父とは顔が似ていない。
それは幼い頃からよく言われていたことだ。
俺の髪の毛の色も瞳の色も、父とは違う。父は明るい金色の髪の毛と、灰色に近い瞳を持っていた。だが、俺は髪の毛も瞳も黒い。最初、俺がそれを疑問に感じて訊いた時、お前は母親似だと父は言っていた。
だが、俺の母親を見たことのある大人が何かの場面で口にしたこと、それで母親とも瞳の色も髪の毛の色も違うのだと気づくことになった。
うすうす感じていたとはいえ、それを知った時はショックだった。
父一人、子一人の生活。何かと不便なこともあった。それでも、俺は満足のいく幼少時代を過ごせたと思う。それは父の努力の上に成り立った生活であるとも理解できたからだ。
血のつながらない俺を育ててくれた父には感謝しかない。
父はお人よしと言われることも多い。それは事実、俺も感じていたことだった。
父は誰に対しても親しみやすい雰囲気をばらまく男だった。酒を呑むと笑い上戸になり、夜、飲み屋で初めて会った人間に対しても酒を奢るような人間で、あまり敵を作る感じではなかった。だからこそ、いつも誰かに騙されるのではないかと不安に感じることもあった。
気さくがゆえに軽く見られやすい。
そんな感じがしていたからだ。
それでも、そんな父が表情を険しくさせていつも言うことがある。
「魔物は殺すべきだと思う」
俺が魔法使いという職を選んだのは、父もそうだったからだ。
そしてどうやら、母も魔法使いだったらしい。
父と母は幼馴染で、同じ魔法使いの師匠のところで魔法を習ったのだという。その師匠の腕はかなりのもので、昔、そこに集まった弟子の数は結構いたのだと。
その中で、母はかなりの腕前を持つ魔法使いとなり、父はそれなりの腕を持つ魔法使いとなった。
その関係はあくまでも友人どまりに過ぎず、母は別の男性と恋仲になり、俺を生んだ。
父――義父は彼らを祝福し、しばらくは幸せであったのだと聞いた。
だが、俺を生んですぐに母親も、そして本当の父親――黒い髪と黒い瞳を持つ父も魔物に殺された……らしい。
「魔物は我々の敵なんだよ」
俺が十歳になった頃、義父は俺に全てを語り始めた。
きっと、俺が感じていた義父に対する違和感を彼も感じていたのだろう。まだその頃は俺は義父の息子だと信じていた時期だったが、年を重ねるにつれ、義父とは顔が似ていないことが明確になってきていたし、知り合いからも「お父さんよりお母さん似なのかねえ」などとからかわれることもあったからだ。
それまでは、母は病死だとずっと言われていた。
でも、真実は違っていた。
「魔物は見境もなく、そして簡単に人間を殺すんだよ」
義父は言う。「幼いお前には刺激の強い話だろう。だが、いつまでも隠しておくわけにはいかない。俺はお前とは血がつながっていない。お前の両親は……魔物に殺されたんだ」
義父はどうやら、両親の死に目に立ち会ったらしい。
いや、殺された直後の場面を見た。
魔法使いという存在は、色々な事件に関わることが多い。
得意な魔法がどういったものにしろ、大抵は危険な場面に出くわすものだ。
年を取って弟子を取るということにならない限り、大体は生活のために魔物退治に関わったり、荒っぽい事件の解決に乗り出したりするのが常だからだ。
剣士と一緒に旅をして、治癒魔法を使うこともあれば、攻撃魔法、防御魔法、あらゆる魔法を使って仲間を守る。
そんな状況で、俺の両親は魔物と戦って負けた、らしい。
そして、天涯孤独となった俺を義父が引き取って育ててくれた、というわけだ。
「……俺はな、魔物がこの世界からいなくなればいいと思ってる。ビクトリアの死体を見た時、そう思った」
義父はそう言った。
ビクトリアというのは俺の母親の名前。
「そして、クリストの……死体も」
クリストというのが父。
義父は苦しげに眉を顰め、額に手をおいて続けた。
「それは酷い有様だった。いや、ビクトリアはまだ……綺麗だった。だが、クリストの身体は原型をとどめていなくてな。それを見下ろしていた黒い魔物が俺を見て『笑った』んだ」
「黒い魔物?」
俺は質素な部屋の中でそう訊き返した。
裕福とはいえない生活。それは、義父が抱えるトラウマも原因している。
「自分が殺した人間を見下ろし、そして俺を見て嘲笑ったんだよ。その口の形をよく覚えている。とても綺麗な形をしていてな、それが……恐ろしいと感じた。俺は弱かったんだろう。それを見て、戦えなかった。ビクトリアたちが殺された直後だというのに、全く動けなかった。仇を取れなかった」
