「座ってろ」
魔法使いが短く私に言いました。私はそれに従い、部屋の隅に腰を下ろします。そして、ゆっくりとその部屋を見回しました。
どうやらここは勇者たちが泊まっている宿屋のようです。村の外れにある小さな宿屋で、入ってくる時にそっと観察したのですが、あまり客も多そうではありませんでした。
小さな窓が二つと、ベッドが二つ。小さな机と椅子がありました。
ん? と首を傾げます。ベッドが二つ? ここが二人部屋だということは、もう一人連れがいたはずでは……。
と勇者たちの方に視線を投げると、ちょうどそこに入ってきた人間がいます。ドアが開いて顔を覗かせたのは、年配の神官でした。相変わらず白い服を身にまとっていましたが、今日の彼は少し砕けた服装です。ついさっきまでくつろいでいたという感じで。
神官はすぐに私の姿に気がつくと、その表情を強ばらせました。そして、すぐに部屋の中に入るとドアを閉め、中から鍵をかけます。
「一体、どうしたのだ」
神官は窓際に立ったままの魔法使いにそう声をかけます。
勇者はベッドに腰を下ろし、疲れたように俯いていました。
「……捕まえてきた」
魔法使いはやがてそう口を開いて、ぎこちなく笑います。しかし、その目は笑ってはいませんでした。
「捕まえたとは、どこで、どうして?」
「俺に訊くなよ」
魔法使いはうんざりしたように天井を見上げ、それから私の方へと近寄ります。彼らの様子をじっと見守っていた私は、近づいてくる魔法使いを床の上から見上げていましたが、やがて眉を顰めることになります。魔法使いが乱暴に私の髪の毛を掴んで持ち上げようとしたからでした。
「へえ、痛いのか」
魔法使いが馬鹿にしたように笑い、私の顔を覗き込んできます。私が何と言ったらいいのか解らず彼を見つめたままでいると、勇者がため息をこぼすのが聞こえました。
「いい加減にしてくれ、コンラッド」
勇者が魔法使いにそう声をかけました。「いたずらに事を荒立てない方がいい」
「誰のせいだ」
魔法使いがすぐに反論します。「だいたい、お前がいけないんだ。何を考えてる? 我々の目的は何だ?」
「もちろん、魔王を倒すのが我々の目的だ」
勇者が疲れたように応えます。しかし、だんだんその双眸には怒りのような色が浮かび始めていました。
「それを忘れたわけじゃない。ただ、こうして人質を取るようなことなど」
「人質じゃない。これは魔物だ。いつでも殺していい存在だ」
掴んだままの髪の毛を引っ張られて、私は小さく唸りました。一瞬、抵抗しようかと光の輪に縛られた腕を上げましたが、暴れてもきっと、魔法使いに――コンラッドという男性に封じられて終わるでしょうから、無駄です。私は唸るだけで必死に身体を強ばらせていました。
「乱暴するな」
勇者が立ち上がり、魔法使いの腕に手をかけました。途端、コンラッドが低く声を上げて笑いました。それは、明らかに嫌みを含んだものです。コンラッドは勇者に顔を近づけ、何か言おうと口を開きかけました。しかし、すぐに神官がその二人の間に割って入り、そっと微笑みかけます。
「座ろう、二人とも」
しばらくの間、勇者と魔法使いは睨み合っていましたが、やがてどちらからともなく肩から力を抜き、勇者はベッドの上に、魔法使いは椅子に腰を下ろしました。
そして、髪の毛を放された私も、彼らに気づかれないようにほっと安堵のため息をついて、壁に背中を押し当てました。
まあ、勇者を誘惑するという私の目的は、とてもそれどころではなくなったので一安心ですが、何だか彼らの雰囲気がぎこちないのが気になります。かといって、私に何もできるはずがありません。ただ見守るだけです。
「さて、今後どうするか考えなくてはなるまい」
やがて、神官が静かに口を開きます。彼は私のすぐ前に立って勇者と魔法使いを見下ろしています。彼の口調は穏やかで、それを聞いている二人の様子もだんだん落ち着きを取り戻しているようです。魔法使いの表情も、少しだけ穏やかになっていました。
