13. それでもまた、恋を (有原視点)
相楽と一緒に登下校をしなくなって、もう結構な日数が経っていた。
廊下ですれ違っても相楽が俺を見てくれることはなくて、その度に、胸が苦しくなる。
でもきっと、それは彼も同じだと思うから。
だから、めげずにやっていける。
「……よしっ。今日こそ!」
昨日行った校舎内での聞き込みでは、これといって情報は掴めなかった。
相楽を守ることも考えて、やっぱり二人の行動を見張っているのが一番なんだろう。
相楽の教室へ向かって歩いていると、日向が背後から話しかけてきた。
「……何だよ」
「お〜お〜、敵意剥き出しだな。そりゃそうか。相楽のこと、俺様が奪っちまったもんなぁ…」
「……何が言いたい」
「いや〜、別にぃ? ただ、ちょっと有原に教えておきたい情報があってなぁ。相楽の過去、知りたくないか?」
日向の言葉に眉を顰める。
相楽の過去、だって…?
日向がそれを知っているっていうのか?
「―――あ」
もしかして、このことが原因で相楽は……。
僅かな俺の表情の変化に気がついたらしい日向は、愉しそうに笑みを浮かべた。
「興味あるみたいだな? それじゃ、ついて来いよ。ここじゃ…教えにくいコトだからな」
罠だったりするんじゃないのか、と思わなかったわけではないけれど。
それ以上に、興味があった。
相楽の過去にも。
日向がやけに、嬉しそうな顔をしている理由にも。
「ほら、これだよ」
人気がないところ、ということでやってきた先は屋上だった。
そこで手渡された一枚の写真が、一体何を写し出しているのか、すぐには理解出来なかった。
ほんのりと赤み帯びている、滑らかな肌。
そこに絡みつくようにして存在する、白濁。
潤んだ瞳はやけに蠱惑的で、自然と、咽喉が鳴った。
何だよ、これ。
こんなの、見たことない。
こんな“相楽”を、俺は知らない。
「どうだぁ? なかなか、よく撮れてるだろ?」
「……めぇが」
「あ?」
「てめぇが撮ったのか、コレは!?」
胸倉を掴み上げると、日向は驚きに目を見開いた。
それから、俺の剣幕に呑まれたらしく、やけに弱々しい声で話だした。
「お、俺じゃねぇよ…。確かに相楽のことはここで抱いたけど、でも――…がぁっ!?」
反射に近かった、と思う。
それくらいのスピードで、俺は日向のことを殴り飛ばしていた。
口を切ったらしく血反吐を吐いている日向に詰め寄り、睨みつける。
「……なぁ、日向。今、何つった? 悪いけど、よく聞こえなかった。ここで、相楽を…?」
「抱いたっつってんだよ! 付き合ってんだから当然だろ!!」
「ふざけんなっ。相楽は触れられることが…ッ」
ふと、握り締めてしまいクシャクシャになっている写真に視線を落とす。
そこには相楽の、他人との接触によって得られる快楽に酔っている姿がある。
「……どういう、ことだよ」
「だーかーらぁーっ。その写真の通りだってば。相楽はこういうコトすんのが、大好きなんだよ。淫乱なんだっての」
「んなわけねぇだろ!?」
「そう思いたきゃ、思ってればいいけど。でもそれじゃ、その写真をどう説明するんだよ?」
日向の指摘に何も言い返せず、黙り込んでしまう。
……確かに、この写真の相楽からは嫌々やっているという感じはしなかった。
それじゃあ、俺と一緒にいて、触れられることを拒絶していた相楽は一体何だったんだ?
「本当は、見せる気なかったんだけどなー。有原には見せないでって、相楽に頼まれてたし。でも仕方ないよなぁ…。お前、相楽のこと諦めてくれねぇんだもん。相楽も相楽で、ずーっと有原のこと気にしてるし…」
「……相楽が俺に見せるなって、そう言ってたんだな?」
「ああ。嫌われたくないってな。可愛かったぜ、あのときの相楽。秘密を守るために懸命に俺に奉仕してくれてさぁ。本当、健気なのはイイねー、ますます好きになっちゃったよ。ま、その努力は無駄に終わったけどな」
ヘラヘラと笑う日向の腹部に、拳を思い切り突き入れる。
よろけた日向はそのまま屋上に座り込み、驚いたように俺を見上げた。
「なっ、何だよ。何で怒るんだよ。俺は事実を教えてやっただけだろ!? 相楽は有原の思ってるような人間じゃなかったんだよ!!」
「知ったような口を利くな!!」
「な…!? 言っとくけどなぁっ。俺の方が相楽のコト、深く知ってるんだからな! 兄貴からこのときの相楽のコト、たっくさん聞いたんだから!!」
「――それ、本当か」
「あっ、ああ。本当だとも!」
自信満々に頷く日向に、俺は唇を噛んだ。
この写真の相楽は、日向の兄貴――竜牙の相手をしているのか。
彼の名前を俺が初めて口に出したときの、相楽の反応を思い出す。
やけに表情が強張って見えたのは、そういうことだったのか…っ。
俺は写真をビリビリに破ると、日向の懐からライターを無理やり引っ張り出して、火をつけた。
「あっ、あああ!! 何してくれんだよ!? 勿体無いだろ!?」
「うるさい! 他にも写真持ってるんなら、全部出せ!! じゃないと殴るぞ!」
「こっ、この野郎…!」
睨み付けてきた日向だったが、俺が拳を掲げると「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げて、十数枚の写真を渡してきた。
さながらどこかのガキ大将だな、と自分のやっている行為に自嘲しながらも、躊躇することなく燃やしていく。
写真が黒い小さな破片となって風に飛ばされていく様子を、日向は茫然と見ていた。
「ネガ、持ってたりしないだろうな」
「ね、ネガ? 知らない、そこまではっ。持ってるんだとしたら、兄貴だ!」
「ふぅん。兄貴…ね」
風に吹かれてチラつく火に目を細めながら、呟く。
相楽が快楽だけを求めて、このテの行為をしていたとは考えにくい。
きっと竜牙のことを、認めたくはないけど、本気で好きだったんだろう。
だからこそ、こんなにも幸せそうな顔をしているんだ。
でもそれじゃあ、どうして今、一緒にいない…?
