「何を話し合えというんだ!」
と、コンラッドが叫んでいると、さすがに辺りを通り過ぎようとしていた人たちが足をとめ、彼らを注視していました。そこで、クレイグの剣が抜かれていることに驚いてさらに注目が集まり……。
ああもう、やっぱり目立っている。
私はため息をこぼしてから立ち上がり、彼らのそばに歩み寄りました。すると、その気配に気づいたのかすぐにクレイグが私を見て眉を顰め、そしてコンラッドが舌打ちしてきたのです。
「やっぱりお前が関わってるわけか」
「いけませんか」
突き放すようにそう言うと、コンラッドは苦々しく笑います。
「別にどうでもいいが、こんなところでやり合うのは他人を巻き込む」
「ああそうですか」
私は平坦にそう言ってから、薄く微笑みました。「じゃあ、移動しましょう。私は移動の魔力が苦手なんですが、まあ、どうでもいいですね」
ぐるりと辺りを見回した後、困惑したままのクレイグや、頭を掻いてどうしたものかと考えているらしいギルバートを見つめ直します。
そうです。
今の私は、昔と同じだけの魔力を取り戻していました。しかし、コントロールは苦手でした。力が強すぎるために、自分自身だけを移動させるのは問題ありませんでしたが、他の誰かを一緒に移動させるのは力の加減が難しいのです。
「腕の一本や二本、骨折していても文句は言わないで下さいね」
さらりとそんなことを前置きした後、その言葉にぎょっとしたようなクレイグやコンラッドのことは無視して、ギルバートの腕を掴んで魔力を放出しました。
「お前ってもしかしてサド?」
なんていう、ギルバートのお気楽な声が聞こえたような気もしますが、とりあえず聞き流しておきます。そして、辺りの光景がぐにゃりと歪んで。
一瞬の後、我々は村から離れた森の中に移動していたのです。
「場所は狙い通りにできましたけども」
私は一息ついてからそう呟くと、クレイグとコンラッドに目をやりました。彼らはわずかに顔色を失った様子で、近くにあった木々にそれぞれ手を置いて深呼吸をしています。そして私の横では、ギルバートが首を左右にごきごきと動かしていました。
「おー、一気に肩が凝ったぞ。結構、お前って乱暴」
そう言っているギルバートの声を聞きながら、私はクレイグたちが怪我をしていないかどうか気になっていました。さすがに、クレイグだけは無事に運んでいないといけないだろうとも思いましたし。
「……移動魔法はコンラッドの方が上手いな」
クレイグはそう呟きながら、軽く頭を振ります。どうやら彼は怪我はなさそうです。
コンラッドは血の気が失せた顔のまま、「どうせわざとやってんだろう」と冷ややかに呟いています。こちらも怪我はなさそうですが、別に彼は魔王様の想い人でもないわけですからどうでもいいわけで。
「で、どうするんですか」
私はギルバートに小声で言いました。すると、彼は困ったように微笑みながら肩をすくめます。そして、コンラッドに向き直ると口を開きました。
「魔王様がお前を強姦しろというのが命令みたいなもんなんだけどな、まあ、まず話し合おうじゃないか」
「だから話し合いなど」
そうコンラッドが身体を強ばらせて言ったのを遮り、ギルバートは明るく笑って続けます。しかし、その声は潜められました。
「まあ聞けよ。俺だって男を強姦するのなんてやだよ。どうせ抱くなら女の方がいいじゃん? でも、これが命令なら従わなくちゃいけないっつーわけで。で、ここで相談なわけよ。どう、ここで口裏を合わせるってのは」
「口裏って」
私が驚いて声を上げると、ギルバートが慌てたように「しーっ!」と自分の唇の前で人差し指を立てました。そんな仕草をされましても、もしかしたら今もこの瞬間、魔王様が遠くから見ている可能性は高いはずなのですが。
「大丈夫大丈夫、ここにいる四人だけの秘密ってことにしておけば万事解決、単純明快! な、悪い話じゃないだろ?」
わずかに首を傾げながらコンラッドにそう話しかけるギルバート、まだ困惑しているらしいクレイグ、何でこんなことになっているんだろうとため息をつく私、何だか疲れました。どうせコンラッドが我々の言葉など聞くはずが――。
「いいだろう、口裏を合わせればいいんだな」
やがて、コンラッドは強ばった表情ながらもそう応え、私は本当に驚いたのです。まじまじとコンラッドを見つめていると、その隣にいたクレイグも驚いた様子ながらも、少しだけ緊張を解いたような気がします。そして彼は、まだ抜き身のままであった剣を鞘に収めました。それから、ゆっくりと私に視線を投げかけました。
「その、以前言っていたことだが」