「魔物を捕まえてきたというのは、これまでにない展開だ。しかし、役には立つだろう。城に行ったとき、この彼は魔王のそばに控えていた。魔王に関する情報も多少なりとも持っているはずだ」
「……そうだな」
勇者が頷きました。そして、ゆっくりと視線を私に向けます。その目が細められ、私を観察するかのように見つめてきます。それが居心地が悪くて、私は床に視線を落としました。
「何の目的でこの村に入ってきた? 偶然のはずがない。我々に近づくためか、それともこの村の人間を襲うつもりか?」
勇者が平坦な声で問いかけてきました。私はしばらく床を見つめていましたが、ゆっくりと視線を上げました。
そして考えます。
「村の人間を襲うつもりはありません」
これは事実です。
彼らに近づくため、というのはあながち間違ってはいないのですが。
「じゃあ、何のためだ」
そう言って語気を荒げた魔法使いが立ち上がり、私に近づこうとして、神官の腕で「落ち着いて」ととめられます。しかし、コンラッドの表情は険しくなったまま変わりませんでした。そして、彼は魔法の呪文を唱え始めました。
途端、私の腕に巻き付いた輪がさらに締め付けてきます。そして、さらにその輪は分裂して宙を舞い、私の喉の周りに巻き付きました。魔法使いが笑っているのが目の端にとまります。
「魔物がどこまで呼吸できるか確かめてみよう」
「やめなさい」
「やめろ、コンラッド」
私の首に巻き付いた光の帯は、そのまま急激に締め上げてきます。私は呼吸ができなくなり、自由にならない手で必死にそれを取ろうとしました。でも、もちろんのことですがそれは取れず、だんだん目の前がかすんできました。
「コンラッド!」
勇者が鋭くそう叫び、同時に神官がその手を魔法使いの肩に置きます。そして、首に巻き付いていた帯が急に外れて消えました。
咳き込み、喉を押さえる私の肩を、勇者がぎこちなく押さえていることに気がつきます。
「……すみま、せん」
私はかろうじてそう勇者に声をかけると、彼はぎこちなく笑います。どこか、申し訳なさそうに。
「コンラッド、君は激しすぎる」
神官は困ったようにそう囁き、ため息をこぼします。しかし、コンラッドは鼻でそれを笑いました。
「魔王の目的を知るためにやっていることを、まさか責められるとは考えてもなかったね」
「責めているわけではない。コントロールしなさいと言っているのだ」
「コントロール? コントロールならしている。まだ殺していない!」
どうしましょう。
激高する魔法使いを前に、私は途方に暮れていました。
何だかとんでもなく、シリアスな展開になってきました。私は彼らの仲間割れの瞬間に立ち会っているんでしょうか?
もちろん、私は勇者さえ無事ならいいのですが。魔王様が興味をお持ちなのは、勇者ただ一人なわけですし。
私が困惑して唸っていると、勇者が私の耳元で小さく囁きました。
「すまない」
「つまらん展開だな」
急にそこに響いた声に、誰もが息を呑みました。
私も驚いてその声の方に目を向けて、小さく叫んでしまったほどです。
「魔王様っ!」
と。
いつの間にか、窓際に立っていたのは見間違えるはずもなく、魔王様その方です。魔王様はわずかに目を細め、腕を組んで魔法使いを見つめていました。
「仲間は選んだ方がいいな、勇者よ」
魔王様はにやりと笑って勇者に視線を投げましたが、その途端、勇者がベッドの上に放り出してあった剣を引き寄せるのが目に入りました。
「魔王様!」
私は必死に立ち上がり、魔王様を守るために勇者との間に割り込もうと思ったのですが、その前に違和感に気づきました。どうやら勇者もそれに気づいたようです。そして、魔王様が楽しそうに笑って両腕を広げました。
「斬ってもいいが、今の私は実体ではないぞ」
その通り。
魔王様の肉体は、わずかに透き通っていました。実体ではないからか、いつもだったら感じる圧倒的な存在感も、わずかに薄いように感じます。でも、その姿の美しさは相変わらずで。
「それにしても、勇者よ、本当にいつ見てもお前は私の好みで」
変態さん加減も、相変わらずで。
