5. それでもまた、恋を (有原視点)


相楽と一緒に俺が登下校をするようになって、もう一週間が経つ。
竜牙率いる暴走族に追われているにも拘らず、未だに捕まることなく健在な俺たちは、大したものだろう。
このままいけば諦めてくれるんじゃないのか、という甘い期待を胸に抱いた直後だった。
――コツリ、と。
背後から足音が聞こえたんだ。
他にもこの道を通って下校する生徒はいるんだから、足音が聞こえること自体は珍しくない。
けれど妙なことに、その足音は俺たちのことをつけているような感じがした。
俺たちが足早になれば、その足音も早くなる。
俺たちが立ち止まれば、その足音も止まる。
これはどう考えても、可笑しい。

「……なぁ、つけられてるよな?」
「有原もそう思うか」
「ああ。でも暴走族ではなさそうだな。バイクじゃないし」
「…さすがにあいつらも、バイクでは音を聞いて逃げられると、気がついたのかもしれない」
「そういう可能性も捨てきれないけど。でも奴らだったら、見つけたらすぐにでも俺らを捕らえるんじゃないか?」

こそこそと話し合っていると、「あ、あのっ」と妙に上ずった声が聞こえてきた。
緊張していることがまる分かりな声に俺たちが振り返れば、見知らぬ男子生徒が生徒手帳を差し出すようにして立っていた。

「えっと…君は――ってオイィッ!! 何勝手に一人先に帰ろうとしてるんだ相楽ッ」
「関係のない人間だと分かったんだ。相手をする必要はないだろうが」
「あのなぁっ…。話くらいは聞いてやるべきじゃないのか!?」

相楽は不満そうに眉を寄せると、腕組みをして男子生徒に向き合った。
あまりにもふてぶてしいその態度に、思わずため息を零してしまう。
――相楽は本当に、人付き合いが悪い。
そのため周囲から反感を買うことが多いようだったが、俺にはその冷たさが、どこか作り物めいて感じられていた。
他人に関心がまるでない、というよりも。
何かしら意図することがあって、わざと他人との付き合いを避けているような……。
そう分かっているからこそ強く彼の態度を変えさせようとは思わないが、流石に話しかけてきた人物を無視するのはいただけない。
俺は相楽の態度にすっかり萎縮してしまっている男子生徒に話しかけた。

「で、一体何の用なんだ?」
「あっ、君に用があるわけじゃなくって。その、相楽さん…生徒手帳、落としましたよ…?」
「……ありがとう」

相楽はそっけなく言うと、生徒手帳を受け取って鞄へとしまった。
目もあわせずに礼を言われたにも拘らず、男子生徒は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
相楽をチラリと見やっては、照れたように目を逸らす。
ひどくぶしつな、視線だった。
頬を紅潮させているこの男子生徒が、相楽相手に欲情しているのは一目で分かる。

「――相楽、帰るぞ」

俺は何だか苛立ちを覚えて、まだ会話をしたがっている男子生徒から離れていった。
すぐに後を着いて来てくれる相楽の気配に、少しだけ気分が和らぐ。
それでも不愉快であることは変わらなかった。
相楽には敵が多い半面で、好意を寄せる存在が多いことを知っている。
これだけ容姿に優れているんだから、それも当然だ。
でもだからこそ、俺は――…。

「有原、どうしたんだ」
「何が」
「有原らしくない」

相楽の言葉に足を止める。
俺らしいって、何だ?
今のような気に食わない人物と一緒にいるのに、ヘラヘラと笑っていることか?
あんな視線を相楽に送るような奴と、親しげに話すことか?
相楽はあいつに対して、何も感じなかったのか?
俺だけが、腹を立てているのか…?

「少なくとも俺の知っている有原は、他人に対してあんな冷たい態度をとらない」
「まだ一週間しか接してないんだから、相楽の知らない俺がいるのは当然だろ!! 大体冷たいとか、お前に言われたくねぇッ!!」

言い切って、俺はハッと息を呑んだ。
何を、言っているんだろう。
気づいていたはずじゃないのか。
相楽がそっけない態度をとるのには、理由があるんだろうと。
本当は優しい心を持っているんだって、分かっていたはずなのに。
その証拠に今だって、相楽は俺を心配して声をかけてくれたんじゃないのか――?

「悪い。有原の言う通り、だったな…」
「いや、ちがっ…くて。これは……!」

相楽は俺の言い訳を聞くことなく、歩きだしてしまった。
――最低だ、俺は。
勝手に苛立って、それを相楽にぶつけるだなんて。

「相楽、ごめん! 俺…ひどいこと言った」
「……そう思うんだったら理由を言え。何が有原の気分を損ねたのか」

振り返ってくれた相楽は、どこか不安そうに俺を見ていた。
自分が不愉快な気分にさせたのでは、と懸念しているんだろうか。
罪悪感で胸がいっぱいになる。
だって普通、こういうときは俺が言った酷いことに対して傷つき、怒るんじゃないのか?
俺は責め立てられたって可笑しくない立場にいるはずなのに、彼に気遣わせてしまっている…。

