「おーい」
急に、閉められた窓が開いてギルバートが顔を覗かせ、よじ登ってきます。「何か変な気配が……」
と、部屋の中に降り立って続けようとした瞬間、その表情が険しくなりました。
正直なところ、そんなギルバートに声をかける余裕など私にはありませんでした。きっと、他の人間たちもそうだったのだと思います。
部屋の中、空間の裂け目のようなものができたと思った瞬間、そこから山の神殿の神官と思われる人間が三人、姿を現したからです。
三人のうち二人は、私も見たことのある年配の神官と、若い神官でした。
もう一人の神官は、他の二人と同じような高級そうな神官服に身を包んではいましたが、生地の色と質がさらによさそうだと目で見てすぐに解ります。
真っ白な髪の毛は短めで、真面目そうな顔立ちではありましたが気難しげでもありました。笑ったことなどないのではないかと思えるほど、眉間の皺は深く、口角も下がり気味の男性。あまり話しかけやすい雰囲気ではありません。
「……神官長。ご足労を頂き……」
勇者たちと一緒にいた神官が、その場に膝をついて頭を下げましたが、三人は何の反応も返さず、ただ緊張した面持ちで私を見つめました。
「捕まえたのか」
神官長と呼ばれた男性が低く言い、警戒したように目を細めます。
神官長。
魔王様がおっしゃったのは、神殿長、だったでしょうか。
神官長と神殿長は違う? と内心では疑問を抱いていましたが、私はただ首を傾げて微笑みました。
「……勇者たちに説得を受けまして、その……」
さて、何と言い訳をしたらいいのやら。
私は必死に考えます。
魔王様に命令された通り『自然に見えるように捕まってくる』というのは、なかなか難しいと思います。絶対怪しまれるに決まっていると思ったからです。
「説得?」
神官長がちらりと視線をクレイグに投げます。すると、クレイグはその表情を引き締めてその視線を正面から受け止めました。
「こいつを捕まえれば、俺はお役御免ということか?」
クレイグの声は冷ややかです。そして、無表情ではありましたが微かな敵意に似たようなものも感じました。
――それはまずいんじゃないかなあ。
などと、頭の片隅で思ったりもします。何だか喧嘩でも売っているような気配です。
「……後は好きにすればよい」
神官長は短くそう言って、素早く私の方へ向かって手を挙げました。
その途端。
青い光の帯がその手から生まれました。魔法使いのものとは全然違う、奇妙な言語が浮かび上がった帯は、神官特有の力によるものです。
私はつい身構えてしまいましたが、大人しくその帯が自分に巻き付くのを受け入れました。
「シェリル!」
ギルバートの慌てたような声が響きます。瞬時に彼の喉から威嚇音と、そして獣の肉体へと変身するような気配が伝わってきて、私は大声でそれを諫めます。
「大丈夫です! あなたは城に戻ってください!」
「意味解んねえ!」
「いいから!」
私はただ神官たち三人の顔を交互に見やり、それから自分の身体を見下ろしました。光の帯は消えていますが、身体が酷く重く感じられました。そっと服の袖をまくると、見覚えのある赤い痣がびっしりと肌を覆っています。きっと、腕だけではなく、身体中に痣はあるのでしょう。
ユーインと同じように。
私はそっと笑います。
「さて、一緒にきてもらおう」
神官長はそこでやっと安堵したように息を吐き、静かに言いました。
「はい」
自然と私の喉から言葉がこぼれます。
よく解りませんが、彼の言葉には逆らい難い何かがあります。いえ、彼だけではなく――。
「待て」
クレイグが苛立ったように神官長の前に立ちました。その途端、他の二人の神官が神官長を守るかのように前に出てクレイグを鋭く見つめます。
「何も、危害を与えようってわけじゃない」
クレイグはそこで苦笑して見せます。「ただ、魔王はどうするつもりだ? もともと、俺たちの役目は魔王を倒すこと、魔物を倒すことだった。あんたたちから剣に祝福を与えてもらった時、神殿長には『役目をはたせ』と言われた」
「確かにそうだろう」
神官長は二人の神官の肩を軽く叩き、自分の後ろに下がらせながら薄く微笑みます。「だから、お前たちは好きにすればいいとさっきも言った。魔王を倒したいなら」
「あの」
私は思わず口を開きました。その途端、無感動な輝きを放つ神官たちの瞳がこちらに向けられました。
「私がそちらに行けば……その、魔王様を襲わないとおっしゃったはずですが」
「ああ」
神官長がふ、と鼻から空気を吐き出します。それがあまりにも私を馬鹿にしたようなものでしたから、不快感を示さないようにするのに苦労しました。
「それは神殿長がお決めになるだろう」
「あの、それは」
「黙れ」
そこで、私の身体が奇妙に軋んだ音を立てました。ああ、確かに今の私は彼には逆らえない。黙れと言われたらその通りにするしかない。身体がただ重い。
「お前は山の神殿に連れていく。大人しくしているといい」
神官長がそう吐き捨てるかのように言った後、ふとその声音を和らげました。「我々に従えるだろう? 跪いて頭を下げたまえ」
――ムカつく!
