本日の魔王様 7


「いつもにも増して呆けてんなあ」
 私がぼんやりとしていると、いつの間に近くにやってきていたのか、シーザーが苦笑しながら言いました。
 私は我に返って、辺りを見回します。魔王様の城の裏庭。薄暗く、でも居心地のよい場所。
 ここにやってきたのはグラントのその後を見るためでした。あの小さな獣人の成長を見ることができたら、楽しいだろうな、と思ったから。
 だから、珍しく朝一番でこの裏庭に立ち寄ったのです。魔王様がいるだろう大広間にいく前に。
 私の期待通り、まだ朝も早い時間だというのに──もちろん、魔物にとって早い時間という意味ですが──シーザーはグラントに戦い方について実技で教えてくれていました。シーザーが手加減しているのは目に見えて解ります。動きがのんびりしていましたし、グラントと組み合っている様は遊んでいるようにしか見えません。でも、グラントは獣人の姿になって精一杯シーザーに立ち向かっているように見えました。
 やがて、グラントが疲れ果てて草の生い茂る地面に俯せで倒れ込み、荒い呼吸を繰り返しているうちに眠ってしまったようで。
 俯せ、両腕と大股を開いた状況でぐうぐう寝ている様は何とも微笑ましい限りでした。まあ、ちょっと、その格好は周りに対する危機感が薄いような気もしましたけれども。
 そんな光景を、私は木の陰で腰を下ろして見つめていました。膝を立て、そこに肘をついてぼんやりしていると、何だか色々と考えてしまいます。考えなくてはいけないことがたくさんあるような気もするのです。
 そこに、シーザーの声がかかったのでした。
「で、どうしたよ」
 シーザーは相変わらず大きな身体を持ち、毛むくじゃらの格好で私の横に腰を下ろします。その視線は私にではなく、グラントに向けられていました。
「小僧は頑張ってるぜ、まだ子供だから力は弱いが、気合いだけは充分だ。だから、心配すんなよお母さん」
「誰がお母さんですか」
 私は呆れたようにため息をこぼします。
「……お父さんと呼ぶには抵抗が」
「何の話ですか」
 私が眉根を寄せて彼を見上げると、明らかにからかっているらしい瞳がそこにありました。全く、訳の解らない性格をしています。
「で、本当にどうしたんだ? 何か悩みでもあるのか」
 やがて、シーザーが頭をがりがりと掻きながら口を開きました。私はしばらく、それに応えることができませんでした。悩みと言われても、どう説明したらいいのか。
 自分は一体、何を知りたいのだろう。
 自分自身のことか、ラースのことか、夢魔のことか。
 それとも、それらは知ってはいけないことなのだろうか、とか。
 ため息だけがこぼれます。
 すると、シーザーが「ま、いいか」と笑いました。開けっぴろげな言い方で、とても明るく。それは本当に親しみやすいものでした。
「……我々の存在意義というのは何なのでしょう?」
 やがて、私はぽつりと呟くように言いました。地面を見下ろして、そこにある青々とした草が風に揺れているのをただ見つめながら。
「我々、魔物というのは、なぜここにいるのでしょうか? 何のために人間と戦うのでしょうか」
「魔王様がここにいるからだろ?」
 シーザーの答えは簡単でした。「お前の問いは、なぜ獣が肉を食うのかと質問しているのに等しい。それが本能だし、当たり前のことだ。我々は魔王様に従うためにここにいるし、人間と戦えと言われたらその通りにする。……それ以外に理由が必要か?」
「いえ……」
 確かに彼の言う通りですし、私もそれでいいと今までは思っていました。でも、どこか釈然としないのも確かなのです。
 私は必死に言葉を探しました。でも、自分で自分が何を言っているのかさえ解らなくなりそうでした。
「我々は人間に怖れられています。人間は我々魔物を殺し、魔物のいない世界を作ろうと望んでいます。やがて、その通りになるのではないでしょうか?」
「まあ、そうなるかもしれんわな」
 シーザーが小さく唸るように続けます。「もしも自然というヤツがそれを望むなら、我々魔物一族は滅ぶだろうよ。で、この大自然に生き残りを許される生き物だけがこの世界に残る。それが自然淘汰ってヤツだ。でも、俺は魔物が滅ぶとは考えていない。人間は頑張って俺たちを殺そうとするだろうし、どんどん殺されていくだろう。それでも、滅ぶことはない」
「何故ですか?」
 私が顔を上げると、シーザーは宙を見つめながら続けます。
「魔王様がいる限り、魔物は力を失うはずがないからだ。そして、魔王様はこの世界からいなくなることはない」
 私はしばらくの間、シーザーの横顔を見つめたままでした。しかし、彼のその自信に満ちた顔がどうも小憎らしく思えます。
 やがて、私は意地悪く続けました。
「なぜ、そう言い切れるんですか? もしかしたら魔王様が人間に倒されてしまったら、その時点で我々は──」
「おいおい」
 シーザーが呆れたように声を上げて笑いました。そして、私の髪の毛を乱暴に掻き回しながら言うのです。
「魔王様は蘇る。そんなこと、当たり前だろ?」

