本日の魔王様 番外編1-10


「……どういうことだ」
 義父は掠れた声でそう言った。
 ハル――いや、中身だけは違う人間である彼は、義父を見つめたまましばらく動こうとしなかった。しかし、やがて疲れたようにため息をつくと、先ほどと全然変わらない仮面のような笑みで辺りを見回した。
「できれば、ハルにはここには寄らずに帰ってきてもらいたかったんだが、無理だったようだ。会えば必ず説明が必要になる。そう思ったよ」
「クリスト、どういうことなんだ」
「別に、簡単な話ではあるけどね」
 詰問口調になった義父に、彼は穏やかな声を投げる。「身代わりが欲しかった。それだけだ」
「何の話を」
「……君の義理の息子を連れて行こうとした話。それが本題じゃないのかい?」
 意外そうに目を細めた彼に、義父は椅子から立ち上がって数歩近づいた。
「違う。お前のことは……死んだと思っていたのに。どうしてだ?」
「今さらだね。だが、死んだというのと同義だと思う」
「何故」

「悪いけどさ」
 急にギルバートの声が居間に響く。
 今にも壊れそうな奇妙な緊迫感の中で、彼の声だけが明るい。しかし、いつになく真剣でもあった。
「部外者の俺でも解るように説明してくんない?」
「そう、部外者だね」
 ハル――クリストは微笑んで首を傾げる。「だから、君は知らなくてもいいことだ」
「俺は部外者だけど、コンラッドは違うだろ? 俺はコンラッドの恋び」
「いいから黙っとけ」
 俺はギルバートの不満そうな言葉を遮り、クリストを睨みつけた。「だが、俺は部外者じゃない。だから説明してもらいたい。最初から……つまり、あんたが過去、何をしてきたかというところから」
 すると、クリストは困ったように顔をしかめ、少しだけ身体を引いて椅子の背もたれに寄りかかって天井を見上げた。その恰好のまま、静かに続ける。
「さっき、大体のことはアリウス様から聞いたと思う。それが事実だ」
「なるほど」
 俺は小さく笑った。「あんたが俺の本当の父親で、妻を殺して、それを見た人間の記憶も操って、ルーズベリーに出て新しい女と結婚。それが事実?」
「その通り」
 クリストは僅かに顔を顰めた後、俺を見つめ直して笑みを消した。「結局のところ、過去は過去でしかない。それを説明したとしても何も変わらない。だから、『今』の話をしよう」
「今?」
「そうだ。君を探していたのは、君が私の息子に似ているからだ」
「息子、か。リィン・キンケイドとかいう?」
 俺は『家出』したと説明を受けた男の名前を口にした。「身代わり、とさっき言ったが、どういうことだ?」
「リィンは死んだ」
 彼の声は平坦で、何の感情も伝わってこなかった。「だから、彼のふりをして生活してくれる人間が欲しい」

