異世界へ行く理由 1−10


 やるべき事を全て終わらせ、ライナスを見送った後、私はすっかり疲れ果てて何の言葉も出なくなっていた。
 いつの間にか日は高く昇り、わずかに風が木々の枝を揺らしていた。それは、いつもと同じサラディアールの光景だったに違いない。
 だが、私にとってはその穏やかな光景すらも、ひどく息苦しく感じた。裏門のところに立ったまま、その小さめの扉の向こうに見える影――ライナスを乗せた風馬車を見つめながら、やがて小さなため息をつく。
 疲れからか、頭の芯が痛む。
 それに、頼りにしていた人間を失ったという喪失感が、身体の中に穴を空けているような気がした。
「大丈夫?」
 隣に立ったケイトが、私を見上げて穏やかに言った。その彼女の表情を見ていると、余計に言葉が見つからなくなる。彼女はいつもと変わらない。こんな事態になっても、笑顔が曇ることはない。
 その笑顔を見て、救われることもある。
 だが、それを妬むこともある。彼女の魔術師としての力は強大で、彼女にできないことはないのだろうと感じさせられるからだ。
 もしも私がその力を持っていたら、どうしただろう?
 父が望んだように、『完璧な王』となることも可能だっただろうか。
 そんな、考えてもどうにもならないことすら、真剣に考えてしまうからだ。
「私は大丈夫だ」
 やがて私はそう応えてから、こう続けた。「それより、コウジの怪我は大丈夫だったのか」
「大丈夫大丈夫。あんなかすり傷、簡単に治るわよ」
 ケイトの声はあっけらかんとして明るい。ひらひらと手を振りながらそう言った彼女を見下ろしながら、小さく苦笑した。
 ケイトが言うのなら、そう心配しなくても大丈夫だろう。……とは思っても、なかなかそう割り切れるものではないのも事実だが。
「側近たちを大広間に集めてくれ」
 やがて私は少し離れた場所に控えていたシアンに声をかける。
 シアンも、いつもと変わらない静かな表情だ。疲れているはずだったが、それを顔には見せない。
「かしこまりました」
 彼は礼儀正しく一礼すると、すぐに城内へと入っていく。
 その背中を見つめながら、私はこの日、何度目かのため息をこぼした。

 ライナスの病が悪化していることは確かだ。だから、それを側近たちに偽る必要がなかったのがありがたい。
 できれば、皆につく嘘というのは少ない方がいい。多少、事を急ぎすぎたような気もしたが、側近たちがそのことに疑いを抱いているような気配はなかった。誰もがライナスの容態を心配していたようであったし、静養は当たり前だと感じていたようだった。
 ただもちろん、今後のサラディアールの政を心配する者もいるだろうと思う。だから、私はシアンとケイトを隣に置いて、彼らの前で説明しなくてはならない。ライナスがいなくなったとしても、この国は安泰なのだと納得させなくてはならない。
「皆には苦労をかける」
 私はそう、口を開いた。
 大広間に集められた側近たちは、そんな私の様子を見て不安を感じたようだった。当たり前かもしれない。自分で認めるのもおかしいが、こんなに弱い――いや、殊勝な――強気ではない……自分を誰かに見せたことなどない。
「しかし、ありがたいことに私には信用できる人間たちが周りにいる」
 皆の視線が自分に突き刺さるのを感じながら、私はそっと笑った。「そなたたちにとって、私はまだ王として未熟であろう。それは私も自覚している」
「しかし陛下」
 不安げに側近の一人が口を開きかけるのを、私は手を挙げて遮った。
「だから、私に力を貸して欲しい。必要なときは助言を、その力を求めよう。話があればそれを聞こう。今までよりも、真剣にそなたたちに向き合っていきたいと思う。この国のために」
 私がそう言って彼らの顔を見回すと、誰もが一様に驚いたような表情をしていた。
 しかし、それは不快なものではない。彼らもまた、その表情から不安の色を消して、笑みを返してくれた。
 少しだけ、彼らとの距離が近づいたような気がするのは、誤解ではないと思う。

