本日の魔王様 17


「ええと」
 私は曖昧に微笑みながら言いました。「殺せというご命令ならば、それは得意というか何というか」
「私が言っているのは強姦しろと言っているのだ!」
 魔王様は水鏡に視線をもう一度投げながら叫びました。水鏡の中、コンラッドとクレイグの間には奇妙な緊張感と殺気が漂っているのが解りましたが、私は私で別の意味で緊張していました。
「でも、強姦と言われましても」
 ええと、何て言ったらいいのでしょうか。どう考えても私には無理なご命令であることは確かです。誰でも得手不得手というものがあるわけですし。
 私は自分に言い聞かせるように小さく頷いてから、魔王様の瞳を見つめ直し、申し訳ないという表情を作って見せました。
「私は強姦したこともされたこともないので、どうしたらいいのか皆目検討が」
「よし、教えてやろう」
 え、何を。
 と、困惑している間に、魔王様がいつの間にか私の前にやってきていまして、無理矢理私の肩を押して石畳の床に押し倒してきました。
「え」
 あまりにも乱暴に押されたため、受け身など取れなかった私はしたたかに頭を床にぶつけていて、『痛い』と声を上げそうになったのですが。「え、ええっ!」
 私は別の意味で声を上げていました。
 魔王様は私の身体の上に馬乗りになり、あっという間に私の両足を広げ、しかも私の左足をご自分の右肩に担ぎ上げるという芸当を――。
「お、お待ち下さい! いきなり、こ、こんなことをされてもっ!」
 私は必死に魔王様の肩を押しやって、必死に身体を捻って逃げだそうとします。しかし、魔王様の瞳はどこか遠いところを見つめているようで、そんな私の態度など目に入っていらっしゃらないようでした。
 魔王様の長い黒髪が私の頬にかかります。そして、しなやかな指が私の頬を撫でたかと思えば。
 いきなり、魔王様が乱暴に私の髪の毛を絡め取り、逃げようとしていた私の頭を、ぐい、と床に押し戻します。
「あう」
 などという、情けない声を上げて魔王様を見上げれば、魔王様は楽しそうに声を上げて笑っていらっしゃいました。
「強姦、それは痛みから始まる!」

