2月14日 5



「馬鹿に付き合う私も馬鹿かもしれないな」
 由梨は俺の向かい側の席に座り、いかにも不機嫌そうに鼻を鳴らして見せた。
「俺のあだ名は馬鹿で決定なのか」
 俺がわずかに不服であることを伝えようと眉を顰めると、由梨は真剣な眼差しで続けた。
「当たり前だ、馬鹿者」

 俺が由梨に電話して、一緒に食事をしようと誘ったのは今日の朝のことだ。色々考えることがありすぎて、最近の俺は自分が何をしているのかすらよく解っていない。考えれば考えるほど訳が解らなくなっていくし、これからどうしたらいいのかも解らない。
 だから、誰かに話して楽になりたかった。
 かといって、誰に相談すればいいのかと考えると、由梨のことしか頭に思い浮かばなかった。いつもだったら、こういった悩みの相談といえば、倉知にしていたのに。今回ばかりはそうはいかない。
 いつも食事に使うレストランは、時間がちょうどお昼ということもあって、かなり混雑していた。誰もが自分たちの会話に熱中しているから、俺たちの様子など気にしないだろう。
 俺たちの前に注文していた料理の皿が届き、それぞれ食事を楽しむ。そして、由梨がウェイトレスを呼び止めてコーヒーを追加した。
「で、私の顔のどこに『愚痴を聞きます』と書いてあったか説明してもらおうか」
 由梨はコーヒーを飲んでしばらくすると、目を細めて口を開いた。
 俺はただ肩をすくめる。
「いや、愚痴じゃない。……話を聞いてもらいたいだけで」
「人はそれを愚痴というのだよ、君」
「……ごめん」
 俺は素直に頭を下げた。そして、相変わらずだな、と小さく笑う。こういう、普通の女性とは違う口調や性格が好きだ。付き合っていて、いつもそう思っていた。一緒にいて、気を遣うこともない。彼女は歯に衣着せぬ勢いで何でも口にするが、それが不愉快に感じることは一度もなかった。
「何を笑う。とにかく、面倒だから早く話せ」
 彼女は形の良い眉を顰め、軽く手を挙げる。俺は笑みを濃くしながら、とりあえず何から話をしようかと頭の中で整理しつつ口を開いた。
「……寝ると情がわくって由梨は言ったよな。恋じゃなくてもって。そのことでちょっと……解らなくなっててさ」
「何がだ」
「俺、酔った勢いで……その、やった、って言っただろ? 多分……そうなんだと思うけど、よく解らないんだよ」
「君の悪い癖だ。話がまだるっこしい」
 由梨がむっとしたような表情で腕を組み、小さな舌打ちをする。俺は慌ててさらに言葉を続けた。
「いや、あの、最近、ずっとそいつのことばかり考えてる。由梨と同じように、身体だけのつきあいをしてるんだよ、俺たちは。でも、よく解らないヤツで」
「ほほう」
 由梨が少しだけ表情を和らげた。「君の相手はどんな人なんだ?」
「真面目なヤツ……いや、人だ。他人を気遣うことにも慣れてる。俺なんかより、多分、会社のヤツには好かれてるんじゃないかな」
「同じ会社の人間なのか」
「ああ、まあ」
 俺は倉知のことを思い浮かべ、つい微笑む。クールな雰囲気をまとわりつかせている彼。でも、近寄りがたい感じはしない。誰にでも気さくに話すし、笑いかける。最近、それが様子が変わってきた。少しだけ、物憂げな表情をするのが増えた。それと同時に、ひどく色気を感じる。
 一緒に仕事をしている時も、一緒に会社を出て、アパートに帰ろうとしている時も。さりげない仕草の一つ一つに、目を奪われてしまう。
 それはもちろん、俺たちが寝ているから……セックスをしている相手だし、今までは感じなかったものなのかもしれない。でも、俺が彼に色気を感じるように、他のヤツだってあいつを見たら、色気を感じるんじゃないだろうか。
 そう思うと、だんだんむかついてくる。