そう小さく言った義父は、申し訳なさそうに微笑み、俺の頭を撫でた。
義父の手は震えていて、そこには色々な複雑な感情があるのも見て取れた。きっと、恐怖以外にも抱えている感情があるのだろう。仇を取れなかった自分自身に対する怒り、残された子供――俺に対する申し訳なさ、それ以外にも。
「すまない、あれ以降、俺は魔物が恐ろしくて動けない。こんなにも憎んでいるのに、何もできない自分が疎ましく感じる。本当ならば、お前のためにも戦って……賞金でも稼ぐべきなんだろうが」
「いいよ」
俺は子供心に誓うことになる。「両親の仇は俺が討つから」
それから俺は、義父が――そして実の両親も弟子入りしたという魔法使いの老人のところに弟子入りした。
その魔法使いの名はアリウスといった。
白髪に長い顎鬚。いかにも、といった姿の魔法使い。だが、その力は強大だった。
彼は俺の弟子入りを歓迎してくれた。
彼は俺の実の父親が義父――ハリソンではないと知っていたし、実の父であるクリストという男性が優秀な魔法使いであることも知っていた。だからこそ、俺の力に期待したのだと思う。魔法使いが持つ力というのは、血筋も関係しているとよく言われていたからだ。
そしてアリウスもまた、義父と同じように魔物を憎んでいた。
「クリストは私の一番の弟子ともいえた」
アリウスはある時、そう言った。「お前の母親であるビクトリアも、とても優秀な魔法使いだった。だが、クリストは抜きんでて素晴らしかった。彼ならきっと、魔王を倒すこともたやすかったと思う」
「でも、魔物に殺された」
俺はそう続けた。
義父もアリウスも、父が素晴らしい魔法使いだったという。しかし、魔物に殺されたのは事実なのだ。
魔物の力の方が上だったから。
最初はそう思っていた。
「実力的に言えば、そう簡単に殺される男ではなかった。でも、殺された。この理由は……おそらく」
アリウスは苦々しげにため息をつく。「ビクトリアを庇ったのだと思う。彼女を餌にしてクリストをおびき寄せたのか、それともどう使ったのかは知らんが、結果的に我々は素晴らしい魔法使いを二人、失うことになった。……私はな、悔しいと思うのだ」
「悔しい?」
「ああ」
アリウスはそこで小さく自嘲した。「クリストは私よりもずっと、強い力を持つ魔法使いになれたはずなのだ。きっと、この国一番の力を持つ魔法使いに」
「アリウス様よりも?」
俺は正直、その言葉には驚きを隠せずにいた。
アリウス・マーコフという魔法使いの名前は、この国ではかなり有名なものだった。ただ、かなり気難しい人間で、滅多に弟子は取らないということも有名だった。
力はあるのに世捨て人のような生活を送る魔法使い。なのに、その名前だけが広く世間に知られている。つまり、それだけ彼が強い力を持っているという証拠。
そんな彼よりも強い魔法使いになれた?
クリストという、俺の父が?
簡単には信じられないというのが当然だ。
「お前の母親も強い魔法使いだった。だから正直、あの二人の間に子供が生まれると知って喜んだ」
アリウスの真剣な眼差しは変わらない。「きっと、その二人の血を継いだお前も強い魔法使いになるだろう。そう思ったから弟子入りを許したが……不安でもある」
「何故ですか?」
「優秀な魔法使いをまた失うことになるのはつらいのだ」
そう言ったアリウスは、ただ静かに俺を見つめていた。
そう、この頃には、俺にとって一番の敵は魔物であると心に刻まれていたし、もしも両親を殺した『黒い魔物』に会うことができたら、たとえこの身を犠牲にしてでも仇を討つと決めていた。
義父は間違いなく、両親の死によって人生を変えられてしまっていたし――きっとこの事件がなければ、俺を引き取って育てることもなかったし、幸せな結婚をして自分の子供を持てたかもしれない――、アリウスだってそうだと感じた。アリウスだって優秀な弟子を持った大いなる魔法使いとして、もっと活力的に生きていたのだろうと思う。それなのに、二人は魔法使いとしてそれぞれ力を持ちながら、小さな世界で生きている。
とても幸せとは思えなかった。
だから、自分だけはそうならないと決めた。
魔物を殺し、名前を売り、やがては満足のいく生活を手に入れる。
ずっと俺を育ててくれた義父に恩返しをし、いつか幸せな笑顔を見せてくれるように。
