触れた、と思った瞬間でした。
私の身体の中で、何かが弾けました。小さな種のようなもの。それが、一気に芽吹いて枝を伸ばしていくような感覚。
やがて、それは強大な魔力の放出となり、私は思わず悲鳴を上げました。
魔王様は「痛いぞ」とおっしゃったと思います。術を破るときはもっと痛い、とも。
確かにその通りでした。
私はその場に膝をついて、自分でも抑制の利かない声を上げながら床を見下ろしていました。美しい真っ白の床。そこに、私の額から、首から、全身のいたるところから噴き出した汗が落ちていきました。滅多に汗なんてかかないのに。
床についた両腕が痙攣しています。こらえきれず床に爪を立て、その爪がはがれようとする感覚の方が痛く感じない。身体の奥から突き上げてくる激痛の方が、あまりにも強すぎて。
みしみしと軋みながら、肌が細かく裂けていく気がしました。
そして、肌の上にあった赤い痣が悲鳴を上げた――その時、私の背中が内側から『爆ぜ』ました。
誰かが何か言っていたような気がします。いえ、叫んでいたのかもしれません。
ただ、私は何も解りませんでした。声が聞こえていても、激痛に意識が取られていて他のことまで解らない。
でも、気づけば床は銀色の血が飛び散っていて、腕から伝い落ちていく血はさらに増えて。
「……何を連れ込んだというのだ」
やっとそこで、神殿長の声が私の耳の中に伝わってきました。
私が顔を上げると、神殿長は先ほどまでは確かにあったはずの笑顔を消し、驚いたように目を見開いていました。
「お前、この神殿に何を連れてきた?」
さらに神殿長が茫然と呟いた後、その目を私に向けました。
私は荒い呼吸を繰り返しつつも、ゆっくりと収まっていく痛みを感じて微笑みました。
「ええと、触手としか言いようがありませんが」
私はそう言いながら、どうやら私の背中を割って出てきたらしいピンク色の肉の塊に目をやりました。
銀色の血はいつの間にかその粘液に流し落とされたのか、以前見た時のような透明な粘液をその身にまとわりつかせ、床を蛇のように這い回り、這い回った痕跡を白い床に残していきました。
その触手の動きを茫然と見ていた神官たちでしたが、やがて我に返ったのか、若い神官はこの場から逃げ出したそうにじりじりと後ずさっていきます。
さすがに年配の神官、神殿長は逃げようとはしませんでしたが、明らかに嫌悪の眼差しでそれを睨みつけています。
その間に、私は自分の腕をもう一度見下ろしてからゆっくりと立ち上がります。
いつしか血は止まっていて、痛みなど身体のどこにも感じられませんでした。しかし当然ながら服は銀色の血で染まっていましたから、見た目だけは重症に見えたでしょう。
だから、わざと苦しげに息を吐きつつ立ち上がり、さりげなくコルネリアの方へ歩み寄りました。困惑したように床の上で蠢く触手を見つめていた彼女でしたが、私の動きに気づいたのか、そっと私のそばに身を寄せてきました。
そして、彼女は不審そうに私の腕を取り、服の袖をまくり上げてきて、私の腕のどこにも赤い痣がないことに気づいて目を瞠りました。
今なら逃げられるかもしれない。
私はそう考え、そっと彼女の腕を掴み返します。
それから、クレイグたちに視線を投げました。クレイグやコンラッドも私の視線に気づいたのか、素早く身体を緊張させたような動きをした後で、さりげなく後ずさります。廊下から逃げ、どこか逃走ルートはないかと探しながら。
その時でした。
「ふははははは、話は全て聞いた!」
と、魔王様の声が遠くから聞こえてきました。
何でしょうか、この脱力感。聞いた瞬間に肩から力が抜けてしまうのは、安心感にも似ていますが、少し違うような気もしました。
神官の一人が、廊下にある窓を開けて外を見やります。
窓が開いた瞬間に伝わってくる魔力の流れ。
間違いなく、魔王様の気配でした。
私はコルネリアを自分の背中に庇いつつ、自分も廊下の窓から外を見られないかと動こうとした時、すぐ近くでクレイグの驚いたような声が響いて足をとめます。