私は内心では誰にも聞かせられないような暴言を吐きまくっていましたが、大人しくそれに従いました。いえ、従わせられた、というのが正しい。
彼の目の前に跪いて、ただ深く頭を下げると、満足げな彼の吐息が頭上から聞こえてきて、私はただ唇を噛みしめました。
「シェリル」
ギルバートが茫然としたようにそう言うのが聞こえて、私はそっと首を捻りました。私の場所からでは、彼の足くらいしか見えません。それでも、何とか言葉を口から紡ぎ出しました。
「城に戻って魔王様に報告を」
そう言った瞬間、私は若い神官に頬を殴られました。それほど強い力ではありませんでしたので、ただ顔をしかめただけで済みましたけども。
――やっぱり、ムカつく!
私はもう一度頭を深く下げました。
「……人間ってサイテー」
ギルバートがそう短く不快感を露わにした言葉を吐き捨て、窓から素早く飛び下りる気配を感じます。
「神官長」
若い神官が不安げにそれを見送ったようでしたが、神官長の声はただ穏やかに続きました。
「捨て置け。どうせ何もできん」
神官長はそこで右手を上げ、また空間に歪みのようなものを作ろうとして。
「手柄は独り占めか」
と、そこにコンラッドの楽しげな声が響き渡りました。
私がそっと顔を上げると、コンラッドは壁に寄りかかって腕を組んだまま、どことなく馬鹿にしたような目つきで神官長を見つめています。
「どうせ、俺たちは使い捨てみたいなもんなんだな。どんなに俺たちが魔王や魔物を攻撃し、手柄を立てたとしても評価はされない。俺たちがその銀色の馬鹿を言いくるめてこちらに投降させたとしても、神殿長とやらに褒められるのはそこの神官三人だけ。謝礼も出ない、タダ働きで馬鹿を見るのは下っ端連中ってわけだ。本当、あんたたちっていい御身分だよな」
「コンラッド」
そこで、クレイグたちと一緒にいた神官が慌てたように口を開きました。でも、それをコンラッドは遮って続けます。
「いい加減、あんたも怒ったらどうだ? 神官の下っ端なんて、取り換えの利く消耗品だと自分で思っているんならマゾにも程があんだろう? どんなに自分の役目を真面目に果たしたって、褒められることなんてない。こんな現状に満足か? 飼い犬だって、飼い主の言う通りに芸をすれば褒められるってのに、俺たちは神殿のお偉いさんにとって、飼い犬以下ってことなのかねえ」
「言いすぎだ」
「へーえ」
「よせ、二人とも」
クレイグがそこに割り入って入ります。「いくらなんでも、我々の手柄を自分のものだと嘘をつくことはないだろう。相手は神官長、立場のある人間だ」
そう言いながら、クレイグが神官長たちを意味ありげに見つめました。何とも上手い言い方だと思います。
そしてほんの少しだけこの場に沈黙が続いた後、神官長が無表情のまま口を開きます。
「もちろん、君たちのことは神殿長に報告しよう。一緒にきたまえ」
空間移動の魔法とも違う、神官の力。
それによって、我々はミアス山にある神殿へと入ることになりました。その地に降り立った瞬間から、私の身体からあらゆる魔力が吸い取られるような感覚が生まれます。
――恐ろしい場所ですね。
私は心の中でそう呟きます。
山はとても美しいところでした。天高く伸びた木々は、風はかなり冷たいというのに青々と茂っています。鳥たちの鳴き声も元気よく、太陽の輝きも強い感じがします。
我々の前に現れた神殿は魔王様の城よりも大きなものでした。
