4. 光side


大きな欠伸をしながらリビングに入ると、珍しく父さんの朝食を食べる姿があった。
じっと見つめると視線に気づいたらしい父さんが、にっこりと微笑を浮かべる。

「おはよう、光」
「おはよ。どうしたの、今日は。いつもこの時間帯には、もう会社にいってるじゃないか」
「今日は休みだ。……創立記念日、というやつだな」

父さんは和やかな表情のままコーヒーを啜っているが、ついこの間にも会社の創立記念日があったことをオレは覚えている。
サボリ、か。
オレはため息をつくと、椅子を引いて席についた。

「どうかしたのか、ため息などついて」
「父さんさ、いくら社長だからって会社をサボるのはよくないと思う」
「なっ……失礼だぞ、光。私はサボってなどいない。今日は私だけでなく、本当に会社全体が休みなんだ」
「創立記念日で? 一体、年に何回あるんだよ」
「かれこれ今年で十八回目だったか? ……って何を言わせるんだ光! 決して私は光と朝の優雅なひと時を過ごしたいがために、創立記念日と託けた休日を乱発しているわけではないのだからなッ」

オレは冷めた視線を父さんに向けながら、ガラスのコップに牛乳を注いだ。
父さんの馬鹿っぷりはどうにかならないものだろうか。

「何だ、その目は。言っておくが、社員は大喜びしているのだからな。今月も創立記念日キターッ! とか言って……」

悲しげに目を伏せた父さんは、どうやらオレの反応に落ち込んでいるようだった。

「はぁー。分かったよ。父さんの気持ちはよーっく分かったから。だからそんな顔しないでくれ。最近、全然話せてないもんな。学校で起きたこと、言うから聞いてくれよ」

オレの言葉に父さんが俯いていた顔をひょこっと上げる。
浮かんでいる表情は、悲しげなものではなく幸せそうなものだ。
全く、何だってこんなに子供っぽいんだこの人は。
苦笑しつつ、昨日の出来事を話し出す。
痴漢にあった話をし始めると、我慢ならんという感じで父さんは椅子から立ち上がった。

「光に手を出す輩がいるなんて!」
「前々からあったことだから、今更そんな怒らなくても…」
「ま、前々から? そんなこと一度も……ッ」
「私に話をしてくれていたのよね、光?」

荒げられた父さんの声とは対照的な、穏やかな声が聞こえてきた。
ふと横を見ると、母さんが微笑みを浮かべて立っていた。
父さんは母さんとオレを見比べると、悔しそうに唇を噛んだ。

「私に相談してくれれば、痴漢を探し出してすぐにでも殺……やっつけるというのに!」
「今、殺すっていいかけなかったか父さん!?」
「それは気のせいではないぞ、光ッ」
「そこは気のせいだと言ってくれっ。そ、それよりこの話には続きがあるんだ。オレ、今まで痴漢に遭うたびに自分で何とかしてきたんだけどさ。昨日は助けてもらえたんだ! びっくりだよなぁ」

母さんに宥められていた父さんは、興味深そうに机から身を乗り出してきた。

「助けてもらったって、誰にだ? 高校の友達か?」
「あ、ああ。凄く格好いい人だったよ。何となくだけど、父さんに似てる感じがした」
「私にか? それは……」

父さんは何か思うところがあったのか、口を閉ざしてしまった。
表情は険しく、眉間にはしわが寄せられている。
こうやって真剣な顔をしていると、格好いいのに。

「父さん?」
「……いや、何でもない。思い過ごしだな、きっと」
「そうか? ならいいけど」

父さんを怪訝に思いつつも、空になってしまったガラスのコップに再び牛乳を注ぐ。

「ねぇ、光? その子とは友達なのよね?」
「ん? そうだけど。何、母さん。まさか会いたいとか言わないよな?」
「その通りよ。察しがいいわね。今日にでも、よければその子を家に呼んで頂戴。お礼を言わさせてもらいたいの」

辻村を家に呼ぶ……何だか想像が出来ない。
来てくれるだろうか。
まぁ、結果はどうであれ誘うだけ誘ってみよう。






「っというわけで、辻村。今日、オレの家に来てくれないか?」
「二宮の家に?」

今朝の出来事を話し終えたオレは辻村を誘ってみたのだが、どうにも反応が悪い。
あからさまに嫌がっている。
そんなに友達の家に行くことに抵抗を覚えるのだろうか。

「母さんが会いたいんだってさ」
「……二宮の母さんか。似てるのか?」
「え?」
「お前と、お前の母さん」

辻村の言葉に、母さんの姿を思い浮かべる。
顔の輪郭を包むようにして伸びている、柔らかで茶色っぽい髪。
オレは自分の髪の毛を指先で摘んだ。

「んー。どうだろう。あんまそういうこと考えたことないからな。ただ髪質とか瞳の色とかは似てる……かな? 自分じゃよく分からないよ」
「そうか……それもそうだな。悪い、変なこと聞いた」
「別に変なことじゃないと思うけど? それより、来てくれるのか?」

辻村はオレから視線を逸らすと、小さくだけれど頷いてくれた。
よかった、これで母さんを残念がらせなくて済む。




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