 ──蘇る?
 私が困惑していると、どうやらシーザーも私の戸惑いに気がついたようで、笑顔を消しました。
「お前、どうしたんだ? 知ってるはずだろ?」
「……何をですか」
 私はだんだん、不安になってきました。私は、知っていて当然なことを知っていないのではないか、と。そして、何故自分は知らないのだろう、と。
「前も、魔王様は人間に──勇者によって倒された。その時、ほとんどの魔物たちが力を失って世界にばらばらに散っていったが、その後、魔王様は新しく生まれ変わった。それにより、我々魔物がまた力を取り戻し、こうしてこの場所にいる。今の状況、それは、この世界に必要なことだからじゃないのか。人間と敵対する者として、魔王様がこの世界に存在すべきだと選ばれたからじゃないのか」
「新しく生まれた……」
 私はそっと、魔王様の城を見上げました。
 新しい魔王。
 今の魔王様が死んでも、新しく蘇る……。
 前と同じように。
 前と。

 急に、心臓に痛みが走ったような気がしました。
 もう少しで、何か思い出しそうになったのに。
 しかし、私がその答えを手にする前にかき消えてしまっていて、何を思い出しそうになっていたのかさえ解らなくなりました。
「私……私は」
 急に、不安に駆られて立ち上がります。「いつから、ここにいるんでしょうか? この魔王様の城に?」
「んー?」
 シーザーは座ったまま私を見つめます。そして、大きな口を歪めるようにして言いました。
「少なくとも、俺がここにやってくる前からいたな」
「それはいつですか?」
「今の魔王様がこの城にやってきて、しばらくしてからだ」
「今の魔王様が……この城に」
 爪を噛みながら私はじっと考え込みます。でも、どんなに考えても、自分の中に答えを探しても見つかりません。
「なあ、シェリル」
 少しだけ、シーザーの声が優しくなります。私を気遣ってくれているのか、その大きな手を私の肩に置きました。
「考えすぎるのはよくない。お前は、魔王様の存在意義に疑問があるわけじゃないだろ? 魔王様が人間によって倒されることを望んでいるわけじゃないだろ?」
「当たり前です!」
 その自分の声は、どこか必死だと思いました。
 そんなことは考えていません。魔王様が人間に倒されるなど。……勇者によって殺されるなど。そんなことは許されないことです。
「ならば、答えは簡単だ。何も考えるな」
「……しかし」
「本当にお前、おかしいな。何故、そんなことが気になる? 何を考えている? 何が知りたい?」
「知りたいのは……知りたいこととは……」
 私は必死に考えます。
 でもやっぱり答えなどない。
「俺は、お前が知りたいと思う問いの答えを持ってないと思う」
 やがて、シーザーが言いました。「でも、お前が知りたいと思うこと、それが本当に必要なことならいつかその答えが出てくるだろうよ。何も今、無理矢理答えを探さなくてもいいだろ? その時まで待てるだろ?」
 待てる、でしょうか。
 私は自問自答します。
「それができないなら、魔王様に訊けばいい。気になっていることを、全て」

 そんなことはできません。
 私はただ、内心で呟きました。

 シーザーと別れてから、私の足は自然とラースの姿を探すために歩き出しました。特に理由はないと自分に言い聞かせながらも、やっぱりラースにも質問してみたかったのでしょう。
 しかし、ラースがどこにいるのかなど解りません。
 私はただ、うろうろと城内を歩き回っていましたが、ラースの姿を見つけることができませんでした。そうしているうちに、だんだん自棄になってきます。
 自分は何をしているのだろう。
 夢魔の言葉に心を乱されている。余計なことを考えすぎている。
 そう、シーザーの言う通り、何も考えなければいい。
 しかし、しかし、しかし。

