2. それでもまた、恋を (相楽視点)


「2年A組。今年の春に転入してきた男子生徒、相楽…だよな?」

下校途中、背後からかけられた男子生徒の声を俺は当然のように無視をする。
新しい町に越してきて以来、頻繁に男に言い寄られるようになった。
やって来たばかりの俺が珍しいのか、はたまた、もう俺を束縛する存在がいないからなのか――…。
どちらにせよ、鬱陶しいことこのうえない。

「おい、無視すんなよ。あ、別に怪しいもんじゃねぇぞ?」
「自分で口にするような奴を信頼出来るか」

思わず言い返してしまったことに後悔する。
男子生徒は俺が反応したことが嬉しかったらしく、先程よりも高いトーンの声で話し出した。

「そりゃ、確かにそうかもしれねーけど。でもさ、初めて話すわけでもないんだから」
「……何?」

男子生徒の言葉に思わず足を止める。
この町に来てから、俺は極力人付き合いを避けている。
たとえ話すことがあっても俺が冷たい態度をとるため、一度でも話したことがある生徒は俺を快く思わないようだった。
それにも拘らず、俺に再び話しかけにくるなんて――よっぽどの物好き、か。
なんにせよ、関わらないに限る。

「おぉーいっ、無視すんなって! 俺だよ、俺っ。もう忘れたのか!?」

腕を掴まれて反射的に払い落とすと、男子生徒は驚いたように目を見開いた。
暗めの茶色の髪に、わりかし整った顔立ち。
どこか、見覚えがあった。
それも当然か。
以前話したことがあるのだから。
けれど俺は基本的に人の顔と名前を覚えない。
だから少し話したくらいでは印象に残らないはずなんだが…。

「……ショックだな。覚えてないだろ、相楽?」

黙り込んでいると、それを肯定ととったのだろう。
男子生徒はどこか寂しそうに目を細めた。

「俺の名前、そういや言ってなかったもんな。言う暇もなかったというか。それじゃ印象に残らなくっても、無理ないのかなー。今度は忘れないでくれよな」
「いいから、早く名前を言ったらどうなんだ」
「それもそーだな。俺は有原。宜しくな、相楽」

差し出された手を、俺は握り返さなかった。
有原は表情を微かに曇らせながら手を引いた。
馴れ合いをするつもりがなかったとしても、こうして誰かが悲しそうな顔をするのを見るのは、辛いものがある。
互いに黙り込んでいると、どこからかバイクの走ってくる音が聞こえてきた。
それも一台じゃない、相当な数のエンジン音だ。

「……やばっ、来たのかも!」
「来た? 何のことだ?」

顔を青ざめさせた有原に首を傾げていると、手首を掴まれた。

「はなっ…」
「いいから、こっちに来い! 隠れないとっ」
「何…!?」

有原は俺の腕を引いたまま、学校の近くにある公園へと駆け込んでいった。
そのまま茂みに入ろうとしたので、俺はその場に力を込めて踏みとどまった。

「おい、何を…」
「それは俺の台詞だ! こんなとこに来て、何する気だ!!」
「え……ばっ、べべ、別に変なことしようとしてるわけじゃないぞっ」

顔を真っ赤にされて言われても、全く説得力がない。
有原を睨み付けていると、再びバイクの音が聞こえてきた。

「相楽! ここにいたら駄目なんだよっ。とにかく後で理由は説明するからっ」
「はぁ?」
「ほら、早く早く!」

有原は俺の返事を待つことなく、茂みの中に引っ張り込んだ。
辺りは薄暗く、人気のない公園ということもあって、警戒心が働く。
本当に、変なことをする気がないのだろうか。
座り込んで茂みの間から外を窺っている有原をじーっと見つめていると、彼は俺の視線に気がついたらしい。
恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。

「おい、何で顔を逸らすんだ。やっぱり何か、やましいことを」
「するわけないだろ! って、やべ。声荒げちまったぜ」

有原は自分の口の前に、人差し指を立てて見せた。
静かにしろ、ということらしい。
一体、何が目的なのだろう。
俺に近寄ってくる奴らは大抵が身体目当てだったから、どうしても、こいつもそうなのではと疑ってしまう。
しばらく黙ったまま茂みに隠れていると、何十台ものバイクが、公園の隣の道路を走っていく音がした。
完全に音が聞こえなくなってから、有原は安堵したように息を吐き出した。

「有原? そろそろ、説明をしてもらえないか」
「あ、ああ。そうだったな。あのバイクの集団、何だか分かる?」
「いや…」
「そっか。あれ、暴走族だよ。俺らのことを捜してるんだ。見つかったら即刻、日向の兄貴…なんつったっけな? り、り…竜牙、だっけ? のところまで連れてかれる」

――――竜牙。
ひどく、聞き覚えのある名前だった。
それはつい最近まで、“俺で”遊んでいた男の名前と同じじゃないのか。
自然と表情が強張っていく。

「……さすがの相楽にも、聞いたことくらいはあるみたいだな。竜牙はここ一帯の暴力団、暴走族を統括してる奴だ。その弟が日向な?」
「…どうして“あの人”が。だって、俺はもう……」

