本日の魔王様 6


「……ふ、はははは」
 魔王様が眠りながら笑っております。
 本当に器用な方です。
 魔王様は今、ご自分の椅子にもたれかかるようにして眠っておられるのですが、その傍らに立つ夢魔がその肩に触れると、どうやら怪しげな夢を見始めたようで、その口元が嬉しそうに歪みます。そして、起きているときと同じように声を上げて笑い始めた彼を見て、私の横にいたグラントが首を傾げました。
「魔王様は何で笑ってるの?」
「さあ、どうしてでしょうね」
 私はそう答えましたが、何となくその理由は予想がつきました。
 勇者の元から帰ってきた夢魔が、その足で魔王様のところにやってきたのです。例のあの件に関する報告に間違いないでしょう。
 夢魔は相変わらずうんざりとしたように遠い目をしながら、魔王様のところに立っています。しかし、魔王様が目を覚ました瞬間に、その口元には朗らかな笑みが浮かびました。
「いかがでしょうか、魔王様」
 そう言った彼の口調も、何と爽やかなことか! 輝くような笑顔を見せた夢魔を、魔王様は満足げに見つめ、「よくやった」と褒めました。
 どうやら魔王様が今、夢魔の手によって見せられた光景は、『あの』光景だったようで。
 魔王様はまた怪しげな笑みを浮かべながら、両腕を開くようにして言いました。
「たとえ夢でも素晴らしい。あの、流れるような筋肉と流れる汗、私の手のひらの中で震え(すみません、ここからは子供には過激な内容なので省略させてください)」
 私はグラントの両耳を手で塞ぎながら、とりあえず微笑んでみました。現実逃避って素晴らしいですね。
「シェリルシェリル」
 グラントがやがて首を軽く振りながら私の手を振り払い、その丸い目をこちらに向けて言いました。「僕、頼みがあるんだけど」
「何でしょうか?」
 私が彼を見下ろしてそう訊くと、グラントはにこりと笑って続けます。
「僕、強くなりたいんだよね。身体を鍛えたいんだけど、どうすればいいかな?」
「強く……」
「うん、戦い方とか、色々教えてもらいたいんだけど……」
 正直、私はそう言われて困ってしまいました。私とグラントでは、戦うにしてもその方法があまりにも違います。私にはグラントが求めているようなことを教えられるだけの能力がありません。
 私はしばらく考え込んだ後、そうだ、と手を叩きました。
「それには適役がいますよ。頼んでみましょう」
 同族には同族。
 私はそう考えました。
 獣人であるグラントに戦い方を教えるのだとしたら、同じ獣人であるほうが好ましい。必要なことを全てグラントに教えてくれるはずです。
 だから、私はグラントを連れて魔王様の城の裏庭へと向かいました。広い庭です。木々が鬱蒼と茂るその庭は、裏庭と呼ぶよりは森と呼んだほうがふさわしいかもしれません。
 昼間でも薄暗く、魔物たちの姿がたくさん見られる場所。しかし、魔王様のお膝元ということもあって、皆のんびりとした様子です。好き勝手に寝ころんだり、仲間たちと話をしていたり、食事をしていたり、それは平和な光景なのでしょう。
 そんな彼らの中に、私の探している相手がおりました。
 とても巨大な肉体を持った、獣人の男性です。彼はどんなときでも毛むくじゃらの姿で、好き勝手に毎日を過ごしています。
 しかし、その巨大で強靱な身体は他の獣人たちよりもずっと存在感があり、誰からも一目置かれています。
 彼は一際大きな樹の幹に寄りかかるようにして、目を閉じていました。どうやら昼寝中のようでした。
「シーザー」
 私は躊躇いながらも彼の名前を呼びました。すると、彼はすぐに目を開いて私を見つめます。私はその場に立っていましたが、座っている彼と同じ目線です。どれだけ彼の身体が大きいのか、それでよく解るというものです。
「……よう」
 どこか、寝ぼけたような口調で、彼は返事を返してきました。そして、のんびりとその視線を私の横にいたグラントに移します。
「いつ生んだ?」
「誰がですか?」
 私が真顔でそう返すと、シーザーはぼりぼりと頭を掻きながら笑います。
「言い直そう。どこから拾ってきた?」
「森の中です」
 私が何て言ったらいいのかと悩みながらそう応えたとき、グラントが緊張したように口を開きました。
「あああ、あの、こんにちは! 僕、グラントといいます!」
「はい、どうも」
 シーザーは頭を掻く手を一度とめて、ぼんやりとグラントを見つめます。しかし、あまりにも毛むくじゃらというか何というか、目元までぼさぼさの茶色い毛に覆われてしまっている彼の瞳を見ることができず、シーザーの感情など読み取れません。ただ茫洋としたような声が響くだけです。
「俺はシーザーという。よろしく」
「はい!」
 グラントは背筋をぴんと伸ばし、目の前のシーザーの巨大な身体を見つめ続けます。すると、シーザーが苦笑を漏らしました。私はそんな彼を見つめながら、グラントの願いを彼に伝えました。すると、シーザーは無造作に頷きます。
「ああ、そんなことくらいならお安いご用だ。元々俺たちは戦うのが好きな種族だ。きっと、お前もすぐに覚える」
 シーザーはグラントを見下ろして、優しい声で言いました。それは、見かけの凶暴そうな姿形からは予想もできないものでした。
 私は嬉しそうにシーザーを見上げているグラントを見下ろしていましたが、ふと興味を惹かれてシーザーに視線を戻しました。
 獣人というのは、人間と同じ姿になれるはずです。グラントも今は、尻尾が出てはいますが見かけは人間そっくりの子供です。しかし私は、今までずっとシーザーの獣人以外の姿を見たことがありません。
 私はその疑問を彼に投げつけてみました。すると、彼は苦笑します。
「こっちの姿のほうが楽だ。人間の格好をすると、身だしなみにも気を使わねばならん。髪の毛を切ったり髭を剃ったり、面倒くさい」
「身だしなみ……」
 私は首を傾げました。
 身だしなみを整えるのが面倒だということは。今、人間の格好になったら彼は髭など伸び放題、ということなのでしょうか?
「それに、人間の姿になって魔王様にケツの穴を狙われたら困る」
 ははあ。
 なるほど。
 私が納得して深く頷いて見せると、シーザーは喉の奥から奇妙な笑い声をこぼしながらグラントの髪の毛を掻き回しました。
「こいつにも教えてやらんとな。そっちの身の危険があることを」
「助かります」
 それはグラントに何と説明したらいいのか解らなかったことですから、心の底から感謝しました。
「じゃあ、しばらく借りよう」
 シーザーはやがてグラントの肩を軽く叩くと、ゆっくりと立ち上がりました。そして、庭の奧の方へ歩いていきながら、こう訊くのが聞こえました。
「お前、家族は?」
 グラントが静かに応えます。
「人間に……」
 そこまで言いかけて、その台詞はシーザーによって遮られました。おそらく、全部言わなくても彼には解ったのでしょう。
 グラントの背中が、少しだけ震えたのが私にも見えました。
「ま、いいこともあるさ」
 シーザーが少年にそう言って、小さく笑いました。
 そんな二人の背中を見送ってから、私は踵を返したのです。