私がつい笑ってしまうと、勇者が苦い表情をしました。そして、魔王様がその透き通った腕を伸ばして、勇者の頬に触れるような仕草をしましたが、あっさりと勇者は後ずさってしまいます。
「何が目的だ」
勇者がそう言うと、魔王様は「目的?」と首を傾げ、「それはもちろん、お前とセックスを」
勇者が剣で魔王様に斬りかかりました。もちろん、実体ではありませんからその剣は空気を斬っただけです。
「貴様、帰れ!」
勇者が顔を青ざめさせて叫んでいます。
私は、ちょっとその背中に同情の視線を投げたりします。
「帰っていいのか」
魔王様が意味ありげに笑い、続けました。「お前は私を殺すのが目的だろう? こうして会えて嬉しいのではないか?」
「実体ではないお前に会ったとしても無意味だ」
「そうだな、実体ではないからお前を押し倒せないし抱けないし突っ込めないし」
「そういう問題じゃない!」
「私はそういう問題として考えている」
「却下だ!」
「怒っている顔もなかなかいいな」
「いいから帰れーッ!」
楽しげな表情の魔王様、血相を変えている勇者。テンポ良く進む会話は、聞いていると実は二人は結構相性がいいのでは、なんて思ったりもしてしまうわけですが。
「実体できてみろ、殺してやる」
そう、厳しい表情を見せている勇者の横顔を見ると、やっぱり相性以前の問題もあるのだなあ、とも思うわけです。
「しかし、緊縛プレイとは、結構最初からマニアックな」
勇者の言葉などどこ吹く風、魔王様が私を見て興味深そうに笑いました。
緊縛プレイ。
私は自分の縛られた腕を見下ろし、まあ、そう言えないこともないと一瞬考えましたが、疑問も生まれました。
「緊縛、は確かにそうですが、プレイとは何をさすものなのでしょうか?」
私は首を傾げながら、素直にそう疑問を口に出してみました。すると、魔王様は笑みを消して真剣な表情で応えました。
「この後、お前はベッドに縛り付けられて、足を開かれ後ろから前から」
「あああああ、そう、そういうことなんですね!」
あーあーあー、聞こえない聞こえない!
訊いた私が馬鹿でした。魔王様の考えていることがソッチ方向であることなど、簡単に予測がつくはずではなかったでしょうか。
っていうか、後ろから前からって何?
知らない方がいいこともあるような気がします。何というか、最初っからハードな展開になりそうで。うーん。
考えてみれば私はそっちの経験は……男性どころか女性相手の行為すら未経験で。いえ、記憶がないだけなのかもしれませんが、でもやっぱり、最初くらいは……うーんうーんうーん。
「一体、何をしにきたんだ」
ふと、勇者の探るような声が聞こえました。
気がつけば、勇者だけではなくて魔法使いや神官も、警戒したような表情で私たちを見つめています。もちろん、私ではなく魔王様を観察しているような視線です。
「お前が変態だということは何となく、いや、確実に解った」
勇者は厭にはっきりとした発音でそう言います。「しかし、何のためにその……シェリルとかいうヤツをここへ?」
「何のために?」
魔王様は少しだけ考え込みました。それから、ゆっくりと私に視線を向け、眉を顰めました。
「シェリル、成果は?」
「……はかばかしいものではありません」
「まあ、この堅物では致し方あるまい」
魔王様はそう言って一人で頷いています。その背後では、さらに勇者が困惑した表情で続けました。
「何の話だ? それに、お前はこいつを助けにきたわけではないのか」
「助けに?」
魔王様が呆れたように笑いました。「なぜ私が助けねばならん」
「なぜって」
勇者がさらに困惑の色を強め、平坦に言います。「お前の配下だろう」
「だから何だというのだ」
ふと、魔王様は苦笑を漏らしました。そして、急に興味を失ったかのように辺りを見回し、こう呟きます。
「引き上げ時か。どうなったかと思ってきてみれば、大して状況も変化なしであるし、つまらん」
そう言った直後、魔王様の姿が急にその場から消えました。本当に何の前触れもなく、跡形もなく消え去って、そこに我々が残されたというわけで。
そして、微妙に脱力気味な空気がその場に流れていました。
「全く、よく解らないヤツだ」