 自然と、笑みが消えた。
「でもまあ、身体だけの関係だしな。どうでもいい」
 俺は吐き捨てるような口調になって、すぐに我に返る。由梨の前で何を言ってるんだ、と自己嫌悪に陥る。
「寝ると情がわくっていうのは、こういうことを言うのか。俺はよく解らないけど、あんまりいい気分じゃない」
 俺は乱暴に頭を掻き、ゆっくりと視線を上げて由梨を見た。由梨はどことなく興味深そうに俺を見つめていたが、俺の視線に気がつくと黙ってコーヒーカップを持ち上げてそれを一口飲んだ。
 俺は彼女の鋭い視線から逃げるようにテーブルに己の視線を落とした後、小さなため息をこぼす。
「あいつは俺のことを何とも思ってない。それは解ってる。俺だってそうだ。何とも思ってない。なのに、何でこんなに……気になるんだろう」
「何とも思っていない?」
 由梨が低く笑った。「また告白すればいいじゃないか。私にしたように、『好きだ』と言ってみれば何か変わるかもしれないぞ。もちろん、私と同じように『断る』と言われるかもしれないが」
「笑わないでくれ」
 俺は小さく唸るように言う。「それに、そういう不吉なことも言わないで欲しい」
「ふん、神妙な君は結構いいな。面白い。惚れたのか」
「惚れた……」
 俺は苦笑する。「だから、身体だけのつきあいだって言ってるじゃないか」
「つまり、相手は私と同じように、好きでもない相手と寝られる女だということだな?」
「……」
 俺はつい、目を閉じる。頭痛を感じたような気がした。
 倉知は誰とでも寝られるんだろうか。そうかもしれない。俺以外のヤツとも寝ている可能性はある。でなければ、あれほどおとなしく俺に抱かれるだろうか?
「君はその相手のことを真面目といったが、私に聞こえる印象は全然違うな。君も、その相手のことを本当はよく解っていないのではないか?」
「……そうかもしれない」
 俺は頷いた。「本当に、よく解らないヤツなんだ。どう接したらいいのか解らない」
「好きなのか」
「好き?」
 俺は苦笑しつつ首を傾げる。ああ、好きだろう。あいつは友人だから。
「惚れたんだろう。でなければ、それほど相手のことが気になるか?」
「惚れてなんかいないって。何回言えば……」
「まあ、君がそう言うなら私は何も言わないでおくよ」
 由梨がまるで俺を馬鹿にしたように笑う。そして、あっさりと立ち上がって辺りを見回した。
「おい、由梨。もう帰るのか」
 俺が慌てて立ち上がると、彼女は薄く笑って俺を見つめ直した。そして、その白い指を俺の胸元に突きつけて言った。
「君は馬鹿だから、いつも失敗する。後悔先に立たずと言うだろう。よく考えて行動しろ」
「よく考えたいから今日は由梨を誘ったんだ」
 俺はその由梨の手首を掴まえて引き寄せる。「由梨の方が俺よりもずっと頭がいい」
「君と比べられるとは心外だな」
 由梨は俺の手を振り払い、笑みを消した。「その他力本願なところも不愉快だ。自分のことは自分でするといい。真面目にその相手と会話をしたらどうだ。君のことだから、ただ寝るだけなんだろう。身体だけのつきあいと言っているくらいだ、それ以外に何もないんだろう?」
 ――確かにそうかもしれない。いや、その通りだ。
 俺はただ茫然とその事実を受け入れた。
「いい加減にしか付き合わないのなら、相手もいい加減にしか返してこない。そんなものだろう、人間関係というものは。どうやら君はそれに満足しているようだから、別にいいんじゃないか」
 彼女はそう言うと、レストランの外へと歩いていってしまう。俺はそれを引き留めることもできず、ただ彼女の言葉を頭の中で反芻していた。
  いい加減に付き合っているから。
 だから倉知も、そういう風に俺のことを思っている。
 そういうことなんだ。

