異世界へ行く理由 1−4


 おかしいだろ。
 俺は学校から帰ってきて、家の中に入ってそう思う。いや、正確に言えば、リビングのテレビの前に座っている奴らのことを見た瞬間に、である。
 夕飯前という時間帯だから、台所からはおふくろが今、料理をしている気配が伝わってくる。肉の焼ける香ばしい匂いも。
 それは、本当に平穏な夕食の時間の前触れのはずなのだが。
 今、リビングのテレビの前では、ちゃぶ台を挟んでオヤジと『陛下』──レインが絨毯の上に腰を下ろし、テレビニュースを見ながら何だか難しそうな話をしているのだ。日本の政治がどうこうとか、凶悪犯罪がどうこう、とか。
 何してんだか。
 俺はため息をついてから、自分の部屋に入って制服から着替える。
 ここ最近、俺の家にやってくるのはほとんどレインだけになってしまった。レインのお目付役らしいシアンは、最初はそばに控えていることが多かったのだが、どうやらその必要はなくなったらしく、ここずっとその姿を見せていない。
 そして当のレインも、毎日この家にやってくるわけではない。
 週に一日くらいの割合でこちらの世界にやってきては、俺と世間話をしたり、オヤジと話をしたり。本当に何をしにきてるんだか、よく解らない。
 ときどきレインはオヤジの服を着て俺と一緒に近所を歩いたりするが、やっぱりどこから見ても『外国人』の彼は、人目を引くので一緒にいるのは抵抗感があった。
 でもまあ、こいつはこいつで悪いヤツじゃなさそうなんだよな、と最近は思う。最初は俺の貞操を奪おうとしている悪魔だとしか思えなかったが、話をしてみると普通の男だ。ただ彼はどうやら、この日本の政治がどうなっているのか興味があるらしく、俺には答えられない質問を投げかけてくることが多々あった。だから、そういうときにはオヤジにヤツを任せることにした。そして現在は、彼がオヤジと話をしている光景が当たり前になりつつある。
 その『当たり前』がおかしい。どう考えてもおかしい。
 何でこんなことになったんだか。
「光司、ご飯よ」
 そのとき、おふくろの間延びした声が聞こえてきて、俺はまたため息をついてからリビングへと向かった。
 真っ白なご飯、ウズラの卵が中心に入ったまん丸いハンバーグ、里芋とひじきの煮物、茄子やカボチャの入ったみそ汁。
 そんな料理の乗ったテーブルを囲んで、四人で飯を食う。
 ……どういう光景だよ。
 俺はそう思いつつも、余計なことは言わずに箸を手に取った。深く考えたほうが負けである。
「会社──職場でもそうだが、下の人間は上にいる人間に理想を望むと思う」
 オヤジが飯を食いながら、レインに言っているのが聞こえる。その背後には、テレビから流れてくる騒々しい音。
「自分の上司には、自分よりも有能な人間でいて欲しいという考えだ。それは当たり前だろう、無能な人間が上にいれば、いつかその会社は崩壊する」
「確かにそうだろう」
 レインはオヤジに差しだされた缶ビールのプルトップを慣れた手つきで開け、一口飲んで続けた。「しかし、周りに優秀な人間が揃っていれば、多少はマシだろう。たとえ無能でも、それを補佐することができる」
「それは、無能な人間が後に成長してくれるのなら有益な方法かもしれない。しかし、無能が無能のまま、何も学習せずにいたらどうなる? 明らかに役に立たない人間なら、会社のためにも排除したほうがいい場合もあるだろう。人間には情というものがあって、無能な人間にも守るべき家族がいる。彼を排除したら泣く人間もいるだろう。しかし、それを考えていたら何もできない。無能な人間の失態を尻ぬぐいをする覚悟があるなら、そのままでもかまわないだろうが……」
 俺はそんな二人の会話を聞くともなしに聞いていたが、おふくろが「お代わりは?」と訊いてきたので黙ってご飯茶碗を差しだした。
 訳の解らない会話よりも、まずは飯である。
 二人のことは放っておいて、食事に専念する。
「乱暴な意見だが、国の政治も似たようなものなのかもしれない」
 レインが真剣な眼差しでオヤジを見て言っている。彼はほとんど食事に手をつけないまま、ビールだけを飲んで話を続けていた。
「私が無能であれば、誰かが排除しようとする。それは確かだ」
「……そうだろう」
 オヤジもビールを飲んでその言葉に頷く。「しかし、聞けば君は王家の血筋であるという。おそらく、その危険は少ないだろう」
「……そうかもしれないが」
 レインはわずかに眉根を寄せ、低く続ける。「それに甘えたら負けだ」
「そうかもしれない」
 オヤジがそう言って、小さく笑った。いつも仏頂面でいることが多いオヤジなので、そういう表情を見るのは珍しい。俺が飯を食いながら二人の様子を観察していると、ふとオヤジが俺に視線を投げてきた。
「光司、お前は政治に興味があるか?」
「は?」
 突然振られた会話に、俺は素っ頓狂な声を上げる。そして、肩をすくめて応えた。
「難しいことは解んないよ、俺。とりあえず勉強して、受験する大学はどこかとか、就職する会社はどうするのかとか、そっちのほうが大切」
 それを聞いたオヤジは、すぐに視線をレインに戻して言った。
「これが世の中に生きる下っ端の意見だ」
「下っ端って言うな」
「この下っ端が政治に興味を持つのは、まだ先だ。就職して金を稼ぎ、税金を払ってしばらくしてから、自分の金はどう使われているのか気になるようになる。で、その税金を無駄遣いされたら怒る」
「それは当然だろうな」
 レインが苦笑して応えた。「我が国でも税金制度はある。その使い道を誤れば反感を買う」
「しかし、政治に関われる者は少ない。国を動かすのも、一部の人間だ。ただそれが、下っ端の意見を取り入れるか取り入れないか、自由だとは思うが──」
「時と場合による」
 レインはテーブルに肘をついて首を傾げて見せた。「だが、今の私にはまだその判断は難しい。周りの人間の意見を聞かねば」
 そう言ったレインを見つめながら、オヤジが意味ありげに片眉を上げるのを俺は見た。何となく、楽しそうな表情だと思った。
 俺のオヤジって、何を考えてるのか解らねえ。
 もちろん、レインもだが。