白い壁はまるで数日前に建てられたと言っても過言ではないくらい輝いていて、汚れ一つありません。豪奢とは言えませんが、堅牢で確実な造り。
神官長が先に立って、神殿の中へと入っていきます。
巨大な扉が開き、壁も床も天井も真っ白なホールが現れます。何となく、白すぎて居心地が悪い感じがしました。
ホールに入るとすぐ、行き交う神官たちが足をとめてこちらを見詰めてきました。
誰もが穏やかな雰囲気を持っていますが、悪く言えばあまり感情の感じられない表情だったとも言えます。何だか人形のようにすら思える存在、それがミアス山にいる神官たち。
私の両脇には、ミアス山の神官二人がいます。
そして背後からはクレイグたちが続いています。
どうせ逃げられない立場とはいえ、かなり仰々しい雰囲気というか。
私はただ辺りを見回し、何とか注意深く観察しようと心がけていました。
そして感じた違和感。
何となく、狂っている、と感じるのは何故なのか。
何が『狂っている』と思うのか、自分でもよく解りません。神殿はとにかく『綺麗』で『清廉』で、ただ明るい。これが異常だと感じるのは、私が魔物であるからなのかもしれませんが。
でも。
「よくきてくれた」
そう言って微笑んだ神殿長を目の前にした時に、さらに違和感は強くなりました。
大広間には祭壇のようなものがありました。
白い巨大な石でできた祭壇。そこに、人間の頭くらいの大きさの光り輝く宝石のようなものが祀られていました。
凄まじいまでの力を感じました。
それと同時に、これが魔王様がおっしゃっていた『神の石』なのだろうと理解しました。それはそこにあるだけだというのに、空気を震わせるかのような力を放っていて、どうやら神官たちにも力を与えているようです。近づけば近づくほど、周りにいた神官たちの特殊な気配も強くなっていくからです。
そして、祭壇の脇には神殿長が立っています。神殿長は老人とも呼べるほど年老いた人間でした。しかし、背筋は伸びていて気配すら若々しさを感じさせます。誰よりも高価だと思われる神官服の袖から伸びた腕は枯れ木のようでしたし、その顔も皺だらけで頬もこけています。それでも、この場にいる誰よりも強い存在感を持っていました。
「これで何もかも上手くいくだろう」
そう穏やかに微笑んで言った神殿長の横には、銀色の彼女も真っ白な顔色のまま、無表情で宙を見つめていました。しかし、神官長が意味ありげに銀色の彼女を見つめた瞬間、彼女が怯えたように肩を震わせたのも解りました。
怯えたというか――嫌悪だったかもしれません。
「勇者たちの協力の下、男性体を確保できました」
そこでぎこちなく、神官長が神殿長に頭を下げながら口を開きます。
すると、神殿長が酷く愛想のよい笑顔をクレイグたちに向けます。
「君たちの協力に感謝する。何か報酬として欲しいものがあれば、神官長に言いたまえ」
「報酬として……?」
クレイグはそれを聞いて表情を引き締めると、相変わらずだなあ、と思わせる言葉を続けました。「それでは、ここで正しい説明を頂けると嬉しいです、神殿長。我々は何故、シェリル……魔物を捕まえてくる必要があったのでしょうか。確かに強い魔物であるのは間違いありませんが、ただ捕まえてどうなるというのですか? 何のために?」
礼儀正しくその場に立ち、静かにそう問いかけたクレイグに、神殿長は困ったように微笑みかけました。
「それが重要かね?」