「最悪だ!」
クレイグが剣を抜いてそう叫んでいるのが解ります。
そして、いつしか床を這い回っていた触手が彼の足首にまとわりついているのも気づかされました。その触手の動きは――。
やっぱり、魔王様って変態なんでしょうね。
私は思わずクレイグから目をそらしてため息をつきました。
「ふはははは、ここに勇者がいるなら楽しみが増えたというものだ!」
気づけば魔王様が廊下の真ん中に姿を現していました。
私たち――私、クレイグ、コンラッド、コルネリアに背を向けて、神殿長を含む神官たちに胸を張ってこう叫びます。
「衆人環視の中、触手に犯されて達きまくる姿を見せつけてやろうではないか!」
「何の話だー!」
クレイグが足首から巻き付いてそのまま膝元へと這い上がってきた触手を剣で切り裂こうとしつつ、必死に叫んでいます。
「……やっぱり俺は手を引く」
コンラッドがドン引きしたようにクレイグを見やり、触手を何とか振りほどこうと足掻いている彼の肩を軽く叩くと、そのまま廊下の神官たちの姿がない方向へと足を向けました。その背中を見たクレイグは、必死の形相で続けます。
「助けろ!」
「もう充分すぎるくらい助けた」
「ここで見捨てる気か!」
「頑張れ」
コンラッドの口調は淡々としていて、諦めにも似た感情が滲んでいるように思えました。
そんな彼らを見つめていると、いつの間にか魔王様の周りにも変化が現れたのです。
魔王様のそばに、いつの間にかラースの姿もありました。
それだけじゃありません。どうも窓の下も騒々しいことにも気づきます。私は素早く窓の近くに寄ると、外を見下ろしました。神殿の建物の輝く壁の下に、獣人たちや異形の魔物たちの姿を見ることができます。
神殿の中にいたであろう神官たちが、魔物たちが現れたことに気づいて次々とその庭へと姿を見せていました。ただ、神殿の持つ特別な力――神の力ともいうべきものが、魔物たちの魔力を少なからず奪っていることは私にも見て取れました。魔物たちにとってはかなり不利な状況です。
「しかし、面白いことを考えるのだな」
そこで、魔王様の声が少しだけ低くなりました。
先ほどまでの楽しげな様子が消えて、不思議そうに神殿長を見つめながら続けます。
「さすがの私でも、それは考えてもみなかったことだ。生贄……あまりそそられない響きだな」
魔王様はふ、と鼻から息を吐き出します。たったそれだけの小さな仕草で、明確なまでの蔑みが相手に伝わったようです。神殿長が鼻白んだように目を細め、その双眸に軽蔑といった色を浮かべました。
「愚かな魔物の王は、頭の中はからっぽということだろうな。我々神官は、人間の未来のためにその命を」
「全く興味がないことを話されてもつまらん」
魔王様はそこで軽く腕を挙げ、神殿長の言葉を遮ります。「お前たち人間の興味は、いかに『力』を得ることができるか、ということだったか。人間の頂点に立ち、力を示していい気分になることを望んでいた。全く面白くない。あまりにも矮小すぎる」
「矮小だと?」
神殿長が一歩魔王様に近づいて、一見すると柔和そうに見えるであろう微笑を作りましたが、その声だけは強張っていました。「矮小な生き物はお前たちだ、魔物の王よ。お前たちの存在は、この世界には不要なのだ。それなのに生かしておいてもらえる――生かしておいて『いただける』という立場に感謝するべきだ」
「ほほう、馬鹿馬鹿しい」
魔王様の声には揶揄うようなものが含まれていました。「生かしておく、という割には、お前たちは我々を狩ろうとする。矛盾していると気づかんものか。ああ、気づかないほど愚かなのか。人間とはそういう生き物なのか?」
「お前たちがこの世界に存在しているのは『神のご厚意』のおかげだ。だが、我々人間は神ほど優しくはない」
「なるほどな」
魔王様はそこで声を張り上げて笑いました。「お前たちの神とやらは随分と都合のいい役目をはたしているというわけだ!」
