本日の魔王様 32


「つまり……」
 コンラッドが目を細めて続けました。「生贄、か?」
「尊い犠牲だと言ったはずだ」
「しかし、何に対しての生贄だ?」
 そう問われても神殿長の笑顔は全く崩れません。そして、私に視線を向けて静かに言うのです。
「さて、君はコルネリアと一緒に部屋に入るといい。案内させよう」
 ――部屋に入る。
 私が茫然とその言葉を聞いていると、若い神官が私の腕を掴みました。そして、「コルネリア」と銀色の彼女の方へ声をかけます。
 コルネリアと呼ばれた彼女は、酷く青白い顔色のまま、こちらに近寄ってきました。眉間に皺が寄っていて、その唇は硬く引き結ばれています。不機嫌というか、絶望にも似た色が瞳に浮かんでいるのを見て、私はただ言葉を探しました。
 でも、彼女にかける言葉など一つもありません。
「待て!」
 慌てたようなクレイグの声が背後から飛んできましたが、私たちは若い神官に促されるまま大広間を出て行くことになったのです。

「……子供」
 私は真っ白な廊下を歩きながらぼんやりと呟きます。若い神官も、コルネリアもそれに反応はしませんでした。
 そして、随分と長い廊下を歩き、階段を上がり、また廊下を歩き――。
 とある部屋の前で神官は足をとめました。
 扉は普通の造りだったと思います。整然と並んだ扉の中の一つ。
 神官が扉を開け、我々の背中を押して中へと押しやります。そして、短く言うのです。
「子供を作れ」

 ――嘘でしょう!?

 私が慌てて振り返った瞬間、扉が閉められる音と、一瞬遅れて聞こえてくる施錠の音。
 思わず扉に手をかけましたが、それ以上何もできませんでした。
 手が動かない。そして、魔力を使ってどうにかしようという気力すら出ない。
 全身にあるだろう痣が、奇妙な熱を持って広がってきます。

「本当にバカじゃないの」
 私の背後で、コルネリアが吐き捨てるように言いました。そっと彼女の方を振り向くと、不機嫌そうに、そして今にも泣きだしそうな彼女の視線がぶつかります。
「あの……あなたはいつここに……神殿にやってきたんですか」
 そう問いかけながら、私は自分の身体の中にあるだろう『触手』を頭に思い浮かべました。きっと、願えばあの『触手』は動き出すだろうと解っています。だから、少しだけは冷静を保っていられました。
「神官に捕まって、ずっと一人で?」
「だから何よ」
 コルネリアはそう言ってから踵を返し、部屋の奥の方へと歩いていってしまいます。そして気が付くのは、そこは結構広い部屋だということ。家具らしい家具はなく、それほど大きくはない窓には鉄格子が嵌っています。そして、圧倒的な存在感を放っているベッド。
 いえ、豪華なベッドでも大きなものでもない、本当に何の変哲もないベッドなんですが!
 でも、意識せずにはいられない物体でありました。

「あなたが捕まらなきゃ、まだ希望はあったのに」
 コルネリアはそう俯いて呟いた後、諦めたようにベッドに腰を下ろしました。「でも、もう終わり。で、どうするの?」
「え、何が、ですか」
「わたしから脱ぐ?」
「え」
 私は慌てて首を横に振りました。
 そして、必死に彼女から遠ざかりつつ言いました。結構広い部屋とはいえ、後ずさっていればいつかは背中が壁に当たります。私はそこで足を止めて首を傾げて見せました。
「まず、話をしましょう。なぜ、子供を作らなくてはいけないのか。犠牲って? 生贄とは何ですか?」
「話は単純。わたしたち一族は、同族相手ではないと子供が作れない。だから、同族であればあなただろうと誰だろうとよかったのよ。ただね、わたしは少しだけ期待してた」
「期待?」
「そう。わたし以外は全滅してるんじゃないか、って。そうしたら生きていける可能性はある」
「生きていける……」
 私はそこで眉を顰めました。「つまり、我々は最終的には殺される?」
「それ以外ないでしょ?」
 コルネリアは怒りを露わにして私を睨みつけてきます。「そりゃね、男性なら多少は生きていける可能性はあるわよ。あなたはもしかしたら、生かしておくのかもしれないわよね。次の女性体が見つかるまでの間、ここに監禁されて……」
「あの」
 私は躊躇いつつも軽く手を挙げ、コルネリアに微笑みかけました。「私には全く状況が解りません。最初から説明していただけないでしょうか」