 ……わあ、楽しそう。

 なんて、現実逃避してる場合じゃありません!
「厭がる相手を無理矢理押し倒し、力任せに殴ろうが縛り上げようがどうでもいい!」
 さらに興奮したように叫ぶ姿。
 こうなってしまうと誰にも止められそうにありません。どうしよう。
「強姦、それは相手の自尊心を傷つける。女性としか寝たことのない男なら、なおさらだろう。無理矢理足を開いて私の逸物を突っ込み、痛がろうがどうしようがガンガン突く。その間も相手は抵抗するだろう。力任せに押しやろうとしたり、殴ろうとしたりするだろう。それをさらに力で封じ込め、まずは中に一発目、中出しする」
 さらっとおっしゃってますけれども、とんでもない内容ですよ!
 私は途方に暮れました。頭の中が混乱していて、いつもより思考能力が落ちているような気がします。
「その辺りで相手はショックを受ける。『汚された……』という感覚なのかもしれんが、私はされたことがないのでよく解らん!」
「そ、そんなことを宣言されましても……」
「屈辱的な格好をさせられて、必死に抵抗している間の表情は、それこそたまらないものがある。しかし、抵抗が無駄だと知った時の絶望の顔もまた素晴らしい。押し殺した悲鳴が上がり、苦痛を堪えている表情がまた……ふははははは!」
 とりあえず、魔王様は話に夢中になっているようで、私を強姦して実際に『強姦の仕方』を教えるということからは意識が離れているようです。ありがたいことですが、それがいつまで続いてくれるのかは解りません。どうしよう。
「そして、私はだんだん相手の弱いところを責めていく。そうすると、強姦されているのにいつの間にか快楽が生まれていくことに新たな絶望が生まれる。女のように喘ぎ、やがて腰が私の動きに合わせて」
 えーとえーと。
 私は必死に首を捻り、水鏡の方へ視線を投げました。魔王様に絡め取られている髪の毛が引っ張られて、少しだけ痛かったのですが気にしません。
 だって、こんなことをしている間に、クレイグがコンラッドに強姦されていたら魔王様だって本意ではないでしょうに。
 すがるように水鏡の中の様子を見つめると、少し向こうも状況が変わってきているようでした。
「正直、俺は男を抱く趣味はない。……お前とは違う」
 くく、と低く笑ったコンラッドは、先ほどまでの性的な雰囲気をどこかに捨て去って、その代わりに殺気を身体全体から滲ませました。その双眸にも冷徹なだけの輝きが宿ります。そして、嘲るような口調。
「どうせ戦わないなら、この腕は不要だろう」
 クレイグの腕を掴んでいたコンラッドの手が、さらに明るく輝き始めました。途端、クレイグが痛みを感じたかのように眉根を寄せ、その腕に力を込めて引いています。しかし、それは外れませんでした。クレイグの血色のよかった腕は、だんだん血の気が失せていき、土気色に変わろうとしています。
「何が勇者だ。敵も殺せぬ腕なら、俺がこの腕を壊してやろう。そして、新しい勇者を見つける。今度は魔王と戦える男を捜す」
「放せ」
 そこで、クレイグから全ての感情が消えたように見えました。
 服のどこかに隠していたのでしょうか、いつの間にか短剣をもう片方の手に握っていて、コンラッドの喉に突きつけて言います。
「仲間は殺したくない」
 クレイグの声は穏やかでしたが、コンラッドを突き放すようなものでした。「しかし、俺の仲間から外れるというのであれば話は別だ。俺の腕と引き替えに、お前の喉を切り裂こう」
「へえ、できるのか?」
 その時のコンラッドの声には、明らかにクレイグを揶揄している響きがあります。しかし、クレイグの声には揺らぎはありませんでした。
「できないと思っているのなら、お前の方が甘いんだ。俺は今までだって、たくさんの魔物を殺してきた。……それに、戦も経験している。魔物だけじゃない、人間も手にかけた」
 クレイグはそう静かに言いながら、短剣を持つ手に力を込め、ゆっくりとコンラッドの方へ押しやりました。その切っ先がコンラッドの喉に当たり、さらにゆっくりと進んで、コンラッドの喉から血が一筋流れ落ちていきます。
 一瞬、コンラッドの瞳からからかうような色が消えます。しかし、すぐにクレイグの行為はただのハッタリだと思ったのか、その口元に笑みが戻りました。
 でもそれは本当に少しの間だけのこと。
 クレイグの短剣がさらに動き、コンラッドの喉に突き刺さろうとして、彼は慌てて身を引いたのです。クレイグの手から己の手を放しつつ。
「それで?」
 コンラッドは自分の喉に手を当てながら訊きます。その手のひらから、血がわずかにこぼれ落ちて、足下の草の中にぽつぽつと散らばりました。その後彼は魔法の呪文を呟き、喉の傷を塞いだようです。その手を下ろした時には、喉に血がついているものの、傷口があるようには見えませんでしたから。
 クレイグもまた、自分の腕をそっとさすっていて、だんだんと血の気が戻ってくる肌を見て表情を和らげていました。しかし、その声だけは冷えたままでした。
「お前が何を言おうが、俺は過去に何があったのか調べてみる。何も知らないまま行動するのは俺のやり方じゃない。それが不満だと言うなら、さっさとどこにでも行くがいい。俺は新しい魔法使いを捜す。おそらく、お前より腕のいい魔法使いくらいすぐに見つかるだろう」
 それを聞いた途端、コンラッドが気色ばんで何事か言い返そうとしました。しかし、すぐに唇を噛んでクレイグを睨みつけます。しばらくして、諦めたように首を振った彼は、目を細めて言いました。
「お前こそ本当にそう思っているなら甘いな。俺よりも腕のいい魔法使いがそう簡単に見つかってたまるか。魔王とやりあおうって思う気概のあるヤツが、どれだけこの世界にいると思ってる?」
「じゃあ、協力しろ。無駄な時間は使いたくない」