気づけば、辺りには次々と神殿の中にいたであろう神官たちが集まってきています。それぞれ、我々を遠巻きに見つめながら、困惑や不安といった様子で。
「お前たちの神は要求するわけだな! 生贄をよこせ、力を与えてやろう、と! そんなもの、我々魔物のやり方だと思っていたぞ!」
魔王様は笑い声を堪えようとして、その肩を震わせています。そして、ゆっくりとその場を歩き回りつつ、感心したように続けました。
「確かに、この神殿には恐ろしいまでの力がある。それは、お前たちが今まで犠牲にしてきた――殺してきた神官たちの死体がこの土地に埋まっているからだろう? 素晴らしいな、命乞いはしなかったのか? 神官とやらはそこまで従順に殺されていったというのか?」
「殺したわけではない」
神殿長が低く唸るように言うのを遮り、魔王様はさらに楽しげに目を細めました。
「本当に可哀想にな! この世界には楽しいことがたくさんあるというのに、神官というものはその楽しみを知らずに死んでいくというわけだ! 『尊い犠牲』だか何だか知らんが、そんなものよりももっと楽しいことがある! そうか、全員童貞だったか、後ろの穴は処女だったか!」
――。
私はつい額に手を置いてため息をこぼしました。
「セックスは素晴らしいものだぞ、神官よ! 男とはいえ、慣らしてやれば後ろの穴をいじられただけでいけるようになる! 感度がよくなれば、乳首(すみません、そろそろ私の耳が聞くことを拒否し始めました)」
私がそっと顔を上げてその場にいる人間たちの顔を見回すと、誰もが途方に暮れたような表情で魔王様を見つめていました。鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのはそういうものなのかもしれません。
魔王様はただ熱のこもった口調で、いかに性行為が素晴らしいか、それを知らずに死んでいくことがどんなに憐れなのかを熱弁し続けていましたが、私はとりあえずコルネリアの手を握り、彼女に聞こえるように囁きました。
「人間のいない場所に逃げましょう」
「でも」
コルネリアはそこで我に返ったように私を見上げ、今にも泣きそうな眼差しを向けてきます。「逃げるなって言われてる。逃げようとすると身体が動かないの」
そこで、ラースがこちらに近づいてくる気配を感じます。
神官たちは魔王様の話に気を取られているのか、誰も動こうとはしません。ただ、窓の外では厭な気配が広がっているのだけは解りました。
私はラースの方を見ないまま言いました。
「大丈夫、彼が助けますから。何とかなりますよ」
そう言いながら笑う。
笑うという行為が難しいと気づかされます。
私はそこでラースに目をやって、眉を顰めてこちらを見詰めている彼に言いました。
「彼女をお願いします。私は外を見てきますので」
「シェリル」
ラースの表情が少しだけ困惑したように見えました。
彼は辺りの様子も気になっているようで、魔王様や神官たちを盗み見てから、もう一度コルネリアに目をやります。
コルネリアは不安げに私を見つめた後、少しだけ期待するかのような目をラースに向けて。
ラースならきっと、守ってくれる。
きっと。
胸が苦しいのは気のせいです。
だから、私は急いで窓に近寄ってそのまま一気に地面へと飛び下りました。考えてはいけないこと、それを振り切らなくてはいけません。だから、意識を別の方向に向けるべきでした。
神殿の庭は騒然としていました。
魔王様たちのいる場所では、戦いなど始まってはいませんでしたが、こちらは違うようです。庭には魔物たちの姿であふれかえっていましたし、神官たちがそんな魔物たちを制圧するために『神の力』を使っています。神の言語なのかどうかは解りませんが、奇妙な文字の浮かんだ帯のようなものが飛び交う中、私は素早く辺りを観察しました。
目立っているのはシーザーの巨体。