 大広間へと足を向け、廊下を歩いていきます。すると、大広間のドアの手前で見馴れた姿を見つけました。
 夢魔とラースです。
 私は何となく、彼らから離れた場所で足をとめました。遠く離れていたので、彼らが何を話しているのかは解りません。ただ、ラースがひどく真面目な表情で夢魔を見つめているのが印象的でした。
 夢魔はどうやらラースをからかうように何か言っているようで、その口元に笑みがこぼれます。
 何を話しているのだろう。
 そんな興味はあったものの、何となく話しかけられるような雰囲気ではありませんでした。
 やがて、ラースは私の姿に気づかないまま、私がいる方とは違う方向へと歩いていきました。その背中が、わずかに疲れているように見えて、何だか違和感を覚えました。
 そう言えば、昨夜の彼の様子もおかしかった。
 いつも冗談を言ったり、ふざけたように笑う彼が暗い瞳をしていたように思います。真面目な表情の彼は、いつもと違って近寄りがたい気がします。でも、そんなときでも彼は私に向かって優しい笑みを見せてくれます。
 その内面を隠したままで。
 彼はどんな男性なのだろう。
 何だか最近、本当の彼の姿を知りたいと思うようになってきました。何を考えて生活しているのか、そして昔の彼はどんな人間だったのか。本当に今の環境で満足しているのかどうか。
 そして、なぜ私に話しかけてくるのか。