 最初、コルネリアもまじまじと私を見つめ直し、何か考え込んでいるようでした。あったはずの敵意が薄れ、私に対しても興味が出てきたらしい気配が伝わってきます。
 なので、簡単に私は自分の身の上話をしました。
 魔王様の城で暮らすようになったいきさつです。母親が殺されて逃げてきたので、一族についても何も知らないことも。
「なるほどね」
 やがて、彼女は銀色の髪の毛を乱暴に掻き上げつつ、小さく笑いました。「何も知らないってのは幸せなのかもね」
「幸せ?」
「つまり、わたしたちの生殖について、あなたは何も知らないってことよね。あなたのお母さんが亡くなったことには同情するわ。でもね、子供を産んだ女性体って弱いのよ。とても魔物なんて呼べないほど、ものすごく弱いの。だから簡単に殺されてしまう」
「それは何故です?」
 そこでコルネリアは肩をすくめて見せました。
「妊娠すると、全ての魔力が子供に受け継がれるから。子供は強大な魔力を持って生まれてくる。それが男性体なら、ずっと死ぬまで魔力を持っていられる。でも女性体なら、子供を産むまでしか続かない。だから、女性体は簡単に殺される。魔力を持たない魔物なんて、人間とほとんど変わらない。戦いにも向かず、足手まといにしかならない」
「そんなのは……」
 でも、そう言われてみれば、と思うことがあります。
 母が殺された時の光景。私が必死に母を庇おうとした時。母は必死に私に逃げろと叫びました。人間たちに取り囲まれてもまともに反撃することもできず、母は死んで。
 あれは、戦うだけの力がなかったからだ。
 魔力らしい魔力を持っていなかったからだ。
 だからあんなに呆気なく殺された。

 考えてみれば、我々種族をどこかで見かけることがほとんどない。
 森で――魔王様の城にいるのも、私だけ。ユーインが死んでからというもの、今までずっと同族を見かけたことがありません。
 それは、簡単に女性が殺されるからなのだとしたら?
 子孫を作るのが難しくなった。当然ながら男性体だけでは種族を増やしていくことはできない。必然的に減っていくしかない。そういうことなのでしょうか。

「しかも、女性体は子供を一人しか産めない。いえ、産めるかもしれないけど、一人目の子供を産めば全ての魔力をそこで取られてしまう。だから、わたしが子供を一人産んだら……終わりってわけ。神官に取って、価値はなくなる」
 その声はとても冷ややかで、自嘲的にも思えました。
 コルネリアはやがてその瞳に完全な諦めの感情を浮かべ、薄く微笑むのです。
「でも、こんなところでずっと閉じ込められているよりも、死んだ方がましなのかもね。ずっと逃げたいと思ってたけど……無理なのよ、きっと」
「諦めないでください」
 私は肩を落とした彼女に慌てて言いました。「ずっと諦めていなかったんでしょう? だからクレイグ――勇者やラースにも助けを求めた。そうなのでしょう?」
「勇者ね」
 コルネリアは鼻で嗤います。「可能性があるなら……とは思ったけど、正直なところ、人間には何も期待してないわ。ただ、同じ魔物なら理解してくれるとは思ったけど。逃げるためだったら誰でもいい、利用しようと思った。でも、全然成功しないまま、あなたが捕まった。これが最悪な事態じゃないとどうして言える?」
「まだ希望はありますよ」

 私の身体の中にあるモノが唯一の可能性ですけども。
 でも、ラースがあなたのことを気に留めている。ならば、何とかして守ってあげなくてはいけないと思います。
 以前の二の舞だけは避けなくてはいけない。
 ラースの好きな女性。好きになるかもしれない女性ですから。
 守らなきゃ絶対に後悔する。