シーザーは獣人たちのリーダー的存在です。巨大な体躯はその見かけによらずに軽々と移動し、神官たちの力を避けていきます。そして、着実な動きで神官の身体を前足でなぎ倒し、戦意喪失させていくのです。
もともと、神官の力というのは保護的なものが多いのでしょう。
こういった戦闘においては、勇者や魔法使いといった攻撃を得意とする人間に比べれば劣ります。運がよかったのは、神官長といった『魔物封じ』の力を使える神官の姿がそこには見当たらなかったこと。
神殿の持つ力で魔物の力が弱体化されているとはいえ、何とか互角には戦えているようです。ただ、これがいつまで続くかは解りませんでした。何しろ、神殿の階上にはこの場に集まっている神官たちよりもずっと強い力を持つ神官たちが控えているはずなのですから。
「シェリル!」
気づけば、いつの間にかグラントが私のそばに駆け寄ってきていました。
私は慌てて彼の腕を掴んで叫びました。
「どうしてここに!? 魔王様の城に戻ってください!」
「やだよ!」
小さな少年は必死の形相で叫びました。「皆が危ない目に遭ってるのに、隠れてるなんてできないよ!」
「でも!」
そう言い合っている間にも、神官の放つ帯が飛んできます。
私は少年の身体を抱きかかえるようにして、それを避けました。少年の身体が私の腕の中でぐぐぐ、と大きくなります。口が裂け、全身に硬い体毛が生えていく。小さな獣は私を守るようにして前に立ち、神官に対して威嚇の音を喉から上げます。
何だか泣きたくなりました。
違う、これは違う。
私が守らなくてはいけないのに。
「シェリル、上はどうした」
シーザーが私たちの姿に気づいたのか、素早い動きで私たちの前にやってくると、喉の中からくぐもったような声を上げます。
「魔王様とラースが」
と言いかけた瞬間、神殿の巨大な扉からコンラッドが姿を見せたのが視界の隅に映ります。人間だと気づいた獣人の一人が、コンラッドを襲おうと動いた瞬間、別の獣人がその間に割って入りました。
「こいつは俺の! 手ぇ出すなよ!」
割って入ったのはギルバートで、無表情でその場に立ちつくすコンラッドの前で慌てたように叫んでいます。すると、それを聞いた獣人は攻撃の手をとめて別のところに移動します。
「礼は言わん」
コンラッドは何の感情も表さない口調で、目の前にいる獣人――人間体ではないギルバートを見上げていました。ギルバートはそれを聞いて笑いながら身体を揺すりました。
「そんなんお前に期待してねーもん。早く逃げろよ」
ギルバートはそう言うと、すぐに地面を蹴って獣人の仲間たちの方へと駆けていきました。
混戦。
そういうのが似合いすぎるほど、この場の空気も何もかも、乱れています。
神官たちの必死の叫び声と、獣人たちの唸り声。
「俺は上に行く。ここは他の奴らに任せる」
そのシーザーの声に我に返り、私は唇を引き結びました。
私も戻った方がいいのでしょう。魔王様を守るのが私の使命なのですから。
そう言えば、クレイグはどうしただろう、と神殿の壁を見上げます。
すると、私の横で凄まじい土埃が舞い上がったかと思えば、シーザーの巨体が宙を舞って遥か頭上の窓の中へと吸い込まれていくのが見えました。
――ああ、もう。
私は厭な音を立てる自分の心臓を感じつつ、その後を追って地面を蹴って。
私の肩に、グラントが手をかけて一緒についてくるのを苦々しく感じていました。
「お願いだから戻ってください」
窓の中に飛び込んだ瞬間に、私は小さな獣人にそうきつく言いました。でも、グラントは絶対にそれを受け入れようとはしませんでした。私の前に立って、辺りを警戒したように見回して、少しだけその耳を怯えたように伏せてもなお、絶対に逃げようとはしないのです。
「コルネリア、こちらへ」
その時、神殿長がそう静かに言うのが聞こえました。
一瞬だけ、辺りが静かになりました。
魔王様は神殿長を見つめたまま、薄く笑っていて。
神殿長の表情は明らかに不愉快そのもので。
