10. それでもまた、恋を (相楽視点)


寝苦しさに目を開けると、全身がぐっしょりと汗に濡れていた。
時刻は深夜4時過ぎ。
相変わらず、過去の回想である悪夢に慣れることはない。
俺は気だるい身体を何とか動かして、リビングへ向かった。

「……ふぅ」

よく冷えた炭酸飲料で、渇いた喉を潤す。
ソファーに深く腰掛け、鈍痛のする頭を手で押さえる。
いつになったら、悪夢を見なくなれるのか。
どうしたら、他人との触れ合いで忌まわしい記憶を呼び起こされずに済むのか。

「…有原」

彼との約束を、果たすためにも。
俺はいずれ、過去との決別を果たしてみせる。
けれどその方法が、俺には全くといっていいほど、思いついてはいなかった。






昼食の時間、俺は一人になれる場所を求めて屋上へと向かっていた。
少しふらつくのは、よく眠れていないからなのか。
壁に手を着きながら階段を上がりきり、ドアを押し開ける。

「――よぉ、久しぶり」

途端に、風に乗って聞こえてきた声に、顔から血の気が引くのが分かった。
強張った表情のまま視線を動かせば、貯水庫に寄りかかるようにして日向が立っていた。
日向……“あの人”の、弟。
そう考えるだけで、身の毛がよだった。
来なければよかったと後悔する俺に、日向はニタニタと笑みを浮かべながら近づいてきた。

「俺様のこと、さすがにもう誰だか分かってるよな? 自分が何をしたのかも。一体、どう責任取ってくれるんだ? 言っとくがこの怒りは、ちょっとやそっとじゃ鎮まらないぜ…。なにせあんな屈辱、初めてだったからなぁ」
「……っ」
「だんまり、か? ふん、まぁいい。このことに関しては、今日は追求する気はねぇ。交渉しに来ただけだからな」
「交渉だって…?」

日向は満足そうに微笑んで、俺に一枚の写真を渡してきた。
そこに写る、目も当てられないような淫靡なことに興じる自分の姿に。
今朝悪夢として見たばかりの、その光景に。
脊髄を氷柱に変えられたように、ガクガクと、全身が震え出した。

「どう、して。これを…?」
「昨日、兄貴から教えてもらったんだ。お前さぁ、少し前まで“お気に入りの玩具”だったんだろ?」
「っう、うるさい!!」
「あれ? 俺様にそんなクチ、利いちゃっていいの〜? 他にもたっくさん、あるんだぜ?」

嘲笑いながら、日向は制服のポケットに手を突っ込んだ。
そこから取り出される十数枚の写真に、眩暈がした。

「あーあー。こーんなことまでしちゃって。それも、めちゃくちゃ気持ち良さそうじゃねぇか。無理やりってわけじゃ、ねえよな? 悦んでこんなコトするなんて、変態か?」
「だま…れ…っ」
「男を咥えるのって、どんな気分?」
「このっ……」

殴りかかろうと腕を振り上げると、日向がとある名前を呟いた。
思わず、動きを止める。
日向はひどく愉快そうに笑って、俺を見ていた。

「何、だって…?」
「だからさ。いいのか、バラしちゃって。……有原に」
「っ――――!」

有原に、このコトを言うだって?
俺に向かって朗らかに笑いかける、彼の姿が脳裏を過ぎる。
もしも有原に知られたら、彼は俺のことを一体、どう思う?
俺を汚いって、思うかもしれない。
俺と…もう、口を利いてくれなくなるかもしれない。


それは、嫌だ。


「殴ってもいいぜ、好きなだけ。でも有原に言われるってこと、忘れるなよ」
「……なにが、何が交渉をしに来ただ!? 脅しじゃないか、こんなのっ。目的を言え!!」
「俺と付きあえよ」

懐に写真をしまいながら言われたことに、俺は言葉を失った。
付き合う、だって?
“あの人”の弟である、日向と?

「お前さぁ、知ってるか? この高校だけじゃなくって、この地域全体の男どもに目ぇつけられてんの。きっと毎晩オカズにされてんだろうなぁ…。そんなお前を俺様が手に入れたら、みんなから尊敬されちゃうよなぁ…っ!」

嬉しそうな日向の言葉は、もうほとんど、耳に届いていなかった。
聞こえてくるのは、この場にいない有原の声。
耳に心地いい彼の声で、罵られたりしたくない。
気持ち悪いだなんて、思われたくない…。

「で、どーすんだ? お前が俺と付き合うってんなら、バラさずにおいてやるよ」
「……分かった。分かったからっ! だから絶対に…!!」
「言わないし、見せない。それでいいんだろ?」

日向に頷きながら、俺は自分の心がカサカサに乾いていくのを感じていた。
こういうことにならないために、俺は他人との関わりを避けていたのではなかったのか。
事実を知られて嫌だと思うような存在を、作らないと決めたのではなかったのか。



冷え切った身体とは対照的に、目頭はやけに、熱くなっていた。




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