勇者は抜き身の剣をその手に提げたまま、疲れたようにベッドに腰を下ろしました。魔法使いも毒気を抜かれたような表情で勇者のそばに立っていて、神官はどうしたらいいのか解らないと言いたげに頭を掻いています。
そして私はといえば、壁際に立ってぼんやりと宙を見つめていたのでした。
そう、魔王様が消えた辺りのところを。
「見捨てられてるということか」
ふと、魔法使いが私を見つめ、冷ややかに言いました。「役に立たない魔物はいらん、ということかもしれないな」
そこで、勇者の視線も私に向かいました。神官の視線も。
「……そう、かもしれませんねえ」
私が曖昧に笑うと、神官がぎこちなく口を開きます。
「魔王が配下を助けるということはないのか?」
そこで私は、問いには問いで返します。
「なぜ、助けなくてはならないのですか?」
純粋にそれが疑問です。私はよほど怪訝そうな表情をしていたのでしょうか、神官も驚いたように私を見つめ直します。本当に彼らは、主は配下を助けるのが当たり前、という考え方をしていらっしゃるのでしょうか。それが人間なのかもしれません。でも、我々は人間とは違うのです。
「我々配下の者は、魔王様の『モノ』です。魔王様の命令のために働き、死ぬのが使命です。人間もそれが当たり前なのではないのですか? 主である王のために働き、死ぬのでしょう?」
「もちろん、そうだが」
神官は微妙に困ったように笑いました。そうすると、目元に笑い皺ができて、彼の元々の穏やかな性格をそこに刻まれます。誰もに好かれる笑顔。
「それを悲しく思うことはないかね? 主である魔王に、捨て置かれるという現実が悲しくはないと? そして、裏切ろうとも思ったことはないと?」
「はい」
私はすぐに頷きます。「魔王様は魔王様ですから。私が従うべき主です」
「命令は絶対か。たとえどんな命令であろうとそれに従う?」
「はい、もちろんです」
私はまた頷きました。自然と笑みがこぼれました。何だか、奇妙な会話になりつつなるなあ、と思ったので。でもどちらにしろ、神官の問いの答えは簡単です。
「私は魔王様が好きですから」
「好き?」
「あの変態魔王を?」
「馬鹿?」
最後の言葉は魔法使いから発せられました。失敬な。
私は眉を顰めて彼らを見回します。その誰もが明らかに困惑しきっていましたが、一番に我に返ったのは神官でした。どこか同情に満ちた目で私を見つめ直し、そっとその手を私の肩に置きました。慰め、でしょうか。しかし、それはどういう意味で?
「でも、皆さんが思われているほど悪い方ではありません」
私はわずかに首を傾げながら続けます。「それはもちろん、良い方とも言えないのですが、理由もなく人間を皆殺しにしようとか考えておりませんし、人間が襲ってきたら力の限りやり返す、というパターンの繰り返しですが」
「それが悪というものだろう。どこが悪いヤツじゃないだ」
呆れたように魔法使いが言って、うんざりとしたように顔を天井に向けた時、勇者が口を開きます。
「魔王は人間を攻撃する。だから、我々も戦わねばならない。それは解っているだろう?」
「それはもちろん」
「クレイグ、少し待ってくれ」
そこに神官が割り込んできました。神官は私を見つめ直し、ゆっくりと言いました。
「君の善悪の定義を聞きたい。君にとって善とは、そして悪とは何だ?」
「善悪……」
私は何を今さら、という気分になりつつ言いました。
「善悪とは、人間の基準に立って決められたものです。人間が悪と決めたら、それが悪になります」
「人間は魔王様を『悪』であると決定しました。だから悪を打ち破るために戦いを挑んできます。そして魔王様は、戦いを仕掛けられたらそれを迎え撃つだけです。人間よりも遙かに強い力を持っていますから、簡単に人間を殺せるでしょう。だから、あなたがた人間はさらにこう決めるのです。『やっぱり、魔王とその配下は恐ろしい存在だ』と」
「いや、それは矛盾している」
神官は鋭く切り返してきました。「君たちが人間を殺すのは紛れもなく事実なのだ。そこには秩序など存在しない。自分の欲望のままに人間を殺さないとなぜ断言できる?」