 どうやら一時休戦といったところなのでしょうか。
 私は水鏡の中に映った光景を見つめながら、そっと口を開きました。
「魔王様、そろそろ現実世界にお戻り下さい。勇者たちも動きがあったようですが」
「何?」
 そこで、魔王様が我に返ったように目を見開き、水鏡の中に視線を投げました。どうやら状況が変わったことだけはすぐに見て取れたようで、魔王様は小さく唸って何事か考えていらっしゃいます。
 しかも、まだ私の身体の上に馬乗りになったまま。
 それに、私の足を肩に担ぎ上げたまま。
 ……逃げたい。
「よし」
 急に、魔王様が立ち上がりました。必然的に私は自由の身となり、安堵のため息をこぼします。わずかに乱れた服装を直しながら立ち上がり、魔王様からある程度離れた場所に立って呼吸も整えました。
 魔王様は水鏡の中を見つめたまま、ぶつぶつと何か呟いていらっしゃいます。
 とりあえず、私は身の安全を確保できたらしいと安堵し、魔王様の小さな呟きに耳を澄ませました。
 すると、「どうも気に入らん」とか「やはり一度は強姦しておくべきか」とか「筋肉の付き方が」とか「男を抱く趣味はなくても抱かれる方なら」とか色々おっしゃっていて、形だけとはいえクレイグを強姦しようとしたコンラッドへの不快感は消えてはいらっしゃらないようで。
 クレイグたちはといえば、奇妙な緊張感をお互いに残しつつ、彼らは移動を始めていました。
 夜が明けても薄暗い森の中を抜け、どこかの小さな村へと入ったようです。それは、この魔王様の城からそれほど遠くない村のようでした。
 たくさんの畑と、小さな家々。村を通っている川、生い茂った木々。朝早くから畑仕事に精を出す人々、平和な村の様子。
 二人はその村に入ってすぐ、畑仕事をしている年配の男性に「魔王を倒す旅に出ている者なんだが」と声をかけています。
「近くに魔王の城があるということは知っているのだが、魔王や魔物に関して詳しく知る者がこの辺りにいないか探している」
 と、クレイグが穏やかに話しかけ、声をかけられた男性は戸惑ったように顔を上げて首を傾げていました。
「誰か知ってるかねえ」
 その男性は辺りを見回して、近くの畑にいた数人の男性たちに目を留め、大きな声を上げました。「おおい、皆、ちょっといいか!」
 その呼びかけにその場にいた人々が集まり、それぞれ戸惑いながらも話し合い始めました。明らかに多少は見慣れぬ旅人たちの姿に警戒していたようなのですが、クレイグの穏やかな話し方に警戒心を解いたのか、やがてうち解けたように色々と質問を始めます。そして、信用できる相手だと納得できたのか、そのうちに口々に言い始めました。
「あんまり詳しい人間はいないとは思うんだが」
「村の外れに住む魔法使いはどうだろう」
「あれは若いからな」
「じゃあ、昔戦に行ったじいさんがいたんじゃなかったか。今の魔王のことを知ってるとは限らんがな」
 そこで、クレイグがほっと息を吐き出し、その口元に笑みすら浮かべて言いました。
「その、昔の魔王について聞きたいんだ」
「ああ、そうか」
 一人の村人がクレイグの言葉に頷き、「じゃあ、一緒に行ってやろう」と歩き始めます。その後について歩き始めたクレイグとコンラッドは、それとなく村の様子を観察しながら進みました。
 穏やかな村です。
 その日は風もなく、晴れ渡っている空は平穏そのもので。

 そして私は、ああ、そうだった、と胸の内で頷くのです。
 『あの戦い』の時、この村からも武器を手に向かってきた男性たちはいたなあ、と。
 正義の名の下で国王が魔王様討伐に打ち出てきた時、騎士団は確かこの村を通ってきたかと思います。
 そう、最初の戦いの時には、まだ勇者や魔法使いなどといった姿は見られませんでした。
 国王の命令で、この国の騎士団がやってきたのです。途中、通った村から兵士を募り、歩兵の人数を集めながら彼らはやってきました。