自分を抱きしめて、身体の震えを何とか抑え込む。
“あの人”のことを考えると、どうしても恐怖心が沸きあがってくる。
有原は俺の心境の変化に気づかなかったらしく、そのまま話を続けた。

「覚えてないか? 多分、相楽が初めて学校にやって来たときのことなんだけど」
「初めて…?」
「ほら、学校の前に、長い坂があるだろ。そこで、日向と派手にやらかしただろ?」
「……悪いけど、記憶にない」
「あらら。…とにかくそのとき、相楽は日向に屈辱的なことをしちゃったんだよ。そのことを、兄貴…竜牙に言いつけられたんだろうな。以来、竜牙の命令で暴走族は俺らのことを嗅ぎまわってる。困ったことに、最近はますます捜索に力を入れてきてるみたいなんだ」

有原の説明に、頭が痛くなりだす。
“あの人”には確かに弟がいた記憶がある。
ひどく、溺愛していたことも。
そんな存在に俺は、酷いことをしてしまった…?
だから捕らえられ、復讐されるというのか。

「――それで。俺が狙われる理由は分かったけど。どうして、有原まで」
「お前がそれを言うのかぁーっ!! ……つっても、覚えてないんだもんなぁ。まぁ、アレだ。俺は単に巻き込まれただけだ」
「そう、なのか?」
「ああ。ともかくそんなわけで、俺たちは奴らに捕まらないよう気をつけないといけないんだ。理解したか?」

頷くと、有原は人懐っこい笑顔を浮かべた。
久しぶりに見る屈託のない笑顔は、何だか無性に、眩しく感じた。
こんな風に俺も笑えたのなら、どんなにいいことか…だなんて、決して思いはしないけれど。

「でも、有原。俺たちを捕まえる気なら、どうしてあいつらは高校の前で待ち伏せをしないんだ?」
「あー、それな。ほら、日向の奴にも見栄ってのがあるからさ」
「どういうことだ?」
「高校の近くで暴走族が待ち伏せてたりしたら、みんなは『ま〜た、日向の奴は兄貴に頼みごとしたんだな。あいつって、ホント兄貴なしじゃ何も出来ないよな』って思うだろ? そういうのが嫌だからこそ、極力目立つ行動は避けてくれって竜牙に頼んでるんだろ」
「……結局また、頼んでるのか」
「そうなんだよなー。もういっそ、堂々と『兄貴助けてぇ〜っ』って泣きつけばいいのに。俺らの前で」

そんなところは、正直見たくない。
有原は日向の泣きっ面を想像したのか、くくっと声を押し殺して笑っていた。

「ま、日向にそのプライドがあるおかげで、奴らも下手に俺たちには手を出せないんだけどな。出来ることと言えば、ただひたすらに俺らの姿を追い求めて道路をバイクで走ることだけだ。……とにかくそういうわけだからさ」
「気をつける」
「ああ。……いや、そうじゃなくってさ。一緒に登下校しないか?」
「――はぁ?」

唐突な提案に首を傾げる。
有原は照れたように頬を掻いていた。

「だってほら、一人で行動するのって危険だろ?」
「……二人でいても、一人でいても、危険性は変わらないだろ。出会うときは出会うんだから。むしろ二人いっぺんに捕まるほうが問題だろ」
「それはそうなんだけど! でも、たとえ俺が無事でも、相楽が捕まったりしたら気分悪いし。だから…」

俺は黙り込んで、有原の目を見つめた。
真摯さと同時に頑固さが窺える瞳に、ため息をつく。
きっとこいつは、俺が了承するまで引かないのだろう。

「……分かった。確かに二人でいることで、一人のときよりも気づくことがあるかもしれないしな」
「よしっ。そんじゃ、明日から相楽の家に迎えに行くから」
「じゃあ、住所を教える」
「あ、その必要はないよ。今日は送ってくから、さ」

笑顔を見せる有原に俺は小さく頷くと、自宅へと向かって歩き出した。
すぐに、有原が隣へと駆けて来る。
彼と一緒に夕暮れの中を歩きながら、俺は今後のことを考えて眉間にしわを寄せた。
果たして“あの人”に捕まることが出来ずにいられるのか…。
もしも捕まったら、一体どのような目に遭うことになるのか…。
次から次へと脳裏を過ぎる嫌な想像に吐き気さえ覚えていると、いつの間にか、家についていた。
よほど長時間考え込んでいたらしい。
ふと視線を有原へと向けると、彼は俺の家――マンションを見上げて、ぽかんと口を開けていた。

「……なぁ、相楽? ここがお前の家なわけ?」

そう尋ねてくる有原の表情はどこか、硬い。
笑いを無理に堪えているようにも見える。
そんなに可笑しいだろうか。
俺にはどこら辺にでもある集合住宅にしか、思えないのだが。



「くっ、く…はっははは! ありえねーっ。ここ、俺の家のまん前じゃん!!」



噴き出しながら言われた有原の言葉に、俺は絶句してしまった。




    TOP  BACK  NEXT


Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!