本日の魔王様 番外編1-9


「……父は、死んだ、と」
 俺の口元に知らず知らずのうちに笑みが浮かんだ。
 そうだ、そう言われて育った。
 父は魔物に殺された、と。魔物は殺さねばならない存在だ、と。
 無差別に人間を殺す存在だから、と。

 それもこれも、父と……そして母も魔物に殺されたからだ、と。

 ゆっくりと首を捻り、義父の横顔に目をやった。
 そこにあったのは、ただ暗い瞳でハルに目をやったままで身体を硬直させている義父の横顔。顔色は血の気が失せていて白かった。

 ――それは嘘だった?

「義父さん」
 俺がかろうじてそう囁くように言うと、義父が急に額に手をやって俯き、苦痛に満ちた唸り声を上げた。
 その瞬間。
 俺も、そしてハルやギルバートも小さく声を上げた。
 急に身体に衝撃があった。いや、身体というよりも頭の中に直接流れ込んできたものがある。
 一瞬だけ、目の前に弾けるように現れた光景。
 暗闇の中で、足元に転がった『何か』。それは死体だった。
 長い黒髪が地面を這う。細い身体の下に広がった血だまりと、痙攣の後に硬直したのだろうと思われる、細い手。
 血の匂いすら感じたと思った。
 目を上げれば、そこにいたのは黒い影。
 ――黒い魔物。
 いつか殺さねば、と思っていた両親の仇。
 しかし、それは。

 ただの黒い影に見えた。
 しかし、それがゆっくりと人間の形へと変化していく。
 黒い髪の毛を持った男性。背が高く、細身の身体を持った彼は、ただ静かに足元に転がった死体を見下ろしていた。
 そして、その視線を上げてこちらを見た。
「……ハリソン」
 彼は小さく囁く。今にも消え入りそうな、何の感情も含まない、平静を保ったままの声だった。

「何故、今になって」
 義父が頭を押さえながら苦しげに言葉を吐き出した。「何故、今さらこんなことを。今さら、思い出させて」
「義父さん、今のは」
 きっと、義父の記憶の断片だろう。
 目の前にいる義父は、眩暈でも覚えたかのように近くの壁にもたれながら唇を噛んでいた。
 そして唐突に理解した。
 義父は嘘をついていたんじゃない。
 記憶をいじられていた。さっき見えた光景は、あれが真実。しかし、記憶を操作されて『黒い魔物』として作り変えられていたんだろう。
 本当は、母を殺したのは。

「……母を殺したのは、父、なのか」
 俺の声は茫然としていただろう。
 何もかもが現実感がなかった。
 義父はさっき、今になって、今さら、と言った。
 確かにその通りだ。
 俺だって、ずっとそう言われてきたのだ。両親を殺したのが魔物であると。
「そこまでは知らないよ」
 ハルが呆れたように肩をすくめ、困ったように笑う。「俺は命令されてあんたを探してただけだし。……そうなの?」
 少しだけハルは眉根を寄せ、何事か考え込んでいたようだった。しかし、複雑そうな感情をその目に浮かべ、小さく続けた。
「……まあ、意外ではないかな。正直、怖い人だよな、あの人。いや、あんまり大声じゃ言えないけどさ」
「お前……」
 俺はそう口を開きかけたものの、何も言えずにただ近くにあった椅子に腰を下ろしてため息をついた。
 とにかく頭の中が混乱していて、何も言葉が見つからなかった。
 義父もまた、そうだったのかもしれない。
「いつ、気づいたんだ?」
 俺は義父に向かって問いかける。「さっき、言ってたよな、信じていたものが……って」
「ああ」
 義父は虚ろな目で俺を見つめた後、軽く頭を振ってからその表情を引き締めた。「アリウス様が最近、教えてくれたんでな」
「アリウス様が。つまり、それは……結託してた、ってことか」
 俺がわざと悪意を込めてそう言うと、義父は苦々しく笑った。
「解らんが……多分、違うだろう」