「よう、どうした」
 深夜、私が自分の部屋の廊下に立ってぼんやりしていると、ラースの声がかかって身体が震えました。
 私はその時、自分の部屋の扉に背中を押し当てていたのですが、彼が廊下に姿を見せたと気づいた瞬間、すぐに彼のところに歩き出しました。
 彼のすぐ前に立って、ラースの顔を見上げます。相変わらず、仮面に隠された右側の瞳は、その感情を隠しています。しかし、もう一つの瞳は明らかに笑っていました。
「そんな顔をしてどうしたんだ」
 ラースが少しだけ驚いたように私を見つめ、そっと手を伸ばして私の頬に触れます。何となく、それを心地よいと感じながら、私は言葉を探します。
 ラースはしばらく私の言葉を待った後、何も言葉が出ないと気づくとにやりと笑って続けました。
「そんな風に思い詰めた表情で立たれると、告白でもされるのかと嬉しくなるね」
「何を言ってるんですか」
 私はつい眉根を寄せて彼を軽く睨みつけます。
「違うのか」
「違います」
「それは残念」
 あまり残念そうには思えないくらいに明るく笑いながらそう言って、彼は改めて私を見つめ、その指で私の頬を撫でました。一瞬、まずいかな、とも思いました。何だかとても、奇妙な感覚が頬に走った気がします。
「あの」
 私は何とか言葉を紡ぎ出しました。「夢魔……ジャッキーという夢魔をご存知ですよね?」
 そう言った瞬間、ラースが顔をしかめました。
 そして、私の頬から手を離し、一歩後ろに下がってため息をこぼします。
「あいつがどうした」
 少しだけ不機嫌そうに唇を歪めるラース。そんな彼を見つめながら、その表情の裏にあるものを見つけようと努力します。
「彼は、あなたが夢にうなされていると言いました。悪夢を引き取りたいと言ったのに、それを断られたと」
「だから?」
「何故、断ったのですか?」
「何故と言われてもな」
 ラースは廊下の窓のほうに近寄り、その桟に手を置いてまたため息をこぼします。
「悪夢がなくなってしまえば、楽になると夢魔は言いました」
「楽に、か。確かにそうかもしれない」
 ラースがちらりと視線をこちらに投げ、またすぐにその視線の先を窓の外へと向けます。そこに広がっているのは暗闇です。ただ暗いだけの闇。
「でも、苦しいだけの悪夢を消したら、その悪夢につながる過去も全て失うと聞いた。それじゃ駄目だ」
「何故です?」
「質問攻めだな」
 ふ、とラースが優しく笑います。「俺に興味が出たか?」
「はい」
 私が静かにそう返すと、虚を突かれたようにラースがまたこちらを見つめました。そして、「困ったね」と頭を掻くのです。いつにない穏やかな表情と、どこか苦しげな笑み。それがひどく頼りなげで、こちらから手を差し伸べたいと思うほど。……もちろん、そんなことはしませんでしたが。
「前も言ったが、俺は以前人間だった」
 やがて、ラースが口を開きます。「自分では俺のことを『強い男』だと思っていた。敵を切り伏せるのだって、簡単だ。それが国を守ることだったからだ。しかし、やはり仲間が──守らなくてはならない部下が死んでいくのを見るのは辛かった。俺を信じてついてきた奴らばかりだからだ。国に家族がいる奴らも、恋人がいる奴らも、俺より先に死んだ。もちろん、俺は彼らを率いている立場だったから、何があっても死ぬことはできないと思っていた。部下たちを無事に国に帰すまでは、と。でも、それが全部無駄に終わる。仕方ない、それが戦というものだ」
 ラースは暗闇を見つめたままです。少しだけ黙り込んだ後に、また彼は続けました。
「戦っている間に、国からの援助も尽きた。援軍もない。食事もまともなものは取れず、誰もが疲れ果てていた。誰だってそんな状況なら、近くの村を襲って食料を手に入れようとか考える。だが、それは駄目だ。俺たちの存在意義を狂わせる。国を守るための戦いとは違ってしまう。だから、俺は必死にとめた。たとえ飢えても、苦しくても、やってはいけないことだから、と。だが、飢えれば体力は落ちる。敵と戦えばすぐに殺される。全部、俺のせいだ。時々、今も考える。村を襲い、略奪をさせればよかったのかもしれない、と。そして夢を見る。死んでいった奴らの顔だ。誰もが俺を恨んでいる」
「しかし、それは……」
 私はつい、言葉を挟みそうになりました。でも、すぐにラースに遮られてしまいます。
「魔王様にこうして魔物に変えてもらった時、俺は心から感謝した。何の感情も持たず、ただ恨みを晴らすだけの生き物になれる、と。そして事実、部下たちの仇を取った。俺は満足だった。でも、悪夢だけは終わらない。何故だ。何故、あいつらは俺を許さないのだろう、と思った。もちろん、夢魔にその過去を消すために夢をもらいたい、と言われた時は悩んだ。そうすれば楽になれる、そうだろう。しかし、多分それは『逃げ』なんだよ。俺が一生背負わなくてはいけない過去。それを捨てるわけにはいかない。それを捨ててしまったら、多分別の生き物になってしまう。俺ではない『何か』に」
「自分ではない……『何か』に……」
 私はただ、その言葉を繰り返しました。
 少しだけ、胸が痛い。
「俺はこれでいいんだ。悪夢も、あの過去も全てひっくるめて『俺』なんだよ。ああやって苦しんで、今の俺がいて、そしてお前にも似たような何かを感じている」
 私は息を呑んで彼を見つめ直します。
 彼は隣に立っていた私の肩を抱き寄せ、低く笑いました。
「おそらく、あの過去がなくて別の生き物になっていた『俺』なら、お前には惹かれなかったかもしれない。だから、これでいいじゃないか」
 一瞬、自分の肩に回った彼の手を振り払おうかと悩みました。でも、振り払うことができませんでした。そしてまた、彼もそのことに驚いているようで、少しだけ奇妙な表情で私を見つめます。
 やがて、彼が躊躇いながら言いました。
「戦のあった場所、見にいくか?」
 私も一瞬だけ考え込みました。
 そして、こう応えたのです。
「はい、ぜひ」



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