 やがて、夢魔が私の姿に気がついて近寄ってきました。
「ハイ、元気?」
 彼は無邪気に微笑みながら、私の前に立ちました。私は夢魔に微笑みかけ、小さく返します。
「元気です。その、魔王様は……」
「ああ、大満足していただけたようで何よりだわねえ」
 彼はそう言って肩をすくめながら、くすりと笑いました。「でも正直、あんなものを見せられるこっちの立場に同情してもらいたいわ」
「……同情しますよ」
「あら、ありがと」
 彼は女性らしいシナを作って微笑みます。その口元に手を当てる仕草も、本当に女性らしいたおやかさを含んでいました。
 私はためらいながら、彼に訊きました。
「ラースと何を話されていたのですか?」
「あら、彼と面識アリ?」
 ふと、夢魔が目を細めて私を見つめ直しました。それは、どこか面白がっている視線だと思います。
「ええ、まあ」
 私がそう頷くと、夢魔はわずかに躊躇った後に言いました。
「彼の夢が興味深いの。前からずっとそう思ってたのよ。だから、何度もその夢を引き取ろうとしてるんだけど、彼って頑なに拒否するのよね。彼ってマゾなのかしら」
「マゾ?」
「だってそう思わない? 毎晩悪夢にうなされてるのなら、その夢から解放されたいって思わないかしら? あたしがその夢を引き取ってしまえば、彼はもう二度とその悪夢にうなされることなんてなくなるのよ。きっと、楽しい夢だけ見ていられる。毎日がハッピー、ってな感じじゃない?」
「……そうですね」
「だから、あたしは彼が頷くまで口説こうと思ってるの。いつか、彼の悪夢を手に入れるわ。悪夢のコレクションが増えるのは嬉しいもの」
 コレクション。
 私が眉をひそめていると、夢魔がそれに気づいて苦笑しました。
「あたし、たくさんの悪夢をコレクションしてるわよ。いい夢もそれなりに。でも、悪夢の方が興味深いわね。それぞれの本質が見えるから」
「本質……」
「ね、あなたはラースのこと、どこまで知ってる? 彼が元々人間だったことも知ってる?」
 ふと、夢魔がその手を伸ばして私の肩に触れます。そして、声を潜めて言ってきました。
 私が彼の質問に頷くと、彼はにこりと微笑みます。
「人間の頃の彼、結構可愛いわよ。真面目で仕事一本槍で、何ごとにも一生懸命。でも、一番信頼していた相手に裏切られて、地獄を見たの。それを今も悪夢という形で思いだしてる。毎晩、毎晩。そんな夢を見て苦しんでいるというのに、それを受け入れるのは何故?」
「何故……」
 私は何と言ったらいいのか解らず、ただ彼の言葉を繰り返します。すると、夢魔がその唇を私の耳元に寄せて言いました。
「彼は多分、人間を憎み続けるために夢を見てるんだわ。じゃないと、魔物になった意味がないものね?」
 なるほど。
 私は無表情のまま頷いて見せましたが……何となく、このまま夢魔と話をしていていいのかと不安になりました。このまま話し続けていると、ラースの隠していた部分まで知ってしまいそうです。
「過去を失ってしまった方が楽になれるわ。人間であったことも忘れてしまえば、何の悩みもなく自分の欲望のままに生きていける」
 夢魔が続けます。「つらいだけの過去なら、ない方がいいでしょ? あなたもそう思うでしょ?」
 私は無言のまま夢魔を見つめます。
 夢魔が低く笑いました。形のよい唇が歪んで、わずかに危険な雰囲気を作り出します。
「人間は残酷だわ。おそらく、魔物よりもずっとね? 魔物よりも弱いくせに、何であそこまで暴力的になれるんだと思う?」
「暴力的?」
「そう思ったことはない? 元々、我々魔物が『魔物である』という理由で剣を振り上げた種族よ。彼らが我々を敵と見なしたからこそ、我々もそれに応えてきた。そうでしょ?」
 私はしばらく、夢魔を見つめ続けていました。
 やがて、戸惑いながら口を開きます。
「……そうなんですか?」
「そうよ」
 彼はくすりと笑いました。「戦うのが好きなのよ、彼らは」

