本日の魔王様 番外編1-13


 さすがに図書館は広かった。
 城の内部を見たのはこれが初めてであったし、廊下も酷く入り組んでいて、図書館にたどりつくまでに結構歩くことになった。
 ただ、城の内部が入り組んでいるのは当然のことだ。敵が襲ってきた時に、上手いこと足止めができれば何かと有利になる。
 俺はそんなどうでもいいことを頭に思い浮かべながら、城の図書館の中へ入ることになった。
 図書館の中には数人の男性の姿が見えた。
 一見して、魔法使いだろうと解る。
 城で働く魔法使いは、それなりに人数がいるとは聞いていたが、それ以上のことは解らない。ただ、街で仕事をしている魔法使いと比べれば、かなり裕福であるのだろうということだけはその服装からでも見て取れた。
 クリストはその時、この場から姿を消してしまっていて、本当ならば自由に動ける時間ができたと喜ぶべきだったのだろうが、当然とでも云うべきかお目付け役が俺のそばには残されていた。厩舎から戻ってきたハルが俺のそばから離れる気配はなく、少なくともこの状況では身動きは取れないのは明らかだった。
 逃げることも城の内部を見て回ることも不可能と解れば、あらゆるものから興味が失せるのは当然のことで、俺はただ図書館に並んだ膨大な書物にだけ目を向けてため息をこぼす。
 すると、そこに声をかけてきた人間がいる。
「珍しいな、一緒に行動してるなんて」
 そう言ったのは、軽薄そうな笑みを浮かべた若い男性だった。年齢は二十代後半といったところだろうか。
 その隣にも、年齢は彼とはそう変わらないだろう男性がいる。黒髪に長身、神経質そうな薄い唇。その彼が僅かに警戒したように、俺の横にいるハルを睨みつけていた。
「どちら様でしたっけ?」
 ハルは慇懃無礼といった様子で応え、俺の身体を隠すかのように前に立った。
「物覚えも悪いって噂だったっけ、ハル君は」
 軽薄そうな男がくつくつと笑いながら言った。笑い声を押さえようと口元に手をやった仕草も、どこかわざとらしく、そして皮肉げでもあった。そんな彼の様子に苛立ったように、ハルは僅かに口調を荒げて続ける。
「こんなところで喧嘩を売られても困るだけだ」
「売ってないだろ?」
 男は目を細めて笑みを消した。「で、その後、どうよ? 話はしてくれたのか」
 その言葉を聞いて、ハルが顔を顰めたのが解った。
 そして、目の前にいる男の連れの表情も、僅かに緊張に強張る。
「……クリスト様は弟子は取らない主義だって言ったよな?」
 ハルがやがて忌々しげに吐き捨て、居心地悪そうな視線を俺に向ける。その目の中に複雑な感情が見えたのが解り、俺も困惑して眉を顰める。
 すると、軽薄そうな男はその顔を俺に向けて微笑みかけてきた。
「じゃあ、リィン・キンケイド様、あなたにお願いしましょうかね」
 その男の発音は、どこか俺を挑発しているかのようだった。
 特に、『リィン・キンケイド様』と呼んだその声音には、嫌悪感を抱かせるような響きがあって、俺はおそらく、表情に出ていたのだろうと思う。彼を不快だと感じたような感情が。
 だから、彼は急に冷めたように表情を消したのだろう。
 そして、こう続けた。
「城で働くってことは、それだけの実力があるってことだ。師匠や親が実力者であるってだけで、ここで働けるなんて甘いんだよ」

 ――さて。
 俺はただ彼らのことを見つめるだけだった。
 何となく意外な展開だったというのもある。
 俺が思わずハルに目をやると、ハルは小さく舌打ちした後、俺を図書館の奥にある机と椅子が並んだ場所へと行くように仕草だけで示した。
「……落ち着け」
 黒髪の男がそこでやっと口を開き、連れである軽薄そうな男に窘めるように囁く。
 何となくそのまま彼らの会話を聴いていたいという考えもあったが、今の俺はクリストによる操り人形のような存在だ。下手に会話することも動くことも避けた方がいいだろう。ハルに疑われるのも避けなくてはいけない。
 仕方なく、できるだけ耳を澄ませたまま机の方へと歩み寄った。だが、離れすぎると彼らの会話は聞こえなくなる。だから、近くの本棚に興味を持ったような態度で足をとめ、本棚から一冊の魔法書を抜き出してその場で開いた。

