「彼を手に入れた者が、この国の未来を手に入れるの。つまり、その人こそが王になるのね」
我が国、サラディアール国の城内付きの魔術師であるケイト・リィンが陛下の前で言ったその一言は、その場にいた人間全てを戸惑わせたと言っていい。
この城の大広間にいた人間は、陛下──レイン・サラディアールと私、シアン・リューイン、そして城内に住まう側近たち。我々を目の前に、ケイトは魔術師らしからぬ華やかなドレスを身にまとい、壁際にあったサイドテーブルの上に座って足をぶらぶらさせていた。
「これは『予言』よ。他の人間に知られたら、大変なことになるわね」
ケイトは無邪気に陛下に笑いかける。
彼女の姿は、まだ十六、七歳くらいに見える。長い金髪は緩くカーヴを描いており、その背中を覆っている。鋭く輝く瞳の色は深い緑で、長い睫が揺れるたびにそのきらめきを際だたせていた。華奢な体つきと、それに似合わぬ豊かな胸。
彼女は不老不死であるという噂がある。
事実、私が幼い頃から彼女はこの城に専属の魔術師として存在していて、その頃からずっとその姿形は変わっていない。年老いることのない少女のままだ。
彼女の魔術師としての力には定評があり、誰もその偉大な力を疑うことを知らない。そして、彼女が時折告げる『予言』も、外れたことがない。
だから、今回の『予言』は大問題だった。
「……その男を手に入れれば、私はこの国の王として安泰なのか」
レイン陛下はぎこちなくそう言って、何ごとか考え込んでいる。
この年若き王は、幼い頃からその美貌で周りの人間の目を引いた。賢王として知られていた彼のお父上の風貌とよく似ている彼だったが、その性格は大きく違う。前王は真面目で自分に厳しく、配下の者には優しかった。人を見る目があり、何をするにも的確な指示を出す。そんな彼を慕い、彼のためなら命を捨てると考える人間も多かった。
だが、レイン陛下は前王と違って、いい加減なところがあった。好き勝手に行動して、確かに優れた頭脳を持っていると思えるのにそれを活用しようとはしない。それに、王妃様一筋であった前王と一番違うのは、レイン陛下の性癖であったかもしれない。
女と寝ると、後継者争いが起きる。
相手が男なら、子供も生まれることはないし安全である。
そんなことをいつも言い、気がつけばいつの間にか男性を口説いて『そういう』関係になっている。ただ、明らかに遊びであるらしく、一度寝ると飽きて別の男性に情が移る。
自然と、男娼に手を出すことが多かった。そのほうが後腐れないからなのだろう。
この悪癖は城内でも有名で、昔からこの城にいる側近たちの間では、前王と彼を比べる者も多い。だからなのか、彼は人の目を気にすることが多かった。王としての立場と、その配下たちのありよう。それをとても気にしている。
傲岸不遜。自由奔放。レイン陛下のその上辺だけを見ていれば、誰もそう気づかないだろう。しかし彼は、その内面に傷を持っていた。
「なぜだ」
陛下はイライラとした様子で、目の前にある鏡を覗き込んでいた。陛下のすぐ横にはケイトが立ち、腕を組んで小さく唸っている。
「強情ねえ。普通、興味を惹かれてこっちにくるものだけど」
ケイトの口調は限りなく明るい。
しかし、彼女の魔術がうまくいってないことには変わりはない。
つまり、『予言』によって選ばれた少年を、こちらの世界に連れてくるという魔術である。どうやらケイトが予言した少年というのは、我々とは違いすぎる生活を持つ世界に住んでいるようだ。大広間に運び込まれた大鏡の前で、我々は少年の住む街並みを見つめる。
奇妙な箱のような家々。奇妙な服装。走る箱形の物体。我々の世界にあるような、豊かな自然はそれほど見られなかった。あったとしても、箱形の家々の合間に、ぽつんと木々が取り残されているようなものである。
そんな国に住む少年は、目のところにキラリと光るものをつけ、毎日同じような服装で同じくらいの年齢の人間が集まる場所へといく。どうやらそこは、『学校』と呼ばれるものらしい。我々の世界では勉強をするにしても、家庭教師を雇うのが当たり前だが、彼の世界では違うのか。私は陛下がぶつぶつ言っている背後に立ち、ただ興味深くなりゆきを見守るだけだった。
「解った、こちらからいく」
数日経ってから、陛下は痺れを切らしたようにそう言った。「こちら側に連れてきたら監禁でも何でもしておけばいい。簡単だ」
「あらまあ」
ケイトが呆れたように陛下を見やる。しかし、笑顔は崩れない。
「頑張って連れてきてね」
彼女はそう言うと、鏡に向かって魔術をかけた。途端、そこに開く穴。それは、少年の住む世界へとつながっている。