「断言などしておりません」
私は苦笑しました。「ただ、これだけは言えるでしょう。人間だって人間を殺すではないですか。人間だって我々と同じではないでしょうか、ということです。欲望のために他人を殺すのは、我々魔物だけではない」
「それは確かにそうだが」
「待て待て待て」
そこに勇者が疲れたような口調で参入してきました。彼は乱暴に頭を掻きながら、もう何も考えたくないと言いたげにため息をつきます。
「とにかく、もういい。少し休もう。疲れた」
「確かにな」
魔法使いがそれに頷き、部屋を出て行こうとします。その背中に向かって、勇者が慌てたように声をかけました。
「どこに行くんだ?」
「もう夕食の時間だろう。少し、出てくる」
魔法使い――コンラッドがそう言って、窓の外に視線を投げました。確かに、いつの間にか辺りは薄暗くなっています。
もうそんな時間なのか、と私がぼんやり考えているうちに、魔法使いはさっさと部屋を出て行ってしまいました。残された我々の間にも、奇妙な沈黙が流れています。
「逃げる気はないのか」
神官は私にそう問いかけましたが、私はただ無言で縛られたままの腕を上げました。これでは逃げられない、という意思表示です。それに納得したらしい神官は、ただ笑いました。でも、逃げるわけにはいかない理由もあるのも事実です。
「クレイグ、食事はどうする?」
神官が勇者にそう訊いているのが聞こえて、物思いに沈みかけていた私は我に返りました。視線を上げると、勇者が悩んでいるらしい横顔が見えました。そして、彼はため息混じりにこう言います。
「いや、今日は疲れたので後にするよ」
「そうか。じゃあ、後で何か持ってこよう」
神官はそう言ってから、ちらりとこちらに視線を投げました。「しかし、大丈夫か」
何がだろう、と私が首を傾げると、勇者が笑って返します。
「大丈夫だ。どうやら、逃げる様子もないらしい」
「そうかもしれないが」
「何かあったら呼ぼう。下の食堂か?」
「ああ」
神官はそう頷いてからしばらくの間私を見つめていましたが、やがてもう一度頷くと部屋を出て行きました。
私はその場に立ったままです。
どうしたらいいのか解らず、ただじっとしていると。
「座ったらどうだ」
勇者――クレイグは苦笑と共に言いました。「お互い、攻撃はしないということで、少し話をしよう」
「……ええ」
私はそっと頷いて、彼に促されるまま椅子に腰を下ろしました。そして、見つめ合います。
これは、口説くチャーンス!
と、喜んでいいのか、悲しんでいいのか。
二人きりになってしまった薄暗い部屋で、私は内心途方に暮れていました。魔王様がここにいたら、きっと何か脱力できるようなことをおっしゃってくれるに違いないのに。そうすれば、何も考えずに私はぼんやりしているだけで終わるだけなのかもしれないのに。
いや、それとも、もっと厄介な展開になるのかもしれない。
あああ、もう。
私がため息をこぼしていると、勇者が薄く微笑みました。何というか、それが敵に対する笑みではないなあ、と思うわけで。
だんだん困惑してきてどうしたらいいのか解らなくなっている私に、やはりどうしたらいいのか解らないといった風情の勇者が言いました。
「怪我は大丈夫か?」
虚を突かれて私は息を呑みました。
そして、魔法使いにやられた肩の傷を見下ろします。でも、我々魔物はその個体差もあれ、傷は治るのが早いのです。私の傷もほとんど塞がっていて、痛みも消えつつありました。
「大丈夫です」
私がにこりと微笑んでそう応えると、勇者は小さく笑いました。
「そうか」
しかし、すぐにその笑みは消えて冴えない表情へと変わります。「あの魔王が言っているのは、どこまで本気だ?」
「どこまで……とは?」
「その、押し倒すとか何とか、セックスがどうこう、みたいなことだ」
「ああ」
私はつい肩から力を抜いて吹き出しました。「それはもちろん、全部本気ですよ」
「くそ」
その、勇者の深いため息と一緒にこぼれた言葉に、また私は笑ってしまったのでした。