妙に歯切れ悪いその口調に、彼が何のことを話題にしようとしているのかが予想できます。案の定、彼は続けました。
「お前が言っていたあれ……、もしかしたら第二王子を殺した罪を、魔王になすりつけて、というのが真相なのか? 魔王は無実だった?」
「そうですね、魔王様は何もなさいませんでしたよ」
私は笑顔で応えます。でも、表情は強ばっていたようでした。魔王様のことを――前の魔王様のことを思い出すと、どうしても胸が震えてしまう。苦しくて呼吸ができない。
「でも、あなたが知っている『事実』というのは、ほんの一部です」
「じゃあ」
「教える気はありません。どうしても知りたいのでしたら勝手にお調べ下さい」
笑顔ではっきりと拒否すると、クレイグはため息をこぼしました。それから、話題を変えてきます。
「で、今日は何が狙いだ?」
「それはさっき、彼が申しましたが」
コンラッド強姦のため。
私がギルバートを見つめると、クレイグはさらに深いため息を重ねました。
「どうも解らない。今の魔王というのは、ただの変態なのか。何が目的なんだ。俺たちを混乱させて何を企んで……いや、やっぱりただの変態なのか」
ノーコメントにしておきます。
私はクレイグから目をそらしたままでした。
そして、コンラッドとギルバートが意外と近い位置に立って、何か話をしていることの方に興味を惹かれていました。本当に口裏を合わせて何とかなるのでしょうか。でも、どうやら彼らは本気でそう考えているようで……。
と、考えたその瞬間、コンラッドが魔法の呪文を唱えたのが解りました。
途端に弾ける閃光、それはギルバートに向けられて。
激しい音、弾け飛ぶ地面、もうもうとわき起こる土埃。
「騙されると思うな」
少し前よりも血色のよくなったコンラッドが、その口元に歪んだ笑みを浮かべて言うのです。「俺がお前たち魔物の言葉にうかうかと乗せられるとでも思っているなら……」
「そうだな、甘かったよ」
凄まじいまでの攻撃魔法でしたが、ギルバートはそこに傷一つ受けずに立っていました。彼は私がつけた防御の腕輪を指でなぞってから、ひらひらと私に手を振ってよこしました。
「ありがとな、シェリル。助かったよ」
そのギルバートの様子を見て、コンラッドの表情が険しくなりました。おそらく、先ほどの魔法に手加減はありませんでした。その一撃が効かなかったこと、それはコンラッドの予想外の事柄であったに違いありません。
ギルバートの口調も、今まで通りとはいきませんでした。明らかに、その声には怒りが混じっていました。
「忘れてた、人間ってのはこういう生き物だったな」
蔑むような口調で言った彼の双眸は、今や真紅の色に染まっていました。その口元がゆっくりと裂け、その歯が鋭く伸びていきます。獣人に変身してしまう。
私は少しだけ慌てた口調で言いました。
「殺せという命令は聞いていません。ギルバート、それは命令には含まれていません」
すると、ギルバートは不本意そうに「くそ」と唸るように囁きます。
「話し合うつもりがないんなら、最初っからそう言えよ。本当、人間ってのはすぐに嘘をつく」
「人間だけか?」
コンラッドはかろうじて笑みと思われるものを口元に作ります。しかし、緊張だけはしっかりと伝わってきます。
「嘘をつくのは人間だけじゃない、お前たちだって嘘をつくのはお手の物だろう? むしろ、お前たちの方が得意なはずだ。何が口裏を合わせようだ、どうせそれも嘘に決まってる」
「いや、嘘はついていない」
ギルバートは怒りを収めたようで、獣人の姿になろうとしていた気配もなくなり、また完全な人間の姿に戻っていました。「お前が俺の言葉に頷くなら、お前を強姦するつもりはなかった。だから、本気でああ言った。もし魔王様に今回のことがバレて罰を受けたら、大人しく従うつもりだったよ」
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てるように言ったコンラッドを、ギルバートは冷ややかに見つめました。今の彼には、先ほどまでの快活さは全くなく、むしろどこか危険な雰囲気をまとわりつかせています。それを感じているのは私だけではなかったようで、コンラッドもまた魔法の呪文を唱えようとしていました。おそらく、また効かないだろうと思えるのに。
「あー面倒くせえ」
ギルバートは無造作に頭を掻き、次に来るだろうコンラッドの攻撃に備えて身構えた時のことです。
「何をやってるんだ」
と、急に上から声が飛んできて。
見上げると、ラースがマントを翻しながら降りてくるところでした。
なぜ、ここに?