「お前の父親は興味深い」
 食事が終わって俺が部屋に戻ると、しばらく経ってからレインも俺の部屋に入ってきた。そして、俺のベッドの上に当たり前のように座り、小さく笑いながら言う。
 俺は自分の机に向かって椅子に座っていたが、ちらりと彼を振り返って真面目に言った。
「とても言いにくいんだが、俺の父親は既婚者だ」
「そういう興味ではない」
 レインが吹き出す。乱暴に髪の毛を掻き回しながら、彼は呆れたように俺を見やり、そのままベッドに寝ころんだ。
 コノヤロウ、それは俺のベッドだ。
「違う世界の政治というのも面白い。その国の特色がよく出ている」
 レインは天井を見上げたままそう言ったけれど、俺は全く興味のない話だったので、「ふうん」と応えただけだ。彼はそんな俺にかまわず続ける。
「お前の父親との会話は色々と参考になった。私は自分の父親ともここまで色々話をしたことがない。だからなのかもしれないが、有意義な時間だった」
「話をしたことがない?」
 俺が首を傾げていると、レインはわずかに身体を捻り、俺のほうに身体を向けた。
「父親とも、それに側近の連中ともほとんどこういう話をしたことがない。おそらく、私に問題があるのだろう。彼らと正面から向かって話をしようとしてこなかった」
「あんた、『王様』なんだろ?」
「その通りだ」
 レインはそっと笑う。「反省している」
 俺はぼりぼりと頭を掻いて、肩をすくめる。
「……ま、これからすればいいんじゃないの。時間はたくさんあるんだし、ゆっくりやれば?」
「そうする」
 彼は意外と素直にそう頷いた後、じっと俺のことを見つめてきた。その真っ直ぐな視線が妙に居心地が悪く、俺は彼から目をそらした。すると、彼が静かに言った。
「お前には感謝している。最初はこんな風になるとは思わなかったのだが、意外な収穫だった」
「こんな風……」
「自分を見つめ直す機会だ。おそらく、こちらの世界にこなければ──お前やお前の家族と会うことがなければ、こう考えることもなかったろう」
「あ、そう……」
 俺は彼の真面目な口調に戸惑いながらも、それを隠そうとしてわざとおどけた様子でこう続けた。「ありがとうございますと言え」
 すると、レインもおどけたような口調で応えた。
「ありがとうございます」
 それを聞いた俺は……何となく……何となく……何だろう、ちょっと心がざわついたような気がした。

 レインが最近、あまりこちらの世界にこない。
 しばらく前には、週に一度くらいの頻度だった。でも、今は一ヶ月の間に一、二度、といった感じだ。そりゃ、相手はどこかの国の王なんだし、忙しいのも確かだろう。そうそうこっちの世界にこられるわけはないだろうけど。
 と、そこまで考えて俺は首を捻る。
 こないほうがいいんじゃん?
 その方が平和だし、面倒事もない。
 ただ何となく、一人で夜中に勉強していると、ついタンスのほうに視線が向いてしまうことがあった。その奧からいつもヤツがきていたものだから、癖のようなもの……なんだと信じたい。
 だから、随分久しぶりに彼が顔を見せて、こう言ったときにはどう反応したらいいのか解らなかった。
「長く時間が取れそうな時にでも、我が国にこないか? こちらの世界を見せてくれた礼として、サラディアール国を案内しよう」
「そっちの世界に?」
 俺はただ困惑してレインの顔を見つめるだけだ。すると、彼は苦笑して続けた。
「無理矢理連れていくつもりはないし、サラディアールに引き留めるつもりもない。だが、お前が迷惑ならこの話はなかったことに」
 彼はしばらく俺の戸惑いを見つめていたけれど、俺が何も言わずにいると諦めたように笑ってすぐに自分の世界へと戻っていってしまった。