「あの、生贄という話でしたが」
 私はそこでさらに質問を続けました。
 魔力を持った存在を生贄にして、どうしようという考えなのか。
「神の石よ」
 コルネリアは苦々しく笑いました。「見たでしょ、あの祭壇にある石。凄い力を放ってた」
「ああ、そうですね」
 身体に震えがくるほどの力があの石にはありました。私は神という存在を目にしたことはありません。神官ですら目にしたことはないのだろうと思っていましたが、あれを見てしまうとその考えは揺らぎます。
 ミアス山がこれほどまでに力を持っているのは、あの石があるからなのだと理解できるのです。そしてその石は、いつからここにあるのか。もしかしたら神官たちが、神から受け取ったものなのだろうか。本当に神はいるんだろうか。
「あれはね、神官たちが作った石なんだっていうの」
 コルネリアはベッドの上で足を組み、その膝の上で頬杖をつきながら言いました。「長い年月をかけて、たくさんの生贄――尊い犠牲を糧として、あれだけの力を得るようになった」
「つまり……魔物たち、が?」
「いいえ、違うわ。犠牲となったのは神官たちだったみたい。ねえ、あなたには解る? この神殿の建物にも凄い力がこもってるの」
「建物……」
 私はそっと辺りを見回しました。真っ白な壁。染みどころか微かな汚れすらもない綺麗な壁。そして、奇妙なまでの圧迫感。
「この神殿が造られた時、たくさんの神官たちが人柱になったんだって」
「人柱?」
 私は思わずコルネリアの方を振り向きました。
 すると、彼女は呆れたように肩をすくめて続けました。
「何人どころじゃない、何十人の神官の命をこの神殿の土台に飲み込ませて、強固な建物を造ったんだって。バカバカしいと思わない? いくら神官たちの本拠地と言うべき建物だって、壊れたら直せばいいじゃない? でも、そうしなかった。何故だと思う?」
「……それは」
 私は少しだけ考え込みました。でも、上手く考えがまとまりません。
「力を誇示するためよ」
 彼女は低く笑いました。「王族だってそんなバカバカしいことはしない。こんなことをするのは神官……それも、神殿長だけ。強固な造りの神殿、強大な力を持つ『神の石』、全て自分の力を誇示するためだけに人間の命を犠牲にしてきたの」

「人間の命。でも今は」
 私は思わず小さく唸りました。
 今、犠牲にしようとしているのは、魔物の命。

「そうね」
 コルネリアはそこでベッドに倒れこんで笑いました。「一部の神官たちがね、人道的に許されないことだって言い始めたみたいよ。そりゃそうよね、いつか自分の命も犠牲になってしまうかもしれないんだもの。誰だって死にたくないはずだわ」
「だから、魔物を使おうと考えたということですね? 『神の石』とやらのあの力に見合うべく、穢れがほとんどない子供のうちに、魔力の強い存在を捕まえようと?」
「そーゆーこと」
 そこでコルネリアは目を閉じて笑みを消しました。「尊い犠牲から『神の石』に注がれる魔力にはいつしか限界がくる。今の『神の石』の力は、とても弱まってるっていうのよ」
「あれでですか?」
 私は思わず大きな声を上げてしまいました。
 だって、先ほど感じた石の力は、あまりにも鮮烈でした。今の私の肉体も、あの痣だけの力ではこれほどまでに倦怠感を覚えるはずがないと思うくらいです。
 あれで力が弱まっている?
 もし、さらにあれに力が注ぎ込まれたらどうなる?
 神官の持つ力というのは、どこまで強くなると言うんでしょう?

 コルネリアの声が部屋の中に響きます。
「もしわたしたちに子供が生まれて、もし、その命が犠牲になったら。今までよりもずっと『神の石』が力を持ったら。魔物なんて神官に取って、赤ちゃんのようなものかもね。簡単に潰せる虫みたいなもの?」
「そうかもしれませんね」
 私は眉を顰めて呟きました。

 神官が力を持ちすぎている。
 魔王様が懸念していたこと。力のバランスが崩れるということ。
 やがて、人間世界のの頂点に立つだけではなく、魔物すらも従えるくらいの力を持つのかもしれません。
 でもそれは――正しい姿だとは思えません。

「やだなあ、まだ死にたくない。何も楽しいことなんてなかったのに。ずっと、人間から逃げるだけの生活で。でも、結局捕まって」
「大丈夫ですよ」
 苦しげに呟いた彼女の声を聞いて、私はほんの少しだけ彼女の方へ歩み寄り、小さく言いました。「ただ無計画に捕まったわけじゃありませんから」