私が混乱して言葉を失っていると、クレイグがすかさず問いかけました。
「何をしにきた?」
「はあ? 通りがかっただけだが」
ラースは急に人間に声をかけられたことに戸惑ったようで、胡散臭いものでも見るかのようにクレイグに視線を投げた後、私に訊いてきました。
「魔法と魔力がぶつかってる気配がしたんでな、寄ってみた。何をしていた?」
「……見ての通りですが」
「見てもさっぱり解らん」
ごもっとも。
私は内心で頷きながらも、ラースにどう接したらいいのか解らなかったので、できるだけ冷ややかに告げました。
「魔王様のご命令でここにいます。コンラッドを……いえ、その魔法使いを強姦してこいとのご命令だったので……」
「そりゃ大変そうだ」
くくく、と笑ったラースは、まじまじとコンラッドを見つめ、そのコンラッドがどこからどう見ても『男性』だったのでさらに笑いが止まらなくなったようでした。
「いやいや、魔王様ってそういう趣味なのか」
笑い続けているラースの姿に違和感を覚えたのか、クレイグが目を細めて言いました。
「……団長だってそのくらい知っているだろうに」
「団長?」
ラースがそこで身体ごとクレイグに向き直り、頭の先から足の爪先までじろじろと観察するような視線を向けます。「俺は団長と呼ばれる覚えはないんだが、何が言いたいんだ?」
今度はクレイグが困惑する番でした。
今、目の前にいるラースは、以前と様子が違っている。そう感じたのでしょう。
「団長こそ、何を言っているのか……」
クレイグがそう言いかけたのですが、私は不自然にならないように彼らの間に割り込みました。
「余計なことを話している時間はありません。我々の目的はこんなことではないのですから。その、ラースも何か用事があってこの辺りを通ったのではないですか? どうぞ、我々のことはお気になさらず、ご自分の予定を済ませて下さい」
「ま、そりゃそうだ」
ラースはわずかに苦笑するとその目を森の外――村のある方向へと向けました。しかし、すぐに私に視線を戻して目を細めます。
「俺はお前に名前を言ったか?」
「いいえ!」
失言。
私は急いで首を横に振ってから、笑顔を作ります。
「私は仲間の名前だけは覚えるようにしているだけです」
「……まあいい」
ラースはわずかに肩をすくめてみせると、ゆっくりと村のある方向へと歩き始めました。
「ここに何をしにきたんだ」
クレイグがその背中に向かって問いかけると、彼は振り返らずに答えました。
「女を抱きに来た」
言葉を失った私やクレイグをその場に残したまま、彼は大地を軽く蹴りました。途端、その身体は我々の前からかき消えました。
そして残された私といえば。
「一体、団長はどうしたんだ?」
そうクレイグが呟くのが聞こえたので、短く応えていたのです。
「記憶を消してしまったんですよ。だからもう、あなたの知っているラースではありません」
「どういうことだ」
突然、クレイグに腕を掴まれて私は顔を顰めました。彼の手を振り払って睨みつけると、クレイグは「すまない」と短く言います。しかし、さらに問い詰めてきます。
「記憶を消したって、何が原因で? 何があったんだ?」
「私に訊かないで下さい。私だって解らないんですから!」
思わず激高してそう返してしまってから、私も「すみません」と頭を軽く振りました。だいたい、これはラースが決めたことで、私には何の関わりもないことのはず。そう、私には関係など……。
じゃあ、なぜ胸が痛むんですか。
なぜこんなに苦しいんですか。
ラースなんか、私に何の関係もないはずじゃありませんか。
「よっぽど、酷い目にあったのでしょう。思い出したくもないくらいに、苦しかったからなのではありませんか」
私はクレイグから目をそらして言いましたが、何となくラースの過去に意識が奪われていたのかもしれません。何があったのか、この目で確認したかったのかも。
ラースは昔、戦があった場所に私を連れていきました。そこで、彼は。
「いい機会です、ラースの過去を見に行ってみましょうか。あなたはラースにも興味を持っていらっしゃるはずでしょうから」
私は冗談めかしてそう言いながら、クレイグを見やりました。すると、意外にも彼は真剣な眼差しを私に向け、頷いていました。
「何があったのか、知らなくてはいけない」
