14. それでもまた、恋を(相楽視点)
有原の姿が、見当たらない。
日向と付き合いだしてから避けてはいるものの、いつも彼の姿は目にしていた。
それはきっと偶然ではなくて、彼が俺のことを気にかけて傍にいてくれたからなのだろうけど…。
そんな有原を見ないということは、彼はもう、俺のことは――。
「相楽」
話しかけられた声に、机に伏せていた顔を上げる。
夕日の光を浴びながら、日向が立っていた。
辺りを見回して、教室に誰もいないことを確かめる。
それで、とっくに下校時刻を過ぎていることを知った。
「何だ、寝てんじゃねぇのか。悪戯してやろうかと思ったのに」
「……やめてくれ。そういうのは好きじゃない」
「嫌がられると余計にしたくなるんだけどなぁ〜」
日向はそれだけ言うと、窓辺へ歩いていった。
彼がカラカラと音を立てながら窓を開けると、夕時の肌寒い風が吹き込んできた。
前髪が揺れるのを煙たく思っていると、小さく、日向の謝る声が聞こえてきた。
視線をそっと彼にやると、日向は俺のことを見つめていた。
「……いきなり、何だ。どうして謝る?」
「言っておかなきゃ、駄目だと思ったから」
「……何に対して? 俺を脅していること? それとも、俺を抱いたこと? 俺を以前のように、気兼ねなく有原に会えなくしてしまったこと?」
「全部、だよ。悪かった。……正直、甘く考えてた。すぐに二人の仲は滅茶苦茶に出来るんだろうって、そう思ってた。でも違った」
「どこがだ? 事実、滅茶苦茶になってるじゃないか」
有原はもう、俺を心配してくれていない。
俺を傍で見守ってくれていない……。
息苦しさを覚えて俯くと、日向が近づいてくるのが分かった。
肩に、手を置かれる。
払いたくなる気持ちを抑え、俺は彼のことを見上げた。
すると、ちゅっ、と。
「…な…!?」
唇に、日向の唇が触れた。
それは抱き合ったときのような荒々しいものではない、軽く触れ合うだけのものだった。
俺が反射的に手の甲で唇を拭うのを見て、日向が悲しそうに目を細める。
「……日向? 一体、どうしたんだ。今日のお前、可笑しい…」
いつもの傲慢さが、態度から感じられない。
本気で何かに悩み、落ち込んでいるようだった。
「有原にいろいろ言われてさ。自分のことしか考えてなかったんだなって、思い知った。相楽がどういう気持ちでいるのか、とか。今まで何も考えてなかった。自分のものに出来るならそれでいいって、そんな風に思ってた……」
「有原と話したのか…?」
日向の表情が、目に見えて翳る。
彼が今日、こんなにも暗いのは有原との会話が原因なのだろうか。
もしかして有原の姿が見えないのも、これが原因なのか……?
「なぁ、日向。一体有原と何を話したんだ? そんなに落ち込むような…」
「――写真」
「……え?」
「写真、見せに行ったんだ。昨日」
日向のことを見つめたまま、俺は何も言うことが出来なかった。
写真を見せに行ったって、誰にだ。
見せた写真には、何が写っているんだ。
震える下唇を、そっと噛む。
答えなんて、聞くまでもないことだった。
「ごめん。ごめんな、相楽…」
「……んで、だ。何のために…俺は…っ」
有原が来なくなったのは、俺の写真を見たからなのか。
じわっ、と目尻に涙が浮かんできた。
鼻の奥が、ツンとする。
有原にだけは、知られたくなったのに。
それを避けるために、俺は今まで日向と一緒にいたのに。
「本当に、ごめん。……有原が兄貴に文句言いに行くだなんて、思ってなかったんだ」
「謝られたって、俺は…! ……え?」
顔を上げると、日向は心底申し訳なさそうにしていた。
ギュッと、強く握り締められた拳が震えている。
「相楽を嫌いにならせるはずだった、のに。あいつ、全くお前への気持ちが揺るがなくって。俺の兄貴が相楽と過去に付き合ってたんだって、あの写真を撮ったのも兄貴なんだって知ったら………。会いに行くとか、言い出して」
「ま、待ってくれ。有原は“あの人”に会いに行ったのか?」
“あの人”は暴力団の頂点にいる人間だ。
簡単に、出会えるはずがない。
そう思って尋ねると、日向は“あの人”が入り浸っている倉庫の場所を教えてしまったのだと答えた。
その倉庫はきっと、俺がいつも通っていて、“あの人”の相手をしていた場所だ。
何十人もの団員が集まるあそこに、有原が一人で行った……?
「昨日、有原に写真を見せたんだよな? それじゃあ今日、彼の姿が見当たらないのは……?」
嫌なイメージが脳裏を過ぎり、ざわざわとひどい胸騒ぎがしていた。
それを否定して欲しくて乞うように日向を見るのだが、彼は目を伏せたまま、何も言ってはくれなかった。
有原が家に帰ることが出来ないような状況下にいるのだと、否応なしに理解させられる。
もしかしたら、彼はもう――。
「ごめんな、相楽。本当にあいつが帰って来なくなるなんて、思ってなかったんだ! だって流石の兄貴も、高校生相手にそんな酷いことしないだろうって。でも…」
「もういいっ。分かった、分かったから…!!」
ひたすら頭を下げてくる日向から、俺は離れた。
ふらつく足で教室の入り口まで歩いていき、彼へと振り返る。
「有原に何かあったのなら、お前を許さない……っ」
罪悪感でいっぱいなのだろう日向を、気遣ってやれるような余裕はなかった。
俺は彼にそのまま何の言葉も投げかけず、駆け出した。
目的の場所は当然、倉庫だ。
“あの人”のいる場所。
有原がいるであろう場所――。