「コウジ、少し外出しないか」
 一通り全てが片付いた後、私はやっとコウジの部屋のドアを叩いた。
 せっかく彼はサラディアールに遊びに来たというのに、何も楽しい体験などしていない。不愉快な体験しか。
 だから、せめて何か……とは考えていたのだ。
「後のことはお任せ下さい」
 シアンがそう言ってくれたのを心から感謝しつつ、私はふと思いついたことを実行するためにケイトにも声をかけたのだ。
 後は、コウジがそれに頷いてくれるかどうか。
「……何だよ」
 怒って会話などしてくれないのではないか、という一抹の不安もあったが、意外と彼は冷静な表情でドアを開けた。額の怪我はすっかり塞がっているようで、わずかに赤くなっていたが、それほど目立つようでもなかった。
 コウジはどこか私の視線を避けるように床に目をやりつつ、ぎこちなく私を部屋に迎え入れる。
「……怪我は大丈夫か」
 何から話そうかと考えた結果、こんなつまらない切り出し方をする。
 コウジはひどく真剣そうな表情で眉根を寄せながら、何も言わずに私を見つめている。しかも、少し距離を取りながら。
 私はそんな彼を見つめながら、目を細めて続けた。
「大丈夫そうなら、外に出よう。面白いところに連れていってやろう」
「んん?」
「生き物は好きか?」
「生き物?」
「そう、大きい生き物だ」

「準備できた?」
 我々が中庭へと降りていくと、ケイトが私の風馬車の隣に立っていて、その車を牽引している真っ白な獣を撫でていた。
「何だ、これ!」
 途端、私の背後からコウジが大声を上げて駆けだした。
「風馬っていうのよ」
「フーバ?」
 ケイトがくすくす笑いながらコウジを見やると、彼は目を輝かせてその手を恐る恐る差し出していた。
「この世界では珍しい生き物ではない」
 私が説明を始めると、コウジがやっとそこでまっすぐな視線を私に向けてきた。それで? と言いたげな表情を見せてくれるので、私も嬉しくなった。
 風馬というのは、人間の三倍くらいはありそうな生き物だ。細長い顔を持ち、丸い目が四つついている。耳は細長く、背中にはぎざぎざとしたヒレのようなものがあり、その身体は硬い鱗で覆われている。筋肉の発達した四本足で走る姿は、勇壮としか言いようがない。外見から判断すると恐ろしい生き物であると見えるかもしれないが、その性格はおとなしいものが多い。だから、こうして我々は人間の乗る車を引かせることができるというわけだ。
「へえ、日本で言うところの馬みたいなもんか。トカゲっつーかドラゴンみたいだけど」
 コウジはぶつぶつと呟きつつ、風馬の前に立ってじっとそれを見つめた。
 そして、時々にやりと笑う。
 どうやら生き物は好きらしい。
「じゃあ、出かけるか」
 私がそう言って風馬車の扉を開けると、コウジが奇妙な表情で私を振り返る。
「出かけるって?」
「ああ、生き物を見にいくと言ったろう」
「え」
 コウジは勢いよく風馬と私の顔を交互に見つめつつ、大きな声を上げた。「生き物ってコレじゃねえの?」
 当たり前だ。
 風馬みたいなどこにでもいるような生き物を見せて、何が楽しい?

 風馬車の中は、六人ほど乗れるように作られている。王家の風馬車であるから、内装も普通のものよりも豪華だ。内側に張られた壁紙であるとか、窓につけられたカーテンであるとか、それだけでも一般的なものとは違うのだが、一番の違いは風馬車の扉につけられたサラディアール王家の紋章であったろう。
 風馬の走る速度は速かったが、それほど揺れは激しくはない。流れるように走るというのはこういうことなのだろう。
 めぐるましく変わっていく窓の外の光景を見つめたコウジは、さっきから随分楽しげだ。
 だが、私的には面白くないこともある。
 コウジとケイトが隣り合って座っていることだろうか。しかも、コウジはいつの間にかケイトとうち解けたらしく、時折私のことなど忘れたかのように彼女と話をしているのを見て、私はいつの間にか不機嫌になっていた。自分でも気づかないうちに眉間に皺を寄せていたらしく、それに気がついたケイトが「陛下、気づいてる?」と自分の額を指で叩いて見せる。
 気づいたからどういうこともない。
 それに、そのことに不快感を覚える自分もどうかと思う。
 私は内心でそっとため息をつくと、無言のまま窓の外に視線を投げた。
 そうして意識を遠くに切り離すということに成功すると、心の中が冷えていくのが解る。
 これでいい。私はただ、そう思った。

