5. 陣side
二宮の家に行くことを想像もしていなかった俺は、どうして誘いを受け入れてしまったのかを考えていた。
もしかしたら、二宮がどのような生活を送っているのかに興味があったのかもしれない。
“普通の生活”を知れば知るほど、自分との差に悲しくなることは目に見えているというのに。
「ただいまー」
「お邪魔します」
二宮の住宅は三階建てで玄関も広く、裕福な家庭であることが窺えた。
他人の家に入るというのはひどく久しぶりで、しかも異母兄弟の家ということもあってか妙に緊張してしまう。
脱いだ靴を整えていると、とたとたと足音を立てながら女が駆けてきた。
琥珀色の瞳と柔らかな髪質が、二宮の母親であることを推測させる。
「お帰りなさい。……君が光を助けてくれたっていう子なのかしら?」
「はい。初めまして、辻村といいます」
「ふふっ、初めまして。夕飯の用意がしてあるの。よければ食べていって?」
なるほど、廊下の奥からいい匂いが漂ってきている。
ステーキだろうか。
香辛料の香りが嫌でも食欲をそそる。
「すみません。夕飯は家で食べることになっているので」
「あら、そう? 残念だわ。でも仕方ないわね。急だったもの。光を助けてくれて本当にありがとう。何もない家だけど、どうかくつろいでいってね」
二宮の母さんは柔らかな口調で言うと、廊下の奥へと消えていった。
母親がどういうものなのか、幼い頃に亡くしてしまった俺には分からない。
けれどきっと、温かいものなのだろう。
「母さんに会わせることは出来たし、これで辻村を家に連れてきた目的は達成されたことになるんだよなー。……どうする? せっかくだし、オレの部屋に寄ってくか?」
「……ああ。行ってみたい」
「了解」
二宮の自室は三階にあるらしく、後に続いて階段を上がろうとすると背後から視線を感じた。
肩越しに振り返れば、そこには見知らぬ男が立っていた。
……見知らぬ男?
何を馬鹿な、俺はこいつをよく知っているだろう?
「初めまして、二宮直純さん」
極力感情を露にしないよう気をつけたつもりだったのだが、発せられた声は乾いた歪なものだった。
じっとりとした、嫌な汗を掌に握る。
笑みを浮かべて見せるものの、どす黒い感情が胸の奥で渦巻いていた。
「何してるんだー? 早く上がってこいよ。……あ、父さん。こいつがオレを助けてくれたって友達だよ」
上って来ない俺を不審に思って戻ってきたらしい二宮が、素早く俺の紹介をした。
途端に直純の目が柔らかく細められ、ドキリと心臓が跳ね上がる。
「やっぱり君がそうだったのか。光を助けてくれてありがとう。昔からどこか危なっかしいところがあるんだ。君さえ良ければ、これからも宜しくしてやってくれないか?」
「それは……」
「おい、父さん! 変なこと言うなってば。ほら、早くオレの部屋に行こうっ」
二宮は直純を睨みつけると、俺の手を引いて階段を上り始めた。
跳ね上がった鼓動の音が、鼓膜の裏側でドクドクと響いている。
直純は精子を提供しただけであって生まれた子供の顔は見ていないのだろうから、俺のことに気づかなかったのだとしても無理はない。
むしろそれは当然だろう。
けれど俺は敵意のない視線を向けられたことに、戸惑いを覚えていた。
憎むべき男は、あまりにも“普通な父親の顔”をしていた。
++++++
「ほんと、心配性なんだから。オレの友達に会うたびに、父さんってああいうこと言うんだよなー」
鬱陶しいと顔を顰めて見せるものの、その声音は柔らかで眼差しはひどく優しい。
結局のところ、二宮は家族が大好きなのだろう。
愛し、愛されている。
少し会話をしただけの俺にさえそう感じさせるのだ、余程幸せな日々を過ごしているのだろう。
「なあ、辻村の家族はどうなんだ? やっぱあんな感じ?」
「いや、俺の家は……。二宮ほど親との仲は良くない」
「そうなのか。ってか、オレは両親と特別仲が良いわけじゃないぞ? 一方的に溺愛されてるって感じなんだ。何ていうかさ、両親揃って親バカで困るよ」
「……やめろよ。そういうこと、言うの」
――本心でもないくせに。
口を閉ざし、膝の上で強く拳を作る。
親に愛されない子供がどれだけいると思っているのだろうか。
ズキン、とこめかみ付近が痛むのと同時に胸の奥が疼きだす。
「あ…ご、ごめん。他人の家族の愚痴なんて、聞きたくないよな」
穢れを知らない澄んだ琥珀色の瞳が、窺うように見つめてきた。
こいつは何も知らない。
自由を奪われ気が触れそうになるまで犯され続ける恐怖も悲しみも苦痛も絶望も、何一つ。
だったら――俺が教えてやればいい。
ギシッとベッドのスプリンクラーが跳ねる音。
二宮は突然俺に組み敷かれて、目を驚きに見開いていた。
状況が掴めていないのだろうその瞳は、戸惑いに揺れている。
「二宮は選択を誤まった。俺を、家に連れてくるべきじゃなかったんだ」