一体、あの後の短い時間の中で、どんな会話がなされたのかは解りませんが、神殿長が魔王様の言葉を不快に感じたのであろうことは想像に難くはありません。
神殿長の周りには、たくさんの神官がいます。誰もが魔王様を警戒し、身体を強張らせたまま動こうとはしませんでした。それでも、この場に新しく現れた魔物――シーザーの姿に危機感を覚えたのか、じりじりと後ずさっている者もいるようです。
そして、クレイグは随分と遠く離れた場所に立っていました。どうやら魔王様の触手から逃げることができたのか、疲れ切った表情ではありましたけれども冷静さを取り戻した様子でこの場の成り行きを見守っていたようです。
そんな中、コルネリアは廊下の隅にいました。ラースに庇われるように、身体を小さくして立っていましたが、神殿長のその言葉を聞くと唇を噛んでラースの前に歩み出ました。
その腕をラースが掴んで引き戻します。
その瞬間、神殿長がさらに言いました。
「殺しなさい」
「魔物は魔物と一緒にいるのが似合うんだが」
ふ、とラースが苦笑を漏らしたのが解りました。
コルネリアがラースの腕を振り払いましたが、その表情は何とも複雑でした。泣きそうでもあり、笑顔でもあり、諦めや悲しさや憎悪にも似たような色が瞳に浮かんで。
その細い腕、白い指。それがゆっくりと変形し、鋭い爪が伸びます。同族ですから、攻撃の手段は解ります。その爪で引き裂くか、それとも敵の精気を奪うか。
でも、ラースは酷く簡単に自分の右腕に魔力を集めたかと思うと、その魔力をコルネリアに向かって放出しました。巨大な火の玉のようにも見えた魔力の塊が、それを避けようともしないコルネリアに直撃し、その小さな身体が吹き飛ばされました。
廊下なんてところは、そんなに広い場所ではありません。
コルネリアの身体が廊下の壁に叩きつけられ、そのまま床へと倒れこみます。苦痛の声を上げたコルネリアでしたが、その口元は間違いなく笑みの形をしたままでした。
「もう、わたしは死んでもいいよ」
彼女は小さく囁いて。
そっと顔を上げ、ラースを見つめたその目には絶望がありました。
「厭なやり方だな」
ラースはそう言って笑った後、彼女に歩み寄るとゆっくりと起き上がろうとしている彼女の首の後ろに手をかけて、また魔力の塊を作ろうとしました。
「コルネリア!」
神殿長の鋭い声。
この声を聞いた瞬間、ラースの手を振り払おうと動く、コルネリアのぎこちない腕。
火花のように散った、ラースの魔力。
何もかもが同時に起ころうとしていました。
「女を殺させるな!」
神殿長の声が悲鳴のように響き渡った瞬間、一気にその場が騒然として。
何十人もいた神官たちが同時に行動を開始させます。
ラースの魔力はコルネリアの首の辺りで弾け、彼女は凄まじい悲鳴を上げてその場にもう一度倒れこみました。でも、意識を失っただけで死んではいないようでした。微かに動く胸の動きが穏やかであることも見て取れました。
「意識を失ってないと運べないだろう」
ラースがそう言いながら彼女の身体を抱き上げようとした瞬間、神官たちが放った力が彼の方へと向かうのが見えました。
「ラース!」
思わず私は声を上げました。
でも、彼は悠然と神官たちの力を避け、魔王様の近くに彼女を肩に担いだまま近寄っていきます。
でも。
神殿長がその手を挙げて『神の力』を借りるのが見えた瞬間、私の身体は本能的に動いていました。
一直線に飛んでいく神殿長の力。
それがラースの方向へ。
一瞬だけ、彼の肩に担ぎ上げられていたコルネリアの身体が跳ね上がって。
ラースが素早く彼女の身体を担ぎ直そうとしながら『神の力』を避けて。
さらに別の神官がラースを攻撃するために『神の力』を。
考えるよりも早く、私は地面を蹴ってラースと『神の力』の間に割り入って、悲鳴を上げました。
目の前に吹き上がった銀色の血を見て、顔にかかったその飛沫の温かさを感じながら。
床に落ちた――自分の千切れた腕を見下ろしながら、「シェリル!」と叫んだグラントの悲鳴じみた声を聞いていました。