「あたしなんかは、楽しければ何でもいいと思うんだけどね」
 やがて夢魔が髪の毛を掻き上げながら言いました。「人間に危害を与えるつもりはないし、毎日が面白ければそれでいい」
 彼はそう言った後、ゆっくりと後ずさって私を見つめ直し、やがて苦笑を漏らした後に身を翻しました。そして、廊下を歩き出します。
「あの」
 私はつい、彼に訊きました。「あなたの名前は?」
「ジャッキーって呼んで」
 ふと、彼が振り向いて笑います。そして、その指を自分の顔の前で振りながら続けました。
「ジャックと呼んだら殺すからよろしくね」
 ……それが本名なのでしょうか。
 私はそう思いながらも、素直に頷いて微笑んで見せました。すると、彼は軽く私に手を振って見せます。
「じゃあね、シェリル。また悪夢を見たらあたしを呼んで。いつでも引き取るから」
 そう言ってまた歩き出した彼の背中を見て、私は眉をひそめました。

 ──『また』悪夢を見たら?

「ジャッキー」
 私は彼の背中に向かって問いかけました。「『また悪夢を見たら』とはどういう意味ですか? 我々は以前にお会いしたことが?」
 すると、彼が足をとめます。しかし、しばらく自分の進む方向を見つめたままで。
「あら、そんな言い方をしたかしら?」
 やがて、彼が困惑したように笑いながら歩き出します。今度は私を見ようともしませんでした。
「言い間違いって誰にでもあることよね、気にしないで」
「でも、あの!」
 私は必死に言葉を探します。
 どこかに違和感が。
 違和感が。
 何が? 何故そう感じるのか。
「あの!」
 私は大きな声で言いました。「私はまだあなたに名乗っていません!」
 でも、さっき、彼は私のことを『シェリル』と呼びました。

 ──つらいだけの過去なら、ない方がいいでしょ? あなたもそう思うでしょ?

 そう言った、彼の言葉。
 突然、忘れていた何かを思い出しそうになりました。
 でも。

「じゃあね」
 ジャッキーがそう言ったのを聞いて、私は我に返ります。そして、彼の背中を見送りながら唇を噛みました。
 本当に忘れてしまった方が幸せなんでしょうか?
 辛いことも何もかも、忘れてしまった方が?

 突然、私は気がつきました。
 私は、『空っぽ』なんだと。
 私はいつから、この城にいるのでしょうか? いつから魔王様のそばにいるのでしょうか?
 私には過去の記憶がありませんでした。あるのは、途中からの記憶。
 それは何故か。もしかしたら。
「ジャッキー」
 私はもう一度、彼の名前を呼びました。
 しかし、もうそこには彼の姿はなく、私はただ廊下の真ん中に立ちつくすだけだったのです。



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