俺は努力をしたと思う。
アリウスでの下で修業をしつつ、少しずつギルドに入り浸るようになった。俺が住んでいたのは結構大きな街で、行商も盛んな場所だった。その街にあるギルドはかなり大きく、仕事もたくさんあった。
若いうちから簡単な仕事を請け負うようになり、少しずつ厄介な仕事にも手を付けるようになった。
手に入れた給料は義父に渡したが、それらのほとんどは俺に返ってきた。
腕のいい魔法使いでいるということは、それなりに道具も必要となる。治療魔法を使うようになれば、薬師としても必要な貴重な薬草が増えてくる。そういったものは軒並み高価なものだ。
そうしているうちに、俺はある男と手を組むことになった。
勇者と呼ばれる男、クレイグだ。
彼のことは最初、いけすかない男だと感じた。
明るい金髪は、何故か彼の性格すらも明るく見せていたと思う。苦労を知らない男だと最初は思ったのだ。
真面目で努力家、神殿で祝福された剣を持ち、魔物討伐に専念している男。挫折という言葉など知らないだろう。ギルドで気さくに色々な人間と会話している彼を見た時は、ここまで関わることになろうとは考えてもいなかった。
ある仕事を引き受けようとした時、それが俺一人では厳しいだろうということで手を組むことになったのが彼。
とある森の奥にいる獣を狩るのが仕事だった。
獣といっても、魔物の一種だ。言葉も通じず、狂ったように近隣の村を襲っては人間を殺すのだという。
その魔物は一体ではなく、複数で群れをなし、囮役、攻撃役と頭を使っていた。その仕事はクレイグの剣の腕の確かさもあり、そしてそれ以上に俺の手腕もあったとは考えているが、簡単に終わらせることができた。
俺はその獣を狩ることを楽しんだが、クレイグはどうやらあまり楽しくは感じなかったようだった。この辺りは性格の違いだろう。
「これからも一緒に行動しないか」
そう彼が俺に話を持ち掛けてきた時には、少し悩んだものの受けることにした。クレイグという男は魔物討伐にかけては真剣であると感じたからだった。
彼が俺という魔法使いを仲間にした後で、次に探したのは神官だ。
これは簡単に見つかった。
神官という連中は単純だし真面目な男が多い。それも、下っ端の神官なら簡単に口説くことができる。彼らだって生活しなければならない。そのためには金が必要だ。そこに神の意志など必要にはならない。
そして実際にクレイグと一緒に行動してみると、この男の頭の中は単純ではあるものの、挫折を知らないと感じたのは誤解のようだったと解った。たまに危なっかしい行動を起こすのも、過去に何かあったからのようだとも。
だが、誰だって過去には何か一つや二つ、問題を抱えているものだ。
だから、別にクレイグの過去になど興味はなかった。ただ単純に、彼と一緒に行動するのは魔物討伐に役に立つと考えたからにすぎない。
そう、役に立つ男。それが俺にとっては重要だった。
だが、そんな理由で行動を共にしたのは失敗だったのかと今になって思う。
クレイグがあの銀色の魔物にうつつを抜かし始めたと解った時に、手を引けばよかったのだ。
魔物の言葉は信用できない。
魔物は全て殺すべきだ、という考えは幼い頃から変わってはいない。
ただ、魔王のあの態度は予想外だった。どうやら魔王とやらは酷くクレイグに固執しているらしく、いかにクレイグを『強姦するか』ということだけを考えているように思えた。
そういう意味では、自分には害がこないと安心だった。
正直、あのクレイグなら自分で火の粉は払うと俺は思っていたし、放置していても大丈夫だと感じていた。
俺はただ、魔物討伐に参加していればいい。
クレイグの補佐として動き、無駄なことなどせず、邪魔なものは排除する。
今までずっと繰り返してきた魔物退治。失敗したことなどなかった。
師匠であるアリウスの言う通り、俺はかなり力のある魔法使いとなり、任務の成功により自信をつけていた。
だからこそ、あの時、冷静な判断が下せなかった。
俺の攻撃があの獣人を傷つけることすらできなかったと知った時。
俺の魔法が通じない相手もいると初めて知った時。
ただ、苛立ちだけが頭の中を占領していた。
シェリルという名の銀色の魔物も、機会さえあれば殺そうと思っていた。どこか幼さの残るような顔立ちも、世間知らずのような言葉の選び方も、何もかも作り物のような気がしていた。全て演技。俺たちに取り入るための計算ずくのもの。