「そうだな、違う」

 突然、空気が歪んだ。
 空間移動の魔法の気配というのは強烈だ。だから、誰もが――ギルバートでさえ身体を緊張させ、その場に現れた老人を迎えた。
 長い白髪、皺の目立つ顔。痩せぎすで、背筋を伸ばしているその姿は実際よりも背が高く見える。
 魔法使いらしい恰好はしていなかった。この辺りに住む村人と同じような、身動きのしやすいような質素な服。ずっと弟子も取らず、こんな村に引きこもっている老人らしいとは言えた。
「久しぶりだな、コンラッド。息災そうで何よりだ」
 アリウスは穏やかに笑い、俺を見つめている。
 しかし、その細い指が宙を叩くような仕草を繰り返している。その癖は、彼が緊張しているときのものだった。
「……お久しぶりです」
 そう返しながら、俺はじっと彼の行動を観察した。
 義父が空いている椅子を彼に勧め、アリウスが静かに腰を下ろす。何となく居心地が悪くて、俺は座った椅子から腰を上げると、代わりに義父に勧めた。
 義父が椅子に座るとすぐに、アリウスが口を開いた。
「簡単に説明すると、育て方を間違えたということだよ」
 アリウスはすぐに本題に入った。「クリストを拾ったのは、お前の義父……つまり、ハリソンだ」
「拾った?」
 困惑してただ言葉を返すと、義父がアリウスの言葉を引き継いで続ける。
「そうだ、俺が見つけた。あいつが食べ物を店から盗もうとしていた時に、それをとめたのがきっかけだ」
「食べ物を、盗む」
 自然と俺の口調に嫌悪といった感情が混じった。
 しかし、義父はどこか同情的な目つきで首を振る。
「俺もあいつも、まだ子供だった。そしてクリストは酷い怪我をしていてね、今にも死にそうに見えた。痩せていて、きっとほとんど何も食べていない状況が続いていたんだと思う。盗みに慣れていなかったから、簡単に俺に見つかったんだろうし、見つかった時は怯えてもいた。だから、彼を俺の家に無理やり引っ張ってきて、飯を食わせた。そして、懐かれた……と思った」
 餌付けだな、と思う。
 俺の考えを読んだかのように、義父が苦笑した。
「料理が趣味になったのも、あいつがきっかけだった。何を食べても嬉しそうにしたからな、魔法を勉強するよりも料理している方が楽だったというのもある」
「……お前には母親がいなかったから、子供の頃から家事は得意だったろう」
 アリウスが義父を見つめたまま薄く笑う。「ただ、お前の父親は魔法使いだった。だから、必然的にこの道に入った」

 魔法使いになるということ。
 それは、ほとんどの場合、親の仕事を受け継ぐことを意味している。
 俺が魔法使いになったのも、義父の仕事がそうであったから。そして、実の父親もそうであったから。

 アリウスと義父の説明から教えてもらったのは、こういうことだ。
 俺の実の父親であるクリストは、孤児だった。
 偶然、義父であるハリソンが彼を見つけ、家に連れて帰った。そこで、身寄りがないのなら――ということで、彼の父の養子となった。つまり、義父とは義理の兄弟になったというわけだ。
 義父が彼の父から教えてもらった魔法を、クリストも同じように学んだ。そこで気づいたのは、クリストの魔法使いとしての可能性。
 ハリソンよりもずっと秘めている力が大きく、次々と難しい魔法を習得していくクリストに戸惑い、義父の父、つまり義理の祖父は考えたのだ。
 ――自分の手には余る存在だ、と。

「そこで声をかけられたのが私だ」
 アリウスはこめかみに手をやって、軽くそこを揉んだ。目元も微かに震えていて、それは痙攣しているかのようだった。
「確かに、一目見ただけで彼が凄まじい力を持っているというのが解ったのだ。私はそれまで弟子を取るつもりはなかったが、彼を見た瞬間に気を変えたのだよ。あれだけの力を持っている弟子というのは、きっともう二度と見つからないだろうと思ったから、惜しくなった」
「彼のおまけのように、俺も引き受けてくれましたね」
 義父が苦笑をさらに濃くして、呆れたような口調で続けた。「でなきゃ、俺みたいな出来の悪い弟子など、あなたには必要なかった」
「言い訳はできんな」
 アリウスも苦笑した。「クリストが心を許している存在はお前だけだったし、傍に置いておけば彼のためになると考えた。事実、その効果はあったようだ」
「……兄弟のように思っていました。親友とも」
 そこで、義父は笑みを消した。「だから、祝福した。ビクトリアと結婚するという話が出た時も、俺は……」
「ビクトリアも腕のいい魔法使いだったからな」
 アリウスはそこで奇妙な目つきで義父を見つめ直した。「彼女の師匠も、なかなかの実力者だった。正直、クリストと結婚という話は意外だったが、もうお腹に子供がいるという話だったので仕方あるまい。その後、ビクトリアも私の弟子にしたが……複雑な状況だったよ」
 複雑?
 俺が怪訝そうにしたのが解ったのだろう、アリウスが俺を見て眉を顰めた。
「何しろ、ハリスンの片思いの相手だったからな、ビクトリアは」