「死んだ……」
 俺がやがてそう呟くと、クリストは苦々しく笑う。
「夜盗に襲われて死んだ。正直、あれほど簡単に死ぬとは予想外だった」
「他人事のように言うんだな。自分の血を引いた人間が死んで、悲しくはないのか」
「感情についての質問も時間の無駄だろう」
 彼は呆れたような表情で眉根を寄せる。「悲しいか悲しくないか、よりも重要なのは、リィンの死であれの母親が落ち込んでいることだ。いや、この表現は正確ではないな。目の前で自分の息子が殺されて、精神状態が不安定だ。だから、代わりが欲しい、そういうことだ」
「代わり……代わりだと?」
 そこに義父の声が飛んだ。
 怒りともまた違う感情がその声には混じっているようだった。俺が義父に目をやると、酷く顔色の悪い義父の横顔が見える。
 そして、確かにその目の中にあったのは、『失望』だった。
「お前、いつからそんな考え方をするようになった? 何故、そんな……人間を道具のように……」
「最初に私を道具のように扱ったのは、ビクトリアだよ、ハリソン」
 奇妙なものを見るかのような目つきが、義父へと向けられた。
 本当に不思議そうな表情。何故、義父がそんな表情をしているのか、何故、そんなに声を荒げているのかも理解できていないようだ。
「ビクトリアが子供を作る相手として私を選んだのは、私の魔法使いとしての力が強かったからだ。最初は私も断ったが、彼女は引かなかった。それに、周りの雰囲気もね、それを歓迎していただろう?」
「何?」
「君だって言ったじゃないか。『二人を応援する』と。私がそんなつもりはない、と言ったのに。君が、そしてアリウス様が言ったんだ。ビクトリアとの結婚は、正しいことだ、と。だから従ったんだよ」
 義父は茫然として何も言えないでいるようだった。
 その横でアリウスは、椅子に座ったまま険しい目つきをクリストに向けてはいたが、苦しげでもあった。
「孤児であった私にとって、食事を与えてくれた君や、面倒を見てくれたアリウス様の言葉は『絶対』だった。だから、全く興味の持てない相手ではあったけれども、ビクトリアとの間に子供を作った。あれは義務だったんだ。それを遂行した私は、責められる理由なんてどこにもないと思う」
「正しいことだと、確かに言った」
 そこでアリウスが額に手を置き、小さくため息を漏らした。「似合いの二人だと、確かに言った。ビクトリアは喜んでいた、ああ、確かに彼女だけは喜んでいたよ。だが、お前は表情を変えなかった。お前はハリソンの気持ちに気づいていたから、ああ言ったのだと私は思っていた」
「『私より、ハリソンの方が彼女にはいいでしょう』、そう言いましたよ。でも、彼女はこう応えたんです。『魔法使いの血として受け継ぎたいのは、ハリソンの血ではない』、と」
 そこで、クリストの目が細められ、そこに映った酷薄な色は僅かにしか見えなかった。でも、誰もがそれを見ただろうし、嫌悪にも近い感情が一瞬だけ垣間見えたのだろう。
 アリウスを見つめた彼の口調は、先ほどよりも改まったものへと変化した。
 しかし、間違いなくそこには敵意のようなものが感じられる。
「彼女が欲しかったのは、『血』です。優秀な魔法使いとして子供が成長すれば、生活には困らない。だから、私は与えたでしょう? それがあなた方の願いだったからかなえたでしょう? もう充分だと思ったから逃げようと思ったんです。運よく、ルーズベリーで仕事も見つかりましたし、もう……あなた方に庇護されるだけの生活にも飽き飽きしていたのでね」
 それは露悪的な笑みだったと思う。
 それまでの人間的な感情とは無縁といった彼ではなく、いかにも悪役然とした笑顔。だが、どこか作り物めいた雰囲気は漂っていた。
「彼女が死んだのは私の不手際でした。もっと綺麗に別れられると思っていただけに、彼女の行動は私の予想の範囲を超えていました。咄嗟に彼女の攻撃魔法を跳ね返しただけでしたが、人間とは脆いものですよね。彼女は死んだ」
「……お前は……彼女のことが好きじゃなかったのか?」
 義父が茫然としたままの口調でそう訊くと、クリストは鼻で嗤って肩をすくめた。
「何故、彼女のことが好きだと思えるんだ? 彼女は、私以外の魔法使いの男性にもたくさん声をかけていた。その中から、選び出したのが私という男だ。好きとか嫌いとかいう問題ではなく、一番役に立ちそうだからという理由でね。だが、たとえそうだとしても君は彼女の死を悲しむだろうと思った。だから、君の記憶を操作した。綺麗な思い出だけが残った。そうしておきたかったんだ」
「……お前」
 義父はそう言ったきり、言葉が見つからなかったのか数歩後ずさって俯いた。頭を掻き、深いため息をこぼして床を見つめる。
 そんな義父を見つめていたクリストは、やがて薄く笑った。
「君には感謝してるよ、ハリソン。ビクトリアの息子を育ててくれた」
「……ビクトリアとお前の子だ」
「そうだね。本当なら私が連れていくべきだったんだろうけど、少なくとも、ビクトリアの血が入っていると思うとね、触りたくもなかった」

 自然と俺の手に力が入っていた。
 別に、実の父親との感動の再会を望んだわけではない。もともと、死んだと思っていた相手だ。
 しかし、ここまで嫌悪されていると思うと複雑だった。