 次の週になって、俺はいつもと同じように仕事をこなしていた。倉知もきっとそうだろう。
 仕事は相変わらず忙しかったし、職場ではお互い、自分に与えられた仕事を順番に終わらせていくことに没頭している。
 それでも、休憩時間に倉知と一緒に食事をしたりしている間、俺は由梨に言われた言葉をただ繰り返し考えている。
 倉知は相変わらず落ち着いていて、俺との会話もいつもと同じように付き合う。世間話をしたり、仕事の話をしたり。その会話の合間に、俺がじっと倉知のことを見つめていると、少しだけ困惑したように見つめ返し、やがて視線をそらす。
 目を伏せた時に目立つのは、彼の睫毛の長さ。それから、高い鼻梁と、色の薄い唇。乱暴にキスをすれば、その唇が赤く色づくことも、俺は知っている。それを想像すると、まだ職場にいるというのに彼の顎に手をかけたくなった。
 駄目だ。
 そういうのは駄目だ。
 これからは、こういう付き合い方を変えていかなくてはいけない。そうしなければ――多分、俺たちは駄目になる。
 そういえば、倉知もラインを引こうと言った。つまり、こういうことなのかもしれない。
「なあ、倉知」
 その日、仕事が終わっての帰り道、俺たちは並んで歩いていた。俺はその日の間ずっと考えていたことを彼に言ってみた。
「次の土日、暇か? もしよければ、どこかに遠出しないか?」
 そうだ。身体だけの関係じゃなくしたい。倉知とはもっと、違うこともしたい。色々なところに出かけて、色々話をしたい。お互いの趣味とか、解り合いたいと思う。
 少しずつでいいから、もっと近い存在になりたい。
 だが。
「土日?」
 倉知がそっと眉根を寄せ、俺を見やる。やがて彼は首を振った。
「予定が入っているから、無理かもしれないな」
「予定?」
 俺が聞き直すと、倉知は静かに頷いた。
「高校の時の友人に、飲み会に誘われてる。土曜日の夜なんだが、遅くなるかもしれないし……日曜日はその夜次第でどうなるか……」
「高校の時の友人」
 俺は少しだけ、胸の内がざわついたのを感じる。歩きながらの会話だったが、だんだん俺の歩みが遅くなった。
「友人って、男か」
「ああ」
 倉知の返事は平坦で短い。どんな友人なのかも説明しない。説明する必要がないと思っているのだろう。俺には関係のない話だから。
「どんな男だ」
 俺は詰問口調になって言った。「仲が良いのか」
「仲は良いよ。良いヤツだ」
 ふと、倉知の口元がほころんだ。そいつのことを思い出しているかのように、目が遠いところを見る。
 くそ。
「そいつとも寝た?」
「……藤崎?」
 怪訝そうな表情をする倉知の腕を掴んで、少しだけ力を入れる。
「そいつとセックスをしたことがあるのか」
「何を」
 倉知が呆れたように笑いながら首を振った。「……何を言うのかと思えば」
「お前は男でも寝られるんだろ? 俺とも簡単に寝たし、男と寝るのは俺が初めてじゃないんだろ?」
「藤崎」
 倉知の顔色が変わったように見えた。夜だったし、道路の両脇にある店の電気や、街路樹の合間に立つ電灯の下であったから、はっきりとは解らない。
 俺はそんな彼を放っておいて、そのまま歩き出した。すると、少しだけ遅れて倉知が歩き出した気配がする。しばらくして振り向くと、倉知は無表情のまま歩いていた。その顔だけ見ていると、人形のようだと思う。
 何らかの感情を見せてくれればいいのに。
 そうも思ったが、もしかしたら嫌悪の感情を見せられるのかもしれない、と気づくとこのままでもいいのか、と開き直るしかない。
 どうせ、何とも思われていないのだ。
 ただの身体だけの関係なのだから。
 やがて俺のアパートの前につき、倉知はそのまま自分のアパートのある方向へと歩き出したが、それを俺が引き留めた。
「上がっていけよ」
 俺は無造作にそう言う。
 倉知は一瞬、肩を震わせて足をとめた。それから、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「明日も仕事だ」
 その彼の台詞に、俺は小さく笑って見せた。
「乱暴にはしない」
 そう言った後で彼の手を引き寄せると、倉知が強ばった表情で俺を見つめた。
「女性と一緒にいるのを見た。その人とやればいいだろう」
 女性?
 俺は首を傾げた後、ああ、と頷いた。由梨と一緒にいたところを見られたのか。別にどうでもいい。ただ、食事をしていただけだ。お互い、特別な感情など抱いていない。
「別れたと言ったろう。バレンタインの前に振られたんだ」
「じゃあ、私は彼女の身代わりか?」
 倉知は静かに訊く。
 身代わり? 由梨の?
「馬鹿なこと言うなよ」
 俺は苦笑した。由梨と倉知では、全然違う。由梨にはこんな想いは抱かなかった。
 何でだろう。倉知にはこんなにも執着してるというのに。
 これが寝たら情がわくという感情?
 それとも。