「ヴァイロン様に言えばいいだろう。向こうは来るもの拒まずだろう」
 ハルが小声でそう言っているのが聞こえた。
 しかし、軽薄そうな男は苦々しく応える。
「あの人は落ち目だよ。お前も解ってるだろうが、あの派閥に関わっても未来はない。クリスト様ばかりだろう? 最近、国王陛下に重要な任務を任せられているのは。だから、ヴァイロン様だってクリスト様を自分の下に置こうと必死だ。上に立ちたいだけの老人さ」
「だがそれでも、クリスト様よりは発言力もある」
「今だけだね」
「何故?」
「……」
 時々、彼らの言葉が途切れて聞こえなくなる。
 だが、雰囲気だけは伝わってきた。
 先ほどまでの敵対しているかのようなやりとりではなく、だんだんお互いが冷静になってきているようだった。軽薄そうな男も、そして連れの黒髪の男も、真剣な様子でハルと会話している。

 ――派閥か。
 俺は魔法書を読んでいるふりをしつつ考える。
 城の中、魔法使いたちの関係というのはどうも生臭いらしい。人間同士、権力といったものが絡むとどうしてもこうなるのは否めない。
 ヴァイロンというのが城内一の権力を持つ魔法使い……だった。
 だが、クリストがそれに成り代わろうとしている。
 それに気づいた若い魔法使い――この二人の男は、クリストの弟子となりたいと考えている。その方が将来的に安泰と考えたのか。
 クリストとヴァイロンの関係は、先ほどの様子から見てもいいものとは思えない。
 ……潰し合い、だろうか。
 正直なところ、勝手にやってろ、と言いたくなるような状況。
 全く興味を惹かれない、んだが。

 その時、俺は何か不穏な気配を感じて図書館の窓の方へ目をやった。
 それを感じたのは俺だけではなく、ハルも、そして例の二人も、この図書館にいた他の魔法使いたちも、自然と窓の方へ近寄って外を見た。
 窓の桟に手をかけて下を見下ろすと、広い庭があった。警備に出ている騎士たちの姿が、それぞれ同方向へと向かって駆けだしているのも見える。
「侵入者だ」
 そう言ったのは、誰だったのか。
 一瞬だけ、俺はギルバートのことを思い浮かべて眉を顰めた。
 まさか、城の中にまで侵入するほどバカではないと信じたいが――、いや、バカだからな、と不安になる。
「ここにいろ」
 突然、俺の肩にハルが手を置いてそう囁いた。
 反射的にその手を振り払ったが、ハルは俺を見ようともせず、そのまま窓の桟に足をかけて庭へと飛び降りた。
 結構な高さがあったと思うのだが、ハルの身体は宙にふわりと浮いて、軽い足音と共に地面へと着地する。そして、彼は騎士たちが向かおうとしている方へと走り出した。
「城の中に侵入者というのは……よくあることなのか」
 俺はハルという見張りがいなくなったことで、少しだけ安堵しつつ例の二人に声をかけた。
 軽薄そうな男、そして黒髪の男は窓のところに立ち尽くしていたが、俺の言葉に我に返ったようにそれぞれ首を振った。
「普通、あり得ないことだな」
 そう言葉を返してきた軽薄そうな男は、どうやら話好きらしい。いや、口が軽いのだろうか。黒髪の男は警戒したような目つきで俺を見つめていたが、軽薄そうな男は薄く笑って肩をすくめ、小さく続けた。
「ま、どうせ捕まるだろ。俺たちが動くまでもなく、騎士連中が働いてくれるだろうし、それに、雑用大好きなハル君が飛んでったわけだし?」
「雑用……」
「こう言っちゃ気を悪くするかもしれねーけど、クリスト様の弟子であるハル君、魔法使いには向いてないだろ? そんなに力も強くないし、どうやら自分でも自覚しているらしいし? だから必死に雑用こなして頑張ってる。何しろ馬車まで乗りこなす魔法使いなんて……バカバカしいと思わないのかねえ? いや、そこまでしないとクリスト様の弟子にはしてもらえないってこと……なのか」
 と、そこで不満そうに鼻を鳴らす彼。
「さすがに息子である君は雑用などしないのだろう?」
 そこで、黒髪の男が低く問いかけてきた。
 幾分、さっきまでこの場に漂っていた緊張感が薄らいだようだ。彼は少しだけ笑みを口元に浮かべ、僅かに首を傾げて見せた。
「……いや、それなりには」
 少しだけ考え込んだ後にそう応える。
 本物のリィンはどうだったのだろう。
 クリストに……大切に扱われていたのだろうか。それとも、道具のように扱われていたのか。
 移植された彼の記憶の断片から見て取れる分には、表向きはよくある親子関係のような感じなのだが。
「……厳しい人なんだろうな」
 黒髪の男がため息をこぼしながら言う。
 俺は少しだけ考え込んだ後、ハルが言った言葉を思い出して笑った。
「怖い人、だと思う」

