だんだん、コウジのところにいくのが楽しいと感じるようになった。
少し、この状況が自分でも意外である。
最初はもちろん、自分がこのような感情を抱くとは思わずにいた。いつまでも私の世界にやってこないコウジに業を煮やして、ほとんど自棄になりつつここにきたものだ。そして、早く目的を達してしまえばそれでいいと考えていた。
つまり、彼を『手に入れて』しまえば、である。
我が国、サラディアールの城内付き魔術師、ケイト・リィンはとても力のある魔術師として知られている。
彼女の予言は外れたことはないし、私の父も彼女の予言に絶対の信頼を置いていた。幾度、彼女の予言に我が国の危機を救われたかしれない。
だから、私も父と同じように彼女の言葉を信用した。
彼女がフジムラ・コウジという他の世界の人間のことを予言に出したときには、確かに驚いた。我々の世界の人間ではなく、別の世界で別の文化や価値観を持つ、普通のどこにでもいる少年が相手だったからだ。
その少年を『手に入れれば』、『本当の意味で』サラディアールの国を手に入れることができる。そう聞いたのならば、自分のするべきことは一つだろう。
今の私の立場は、あまりにも微妙だ。
父が亡くなってから、多少、我が城の内部にも不穏な空気が流れていると言っていい。前王であった私の父は、賢王として知られていた。城内の誰もが父を敬愛し、父のためなら何でもできるという人間がたくさんいる。
その父の息子である私が跡を継いで、それで──彼らはどう感じたことか。
父と比べられるのは仕方ない。
失望されることも、ある程度は予想はしていた。
だが、それが日常的であったなら、どう感じるか。
私は元々、強気な人間であると思う。誰にも弱みは絶対に見せたくはない。だから、それ相応の言葉しか口にしない。自信にあふれた言葉だけを選ぶ。
それでも、自分はサラディアールの王としてはまだ未熟なのだ。
周りの人間を見ていればそれがよく解る。
残念なことだが、それが事実なのだ。
「くそ、暑苦しい」
コウジが椅子にふんぞり返るようにしてそう言った。
彼は乱暴に髪の毛を掻き回し、机の上に書物を広げていた。その手にはペンらしきもの。らしきもの、というのは私がいつも使っているものとは大きく違うから、言い切るのには自信がないのだ。私が使っているのは鳥の羽を使ったペンであるが、彼が使っているのは銀色に光る硬そうな物。
「課題があるってのに、集中できないのはお前らのせいだー!」
コウジはそう叫んで私とシアンを見やり、椅子から立ち上がった。
そして、部屋の隅にあった『テレビ』とかいう箱のような物の前に座り、これもまた私の知らない『ゲーム機』とやらの『電源』を入れた。
途端、『テレビ』の中に映し出される色とりどりの映像。華やかでわずかに耳障りな音楽。この世界にあるもの全てが興味深い。
私はコウジのベッドの上に座って、彼の手元を覗き込む。そして、傍らに立ったままのシアンを見やる。
「お前も座ったらどうだ」
私はシアンにそう言って、ベッドの私の横の場所を叩いたが、彼はいつもと同じように礼儀正しく微笑み、こう返しただけだった。
「いえ、私はここで」
シアンというのも奇妙な男だと思う。
彼は優秀な人間だ。おそらく、私よりもずっと人間性も優秀であろう。父が昔、言ったように。私よりもずっと、王としてふさわしいだけの人格を持っているのかもしれない。
ときどき彼を、疎ましく感じることもある。しかし、彼の補佐なしでは今の私はない。それは確かなのだ。彼がいたからこそ、何の問題もなく父の跡が継げた。もしも彼がいなかったら、私の強気な言動に反感を持つ人間が、一騒ぎ起こしていたのではないだろうか。
彼は私が知らないうちに、城内で起こりそうな争乱の火種を消していたらしい。私を王としてふさわしい人間なのだと、彼の態度でもって示してくれた。そのことには心から感謝している。
だが、今の私が持っているものは全て、私の力で得たものではない。
シアンという人間も、父の右腕だった男の息子であり、父に認められてここにいる男なのだ。
私が認めてそばに置いているわけではない。彼もまた、同じだろう。父が命令したからこそ、私のそばにいる。
ときどき、私はシアンのことを考える。
何が楽しくて私のそばにいるのだろう。
何のために?