 ――惚れたんだろう。でなければ、それほど相手のことが気になるか?

  由梨の言葉が頭の中に甦った。
 違うだろう。惚れてなんかいない。相手は男だ。倉知に惚れる? そんな馬鹿な。
「こいよ」
 俺は重ねて倉知に言った。すると、彼の頬がさらに青ざめる。身体を強ばらせ、その場に立ちつくす。
 その表情を見て、厭なんだろうな、と思った。でもなぜ、突然俺を拒否するんだろう。今までは誘えばすぐについてきたくせに。

 ああ、そうか。
 俺は突然、理解したと思った。
 高校の時の友人。そいつが本命なのかもしれない。そいつと飲み会をすることになって、そいつのことが頭にあるからなのではないか。
 だから、俺と寝たくないということか。

 急に頭に血が上ったような気がした。俺は少しだけ乱暴に倉知の腕を掴んで歩き出し、自分の部屋に連れて行く。そして、わずかに抵抗しようとした倉知を押さえ込み、玄関を上がったところの廊下でキスをした。
 倉知の吐息は甘い。苦しげに眉根を寄せている表情が、あまりにも欲情をそそる。だから、いつもだったら寝室に連れ込んでからやる行為を、その場で始めた。シャツを脱がし、その肌にキスを落とす。すると、倉知が小さな声を上げた。
「藤崎……っ」
 焦ったような声。それから、その腕が伸びて俺を押しのけようとする。しかし、俺はそんなこと気にせずに自分の手を滑らせ、ズボンの上から彼のモノに触れた。いつもより性急に、そして乱暴に動かすと、倉知が「待て」と苦しげな声を上げた。それから、恨めしげに俺を見やり、小さく続ける。
「乱暴にはしないと……」
「ああ、そうだったな」
 俺は苦笑して、その唇にもう一度キスをした。さっきよりも優しく、熱を込めて。すると、倉知の身体から力が抜けていくのを感じた。
 他のヤツのことが好きなくせに。
 俺は内心でそう吐き捨てる。眩暈すら起きそうなほど、頭の中が混乱しているみたいだ。倉知が他のヤツが好きだとして、もしもそいつと上手くいってしまったら、もう二度と俺とこんなことはしないのかもしれない。当たり前だ、倉知は真面目な男……だと思う。たとえ、好きでもない男――俺と、こんな風に寝られるのだとしても。
 俺は必要以上に優しく愛撫した。
 倉知の息が乱れ、必死に歯を食いしばって声を上げないようにとし始めるのが解る。白い頬に朱が散って、その指先が震える。俺が倉知のズボンのジッパーを下ろすと、倉知が少しだけ身体を捩る。
 彼が逃げないようにその身体を壁に押さえつけ、半勃ちになっていたそれに下着の上から触れると、倉知が「ん……」と声を漏らした。
 その声を聞いただけで、俺のモノも反応してしまう。早く倉知の中に入れたくて仕方なくなってしまう。
「壁に手をついてろよ」
 俺は倉知の肩を掴み、無理矢理壁に向かって立たせた。背中を俺に向けた彼は、困惑したように振り返ろうとする。
「藤崎……まさか」
 まさか、ここでやるのか? そう言いたい?
 俺は小さく笑った。
 もちろん、そのつもりだった。俺は倉知のズボンを下着ごと脱がせ、その双丘の間に手を滑り込ませた。緊張して強ばっているそこを指でくすぐってやると、慣れた愛撫に倉知が身体を震わせた。
 ローションを使っているわけではないから、そう簡単に俺のモノが入るとは思えない。だから、こうも言ってみる。
「力を抜けよ。痛い思いはしたくないだろ?」
「……無理だ……」
 倉知が泣きそうな声を上げた。その声に含まれる不安は、簡単に聞き取れる。しかし、容赦するつもりはなかった。
 倉知が俺のことを好きではないとしても、快楽には陥落させられるだろう。それが解っていた。
 最初は指一本入れるだけで精一杯だったそこも、時間をかけて掻き回していると、だんだん緩んでくる。指を増やし、倉知の弱いところを重点的に攻めると、倉知が切なげな声を上げる。その膝ががくがくと震え、必死に壁に手を置いてどこか掴まるところがないかと彷徨う指先が、あまりにも可愛かった。