「へえ」
 軽薄そうな男が幾分かの沈黙の後、困惑したように眉を顰めた。「何だか、他人事のような言い方だな」
 ――おっと。
 勘は鋭いらしい。俺は笑顔のまま首を傾げる。
「他人事だよ。……城で働くのは性に合っていない。だから……」
 と、語尾を濁すと彼は何か納得したように頷いた。
「凄い親を持つと大変だよな」
 そう言った後、彼はニヤリと笑って見せた。「まあ、頑張ってみたら? 治療魔法、クリスト様に習ってるんだろ?」
 彼の視線が俺の手の中にある魔法書に向けられ、からかうような響きが伝わる。何でもいいからと本棚から取った本は、治療魔法に関する魔法書だったらしい。俺はそれを見下ろして小さく唸る。
「……治療魔法は苦手だ」
 そう呟いた後、俺は顔を上げて彼に訊いた。「クリスト……父は薬草学が得意だと言っていた。治療魔法も……」
 と、途中で言葉を切ると、彼はあっさりとその続きを受け継いで応えてくれる。
「ああ、得意なんだろうな。見た目の変わらなさは凄いし、あれも治療魔法ゆえの結果なんだろ? まさか、噂通り、不老不死……なんてこともあるのか、と驚くけど」
「噂……」
「そりゃ、噂にもなるだろ? だって、息子のお前とそんなに年齢が変わらないんだし。あれはびっくりだわ、ホントに」
 ――なるほど、治療魔法ということになっているのか。
 そう心の中で呟いた時、地上では何か騒ぎになっているらしいということに気づいて視線をその方向へと落とした。

 ――ギルバートじゃない。
 その男を見て、自分が安堵していることに気づく。
 騎士たちに捕縛された男が、城の中に連れていかれそうになっている光景がそこにはあった。後ろ手に縛られ、さらに両脇を騎士たちに固められ、暴れても逃げ出せずにいる男。
 そのすぐ横に無表情のハルの姿もあった。
 そして、彼が俺たちの視線に気づいたのか、こちらを見上げてきた。
 三十代だと思われる男だった。あまり身綺麗といった感じはしないが、その眼光は鋭く、顔色は土気色にも近かった。
『殺したのに』
 そう、彼の唇が動くのを確認して、俺は身体を強張らせる。
 そしてその直後、赤い飛沫が舞った。

 目にもとまらぬ速さで騎士たちの腕を振り払った侵入者は、いつの間にか腕の拘束を解いていた。
 さらに、騎士の一人から奪い取った剣を手に、一番近くにいた騎士を切り伏せて叫んだ。
「あの男を出せ!」

「ヤバい」
 それを見た軽薄そうな男は、慌てたように呟いて窓の桟に手をかけた。
 ハルがやったのと同じように、宙を舞って地面へと下りる。それを追って黒髪の男も動く。
 図書館の中にいた魔法使いたちも、さすがに緊張した面持ちで廊下へと駆けだした。
 俺も一瞬だけ悩んだものの、どうしても気になって窓の桟に手をかけた。
 ――ここにいろ、と言われたんだった。
 そう内心で舌打ちしたのは、ハルの顔を見てからだ。
 ハルが苦々しげに俺を見て、地面へと下りたこちらに駆け寄ってくるのを視界に捉えつつ、素早く侵入者を見やる。すると、その男は血にまみれた剣を手に、俺の方へと地面を蹴って飛んだ。
 ――剣士だ。
 騎士というような洗練された動きではなかった。
 だが、剣を振り慣れている動きだった。
 俺は咄嗟に防御呪文を詠唱し、自分の周りに防御壁を作り上げた。
 辺りに閃光が走り、誰もが慌てたように目を腕で覆い隠す。
 そして、侵入者の振り上げた剣は俺が作り上げた防御壁に当たり、跳ね返される。
 侵入者は素早く体制を整えると、まるで俺を捕まえようというかのように間合いを詰めてきた。