「ええ、俺……私にとってはとても重要なことです。何のために魔王討伐に関わったのか、そして今は討伐すら必要ないと思われる状況に置かれているというのは納得できないものですから。ここで納得できる説明が欲しいと考えます」
「なるほど」
神殿長は祭壇のそばから離れ、クレイグの方へと歩み寄ってきます。「真面目な男だとは聞いていたが、納得だ」
クレイグの眉が顰められました。
そして、傍にいたコンラッドもその表情を険しくします。どうも、さすがのコンラッドもこの状況を不可解に感じたのか、怪訝そうな色をその瞳に浮かべていました。
そして、神殿長は穏やかな笑顔のまま、とんでもないことを口にしたのです。
「この魔物たちには子供を作ってもらおうと考えている」
「は?」
「何だそりゃ」
クレイグとコンラッドがそれぞれ素っ頓狂な声を上げましたが、私だって思わず声を上げそうになっていました。
――子供?
私が慌てて銀色の彼女を見つめると、彼女はそこで顔を歪めて私を睨みつけてきました。
「何で捕まったのよ……! バカじゃないの!?」
そう吐き捨てるように呟きながら。
その声はとてもか弱く感じましたし、とても可愛らしいものだとは思いましたが、今はそんなことを考えている状況ではありませんでした。
「こ、子供って……え?」
クレイグが混乱したように頭を掻き、辺りを見回します。「つまり、魔物を増やそうって? え?」
「違う」
神殿長はそんなクレイグの肩を優しく叩き、落ち着かせようとします。「他言は無用だと理解してくれると信じよう。この意味が解るかね、勇者よ」
「え」
「ああ、理解はしますがね」
隣からコンラッドが眉根を寄せながら口を挟んできました。「だから、何で魔物を殺すのではなく繁殖させるのか教えてもえるかって話だ」
「魔法使い、言葉遣いに気を」
急に乱暴になった口調に不快感を表した若い神官が、コンラッドにそう言いかけたのを神殿長は遮り、楽しげに肩を揺らしました。
「ああ、君は確か……とても力のある魔法使いだと聞いている。君の父上は確か」
「そんなのはどうでもいい」
「ふむ」
神殿長はそこで軽く手を挙げると、やれやれといった様子で続けました。「君たちは『尊い犠牲』と言ったら何を想像する?」
「はあ?」
コンラッドが鼻を鳴らします。「神官が好きな言葉、それが『尊い犠牲』だろう。神のために身を捧げるってやつだ」
「その通り。我々の命は神のためにある。そして、人間の繁栄のために力は使われる」
「それで?」
コンラッドは冷ややかに笑います。「別に、あんたたちが神のために命を捧げるっていうなら当たり前すぎてどうでもいい。好きにしろって感じだ。だが、魔物は? 昔から言われてる。魔物ってのは穢れた存在だ。人間に害なす存在だ。だから一掃すべきだと教えられて俺は育った」
「確かにその通りだろう」
「なのに子供を産ませる? 増やす? 馬鹿馬鹿しいことだと誰もが思うことだ」
「だがそれが、神殿のために――ひいては人間のためになると言ったら?」
神殿長がその口元をさらに歪めるようにして笑います。歪んだ笑み。微笑なんて呼べない、嫌悪感しか感じさせない笑み。
「どういうことだ」
そこでクレイグが鋭く声を上げました。
私も質問したかった。
一体、何が目的で、と。
「彼らはとても強い魔力を持った化け物だ」
神殿長はクレイグに視線を向けて続けました。「だからこそ、『尊い犠牲』としては優秀なのだ。特に、魂に穢れのない、幼いうちは」