「少なくとも、今は昔ほどつらくはない」
 やがて、クリストは静かに続ける。「ルーズベリーで貴族の娘と結婚し、義務感から子供は作った。それでも、ビクトリアとの生活に比べれば随分平穏だったよ」
「義務感、か。それ以上の感情はないのかね?」
 アリウスが痛ましげな視線を彼に投げると、クリストは不思議そうに首を傾げた。
「あると思いますか?」
「愚問だとでも言いたげだな」
「いいえ。でも、意外な質問でした」
 そこで彼はいったん言葉を切った後、俺を見た。まるで、値踏みをするかのような視線。
「さて、ここからは君に交渉だ」
 そう彼は続けた。「リィンが死んで、妻が精神的に危うい。報酬は払うつもりだし、魔物討伐とは違って危険もない。妻の前で、リィン・キンケイドとして生活をしてもらうという仕事だが、受けてもらえないだろうか」
「馬鹿馬鹿しい」
 俺はすぐに応える。「つまらない仕事だ」
「だろうね」
 彼は笑いながら頷く。「だが、君がリィンによく似ているのは事実だ。髪と瞳の色に手を加えれば、本当に瓜二つだと言える。きっと、君に会えば妻も喜ぶだろう」
「……本当に、道具扱いなんだな」
「何がだい?」
「妻とやらも、リィンとやらも。身代わりなんて……そんなことをしても、絶対に喜ばないと思う。それが普通の人間の考え方だろう」
 自分の子供が死んで、全く悲しむ様子すら見せない。会ったこともないリィンとやらに同情したくもなる。
 きっと、愛情とやらにも無縁なのかもしれない。
 この男には、人間らしい感情なんてない。あるのは計算ずくの行動のみ。
 リィン。
 ――俺の弟、にあたる人間。
 しかし、その存在を俺が知った時にはもう、この世の人間ではなかった。
 この、現実感のない事実。

「だが、情はあるつもりだよ」
 クリストはそう続けたが、俺はただ笑い飛ばした。
「とてもそうは思えないね。本当に情があるというのなら、別の方法を選ぶはずだろう。あんたの妻とやらに同情するよ」
「確かにね」
 そこで、クリストは笑みを消した。「だが、このまま放置しておけば今度は妻も殺されるだろう。私はね、それを阻止したい」
「何?」
 俺が困惑してそう返すと、彼は鋭い目つきで俺を見つめ返してきた。そして、いきなりその姿が椅子の上から消えた、と思った。

「コンラッド」
 突然、彼の顔が目の前にあった。
 身動きなんて取れなかった。
 彼の手が俺の頬に触れる。その冷たい感触が、俺の背筋を震わせた。
 何だ、この感じは。
「君は私の息子だ。残念ながら、この私の血を引いてる」
 彼がそう続けた瞬間に、奇妙な眩暈が起きた。
 それと、一瞬だけ鼻を突くような匂いが。その途端、身体の奥が痺れたような感覚が走る。
「何故、私が孤児だったか解るかい? 私はね、どうやら魔物と人間の合いの子だったらしいよ」
 ――何?
 何て言った?
 頭が働かない。
「捨てられたんだよ、親にね。そして、人間に暴行を受けて育った。仕方ないよね、魔物の血が混ざってるなんて気持ち悪い存在だろうから」
「クリスト」
 そう呼んだ義父の声が酷く遠く聞こえた。
「そこを助けてもらったんだ。ハリスンに、そしてアリウス様に。でも、一緒にはいられなかった。一緒にいたかったけれども、いられなかった。せっかく手に入れたと思った居場所だったけどね」
「……な、に」
 かろうじて俺がそう声を上げると、俺の頬に触れていた彼の指先に力が入った。
「そして、今度こそ手に入れた私の『居場所』だ。あいつらには邪魔はさせない。たとえ、どんな手を使ってでも守ってみせるよ」

 俺は何か言おうとしたと思う。
 しかし、唇は動かなかった。

「コンラッド!」
 誰かが俺の名前を呼んだのが聞こえる。しかし、誰なのかは解らない。

「大丈夫、傷はつけないようにする。何もかも終わったら、コンラッドは返すよ」
 そのクリストの声は酷く遠く聞こえて、その直後、俺は意識を失った。


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