、誰にも言っていなかったのだがな。……私の会社で、彼は働いていたんだ」
「え? 彼って……」
「もちろん、辻村のことだ。彼は生殖不能症を抱えていた。精子が作れない病気だったんだ。光は、どうしても子供が欲しいとき、人がどうするか知っているか?」
オレは父さんの質問に、しばらく黙って考えた。
父さんの言っている辻村というのは、オレの言っている辻村とは違うのだろう。
おそらく父さんは辻村陣を虐待している男の話をしているのだ。
「養子、とか?」
「そうだな。他にも人工授精がある。辻村はこの方法をとった。私は……以前は辻村と親しい間柄だったんだ。だからドナーとして彼の妻に精子を提供した」
そうして生まれたのが、辻村陣。
日記にあった“こんな家庭に俺を寄越した”というのは、父さんが精子を提供したことを示していたのか。
「そういうわけで、私には確かに光以外にも血の繋がった子供はいる。だが接触を持ったことはないし、これからも持つつもりはないよ。今度は私の番だ、光。どこでその名前を知った?」
まさか辻村陣に監禁されていたなどと父さんに言えるはずがない。
オレはどうしたものかと思考を巡らせたのだが、いい考えなど浮かんでこなかった。
「質問を変えようか。光は辻村の家にいた。違うか?」
「っ……それは」
オレの瞳を探るように見つめていた父さんは、薄い唇からため息を零した。
オレの動揺から確信を得てしまったのだろう。
父さんは苛立ったように眉根を寄せ、立ち上がった。
「辻村に会いに行ってくる」
「え? だ、ダメだ。そんなの!」
「子供を監禁されて文句を言わずにいられるか! 警察にも連絡するからな」
顔から血の気が引いていく。
だってオレを監禁していたのは、辻村であって辻村ではないのだ。
彼が警察に捕まるなど――想像したくもない。
オレは父さんを止めようと必死に洋服を引っ張った。
「離すんだ、光。辻村に脅されでもしているのか? だったら大丈夫だ。お前は父さんが必ず守る。もう二度とあんな奴の手には渡さない!!」
「違う、違うんだ! オレは辻村に監禁なんてされてないっ」
「じゃあ今までどこにいたんだ!?」
「つ、辻村の家にいた。でも監禁じゃ……いや、監禁なんだけど。でもオレは嫌じゃなかったから」
辻村と一緒にいることは、嫌などころか幸せだったと思う。
今だって心配でたまらないし、出来ることならすぐにでも彼に会いに行きたい。
「光……辻村が好きなのか?」
「そんなこと分からない。けど一緒にいたいとは思う――って、言い忘れてたけどオレが言ってる辻村は父さんの考えてる辻村とは違ってるからな!?」
父さんは顔を青ざめさせていたが、オレの言葉に僅かに血色をよくした。
けれどすぐに、その表情は険しいものに変わる。
「光の言う辻村というのは、もしかして子供の方なのか?」
「あ、ああ。陣って名前なんだけど」
「陣……。彼に監禁されていたのか」
父さんは複雑そうに眉根を寄せた。
まさか自分の子供が自分の子供を監禁するなどとは思わなかったのだろう。
「……じゃあ私の取り越し苦労ということか。てっきり辻村がクビにしたことを嫉んで光に手を出したのかと」
「会社、クビにしたのか? どうして? 仲良かったんじゃないのか?」
「――事情があったんだ、こちらにも」
父さんはふらりと力なくソファーに座ると、頭を抱え込んだ。
苦渋に満ちた表情をしていることから、二人の間に大きな隔たりが生まれてしまっていることは容易に想像できた。
オレはあまり深く立ち入らないほうがいいのかもしれない。
「……まさか今になって光からその名前を聞くことになるなんてな。ところで、その陣という子はどういう人間なんだ? 光が好きになるくらいだ、悪い人間ではないんだろう? けど監禁って……異常じゃないか」
「すっ、好き……というか。その……」
オレは父さんの言葉に頬を熱くさせながら黙り込んだ。
どうしてオレを監禁したのかを話すということは、辻村が性的な虐待を受けていることを話すことにどうしても繋がってしまう。
そして、父さんを憎んでいるということにも。
これらを知ったとき、父さんはどう思うのだろう。
「光?」
「辻村は……陣は……」
オレは結局、父さんに全てを話すことにした。
たどたどしい説明だっただろうが、父さんは一生懸命オレの言葉に耳を傾けてくれた。
「……そうか。そういうこと、だったのか。くそ! やっぱり辻村が原因じゃないかッ」
父さんはテーブルの上にあったグラスを掴むと、中に入っていた水を一気に飲み干した。
それから怒りの感情を露にしたまま、玄関へ向かおうとする。
「と、父さん? 辻村に会いに行くのか!?」
「当たり前だ。光の話を聞く限りじゃ、陣は監禁されているのかもしれないんだろう? 助けに行く!」
父さんが怒っているのが辻村陣の方ではないことに安堵を覚えるが、同時に悲しみが押し寄せる。
「でもそれは……オレの想像でしかないんだ。オレに会いたくないから学校に来てないのかもしれないっ」
「――だとしても、普段から虐待を受けていることは事実なんだ。放っておけるはずがない。それにおそらく、光の想像は正しい」
父さんはオレをじっと見つめると、諭すように口を開いた。
「光は陣が私を怨み、自発的に自分を監禁したと考えているんだろう? だがそれは間違いだ。そうするように、辻村が陣に仕向けたんだ」
「え? それって、どういうことだよ?」
「私が辻村をクビにしたのはもう知っているだろう? おそらくそれによって彼が私を怨んでいることも。……彼は自分の手を汚すことなく私を貶めるために、陣を利用したんだ。通常、非配偶者間人工授精で生まれた子供が自分の生みの父親を知ることはない。親が教えない限りはな。けれど陣は知っていた。辻村が私を憎ませるために、彼に教えたんだろう」
あくまでもこれは私の推論に過ぎないが、と区切って、父さんは話を続けた。
「陣は辻村の思惑通り私を憎み、行動にでた。けれど……理由は分からないが彼は光を解放した。それは辻村にとって誤算だっただろう。日頃から陣に虐待をするような男だ。自分の思い通りにならない現実に憤り――」
後は言われなくても分かった。
実際に、辻村陣は学校に来ていない。
オレは父さんの横をすり抜けると、玄関へ向かい運動靴を履いた。
「光?」
「オレも行く」
「ダメだ。光はここで待ってるんだ。父さんが必ず陣は助けだす」
「嫌だ! オレ、待ってるだけなんて出来ないッ。辻村を……陣を、助けたい!」
父さんは困ったように眉を寄せていたが、オレの目をしばらく見つめると、頷いてくれた。
家から飛び出て、車庫へと走る。
推論が全くの外れという場合もある。
たとえ当たっていて助けだしたとしても、この前のように拒絶される可能性は十分過ぎるほどある。
それでも――もう一度、声が聞きたかった。