「ああ、私も戦に出たよ」
 村の中央辺りには、小さな店もいくつか出ていました。野菜などの食料品、牛乳やバター、焼きたてのパン。花屋や服の仕立て屋、鍛冶屋、他にも色々な店があります。その中で、食料を販売する店の軒先にいた白髪頭の男性が、突然の来客に困惑しつつも説明していました。
「あの時はこの国の王子様が先陣を切って出られていてな、そのお方についていったんだ」
「王子?」
 クレイグが目を細めて聞き直すと、老人は頷き返しました。
「王子様はとても立派な身体をしたお人で、剣の腕には自信があったようだ。この国の第一王子様で、王様がお亡くなりになった後、次の王様になられたんだよ」
「第一王子……。第二王子もいたと聞くんだが」
 クレイグの声が緊張しています。
 私が出したヒントを彼が追っている。でも、正しい答えに行き着けるかどうかは運次第でしょう。
「ああ、第二王子様は可哀相だった。その時、一緒に討伐に来られていたんだが、魔王に殺されたのだというよ」
「魔王に?」
「そう」
 老人は何度も頷きます。そして、あまり大きな声では言えないのだが、と前置きして続けました。
「あの頃、第一王子様より第二王子様の方が、国民に人気があったようでな。次の王様になるのは第二王子様じゃないかと噂されておったよ。私もそのお姿を見たんだが、こう……すらっとした長身の美しいお方で、切れ者として知られていたようだ。実際、率いる騎士団をまとめていたのは第二王子様の方で、騎士様たちも第二王子様に心酔していたように思えるんだよ」
「その第二王子が魔王に殺された?」
 クレイグが何事か考え込みながら低く問うと、老人は曖昧に頷いて見せました。
「そう、魔王の城に行って戦いがあったんだが、それが長引いてな。そのうち、第二王子様の姿が消えたんだ。魔王に誘拐されたとかいう噂も出て、一時騒然としたね。でもその後、第一王子様が第二王子様の死体を発見なさったというからまた大騒ぎになって。それが、獣に襲われたような酷い有様で、誰にもその第二王子様のお姿を見せずにご遺体を城に送り返してしまって……その、噂が出たんだ」
「噂?」
「そう」
 老人の目には、意味深な光が輝いています。「魔王に殺されたというのは嘘で、実は第一王子様が第二王子様を殺したんではないかという噂だよ。それがばれるから、ご遺体を誰にも見せられなかったのではないかと思われたんだ」
 一瞬、クレイグとコンラッドの視線が絡み合いました。
 クレイグは、「やっぱり」とどこか納得したような瞳、コンラッドは「どうでもいい」というような無気力な瞳。
「もちろん、そんなことを表立って言う人間は誰もいなかったがね。……いや、一人いたかな。第一王子様に、何とかご遺体を見せてくれと食い下がっていた騎士が一人いたよ。でも、その後すぐに彼も死んでしまって……まあ、こちらも第一王子様を疑う理由の一つになった」
「第一王子というのは……その、危険な男だったのだろうか」
 クレイグの声はさらに潜められました。何しろ、村の商店街ともいえるこの場所ですから人通りはそれなりにあり、辺りを行き交う人々の耳を気にしたのか、老人にだけ聞こえるように言いました。
「しかし、第二王子が死ぬことによって、この国の王になられた?」
「そう」
 老人の声もさらに低くなります。「戦好きな国王陛下となってな、結局その後、色々な戦を他国にしかけ、たくさんの民を亡くし、最後には自分が見捨てた兵士に殺されたというね。自業自得ってやつかもしれん」

 ふと、ラースの姿が脳裏に浮かびました。
 自分が見捨てた兵士。
 兵士に殺された。
 ラースは?
 もしかしたら?

「その国王陛下が統治していた時期は本当に短かったね。その後、今の国王陛下になられて……今は平和だねえ」
 老人が表情を和らげます。しかし、クレイグの表情は強ばったままです。
「第二王子が殺されて……その時、王女はどうしていたんだろう?」
「ああ、王女様かい」
 そこで、老人が困ったように微笑みました。「王女様のことはよく解らんね。それこそ、色々な噂がありすぎてどれが本当なのか解らないんだよ。戦が終わってから色々噂は聞こえてきたんだが、その中で有力そうなのは、魔王に王女様が殺されたので、その弔い合戦があの戦だったということじゃないかってことだね」
「他にも噂が?」
「うーん、これはあんまり、と思える噂もあって」
 さすがに、その噂について口に出す時には、その老人の顔色は冴えないものになりました。「魔王に無理矢理……陵辱されて自害した、という噂も。まあ、噂なんて当てにならないからねえ」
「でも、ありそうな理由だ」
 と、コンラッドが吐き出すように呟いています。「魔王なんて存在はこの世にいらない。所詮、魔物は魔物なんだ。殺さねば、こちらがやられる」
「そうだねえ」
 老人は何度も頷いて言いました。「あの戦いは怖かったね。あれから何度も戦を繰り返して、魔王と戦ったよ。最初、魔王ってヤツはあんまり人間を相手にしていないようだった。戦も遊びの延長だったのかもしれん。でも、力の強い勇者様と魔法使い様が現れて、一気に状況は好転した。魔王を殺して、平和な世界が……と思ったら、アレだろう」
「アレ?」
「銀の魔物だよ」
 老人が疲れたように首を振り、さらに声を潜めました。「魔王を殺されて、魔王に仕えていた銀の魔物が人間を虐殺し始めたんだよ。あの戦を始めた国王陛下も、その魔物に殺されて、それこそご遺体は酷い有様だったっていうしね。皆、逃げまどっていたよ。私も、ずっと隠れていたね。いつ殺されるかと気が気じゃなかった」
「やっぱり殺すべきだ」
 コンラッドがため息を漏らし、視線を老人からそらしました。そして、クレイグは何事か考え込んだままで。