 もう片方の手を倉知の身体の前に回し、倉知のモノに触れる。すっかり硬くなったそれは、先端からたらたらと先走りの滴を流していた。
「やらしい身体だよな」
 俺は倉知の耳元にキスをしながら囁く。すると倉知が羞恥に身体を震わせ、俺がそのことに気がつくとぞくぞくした感覚が背中を走った。
「好きでもない相手に抱かれて、こんなによがるんだ?」
「や……」
 倉知が首を振って何か言おうとした時、俺は自分のモノを倉知に押しつけた。すっかり柔らかくなったそこは、俺のモノが触れた瞬間にひくひくと引きつって、早く欲しいと言っているように思える。
「暴れると痛いと思う。解るだろ?」
 俺はそう彼の耳元で言ってから、ゆっくりと彼の中に進入を開始した。明らかに怯えを含んだ倉知の悲鳴が上がる。後ろから入れるのは初めてだった。こうすると、倉知の悦楽に歪む顔が見られないのが残念だったが、正面から見て、もしも倉知が俺のことを嫌悪の目で見ていたら……と思うとこういう体位しか選べなかった。
 倉知の中は狭くて、傷つけないようにするためには少しでもゆっくりとやるしかない。俺はできるだけじわじわと自分のモノを進め、倉知が必死に俺を受け入れていくのを感じて歓喜を覚えていた。
「動くよ」
 そう言ってから、ゆっくりと注挿を始めると、倉知の身体が堪えきれず倒れ込みそうになる。それを抱き留め、倉知の手をまた壁に這わせるため、腕を掴んで上げさせた。
「あ、あ……っ」
 掠れた倉知の声。
 今にも泣き出しそうな。
 俺のモノを倉知の最奥に進め、それからゆっくりぎりぎりまで引く。俺のモノもすっかり限界まで硬くなっていて、腰を揺すっているうちにだんだんその動きがスムーズになっていく。濡れた音が聞こえるのは、俺の先走りの滴によって彼の中が濡れているのかもしれない、と思う。
「や、いや、だ、藤崎っ」
 激しくなる注挿、お互いの身体がぶつかる音。それがあまりにもやらしくて、興奮した。倉知の身体は熱く、汗ばんでいる。桜色に染まった肩は、明らかに喜悦によるものだったろう。
「何が厭なんだよ」
 俺は乱れた呼吸の合間に笑った。「感じてるくせに」
「んん……」
  倉知が力なく首を振る。壁についていた手がずるずると落ちて、頭を壁に押し当てている。もう、立っていられないと言いたげな様子だ。
  俺は倉知のモノの根元を手で押さえ込み、そのまま達することができないようにした。もちろん、俺の動きは今まで通り激しいままで。
「も、もう……無理……」
  苦しげな倉知の声が聞こえたけれど、俺はそれを無視した。いっそのこと、俺の身体なしではいられないようになってしまえばいいのに、と思う。他のヤツに触れられたくない。俺だけのものにしたい。
「……いかせて欲しい?」
 俺は倉知の耳元で囁く。いきたくてもいけなくて、びくびくと引きつる身体。必死に堪えているのが解る。
 倉知ががくがくと首を縦に振った。それを見て、俺は意地悪をしたくなった。
「じゃあ、いかせてくれって言って」
「あ、あ、藤崎……っ」
 倉知の声はかなりせっぱ詰まっていて、理性らしきものが感じられなかった。そして、すぐにこう小さく叫ぶ。欲望に突き動かされるかのように。
「いか、せてくれ……っ」
「俺のモノが好きだって言って」
「あ、ああっ、好き……、藤崎のが……!」
 俺は今までにないほどの興奮を覚えながら、倉知のモノを掴んでいた手を緩めた。あっという間に上りつめる倉知、そして、それと同時に彼の中に俺の精液を解き放つ。彼の身体から俺のモノを引き抜いた瞬間、倉知の身体が床の上に崩れ落ちた。
 その身体を抱き起こそうと膝をつくと、倉知は意識を失っているようで、ぴくりとも動かない。
「倉知」
 俺はそっと声をかける。
 汗で張り付いた髪の毛を掻き分け、その閉じられた目蓋を見下ろす。上気した頬、赤い唇。俺はそっとその唇を指で撫でた。
「倉知」
 もう一度名前を呼ぶ。
 もちろん、返事はない。
 ひどいことをしている。その自覚はあった。でも、どうにもならなかった。