 サラディアールの北の森の奥の方に、この国の神殿がある。そこは、サラディアールという国家ができる前から、神聖な土地であると言われていた場所だ。そこに神殿を築き、サラディアールの繁栄を祈る土地ともした。
 そこにいくのはこの国の魔術師であるケイトと、国王、その側近たち。他にはほとんどいないと言っていい。
 森は深く、滅多に旅人も通らないのだ。サラディアールには、この国をぐるりと取り囲む塀があるのだが、南と東と西にそれぞれ門が設けられているものの、北には門がない。ただ、まるで森を包み込むかのように高い塀がある。だから、旅人たちには森を抜ける理由などないのだ。
 もちろん、誤って森に入る人間もいる。しかし、そこは神殿もある場所。ケイトのかけた神殿を守るための魔術も手伝ってか、ほとんどの人間は森の中で進むべき道を見失い、やがて元の場所へと戻ることになる。
 そして今、我々が向かっているのはその神殿だった。
 森が深くなれば、まだ太陽も空高いというのに薄暗くなってくる。
 コウジも何かただならぬ気配を感じたのか、少しだけ緊張したように窓の外を食い入るように見つめていた。
 やがて、森が急に開ける。
 それは唐突であったが、それ以上にそこに真っ白な外壁の神殿が現れたことの方が、コウジにとっては驚きであったらしい。
「すげえ」
 目を見開いたまま固まった彼を見ると、つい笑みがこぼれた。
「降りよう」
 その入り口のところで風馬車をとめ、我々は外へと出た。森の奥であったから、随分と風が涼しい。そして、凛とした空気が辺りを包んでいることも、心地よかった。
 神殿は巨大だ。
 サラディアールの城よりも大きい。もちろん、その大きさには理由がある。
 正面の門に向かい、私はゆっくりと手を挙げる。すると、自動的にその門が開き、正面の扉までの一本道が現れる。
 建物はどこも白い。だから、光が反射して目に痛いくらいだった。
 私の後ろではコウジが「すげえすげえ」とはしゃいだ声を上げていて、ただの一本道も興味深そうに左右に行ったり来たりしつつ、時にはその場でぐるりと回ったりしながら歩いていく。忙しいヤツである。
「何コレ。何する場所?」
 やっと、コウジが私の横に並んでそう声をかけてきた。
 私はそっと笑いながら応える。
「ここには、このサラディアールの神獣がいる」
「心中……いや、違うな?」
「何を考えた」
「いや、別に」
 コウジは相変わらず変なことを言う。しかし、それが面白い。私はつい声を上げて笑いながら、さらに続けた。
「まあ、いい。実際に見た方が早い。簡単な話だが、どこの国にも神獣……神の使いとして崇められている生き物がいる。彼らは人間と契約をし、その国を守る存在となるのだ。そして、我々の国にいるのは、『彼』だ」
「彼?」
 怪訝そうに私を見上げたコウジは首を傾げていて、さらに説明を求めているようだった。
 しかし、我々は神殿の正面の扉を開けて中に入っていた。その扉を開けると広い空間が広がっていて、すぐにコウジは言葉を失って辺りをぼんやりと見回す。
「俺の部屋の何倍……何畳くらいあんのかな」
 また、コウジは変なことを言う。
 ケイトが呆れたように肩をすくめながら、私の前を歩いていくのが解った。私もそれを追うと、慌てたようなコウジの足音が背後に続いた。
 しばらく歩いていくと、その足下に下へと降りる階段が現れる。緩やかな階段を降りながら、ケイトが小さく呪文を詠唱を始める。すると、目の前に突然光が弾けた。それは、熱を感じさせない火柱だった。
 突然生まれた炎。
 それは、高い天井へと突き抜けるかのような勢いで駆け上っていく。
「ちょ、死ぬ! マジ、死ぬって!」
 本気で身の危険を感じたかのようで、コウジが私の背後に回り込んで、勢いよく私の服を掴んだ。「ヤバイ、マジ、ヤバイってば!」
 そのまま、まるで私を引っ張って安全なところに行こうかとするコウジは、さらにケイトの背中にも叫んだ。
「大丈夫なのかよ! おい!」
「大丈夫よー」
 ケイトの緊張感のない声が神殿内に響く。私も、大丈夫だとコウジに言い聞かせるかのように微笑みつつ、彼の肩を叩いた。
 そしてその時、火柱の中に巨大な影が揺らめいた。
「何だ、あれっ!」
 コウジがばしばしと私の背中を叩きながら叫ぶのと、火柱の中からサラディアールの神獣である火竜が姿を現すのが同時だった。そして、火柱が弾けて消える。
 赤黒く輝く艶やかな鱗、まるで深淵を覗き込んでいるかのような真っ黒な双眸、額から突き出した白い角。巨大な翼は一度羽ばたくだけで我々を風圧で吹き飛ばすことができるだろう。
 それは、美しい生き物だった。
 見る者が全員息を呑み、言葉をなくすくらいに。
 突然、私の左腕に冷たい感覚が走る。見下ろすと、左手の指先から青白く輝く美しい模様が生まれ、そのまま生き物のように腕全体へと広がっていく。それは、火竜との契約の証だった。
「……よう」
 そう、口を開いたのは火竜、セリアドルだ。彼は今、私の前に翼をたたんで頭を下げている。
 火竜の双眸は私に向けられていて、以前会ったときと変わらず、どこか愛嬌のある目つきだった。
「元気そうで何より」
 私がそう短く言って彼の鼻先を撫でると、背後からコウジの声が上がった。
「何、何だよ、もしかして話せんの? 何で? 何でレインだけ!?」
「わたしだって会話できるわよー」
 と、ケイトも間延びしたような声で言う。
 すると、コウジが「うわ、ずっけえ!」とまた変な言葉を使った。コウジは私の服を掴んだまま、じっとセリアドルを見つめている。
「すげえ、話せるんだー。こっちの世界ってすげえ。本当にナルニアとか指輪の世界じゃん」
 頬を紅潮させてそんなことを言っている彼の様子を見て、セリアドルが鼻を鳴らした。
「……変なの連れてきたな」
 火竜は冷静な口調でそう言った。
 私もつい、冷静な口調で返してしまう。
「それは認めよう」
「何、何て言ってんの?」
 目を輝かせて私に問いかけてくるコウジを見つめ、さすがに正直には応えることは躊躇われる。だから、コウジのことはとりあえずどこかに置いておいて、私はセリアドルに向かって言った。
「城で色々あった。ライナスが私に逆らったため、国外へ出したのだ」
「ああ、あのオッサンか」
 セリアドルはつまらなそうにそう呟く。「まあ、そんなことだろうとは思ってたさ」
「……なぜ解るのだ」
「んん? だって、あんたのことをこの国の王と認めてなかっただろ、あいつは」
 こともなげにそんなことを言うセリアドル。
 私は苦く笑った。
 そして、小さく訊いた。
「お前のようにか?」