「やっぱり強姦すべきだ」
 突然、魔王様がそうおっしゃって、私は我に返りました。
 見ると魔王様は水鏡の前で胸を張り、ふふふ、と笑いながら続けています。
「これほど嫌っている魔物から強姦される、という場面を見てみたい」
 見てみたいと言われましても。
 私はそっと後ずさって、魔王様の視界から遠ざかろうとしました。できれば、私ではなく他の誰かに命令してもらえないかなあ、と思いましたので。
「お前は強姦できないのか」
 と、魔王様が目を細めて私のことを見つめてきましたので、私はただこくこくと頷いて微笑みました。
「あまり自信がありません」
「しかし、強姦はなくとも男と寝たことくらいはあるだろう」
「あ、ありません!」
 今度はぶんぶんと首を横に振ると、魔王様は心底意外そうに首を傾げました。
「前の魔王と寝たのではないのか。ただ足を開けば突っ込まれるだけの行為だから、やられる方は楽だろうに」

 思考停止。

 そして、再起動。
 何だか、妙にリアルに魔王様の――私が好きだった前の魔王様のことを思い出してしまって、申し訳なく思いました。こんな下世話な……と言っていいのかどうかも解りませんが、性的なことであの魔王様を汚したくはありません。
 そういう目で見たくない、そんな思いが強かったのです。
 望んではいけないことでしたから、絶対に考えないようにしていました。

 でも。
 私はそっと、自分の唇に手を当てました。触れた指先。その感触。

 一度だけ、魔王様に口づけを与えられたことがありました。最初で最後、本当に一度だけ。
 あの時は、あまりにも心臓が暴れたのでそのまま死ぬかとすら思いました。
 そして、それは私にとって『特別』になりました。
 キスをするのは、『特別』な相手。
 人間を殺す時、わざとキスをしたのは、彼らが『特別』ではないから。
 もう二度と、特別なキスをすることはない。あれが最初で最後なら、今後は誰とも――そういう意味でのキスはしない。
 今後、誰とキスをしようとも、あれほど心が動くことはない。
 恋なんて絶対にしない。
 もう、充分です。あの記憶さえあれば、もういらない。
 性行為だって、恋愛を伴うことは絶対にない……と思います。
 そうだ、そうじゃありませんか。
 誰と寝ようと、もうどうでもいいはずではありませんか。
 私は魔物で、優しい心なんて持ち合わせてなくて。
 だとすれば、誰を強姦しようとされようと気にする理由などないはずで。

 でも。
 私はうーん、と考え込みます。
 でもやっぱり、今の魔王様のご命令であろうと、コンラッドを強姦したりする自分の姿は想像できません。コンラッドを強姦して何が楽しいんでしょうか?
 絶対楽しくありません。というか、強姦できる自信がこれっぽっちもありません。誰か代わりにやってくれればいいのに。

 と、考えていると、魔王様が諦めたように言いました。
「お前が無理なら、他のヤツを連れて行ってやってこい。そのくらいできるだろう」
「それはできるかもしれませんが」
 私はそっと顔を上げ、そのまま首を傾げました。「せっかくですから魔王様がおやりになればよろしいのでは」
 すると、魔王様は「なるほど」と言いたげにぽん、と手を叩きましたが。
「違う」
 と、すぐにその表情を引き締めました。「私が強姦したいのは勇者だ勇者! 最初の目的を忘れてどうする」
「あ、すみません」
 そうでしたそうでした。私もうっかりしていましたが、魔王様が気に入っておられるのはクレイグの方で、クレイグを無理矢理押し倒して……というのが目的なのでした。
「輪姦でもかまわん、色々やってこい」
 大広間を出て行こうとする私の背中に、魔王様の明るい声がかけられて、「かしこまりました」と応えつつも。自分がやらずに済んだのは助かったのですが、やっぱりものすごく困ったことになってるような気がするなあ、と唸ることしかできなかったのでした。


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