あの魔物をクレイグの前で殺してやったら、少しは気分がよくなるような気もした。クレイグの目を覚まさせるためにも必要だと考えた。
だから、攻撃することに躊躇いはなかった。
魔物は簡単に嘘をつく。信用などできるはずがない。
あの獣人が「口裏を合わせよう」などと言ってきた時も、それは嘘だと思ったし、「解った」と嘘で返した。
その結果が、これだ。
「俺、お前に殺されそうになること、何かしたか?」
そいつの声は心底不思議そうに響いた。
銀色の魔物が一緒に連れてきた獣人。
シェリルという魔物はそいつのことをギルバートと呼んだ。赤銅色の髪の毛と、人懐こそうな笑顔。だがその笑顔も、シェリルと同じく演技なのだろう。
だが、どうやら俺を殺せという命令はあの変態魔王から受けてはいないらしく、シェリルにとめられてからは悪態をつきつつも獣人は大人しくなった。
クレイグとシェリルが何かを調べるためにその場を離れた後、俺はその獣人と二人きりになったわけだが、それは軽率だった。
「魔物であるということだけが理由だ」
俺はそいつから離れた場所に立って、小さく返す。
そいつがまた攻撃して来たら、やり返すつもりだった。だから油断はしていないつもりでもあった。
――あの、腕輪。
俺が目を細めてそいつ――ギルバートを見る。先ほど、俺の攻撃が通じなかったのはギルバートが身に着けていた銀色の腕輪のせいらしい。
その腕輪の気配は、シェリルの持つ魔力に似ていた。
そして今、シェリルはクレイグと一緒にこの場を離れている。
おそらくそれは、シェリルが造った防御魔法のようなものだろう。しかし、大抵のものは創造主が近い場所にいれば強い力を放つが、離れてしまえば弱くなる。
そしてさらに、先ほどの俺の攻撃を受けて、ただでさえ弱まっている。
――次の攻撃で壊せる。
ふと、口元が笑みの形を作ろうしていることに気づいて、俺は慌てて唇を噛んだ。
「魔物であるだけ、ねえ?」
ギルバートは呆れたように鼻を鳴らし、近くにあった木に背中を押し当てて腕を組んだ。「敵意がなくても殺す。それが人間たちのやり方? いや、別にさ、そーなんだろうとは思うけどさ」
「自己防衛だ」
俺はすぐにそう応えた。「それだけの理由があるから仕方ない」
「理由? 俺にも?」
ギルバートの目がさらに剣呑な光を帯びた。だが、それだけだ。
敵意をむき出しにしつつも、そいつは俺を殺せという命令は受けていないから何もできない、というわけだ。
「身に覚えはないというのか?」
俺はそこで小さく笑った。「お前だって、誰か人間を殺してきたんだろう?」
「……身内は殺されたさ」
ギルバートは唇を歪めるようにして笑う。「俺たちの仲間は、多かれ少なかれそうだ。だから、人間に狩られるのを恐れて生きてる」
「へえ?」
「確かに、俺たちだって黙って殺されはしない。やられる前にやる。それはお前も俺たち獣人も同じ。そーだよな?」
「そうとも」
「だからお前は、全く敵意のない俺を……せっかく口裏を合わせようって言って、危ない橋を渡ろうとした俺を問答無用で殺そうとしたわけだ。お前には何もしていない俺を、ただ、魔物であるってだけで」
「くどい」
俺が苛立って彼を睨みつけた瞬間、ギルバートの躰が一気に巨大化した。全身を覆い尽す長い毛。髪の毛すらも獣の体毛へと変化し、唇が裂けて鋭い牙が覗く。
咄嗟に俺は攻撃魔法の呪文を詠唱し、ギルバートへと向けて放ったが、そのどでかい図体には似つかわしくない俊敏さでそれを避け、攻撃魔法は地面と大木に直撃して土が舞い上がった。
「確かによ、殺せとは言われていない」
気づけば、俺の身体の背後からその声が聞こえた。人間の姿ではないせいか、先ほどよりも不鮮明な、くぐもった声。
俺は素早く身体を捻り、その勢いのまま逃げようとした。
だが、その前に俺の身体の上に巨大な塊がのしかかってきていた。俺の腕よりも二倍以上あるだろうという筋肉質な腕、太い胴、そして凄まじい筋力を持つであろう両足。
「でもさ、強姦しろって言われてんだわ、俺」
「貴様」
そう言いかけた俺の顔を――いや、鼻から下、口を巨大な手が覆った。
「強姦って初めてなんだよね。魔法を使われると面倒だから口を塞がせてもらうよ」
俺の顔を覗き込む、獣の顔。赤く染まった双眸。そこには明らかに怒りのようなものが見えた。
それからは、あっという間だった。