 その途端、目を閉じていた彼女が驚いたように目を見開いて私を見つめます。
 それと同時に、部屋のドアの向こう側が騒がしくなりました。誰かが乱暴に叩いているような気配。ただ、その音は奇妙に小さく聞こえました。
「……神官じゃなさそう」
 コルネリアはベッドから起き直ると、困惑したようにドアを見つめます。
 そして、耳障りな金属音が響いてドアが開けられました。
「おい、大丈夫か」
 そう言ってそこにいたのは、酷く不機嫌そうな表情をしたクレイグでした。剣を右手にぶら下げていましたが、慌ててそれを鞘に収めます。その彼の背後には、廊下の様子を気にしながら立っているコンラッドの姿もありました。
「あの、どうしてここに?」
 私がクレイグのそばに歩み寄って問いかけると、彼は口早に続けます。
「立ち話している暇はない。どうもこんなのは好きじゃない。とにかく、一度逃げよう」
「しかし」
 私がそう言いかけた瞬間、コルネリアが小さな苦笑を漏らしたのが解りました。
「無理でしょ。ここは神殿だもの。神殿の外なら逃げ出す可能性はあったけど、もうわたしも……彼も、ここからは逃げ出せないようになってる」
 私が彼女の方に目をやると、コルネリアは長い袖をまくり上げて肌の上にびっしりと覆い尽している赤い痣を見せてきました。
 私は一瞬だけ悩みました。
 今、逃げ出せるでしょうか。いえ、もちろん逃げ出すことは可能でしょう。
 確かに情報は得ましたけれども、これだけで魔王様は満足してくださるのか、それが不安でした。神の石についての情報。もし、他にもあるなら……。
「あなたの立場が悪くなります。ここから離れた方がいいと思います」
 私はすぐにクレイグにそう言ってから、コンラッドに視線を移しました。「先に逃げてください。こちらは大丈夫ですから」
「心配はしてねえよ」
 コンラッドはそう短く吐き捨てるように言いましたが、すぐに舌打ちして続けました。「面倒だからこいつも置いて帰りたいくらいだ」
 その視線はクレイグに向けられて。

「やっぱり、置いていくのは厭だ」
 クレイグはまっすぐに私を見つめていました。
 どうも、思いつめたような輝きがその瞳にあるのが不思議でした。
 『面倒だから』とコンラッドが言った意味が解ったような気もします。クレイグは一度思い込んだら融通が利かない人間なのです。
「無駄に責任感がありますよね」
 私が苦笑を漏らすと、彼は少しだけ怒ったように私の腕を掴んで引き寄せました。
「責任感じゃない。お前が好きなんだと言ったろう」
 そう私の耳元で囁いた彼は、私の腕を掴んだまま無理やり廊下へと引きずっていきます。コルネリアをその部屋に残したままで。
「待ってください!」
 私は慌てて彼の腕を引っ張りました。「私は彼女を守らないと……」
 と、言いかけて。

 ――好きなんだと言った。

「……あれ?」
 私はクレイグの背中をまじまじと見つめました。「あれは……本気だったんですか」
 確かに以前、そう言われましたけども。あれは単なる優しさからくる言葉では?
「何故嘘をつく必要がある!」
 クレイグが振り向いて噛みつくような勢いで言いました。そして、コンラッドが呆れたように少し離れた場所で呟きました。
「馬鹿だからな、そいつ」
「うるさい」
 そう言ってクレイグがコンラッドを睨んだその時、コンラッドの肩が緊張に震えました。
「来たぞ、あのジジイだ」
 そこで、コンラッドの視線が廊下の先に向けられているのに気づきました。クレイグもコンラッドの視線を追って目が動きます。
 廊下の先に神官たちの姿がありました。
 廊下の中央に立つ神殿長の両脇には、かなり力を持っていそうな年配の神官たちが控えています。そして、それよりずっと後ろの方に、いつもクレイグたちと一緒にいた神官も困ったように眉を顰めながら立ち尽くしていました。
「勇者よ」
 神殿長はとても穏やかに口を開きました。「お前が下げている剣は、我々神官の祝福がされている。この理由が解るかね?」
 クレイグは緊張したように剣の柄に手を伸ばしていましたが、そう聞いて手を引きました。
「解っている。この剣は魔物を倒すためだけのものだ」
「そう。神官には逆らえない。その理由をよく考え、このまま神殿から出ていきたまえ」
 柔和ともいえる神殿長の笑顔。
 しかし、クレイグの気配はどんどん敵意が増していきます。
 あああ、もう!
 私はその場に座り込んで頭を抱え込みたくなる衝動を押さえつつ、自分の体内の中にあるであろう魔王様の触手に意識を伸ばしました。そして、その『力』に触れたのです。


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