16. それでもまた、恋を (相楽視点)
慣れ親しんだ路地裏を進んでいく。
最奥には“あの人”が気に入って、暴力団の溜まり場となっている廃棄された倉庫があった。
鍵の壊れた、重たい扉を開け放つ。
「久しぶりだな」
待ち構えていたのか即座に聞こえてきた懐かしい声に、身体が震え、緊張と恐怖に強張っていくのが分かった。
俺は深く息を吐き出すと、一歩、中へと足を踏み入れた。
倉庫の中は薄暗く、よくは見えない。
それでも確かに、“あの人”の気配は感じられていた。
それと、有原の気配も。
「こっちに来い。話があるんだろう?」
声に引き寄せられるように、足が動き出す。
言うことを聞く必要なんてもうないのだと理解していても、命令されれば身体が勝手に動きだす。
そのことを不愉快に思いつつも歩み続け、倉庫の中心に来たところで、止まる。
天井から吊るされている小さな蛍光灯による光が、ぼんやりと“あの人”の姿を暗がりに浮かび上がらせていた。
記憶にあるよりも逞しくなった肉体、獲物を狙う猛禽類のように鋭い眼差し。
かつて深く愛したそれに、心が揺れ動くのが分かった。
「懐かしいだろう、ここが。毎日毎日、ここで俺の相手をしていたのだからな。……正直俺は、あの日以来、お前とは二度と会うことはないと思っていたんだが」
「――思い出話は結構だ。有原は、どこだ?」
気配はあるのに姿が見当たらないことに焦燥を抱きつつ詰問すると、“あの人”は笑んで見せた。
「……さぁ? そこら辺に、転がってるんじゃないのか?」
「な…!?」
俺は辺りを見まわし、倉庫の隅に倒れている有原を見つけた。
縄で拘束されているわけでもないのに、動かない彼の姿に、胸騒ぎがする。
駆け寄っていくと、有原の腹部から床にかけてが、やけに黒味帯びていることに気がついた。
何より、彼の腹には深々とナイフが…突き立てられて……?
「……有原?」
床にこびりつく、乾燥し、赤黒く変色した血液に触れる。
有原は瞼を閉じたまま動かない。
嫌な想像に、じっとりとした汗が浮かび上がってきた。
「あ…ありはら。…あり、はらぁ…っ」
「……う、ぁ…っ」
何度目かの呼びかけの後、僅かに有原の唇が開かれ、血液とともに呻くような声が吐き出された。
まだ、生きている。
そのことに泣きそうになっていると、背後から“あの人”の近づいてくる気配がした。
俺は立ち上がると、キッと鋭く睨みつけた。
「何だ、その目は。殺されなかっただけマシだと思え」
「っ…の……!」
激情によって溢れそうになる、数々の暴言を何とか押さえ込む。
怒りに任せて暴れるのは、誰だって出来る。
それでは駄目なのだ。
「……お願いします。有原だけは、助けてください。貴方を怒らせた責任は、全部俺が取るから。だから…っ」
“あの人”の瞳が、細められる。
俺は射抜くようなその視線に震えながらも、目を逸らすことはしなかった。
「……責任、か。だったらまたここで俺に抱かれてみるか?」
「――そ、れは」
「出来ないのなら」
「出来る。出来ます。させて…ください…っ」
ズキン、ズキンと。
こめかみ付近が鋭く痛む。
過去に行われたことが、また、同じ場所で起きようとしている。
それでも、あのときとは違うことがある。
――――好きな人のために、陵辱される。
裏切られた末に行われることではなく、自ら選んだ末に行われることだから。
きっと、耐えられる。
俺は自分に言い聞かせながら、ネクタイをシュルリと、勢いよく解いた。