 ――惚れたんだろう。でなければ、それほど相手のことが気になるか?

 もう一度、由梨の言葉が頭の中を駆けめぐる。
 そして、俺は認めたのだ。
 そうだ、俺は倉知に惚れてる。男なのに、他の誰よりもこいつのことが好きなのだ。だから欲しいと思うのだ。誰にも渡したくないと思うのだ。
「倉知」
 そう名前を呼びながら、ゆっくりとその身体を起こし、抱きしめる。
 意識のないその唇にキスを落とし、小さく囁いた。
「好きだよ、倉知」

 しかし自業自得というべきか、その次の日から、倉知は俺の視線を避けるようになった。仕事はお互いいつもと変わりなくやっているものの、会話する時間が減った。今までは、俺が話しかければいつだって彼は穏やかに微笑みながら返事をしてくれた。
 でも、もうそれはない。
 倉知は最低限の会話はしてくれるものの、俺が冗談を言っても笑ってくれることはなくなったし、いつもなら一緒に帰る道のりも、用事があるから、と別の道を選んで彼は帰るようになったのだ。
 仕方ない、これは自分が導き出したことなのだ。
 俺のせいなのだ。俺が倉知を傷つけた。俺は倉知に嫌われている。だから仕方ない。
 そう自分に言い聞かせても、心が痛む。倉知のことが欲しいと思う。
 本当に倉知のことを思うなら、離れるべきだ。もう関わってはいけないのだ。

 苦しい。

 本当、俺は馬鹿だ。そう自覚したというのに。

 倉知が好きな男というのは、どんな相手なのだろう、と気になった。
 土曜日、飲み会なのだと彼は言った。そこで、高校の時の友人と会うのだと。今は友人なのかもしれない。でも、やがて恋人同士になるのだろう。
 でも、そんなのは厭だ。
 倉知を渡したくない。でも、絶対に無理だ。もう、倉知を俺のものにするのは無理なんだ。

 俺はそんなことを一人でぐるぐると考えつつ、この感情こそが『嫉妬』なのだと自覚していた。
 『嫉妬』は、醜い。潔く、あきらめろ。
 倉知のためにも。

 でも、本当にあきらめられるか?
 そう自問する。
 でも結局、答えは見つけられないままだった。


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