「夏休みにでもいってきたらどうだ?」
 夕食の時にオヤジに相談すると、意外なことにオヤジはそう言った。
「何で?」
 俺が眉根を寄せてそう訊くと、オヤジは俺を見つめて無表情に続ける。
「気晴らしにでもなるだろう」
「いやいやいやいや」
 俺は慌てて首を振った。「相手は俺の貞操を奪おうとしている悪魔……」
 と言いかけて、口を閉じる。
 悪魔……というほど、悪いヤツじゃないのは解ってる。でも、でもなあ。やっぱり、知らない世界に「はい、いってきます!」とそう簡単に言えるもんじゃない。
 俺がうーんうーんと唸っていると、オヤジが新聞を読みながら言っている。
「あのレインという男も、意外に真面目な男のようだし、信用はできるだろう。それに、相手の国にいくといっても、小旅行みたいなノリだろう。一泊二日、もしくは日帰りで帰ってくれば問題ないだろう。……まさか、永住するつもりはないだろうな?」
「当たり前だ」
「しかし、気が向かないのなら放置しておけ」
 オヤジは無造作にそう言って、新聞を畳んだ。
 で、俺はといえば、ただ唸り続けるだけだったのだ。

「ハロー、ナル○ア!」
 俺はタンスの中に足を踏み入れるとき、そう叫んでみた。
 すると、俺の後ろにいたレインが困惑したように呟く。
「それは何だ」
「いや、何となく言ってみただけ」
 俺は苦笑してレインを振り返る。タンスの中というのは狭い。気をつけないと頭をぶつけそうだ。
「これが、机の引き出しに足を踏み入れることになったら、『タラララッタラー』と歌うところだ」
「……お前の言うことはよく解らん」
「安心しろ、俺もよく解らねえ」
 俺は開き直ってただ笑って見せた。

 まあ、アレだ。
 結局、俺はレインの住んでいる別の世界とやらにいってみることにした。夏休みが始まったばかりの頃だ。両親には二三日で戻る、と伝えてある。レインにも退屈したらすぐに帰るからな! と最初に言ってあるから、日帰りで帰る可能性もあった。
 とはいえ、開き直ってしまえば結構簡単なもので、知らない場所にいくのは面白いし興奮する。俺は着替えなど必要な物だけをバッグに詰めて、それを持ってタンスの中へと入ったのだ。
 洋服を掻き分けて、奧に進むと別世界。
「雪が降ってたりするのか?」
 俺はちょっとだけ映画のナル○ア国の光景を期待してそう呟いてみたが、背後からレインが静かにそれを否定した。
「今はサラディアールも夏になろうとしている。雪は降っていない。雪が降るのは本当に一時期で、その季節は短い。その代わり、夏が長いのだ」
「ちっ、残念」
 俺は鼻を鳴らして見せたが、やがて目の前に現れた緑の木々に視線を奪われる。やっぱり、とんでもないことになってる。普通じゃないよな、タンスの奧にどこかの森につながってるなんてことは。
 俺は辺りを見回して、そっとため息をつく。
 風が吹いている。湿気の含んでいない、爽やかな風。でも、少しだけ夏の匂いを感じさせるもの。
「すげえなー」
 俺はやがて顔を上げ、鬱蒼と茂る木々の葉の隙間に広がる空の青さを見つめた。抜けるような青とは、こういうことを言うのかなあ、とか考える。
 それから、ぐるぐると辺りを歩き回ってから、レインを見やる。
 レインはずっと、俺の様子を見つめていたらしく、俺が浮かれているらしいことを知るとほっとしたように笑って見せた。
「気に入ったか」
「おうよ」
 俺は胸を張ってそう応えてから、また辺りを見回して続けた。「で、ここがナル○アだったら、第一村人発見! と、なる頃なんだけどな。傘を差した下半身が獣の兄ちゃんが出てきてこんにちは、と」
 すると、レインが首を傾げてから、自分の姿を見下ろして低く言った。
「人間も下半身は獣だが」
 俺は動きをとめ、レインを睨みつける。
「いらんこと言うな」

 やがて、俺たちは森を歩き出す。どうやらそこは、サラディアールの城の裏庭だったらしい。歩き始めてしばらくすると、目の前に巨大な城が現れて、俺はただぽかんとそれを見上げていた。
 今まで見たことのない光景だ。
 空に向かって伸びている塔。城を取り巻くようにしてそびえ立っている城壁も。風にはためく無数の旗。
「ようこそ、我が城へ」
 レインはやがて俺の肩を軽く叩くと、先に立って歩き出した。城の正面玄関の方へと。
 巨大な玄関。
 その両脇に控えている人々は、召使いなんだろうか?
 レインの姿を見ると、深く頭を下げてくる。
 レインにとっては、それは当たり前の光景なんだろう。特に彼らに向かって何を言うわけでもなく、そのまま城内へと入っていってしまう。
 つい気後れをして玄関の前で足をとめていた俺に気がつくと、レインは苦笑して見せた。
「お前の部屋に案内しよう」



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