なるほど、クレイグとはこういう人間なのだ。
私はため息をついて考えます。
過去に何があったのか、その事実を知らなくては次の行動が起こせない。そう、前の魔王様が何をやったのか知りたがるように、ラースが何をしたのかも気にしている。
「俺も団長と途中まで一緒にいたんだ。奇襲を受けて、ほとんどの騎士たちは殺され、残りは散り散りになってしまったけれども」
こめかみを軽く揉みながらそう言っている彼の言葉には、何の嘘も感じ取れませんでした。
人間は嘘をつく。
でも多分、クレイグが言っていることは嘘ではないのでしょう。
「解りました、行きましょう」
私は彼に頷いて見せてから、ギルバートの方に目をやると、彼はつまらなさそうに鼻を鳴らしてから言いました。
「お前たちは好きなようにやってろよ。俺は面倒だからここで待ってる」
「そう、ですか」
そしてコンラッドに目をやると、彼はどうやら森から抜けて村に戻りたそうな雰囲気です。しかし、ギルバートにからかうような口調で次のように言われて機嫌を損ねたようでした。
「お前はさっさと逃げればいいんじゃん? 嘘をつくくらいしか能がないんだろ?」
「いや、俺もここで待ってる」
コンラッドの双眸には紛れもない怒りが燃えていて、それを見たクレイグが気遣うように言います。
「村に戻っていた方がいい。もしくは俺と一緒に来てくれないか」
「余計な心配をするな」
「しかし」
クレイグが警戒しているような目をギルバートに向けると、ギルバートは呆れたように笑います。
「こいつには何もしねえよ。こいつが俺を攻撃することはあるかもしれないけどな」
その声に険が混じっているのは明らかです。しかし、ギルバートがその場に腰を下ろして木の幹に背を預けてしまった様子を見て、クレイグは悩みながらも頷きました。
「何もしないんだな?」
そう、念押ししてギルバートが頷くのを待ってから、彼は私に顔を向けたのです。
移動の魔力を使った後、やはりクレイグは身体に何らかのダメージを受けているようでした。先ほどと同じく、顔色が悪くなっていましたので。
我々は、以前戦があったという場所に移動していました。
まだ、陽は高く風も穏やかで、ただ殺風景に思える場所。
私はまた魔力を放出しました。この大地に残っている昔の記憶を呼び出すために。
その途端、辺りが薄暗くなりました。風の匂いも変わりました。わずかに腐臭が漂う空気。
気がつけば、辺りにはたくさんの人々がいたのです。汚れた甲冑を身につけた、五十人くらいの騎士たちの姿がありました。
でも、それは実体ではありません。
まるで幽霊のように、手を伸ばしても我々が触れることはできません。そして、我々の声を聞くこともありません。それは、大地が我々に教えてくれている、過去にあった出来事。変えることのできない過去なのです。
「そうだ」
クレイグは、どこか茫洋とした口調で言いました。「国からの援助が尽きて、俺たちは何日もまともに食事をしていなかったんだ」
辺りにいた騎士たちは、皆一様に疲れているようでした。
頬はこけ、その瞳にも疲れが色濃く滲んでいました。石がごろごろと転がる地面に腰を下ろし、たき火を目の前にして、ただぼんやりとしていました。
「元々、この騎士団の連中は身分が低い奴らばかりだった」
クレイグは囁くように言います。「騎士団に所属している貴族連中は、ほとんどが国の飾りだ。国を守るという名目で、城に残っていた。だから、こうして戦に出る連中は、平民上がりのヤツばかり。厳しい試験を受けて騎士団に入団し、名誉のある職について国のために戦う。それが俺たちの役目だった」
そしてそれをまとめていたのがラース。
私の視線は、一人の騎士に向けられていました。
重苦しい空気の中、彼は難しい表情で辺りを見回していました。そして、隣国へと続く細い道、それをじっと見つめてため息をこぼします。
「馬を何頭かつぶそう」
彼――ラースは、近くにいた一人の若い男性に向かって言いました。「食料が足りない。でも、国から援助が届くまでの間、保たさねばならない」
「馬がなくなれば、我々の戦闘能力は半減します。いえ、むしろ皆無になる」
話しかけられた男性は、虚ろな目つきで返します。
「では、餓えても戦えるか?」
「無理でしょうね」