もちろん、その答えは解らない。
「くそ」
コウジが苛立ったようにそう呟き、『テレビ』の『電源』を消した。そして、疲れたような仕草で立ち上がり、また机に向かう。頭を掻きながら、『メガネ』というものを指先で持ち上げ、「よし」と気合いを入れて書物へと視線を落とす。
その横顔が、何だかとても魅力的だと思う。
最初は彼を強姦でもなんでもして、早くサラディアールに戻るつもりだったのだが、今は彼を見ているのが楽しい。
正直、彼は『メガネ』というものをつけていないほうが可愛いと思う。少し、幼い感じになるからだろうか。
その『メガネ』というものをつけていると、わずかに大人びて見え、それに冷たい雰囲気をその身にまとわせる。それはそれで魅力的かもしれないが、私はときどき、彼の顔からそれを取り上げ、このベッドに押し倒したらどんな表情をするのだろうか、と考えるのだ。
からかい甲斐はありそうだが、どうだろう。
「……腹減った」
やがて、コウジが書物を閉じてため息をつき、そしてそこでやっと私たちの存在を思いだしたのか露骨に厭な顔をしてこちらを見やる。
そして、小さく言った。
「いつ帰んの?」
「帰って欲しいのか」
私が低く笑いながら言うと、コウジが深々と頷く。
「当たり前。本当に。心の底から。マジで」
「お前を今晩抱いたら帰ってもいい」
「くそ、抱き枕でも抱いてろ」
途端、コウジがベッドの脇に落ちていた奇妙な形の枕を投げつけてきた。その態度も面白い。
それからしばらくの間、コウジは何か考え込んでいた。眉間に皺を寄せ、唇を噛む。そして、ゆっくりと視線を上げて我々を見つめ直した。
「飯、食う?」
「ほう?」
私はつい笑い出してシアンを見やる。それが彼の冗談だと思ったからだ。
しかし、どうやらコウジは本気で言っているようだった。
「最近、オヤジとおふくろが変に思ってるわけよ。どうも、俺たちの会話が漏れ聞こえてるみたいで、何を一人で騒いでる、って不審に思ってるわけ。だから、この際開き直ってやる」
「開き直ってどうする」
「お前らを両親に紹介する」
「結婚前提の話し合いの場みたいだな」
「死ね」
コウジが眉をつり上げた。
「というわけで、こいつが俺を強姦しようとしている悪魔です」
と、コウジが彼の父親に向かって言った。
彼の父親は、コウジによく似た風貌の男性だった。『メガネ』とやらはかけていなかったものの、その目鼻立ちはそっくりだ。コウジよりも少し気難しそうな雰囲気を持ち、狭いダイニングルームにあった椅子の一つに座り、『新聞』を持った手の動きをとめて私たちを見ていた。
そして、やがて短く言った。
「丁重に言って帰ってもらえ」
思わず、私は吹き出しそうになった。
言動も、どこかコウジに似ている。やはり、親子なのだろう。
コウジの父親は、確かに最初は戸惑っていたようだった。どうやらこの世界での一般的な風貌というのは、黒い髪の毛に黒い瞳、というものらしい。だから、我々のような人種が珍しいのだろう。ひどく困惑したように私たちを見つめた後、彼は深いため息をついて小さな台所へと視線を投げた。
「……何を出せばいいのかしらねえ」
そこには、コウジの母親がやはり戸惑ったように『冷蔵庫』を見つめている。その中に入っているのは食料らしかったが、随分と量が少ない。
彼女はあたふたと台所を歩き回りつつも、精一杯の料理を出してくれたらしい。テーブルの上に並んだ皿を見てそう思う。それは確かに、いつもの我々の食事からすればささやかなものではあったのだが、彼らの様子を見ているといつもの彼らの食事内容とは違うというのが解ったのだ。
「申し訳ない」
私がついそう言うと、シアンがわずかに戸惑ったように私を見やる。こんな風に言う私が意外なのか、シアンはここ最近、私の行動一つ一つに興味深いと言いたげな視線を向けてきていた。
我々は勧められるままに椅子に座ったが、どこか違和感があって落ち着かない。シアンも少し、戸惑っているようだった。しかし、何も言わずに皆の様子を見つめていた。