「……その、さ。俺も正直、何であんなにムカムカしてたのか分からないんだ。ただ、相楽があいつに見られてるんだと思うと腹が立って」
「意味が、よく分からない。向き合ってたんだから、見られるのは当然だろ?」
「そうなんだけど! でもあいつ、相楽のことを変な目で見てたから…っ。俺はお前がそういう…やらしい目で見られるのは我慢出来ないっ。自分からちゃんと話を聞けって言っておいてこんなこと言うのも変だけど、相楽がほかの人間と一緒にいるところを見るのも嫌だ!」

相楽は俺の言葉を真剣に聞いてくれた。
その眼差しと自分の言っていることの訳の分からなさ具合に、頬が熱くなっていく。

「悪いな。こんなこと思うなんて、俺…可笑しいよな」
「いや、可笑しいとは思わない。ただどうして他人に対してそこまで熱くなれるのかは、不思議だけど」
「他人に対してだからじゃなくて、相楽に対してだからこそだよ!」

思わず言い返してしまい、俺は動揺した。
別に否定するようなところじゃなかったはずなのに。
それなのに、やけに相楽の発言には反感を覚えていた。

「……俺だって、他人じゃないのか?」
「いや、うん。そうなんだけど」

不思議な生物を見るかのような眼差しを向けられて、言葉に詰まる。
どう説明したらいいのか皆目検討つかないけれど、それでも相楽を『他人』と称するのには抵抗があった。

「有原の言うことは、よく分からない。ごめん、説明してくれたのに」
「いっ、いや! 分かれっつー方が無理な話なんだよっ。俺自身よく分かってないんだから」
「そうか? でもそれなら俺は、どうしたらいいんだ? 有原にはああいう態度をとって欲しくない。…というか、嫌な気持ちになって欲しくないんだ」
「俺に、は?」
「え? あ、ああ…」

頷いた相楽に、俺は一歩近づいた。
相楽の身体がビクッと震えたのが分かった。
俺には、ということは。
俺だけって、そういうことだよな。

「それってどうしてだ?」
「……どうしてって?」
「どうして俺には、嫌な気持ちになって欲しくないって思うんだ? 他の奴では思わないんだろ?」

相楽は黙り込んで、俺の顔をじっと見つめた。
もとより儚げな瞳がより一層、その色を濃くするのを見て、鼓動が早くなる。
どうにも俺は、彼の瞳に弱い。
相楽は僅かに視線を泳がせると、分からない、と呟いた。

「そっか、分かんないか。まぁ俺もそうだしな……。つか、分からないことだらけじゃん。俺ら」

困ったもんだ、と俺が笑うと、相楽も同意をした。
それから俺と同じように、けれど俺よりも数段綺麗な、柔らかい笑顔を浮かべて見せた。
トクンっ、と。
再び左胸の奥底が、疼き出す。
相楽と出会った当初から感じる、温かくそれでいて切ない鼓動。
その存在を改めて認識し、意味を考え、それから相楽を見て、ああそういうことだったのか…と納得をする。
俺はきっと初めて見たときから相楽のことが――。

「…感情に明確な起因はないのかもしれないな。もしくは、あったとしても、本人には自覚しにくいとか」
「なるほど。でも俺、やっぱ…分かったかもしんねぇ」
「え? 腹が立った理由が、か?」

興味をもったらしい相楽の目が、僅かに大きく開かれる。
そのことに満足感を覚えながら、俺は歩き出した。

「おい、有原っ。分かったのなら教えてくれ」
「いーじゃん、別に。何でだって」
「よくない」
「機会がきたら、言うよ。というか、覚悟が出来たら? まぁとにかく。……それまで待ってて」

気持ちを込めて真剣に言うと、相楽は黙り込んだ。
それからちょっとだけ、唇を尖らせた。

「――約束、だからな。ちゃんと言うって」
「ああ。約束だ」

微笑みながら小指を差し出すと、相楽が息を呑むのが分かった。

「んだよ? 指きり、しねーの?」
「そんな、子供っぽいことなんてしてたまるか」
「そうかぁ? 定番だろ、これは。ほら相楽!」

急かすように名前を呼ぶと、相楽はおずおずと小指を差し出してきた。
そっと、小指と小指とを、絡ませあう。
すると相楽はすぐに手を引っ込めてしまった。

「おいおい! そりゃないだろっ」
「……馬鹿」

相楽はそっぽを向いた挙句に罵ってくれやがった。
それでも腹が立たなかったのは、相楽の頬から耳にかけてが、いつもとは違う色に染まっていたからなんだろう。
それに何よりも、相楽と触れ合えたことが、嬉しかったのかもしれない。
出会った当初は、握手をしてもらえなかったからな。

「帰るか、相楽?」
「……い、言われなくても、そうするつもりだった」

そう言って相楽は歩きだした。
早足で歩いていく相楽の後ろ姿を見ながら、俺は笑みを浮かべた。


約束だ、相楽。
いつかきっと、この気持ちはお前に伝えるから――。




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