「……面倒くさい」
 俺はそう吐き捨てるように言う。「だから、足の一本でも折らせてもらう」
 そう言ってから、また呪文の詠唱を始めた。
 攻撃呪文。俺の得意分野。
 だが、俺の呪文が完成する前に、鋭い声が響いた。
「やめなさい」
 それは、一番聞きたくない声とも言えた。
 呪文の詠唱を中断し、その声の主――クリストを見やる。冷ややかな双眸、何の感情も感じられない声。
 クリストがそう言って城の中から姿を現した時、また別の声が反対方向から響く。
「何の騒ぎだ」
 そう言ったのはヴァイロン。嗄れた声には奇妙な響きがあった。
 弟子と思われる男性たちを引き連れたヴァイロンは、素早く魔法の呪文を詠唱して完成させた。
 その途端、侵入者の身体が地面へと転がる。
 拘束魔法。
 その身体中に巻き付いた光の帯は、侵入者の自由を奪い、その手に持っていた剣すらも落とさせる。
「下がりなさい」
 ヴァイロンは近くにいた騎士たちに鋭く命令した。
 その有無を言わさぬ物言いに、騎士たちも納得がいかないようで、それぞれ口々に何か言いかけようとする。
「怪我人を連れて中に入りなさい」
 重ねてヴァイロンが言うと、騎士たちの動きも鈍くなる。
 地面に転がっていたのは、侵入者だけではないからだ。侵入者によって切り伏せられた騎士の一人が、苦痛に呻いて倒れている。

「殺したんだ!」
 騎士たちがその場を離れようとする前に、地面の上に転がった侵入者が叫んだ。ヴァイロンがまた何か呪文の詠唱を始めたが、侵入者は必死に続ける。
「そのジジイの命令通り、ちゃんと殺した! 報酬を払うと言ったのに、弟を殺しやがって!」
「黙れ」
 慌てたように声を上げる、ヴァイロンの弟子。
 その直後、侵入者の身体から奇妙な音が上がる。鈍い音。骨が砕けるような、厭な音。

 気づけば、侵入者の首があらぬ方向へとねじれていた。

「どういうことでしょうか、ヴァイロン様」
 そこに、クリストの静かな声が響いた。
 笑みすら口元に浮かべ、穏やかすぎるくらいの口調に誰もが息を呑んだ。
 誰もが動きをとめ、クリストを、そしてヴァイロンを見つめた。

「盗賊の言葉を気にされているようだが、貴殿が何を懸念しているのか全く理解できん」
 と、ヴァイロンが口を開き、クリストを見つめる。
「盗賊?」
 クリストが死体のそばに歩み寄り、ゆっくりとその場に膝をついた。
 その見開いた目には、もう何の力もない。首を折られ、息絶えた死体。その死体の髪の毛をそっと撫で、それから一気に掴み上げて持ち上げる。
「殺したとは誰のことでしょうか、ヴァイロン様」
 死体の頭を引いて持ち上げたクリストの笑顔は、狂気じみていた。「『ジジイの命令通り』とは、どういった意味でしょうか、ヴァイロン様?」
「……クリスト様」
 慌てたようにクリストに声をかけるハルの横顔には、心配そうな色が浮かんでいた。
 だが、クリストはそんなハルを一瞥すると穏やかに笑って首を振る。
「この場にいる人間が証人ですね。あなたの命令で、この盗賊とやらは人を殺した。そういうことです」
「馬鹿なことを」
 ヴァイロンは苦笑して見せたが、クリストの笑みは崩れなかった。
「あなたは人を殺すようにこの男に、そしてその弟に命令した。弟の口封じは済ませたようでしたが、この男には逃げられた。しかし、愚かなことに弟の仇でも討ちたかったのか城の中にまでやってきてあなたに会おうとし、結局あなたの手で殺された。そういうことですね」
「面白いことを言う」
 ヴァイロンとクリストの会話を誰もが息を詰めて聞いている。
 ヴァイロンは多少、その口元を緊張に強張らせているようにも見えた。だが、声は限りなく冷静だった。
「侵入者を殺しただけでそのようなことを言われるとは思わなかったぞ、クリスト殿。一体、私が誰を殺させたと言いたいのだ?」
 一瞬だけ、ヴァイロンの視線が俺に向けられたと思った。
 ほんの一瞬だけの動きだったから、気づかなかった人間も多いだろう。だが、確かに彼は俺を見た。
「私の息子ですよ、ヴァイロン様」
 そこで、クリストは死体を地面に放り投げるようにして立ち上がり、酷薄な笑みを口元に張り付けて続けた。「リィン・キンケイドを襲わせた。私に対する脅しのために。そうでしょう?」



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