その沈黙がぎこちなく、食事をする手もなかなか動かない。
「美味しい」
それでも、私は食事に手をつけながら言った。とにかく、何か話をしなくてはいけないという気があったからだ。だから、食事に専念することにした。
どちらかといえばシンプルな味付けなのかもしれない。私には名前の解らない料理ばかりであったけれども、どれも味はまずまずのようだった。
すると、コウジが少しだけほっとしたように笑っているのが見える。それに、シアンも私に習って食べ始め、私と同じような言葉を口にする。
そこで、やっとその場の緊張がほぐれ始めたようだ。
「あたしにはよく解らないけど」
やがて、コウジの母親が恐る恐るといった様子で話し出す。彼女はそれぞれの料理に気を配りながらも、我々の様子を観察しているようだ。そして、だんだん不安そうな瞳を見せていた。
「どこからどう見てもそちらは男性、のようだけど」
「はい」
私はにこやかに応える。少なくとも、好印象を与えねばなるまい。
「でも、うちの光司も生まれたときから男みたいよ」
「ええ、解っています」
もちろん、笑みは崩さない。
しかし、コウジの笑みは崩れた。そしてコウジが必死、といった形相で彼の母親の手を取る。
「約束する。ちゃんと、孫の顔を見せてやるから安心してくれ」
「そ、そうね。必ず見せてね」
母親が視線を宙に彷徨わせながら言った。どこか、頼りなげな雰囲気だ。そして彼女は、救いを求めるかのように自分の夫に視線を投げる。すると、光司の父親が口を開いた。
「さっきから聞いていても、全く現実味のない話だ。どこまで信用していいのかも解らない。だが、光司の顔を見る限り、嘘ではないようだとも思う」
「嘘はつかないって」
コウジがすかさず口を挟んだが、彼の父親はそれを無視して私にだけ視線を向けていた。
「真面目な話、その『予言』とやらが本当だとしても、なぜうちの光司が選ばれたのだろう? それが納得できない。別の人間でもいいはずだ。特に、うちの光司の取り柄といったら……取り柄……取り柄……ああ、まっすぐなところくらいか」
「他にもあるっての」
さらにコウジが突っ込む。しかし、それも無視された。
「こんな光司が選ばれたとしても、君たちにとってどれだけの得があるのか。いや、得などないと思う。それに、予言とかいっても、占いとどれだけ違いがあるのだ。この世界では、当たるも八卦当たらぬも八卦といって、結構高い金を取るわりには結局はそれぞれの意識の問題で」
「オヤジオヤジ」
コウジが慌てて椅子から立ち上がり、彼の父親の肩を叩いた。「落ち着け、無表情に混乱するのはやめろ」
彼の父親は冷静に言葉を紡いでいたように見えたが、その見かけによらずこの状況に混乱していたらしい。コウジにそう言われて我に返ったようで、慌てて咳払いをした。
「とにかく、よく考えてくれ。その、君たちの話を聞いていると、無理矢理光司をその……君たちの世界に連れていってしまうのではないかと不安になる」
「そうだそうだ」
コウジが父親の言葉に同意した。「勝手に俺の部屋に入ってくるのも困るが、無理矢理そっちの世界に連れていかれた日には何するか解らないぜ。半端なく暴れてやる、俺」
「無理矢理になどしない」
私は苦笑してそう応える。
確かに、最初はそうしてしまおうかと思ったこともある。コウジの気持ちなど無視しても問題ないと思っていたのは確かだ。
それなのに、どうしてこうなったのだろう。
少なくとも、彼が厭がるのならそれは避けたいと思うのだ。
彼が納得した上でなければいけないと思う。
「だが、少し質問してもいいか」
私はやがて、コウジを見つめた。「お前は、どこか別の世界にいきたいと思ったことはないのか。我が国は本当に豊かな国だと思う。治安も落ち着いていて、平和だ。この世界とは随分と違うところもあるが、魅力的な国だと自分では思っている」
「ま、そりゃそうだろ」
コウジはぼりぼりと頭を掻きながら言った。それは、いつもと同じ自然体な様子。