「……何も、そこまで話さなくても」
 と、義父が苦々しげに笑う。そして、俺を見て慌てて言い繕うかのように続けた。
「凄い美人で腕利きの魔法使いとなれば、誰だって……気になるものだ。俺だけじゃない、他の男たちも彼女のことは狙ってた。彼女は近寄りがたい雰囲気だったし、そんなに俺だって接点があったわけじゃない。憧れみたいなものだよ」
「……義父さんの想いは知ってたのか? その、つまり……俺の父親は」
 俺の口をついて出た言葉は、黒い感情をも連れてきた。
「いや、誰にも言っていない。俺が勝手にビクトリアのことを……その、な」
 義父は俺が言いたいことを理解して慌てたようだった。
 義父が好きな相手を、クリストが奪った。
 そういうふうにしか思えない。
「言ってなかったとはいえ、はたから見れば誰にだって解っただろう」
 アリウスは静かに言う。「お前がビクトリアのことを気にかけていることなど、クリストだって簡単に」

「でも、あなただっておっしゃいましたよね、クリストが心を許しているのが俺だけだって」
 その義父の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのように響いた。「あいつはそんなことなどしない。俺たちの関係は何も問題はなかった。あいつがビクトリアとああいう関係になったのだって、お互いが強い魔法使いだったからでしょう。惹かれるものがあった、そういうことなんだと思います」
「本当にそう思っているのか?」
 アリウスがそう返した瞬間、義父の表情が強張った。
 彼の視線が床に落ちて、その目に苦渋の色がにじんでいくのを、俺はただ黙って見つめていた。
「……笑ったんです」
 やがて、義父は囁いた。「ビクトリアの死体を見下ろして、それから俺に目を向けて笑った。……何故でしょうか」
「混乱していたからだと思う」
 アリウスは静かに続けた。「『あの』直後、私もその場に行ったが……クリストは我を失っているように思えた。ビクトリアの死体の前でお前が跪いて何か叫んでいる時も、クリストの目つきは異常だった」
「異常……」
 義父は静かに言葉を繰り返した。
 すると、アリウスが微かに頷いた。
「人間を殺した直後だったのだ、混乱することも、そして判断を誤ることもあるだろう」
「判断……」
 義父がそこで視線を上げてアリウスを見た。「俺の記憶が改変されているのは、誰の判断ですか? 魔物がビクトリアを殺したという光景になっているのは?」
「それは私の判断だ」
 アリウスの目が細められた。「クリストは正常な判断ができなかった。ビクトリアを殺した場面をお前に見られたということが、かなりのショックだったと思える。だから、私から言ったのだ。『魔物が殺したということにしよう』と。そして、お前の記憶を消して、新しいものと置き換えた」