些細なことかもしれないが、問題は、あまり出口としてはふさわしくないところにつながっているということだろうか。しかも、少年がその出口となる場所を無理矢理塞ごうとしているらしく、余計に時間がかかった。
しかし、接触してしまえば簡単。
それが陛下の考えのようだった。
だが。
どういう流れからか、陛下と少年の関係は私が考えていたものよりも違っているようだった。
私は最初、陛下が少年を強姦──いや、手に入れてすぐに終わりになると考えていた。だが、あるきっかけで違う道を進むことになる。
「お前なんかと寝るくらいなら、まだこっちのシアンとやらと寝たほうがマシだね!」
少年は陛下にそう言った。
途端、陛下の表情が強ばった。
私はそのとき、『音』を聞いたと思う。陛下の心の中で響いた、『あのとき』と同じ『音』を。
私の父は前王の右腕として知られていて、私も自然と父と同じようにこの城の中に入った。政治のことはもちろん、あらゆることに関する勉強をして、父と同じくいつかはこの国を治めるかたの役に立ちたいと考えていた。
とにかく必死に父のようになりたいと考え、幼い陛下の脇に付き従いながら寝る間も惜しんで書物を読み、剣の腕を鍛えた。
そうしているうちに、前王からもそれなりに認められるようになった。それがたとえ親の七光と呼ばれようとも、いつか自分の実力だけで信頼を得るのだと言い聞かせながらの生活だった。
ずっと一緒にいることになった陛下──その頃は王子だが──は、まだ幼いせいかいたずら好きな悪ガキといった風情で、前王がいくら注意しようとも、家庭教師から逃げ出して遊びに熱中するようなお方だった。いい意味で純粋だったのだろうと思う。陛下は無邪気で、あらゆることに興味があり、部屋に閉じこもるのが嫌いだった。誰からも好かれる明るい性格を持ち、前王に対してもその性格を見せつけていたのだ。
だが、前王はそれをよくないことだと考えたらしい。
どんどん、前王の陛下に対する態度が厳しくなっていった。歯に衣着せぬ言い方で陛下の遊び癖を責め、この国の跡取りであることの認識を高めようとした。陛下の顔から笑顔が消え、前王に対するそれに不安が混じる。しかし、それを誤魔化そうとしてさらにふざける。悪循環だった。
「シアンを見習え」
前王はことある事に私を引き合いに出した。
陛下はそれを聞くたびに、表情を強ばらせる。そして、何でもないと言いたげに笑う。さらに意地を張って前王に文句を言う。前王はやがて失望した目で彼を見つめるようになった。
それでも、陛下は前王を誰よりも愛していたと思う。
王妃様が亡くなったのは陛下が物心ついたときだ。それからずっと、陛下には前王しか家族がいなかった。だから、誰よりも大切な存在であったのに、それを素直に口に出せない。
そして、前王が言ったのだ。
「……お前は王としてはふさわしくないのだろう。おそらく、シアンを養子にもらったほうがいい。そのほうがずっといい」
そのときの陛下の顔。
心が壊れる音がしたと思った。陛下はただ無言で前王を見つめ、そのまま部屋を出ていってしまった。
私はその陛下の後を追って中庭に出て、初めて彼の涙を見た。
「いやだからさ」
異世界の少年──フジムラ・コウジは学校とやらから帰ってくると、ぼりぼりと頭を掻きながら言う。「いつまでこうしてるわけ」
陛下はそのとき、コウジのベッドの上に寝転がり、天井を見上げていた。そして、ここ最近の日課となっている言葉をかける。
「やあ、お帰り」
「お帰り、じゃなくてさ」
コウジは眉根を寄せて難しい表情をしてみせる。しかし、幼さが残るその顔立ちは、どんなに難しい表情をしてみせても親近感がわくだけで、それ以上のことはない。
私は机の前にあった椅子に腰を下ろしていたが、コウジが戻ってくるのを確認して立ち上がり、彼らの会話の邪魔にならぬようにと壁際に立つ。しかし、狭い部屋に男が三人、というのはどうも圧迫感があるのは仕方ないだろう。
「何回も言うけどさ、俺はあんたと寝ないよ?」
コウジは最初は警戒して我々のそばには寄ってこなかったものの、一週間以上もこんな日常が続き、陛下が彼に手を出さないらしいと知るとわずかにその表情を和らげた。
陛下のこの様子に関しては、私も意外だった。
前王の血を受け継ぐ者として、国を治める。それが彼の願いだったはずだ。前王亡き後、彼は自分の王としての立場に不安を抱いていた。だから、確固たる約束が欲しかったのだと思う。
だからこそ、無理矢理にでも彼を強姦するのかと思っていた。
そして、我々の国に連れて帰り、今までと繰り返してきたことと同じように、肉体だけの関係になるのだと──。