「誰だって、生まれ育った国が一番いいと思うもんだろ? あんたが自分の国が好きだと言うのと同じくらいに、俺はこの国が、日本が好きなわけ。だから、ここで生活したいと思う。それに、ここには俺の家族がいるんだぜ? それを残してどこか別の国にいきたいと思うか? よっぽどのことがなけりゃ、そうは思わないに決まってる」
──確かにそうかもしれない。
私はコウジの言葉に頷いた。
私にとっても、一番の国は自分の生まれ育った国である。そして、父が今まで守ってきた国。それを、私は父と同じように守っていきたいと思う。
コウジを手に入れれば、それが叶う。
しかし、彼は私の世界にはきたくないと言っている。
抱かれたくもないと。
少しだけ──いや、かなり、残念だ。
コウジのどこに惹かれるのか、自分でもよく解らない。
だが、今まで性行為を持った人間たちとは何かが違う。それは、生まれ育った環境や、文化が違うからこそ、そう感じるだけなのかもしれない。ただ、それだけなのかもしれないのだが。
でもやはり、こうして自分の思っていることを正直に話してくる彼というのが好ましいのかもしれない。今まで、私の周りには私がこうしろ、と言ったら是、という人間しかいなかった。だから、ここまで反発する人間など初めてだったのだ。
「お互いの意見を尊重しよう」
やがて、私はそう言って小さく笑う。
もう、どうでもいいような気がした。
自分でもよく解らないが。
「俺、よく解らないけどさ」
やがて、コウジが躊躇いがちに言う。「国を手に入れるとか入れないとかさ。そういうのって、あんたの努力次第だろ? そんな予言とかじゃなくてさ、もっと大切なものがあると思うんだよね」
私はコウジの表情を見つめ続ける。
まだ幼い風貌の少年に、そんなことを言われる自分。
だが、彼の言葉に素直に頷ける自分が不思議でもある。
「その通りだ」
私はやがてそう言って、シアンを見やる。「全て、自分次第だ。私がサラディアールで受け入れられるか否かは、全て自分の行動一つにかかっている」
「だったらさ」
「解っている。心配しないでも大丈夫だ」
私はコウジに微笑みかけ、ゆっくりと髪の毛を掻き上げた。「もう少しこの国を観察したら、私はもうここにはこないようにしようと思う」
「あ、そう?」
わずかにほっとしたように笑うコウジを見て、少しだけ悔しく思う。そして、いけないことだと思いつつも、こう考える。
──まだしばらくはここに通うつもりだが。
コウジが好きだと言ったこの国を、観察してみるのも面白い。それに、ここには学ぶべきものが何かあるのかもしれない。
「私が向こうに帰る前に、この街を案内してもらえないか?」
私がコウジにそう言うと、彼は眉根を寄せて考え込んだ。
「案内するって、どこを?」
「どこでもいい。面白い場所があれば」
「うーん……。でも、あんたたち目立つしなー」
「迷惑か」
「迷惑かそうでないかと言われたら」
コウジが私を睨みつける。「迷惑」
「そうか」
私は笑って肩をすくめた。「ならば仕方ない。あきらめよう」
「むー……そう言われると罪悪感が」
途端、困ったように笑うコウジ。私もつい、つられて笑ってしまう。コウジは口は悪いかもしれないが、その内面は素直だと思う。そこも興味深いところの一つだ。
「まあ、いいけど。何も騒ぎを起こさないって言うなら」
やがて、コウジは仕方ない、と言いたげにため息をこぼし、少しだけ親しげな雰囲気で笑う。最初、我々がこちらの世界にきたときよりは、その表情は柔らかい。
そして思う。
コウジに、私の国を見てもらいたい。この世界も確かに良いところなのかもしれない。でも、サラディアールにもたくさん良いところはある。
それを彼に直に見せたかった。
でも、先ほどの彼の様子では、絶対に興味を示さないだろうな、とも思う。それが残念で仕方ない。
私はふと、自分の胸が痛むことに気がついた。
今まで感じたことのない痛みだったから、それに戸惑う。
そして、それを笑って誤魔化しておく。気づかなかったことにしようと思うのだ。
多分、これでいいのだろう。
知らなくてもいい感情が、おそらくあるのだと思うからだ。