「何故」
 俺はそこで彼らの会話に割り入って入った。「何故、母は殺されなくてはならなかったと?」
 すると、アリウスは眉間に刻まれた皺をさらに深くさせ、俺を見つめた。
「クリストは些細な行き違いで、と言った。意見の相違があったからだ、と。そこで、彼女が激昂してクリストに攻撃魔法をしかけ、それを咄嗟にはね避けようとして失敗した、と」
「失敗?」
「大きな力がぶつかり合えば、反発し合う。その衝撃でビクトリアは死んだのだと」
 ――本当にそうなのか?
 随分と簡単な理由だと思った。大体、行き違いとは何だ? 意見の相違とは? それが原因で母が死ぬとは、あまりにも信じられない結果だ。
「……お前の考えていることは解る」
 そう言ったアリウスの指先は、やはり震えていた。「だが、痴話喧嘩とは時に行き過ぎればこのようなことにも発展する」
「痴話喧嘩? 随分とそれは……」
 俺が呆れたように声を上げるのを遮り、アリウスは低く言う。
「幼い赤ん坊がいるのに、クリストは彼女と別れようと話を持ち出した。その結果、捨てられそうになった彼女が激高した。この話に矛盾はあるかね?」
「別れ話?」
 義父がその言葉に反応した。「何故、クリストは彼女と別れようとしたのです?」
 アリウスはその問いを受けても応えようとしなかった。
 同情的な、憐れむかのような視線が義父へと向かっている。
「アリウス様、何故、彼は」
 重ねてそう強く義父が言うと、アリウスはため息をついた後に続けた。
「彼はもう、一人前の魔法使いとして名前を知られていた。赤ん坊のいるビクトリアを残し、ルーズベリーに仕事をしにいくことも多かった。そこで、彼女よりももっと条件のいい女性と出会ったのだと言った」
「はあ?」
 義父の喉から奇妙な声が上がった。
 俺でさえ、呆気にとられたのだから当然とも言えるだろう。

 つまり、心変わり、か。

「クリストは本当に理解していないようだった。何がいけないのか、何故、ビクトリアが怒ったのかも」
 アリウスは情けないと言いたげに笑う。「育て方を間違ったと言ったろう? クリストは、普通の人間らしい情というものを理解していなかったのかもしれない。だから、損得勘定だけで動く人間になっていたのだろう。そして簡単に、ビクトリアを切り捨てようとしたのだ」
「まさか、あいつが、そんな」
 義父が虚ろな目つきのまま言葉を吐き出し、アリウスがそんな彼を痛ましげに見つめながら続けた。
「クリストは言った。もしも我々が別れたとしても、ハリスンがいる、と。ビクトリアを支えてくれる人間がいるのだから、別れたとしても問題ない、と。むしろ、ハリスンが喜んでくれるなら、それでいい、と」
「嘘だろう」
 義父は茫然とそう呟くと、頭を抱え込んで黙り込んでしまった。
 重苦しい沈黙が続いて、やがて義父が顔を上げる。
 そして、何の感情も表していない顔を見せ、苦しげに息を吐いた。

「飲まない方がいいよ」
 突然、ギルバートの声が辺りに響いた。
 気が付けば、義父が疲れた表情で手を伸ばし、テーブルの上に置いてあったグラスを掴んだところだった。
 義父の動きが止まり、その視線がギルバートに向けられる。驚いたかのような彼の目つきからして、ギルバートという存在がそこにいたことすら忘れていたのだろうと思われた。
 実際に、彼があまりにも静かに我々の会話を聞いていたから、存在感はほとんど感じなかった。
 彼は繰り返し、「飲まない方がいい」と言ってから、その目をハルへと向けた。
「何か厭な匂いがすると思ってたけど、何の薬を持ち歩いてるんだ? さっき、俺たちの目を盗んで入れた薬って、どういう効果があんの?」
 そう彼が言った瞬間、ハルが小さく舌打ちした。
「獣人って鼻が良すぎるから困るなあ」
 そう言った直後、ハルの双眸に奇妙な色が浮かんだ。
 感情らしきものが一瞬だけ消え、そこに浮かんできたのは酷薄さが際立つ鋭さ。
「……何か入れたのか」
 義父がグラスをテーブルに戻し、さらに何か言おうとしたその時、ハルの唇から今までとは違う声が響いた。

「こんな再会は避けたかったよ」
 その声を聞いて、義父も、そしてアリウスも驚いたように息を呑んだ。
 ハルの唇は笑みの形をしていた。
 穏やかで、ただ静かな声がハルの喉から零れる。
「できれば、君には知られたくなかった。でも、こうなってしまったら仕方ない」
「クリスト?」
 義父は椅子から立ち上がり、そのままどうしたいいのか解らなくなったかのように動きをとめた。
「そう。久しぶりだね、ハリソン」
 そう言って微笑み、義父を見上げた格好でくつろいでいる彼は、ハルとは違う気配を発していた。


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