「竜牙が相楽とどういう関係だったのか知ってるか?」
「あ、ああ。少し前まで…相楽がこの学校に転入してくる前までだな。付き合ってたらしい。でも兄貴は相楽をいい玩具だった、って」
「――いい、玩具?」
「お、俺が言ったわけじゃないからなっ。俺はそんな風に思ってない! 本当に、俺は相楽が…」
顔を赤くしながら日向は話しだしたが、俺はそれを途中から聞いていなかった。
日向の言ったことが事実なら、相楽は竜牙に弄ばれていたことになる。
散々こういうことをさせられた挙句に、酷い捨てられ方をされたんだとしたら……?
「そんなのって、ない…」
愛されているという悦び。
身を捧げるという悦び。
それらが、写真の相楽からはひしひしと伝わってきていた。
今まで得ていると思っていたもの全てが紛い物で、ただ遊ばれていただけだとなったら、きっと普通は心が壊れる。
そうでなかったとしても、他人は信じられなくなるし、愛せなくなるはずだ。
――――だから、か。
相楽が他人と深く関わりを持たないようにしているのも。
触れ合うことを恐れているのも。
きっと全部、この過去の出来事が原因……。
悪夢として彼が見ているものも、このことなのかもしれない。
「おい、日向。てめぇは相楽を諦めろ」
「おま…っ。これ見てもまだ相楽のこと好きなのか!?」
「当たり前だろ!? そんな簡単に変わるほど、小さな想いじゃねぇんだよ! ――だからこそ、日向に聞きたいことがある。……竜牙はどこにいる?」
俺の質問に、日向は顔を青ざめさせた。
それから、何度も首を横に振る。
言えない、ということなんだろう。
「お前、相楽が好きなんだろ? だったらそんな存在が玩具扱いされてたって知って、腹が立たないのか!?」
「……それは。で、でも有原、教えたら殴りこみに行くだろ? それは駄目だっ。相手、誰だか分かってるのかぁ!? 兄貴だぞ、兄貴。暴力団のトップ! 敵うわけないじゃないかっ」
「だとしても、行かないわけにはいかないだろ!? 相楽は今だって、このときのことで苦しんでるんだぞ!? 過去のことを掘り返さずに、そっとしておいてくれるならいい。でも竜牙は違うじゃないかっ。お前にこの写真を渡した!!」
もう二度とこんな写真が人目に触れることがないように、相楽のことを苦しませないように。
竜牙には言って聞かせないといけない。
……いや、そんなのは建前だ。
俺はただ、竜牙を殴りたいんだ。
相楽を玩具だと言って捨てたことを、後悔させてやりたい。
「日向っ」
「わ、分かったよ。教えるから…」
日向は俺が睨み続けると、根負けしたらしく居場所を教えてくれた。
それはこの学校から、それほど遠くない位置にある倉庫だった。
数年前から使われなくなり、今では暴力団の溜まり場となっているらしい。
一体何十人の団員がそこに集まるのかは知らないけれど……放課後、俺はそこへ行くことに決めた。
行った後に自分がどうなるのか、だなんて恐ろしいことは考えない。
深呼吸をして気分を落ち着かせていると、日向が不安そうに見上げてきた。
「本気で行くのか…?」
「ああ。相楽を苦しめるやつは許せないからな」
「……すごいな、有原は。兄貴に文句言いに行くなんて。それに比べて、俺は――」
日向は俯くと、それっきり、黙り込んでしまった。
竜牙から見せられた写真を使って相楽を脅していたことを、後悔しているんだろうか。
そんな方法じゃ、一番欲しいものであるはずの真心なんて、手に入るはずがないからな。
「相楽にしたこと、少しでも悪いなって思うんなら…。ちゃんと謝るべきだと思うぞ」
俺は微かに肩を震わせた日向に背を向けて、屋上を後にした。
階段を駆け降りながら、相楽の微笑を思い浮かる。
一見クールだけれど、相楽には照れたような笑みがよく似合う。
それを守るためになら、何だってしてやるさ。