男性はラースの問いに苦く笑いました。「でも団長、援助を待っていられますか? たとえそれが仁義に反するものであっても、我々は道を選ばなくてはならないところまで来ています」
「略奪せよというのか」
今度はラースが力なく笑いました。「確かに、敵国の小さな村を襲えば、食料は手に入る。罪のない村人を殺して、我々が生き延びる」
「それしか道はありません」
「しかしイングラム、我々はそんなことをするために騎士になったのか?」
ラースの声は限りなく穏やかでした。
そして、イングラムと呼ばれた男性は、まるで泣きそうな表情で笑うのです。
「いいえ。入団のための試験を受けた時は、もっと立派なことをするために……そう思っていました。でも、略奪しなければ我々は死ぬしかない。戦う体力すらなくなります。……餓死だけは、厭ですねえ」
「じゃあ、馬だ」
ラースはそう言うと、近くの木々の幹に手綱をくくりつけていた馬たちへと足を向けました。そして、辺りにいた騎士たちを呼びつけると、「薪が必要だ。食事の準備をしろ」と短く言います。
彼らの食事となったのは、彼らの愛馬。久しぶりの食事にありつけた嬉しさと、とうとうここまで来てしまったのだ、という複雑な思いが辺りに渦巻いていました。
「陛下に宛てて書状は送ったのだ」
食事のさなかに、ラースは皆に聞こえるように声を張り上げました。「援助物資の依頼と、そしてそれが無理なら、国に戻る許可を欲しいという内容の書状だ」
「国に」
「帰りたいなあ」
辺りにざわめきが走ります。そして、一縷の希望。
王が許してくれるのならば、帰れるのだ。国に、家族の元に、恋人の元に。
その返事はいつ来るのでしょうか?
だが、来ないことはないはず。何らかの答えが与えてもらえるはず。
そう彼らは考えていたようです。
しかし、その書状の返事が来ることはありませんでした。無視されたのでしょう。いや、切り捨てられたというべきか?
そして、敵国の攻撃が始まったのです。
「最初は、我々だって数百人いたんだ」
クレイグが小さく言います。「食料もたくさんあって、皆が手柄を立てようと頑張っていた。敵国への奇襲も上手くいったし、俺たちの団長と、そして敵国の騎士団の団長との一騎打ちもあって、俺たちが勝った。最初の頃は上手くいってたんだ。でも、長引いてしまった。少しずつ仲間が死んでいって、とうとう最後には……」
場面が転換しました。
暗闇に飛び交う火矢。逃げまどう騎士たち。栄養が足りていないため、誰もがまともに戦える状況ではありませんでした。そんな中での敵国からの奇襲。
「イングラム!」
ラースの叫び声が聞こえました。
そして、暗闇の中に響く悲鳴と、そして。
火矢が騎士たちの逃げ場を奪っていました。木々に火は燃え移り、身を隠す場所すらありません。数少なくなってしまった馬は、火に怯えて逃げ出し、無数に飛んでくる火矢は人間にも無情に降り注ぎ。
「逃げろ!」
そう叫んだラースの顔にも、火矢が突き立てられたのでした。
「俺もこの団にいた」
クレイグの声が震えています。悲鳴が飛び交う光景を見つめ、その目には悲痛な色が浮かんでいました。
「本当にこの時の俺はまだ未熟で、逃げることしか頭になくて、この奇襲でばらばらに逃げたんだ。でも、ごらんの通り、敵の数は圧倒的で」
火の粉が舞う戦場。
そこに、敵国の騎士たちが次々に馬に乗って駆け込んできました。虐殺。正に、その言葉が相応しい光景。ラースがまとめていた騎士団の崩壊。
「団長、早く!」
イングラムが馬の手綱を引いてラースの元に走って来ました。ラースは頬に刺さった火矢を引き抜き、血を流しながら現状の把握をしようとしていたのです。その彼の腕を取り、馬の手綱を握らせて、イングラムが叫びます。
「もうこの団は終わりです! 逃げて下さい!」
「お前たちを逃がしてからでないと逃げられん!」
「一人でも国に戻らねばなりません! そして、報告しなくては!」
その必死な声に、ラースが少しだけ動きを止めました。そして、「ならばお前が……」と言いかけ、イングラムの背中に大きな怪我があることに気づくのです。剣による、大きな傷。そこから、とめどもなく血が流れ出していて、そして今、彼が力を失って膝を地面に突いて。
「イングラム!」
ラースがイングラムの腕を取り、立たせようとしました。
でも、もう二度と彼は立つことができなかったのです。