 一瞬だけ、間があった。
 ケイトの視線が私に突き刺さっているのを感じる。そして、我々の会話の内容が解らないコウジは戸惑ったような視線を投げてきている。
 セリアドルはふと、目を細めて私を見つめ直した。
 この火竜は、あまり言葉遣いはよくない。その分、正直だ。だからいつだって、私の問いにもいつもまっすぐに答えを返してくれた。
 ――そうだな、という彼の言葉を待っていた。しかし、実際には違う言葉が返ってきたので驚く。
「自虐的だな、どうした」
 セリアドルはその鼻先を私の頭にこすりつけてきた。珍しい、どうやら慰めてくれているらしい。
「別に」
 私は苦笑しつつその大きな口の脇を撫でる。「自分の思い上がりを知っただけだ」
「ふん」
 セリアドルは唸るような笑い声を上げた。人間とは違う笑い方。それは、動物が威嚇している時の鳴き声にも似ていると思う。
「今のあんたは嫌いじゃないな」
 セリアドルはそう言うと、その目線を上げてもう一度コウジを見つめた。「そっちの変なのも嫌いじゃないぜ。馬鹿っぽいけど、多分馬鹿じゃない」
「どういう表現だ」
 つい、吹き出してしまう。私はしばらく一人で笑った後、セリアドルにだけ聞こえるように囁いた。
「……惚れそうだ」
「んん?」
「……彼に。別の世界の人間だというのにな」
「それはそれは」
  セリアドルはまた奇妙な笑い声を上げた後、少しだけ真剣な口調に切り替えて言った。「手こずるだろうぜ、あんた」
「解ってる」
 私はため息をついてからコウジに目をやった。
 相変わらず、興味津々といった表情の彼。セリアドルに触ってみたいらしく、その手を宙で彷徨わせながら、「噛まれるかな、噛まれるかな」と呟いている。
「ま、いいんじゃねえの? 悪いヤツじゃないみたいだし」
 セリアドルは軽い口調でそう言ってから、しばらくの間コウジを見つめ続けていた。
 そして、やがて短く言った。
「そいつに左腕、出させな」
「あらやだ」
 そこで、ケイトが楽しそうに言葉を挟んできた。「契約する気?」
「契約? 契約って?」
 コウジがそわそわと私の背後で落ち着かない動きをする。そんな彼を見て、やっぱり笑ってしまう。
 私はコウジの肩に手を置いて、そっと微笑む。
「彼と話ができるようになりたくないか?」
「え、マジ?」
 コウジの表情が一気に明るくなる。それがとても魅力的だ。
「もちろん、もちろん!」
 そう叫んだコウジの声に、欠片も躊躇いはなかった。

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