俺と獣人との問題と同時並行で、クレイグにも色々と問題が起こっていた。
最初の目的、魔王討伐に関わることだ。
いや、それが本当の目的だった。ただ、俺がそれどころではなかったというだけで。
ギルバートは俺がどんなに攻撃しても――殺そうとしても、懲りずに俺の前に姿を見せる。その能天気なまでの笑顔をどうにかして壊してやりたいと思ってはいたが、上手くいかずに焦りだけが俺の中に渦巻いていた。
そんな状況の時、俺たちが宿としている場所に、あの――クレイグを強姦するという目的を持った魔王が姿を見せ、俺にとっては意外な展開を迎えることになった。
「うちは薬屋であって、医者なんかどこにもいないんだよ」
俺が目を覚ました時、そんな女性の声が聞こえてきて困惑した。
目を開けた瞬間に見えたのは、薄暗い部屋の壁。俺はその部屋に置いてあった長椅子に寝かせられていたようで、身体を起こすと自分の上にかけられていたらしい毛布が床へと滑り落ちた。
それほど大きな部屋ではない。
一つだけある扉は開け放たれたままで、その向こう側には狭い廊下があるのが見えた。廊下には窓があるのだろう、そこから光がこの部屋の中に入ってきている。ただ、この部屋には窓はない。
本棚と、何の飾り気もない木の棚、使い込んでいるせいで黒っぽく見える木のテーブル。部屋の隅には積まれた木箱、棚の上に並んだ大小さまざまな籠、そこには一目で薬草の類だと思われる独特な形の葉の植物。
――ここは、どこだ。
そう思いながら辺りを見回すと、途端に激しい頭痛が襲ってきた。
そう言えば、さっきまで俺はギルバートと戦っていたはずだった。そこに魔王がやってきて、意識を失った……のか。
頭痛が治まると、俺は改めてこの状況に戸惑うことになる。
「でもさ、意識失ってる人間を連れ込む場所なんて……ああ、連れ込み宿ってやつか!」
その声は聴きたくもない、ギルバートの楽しげなもの。
途端、厭な予感だけが俺の中に生まれる。
その声は廊下の先、別の部屋から聞こえてきている。
「連れ込み宿……あんたね、さっきのは男だろ?」
そう応えたのは、先ほどと同じ女性の声。掠れ気味の声のせいか、かなり年配のようにも聞こえた。
「うん、イケメンの類だけど女には見えないよな」
「そういう意味じゃないよ」
その女性は呆れたように言う。「まあいいさ。うちにきたってことは、手土産くらい持ってきたんだろうね?」
「そりゃね」
そこで、ギルバートが明るい笑い声を上げた。
一体、何だ。
俺は警戒しつつ、その部屋から廊下へと出た。一歩進むと床板が軋む。あまり新しい建物ではないようで、俺は足音を消すことは諦めてそのまま進んだ。
「よう、起きた?」
声のする部屋を覗き込んだ瞬間、ギルバートが手を挙げてこちらを見詰めてきた。どうやらそこは店らしい造りの部屋で、木でできたカウンターの前にギルバートが椅子に座っている。カウンターの中には、ふくよかな体格の女性が立っていて、カウンターの上に並べられた見慣れない薬草らしき植物の山を見下ろしている。
黒いひっつめ髪、太い眉に気の強そうな横顔、年齢は四十代後半といった感じの女性。
「……ここはどこだ」
俺は彼らには近づかないようにして低く訊いた。
何となくだが、奴らの巣に入ったような気がして背筋が冷えたからだ。
奴らの巣。つまり、この女性も獣人という――。
「俺の行きつけの薬屋」
ギルバートは椅子に座って足を組み、くつろいだ様子で笑う。「俺が森で採取してくる薬草を高く売りつける場所だな!」
「相場でしか買わんよ」
すぐにその女性は眉間に皺を寄せ、ギルバートを睨みつける。
そして、俺は思わず小さく訊いた。
「ここは村、か?」
「そだよ」
ギルバートは困惑したように首を傾げる。「どこだと思ったんだ」
「何を企んでる?」
俺はゆっくりと後ずさり、素早く辺りを見回した。逃走経路は――と思ったが、どうやら入り口は一つだけのようだ。逃げるなら、ギルバートの脇を抜けてその背中側にある扉を開けなくてはならない。他に逃げ道は、と考えていると、いきなりその扉が開いた。
「いらっしゃい」
女性がすぐにそう声を上げる。
扉が開いて入ってきたのは、黒いマントに身を包んだ男性で、いかにも旅人のような姿だった。長旅だったのか、革靴はくたびれて汚れていたし、マントの下から現れた男性の顔にも疲れが見える。見た目では年齢はまだ三十代のようだったが、疲れているせいか、そう見えるだけかもしれない。もう少し若いのだろうか、とも思う。
「どうも、久しぶりだな」
そう言った彼の顔を見て、女性が少しだけ表情を和らげる。どうやら顔見知りらしく、女性の声もどこか安堵したかのような、穏やかなものへと変化した。
「お疲れだね。街からここまで休みなしかい?」
「ああ、必要なものを手に入れたらすぐにとんぼ返りだ」
そう言ってから、彼は少しだけ黙り込んでこの場にいる者たちの顔を見回した。
カウンターの中にいる女性、ギルバート、そして俺。
どうも訝しげな目つきで俺を見た後、ギルバートに目をやって首を傾げた。
「……前も見た気がするな」
「あ、俺? 美形だから目立つ?」
ギルバートは歯を見せて笑う。そのバカっぽい笑顔に毒気を抜かれたかのように、その男性は間の抜けた声を上げた。
「いや、それは関係ないと思うが」
「ひでえ」
「前もここにいたな? だから見覚えがあるんだろう」
「まーね。俺、ここに入り浸ってるから見られたことあるかもね。俺って薬草採取の達人だし、サンドラのお得意様ってわけ」
「薬草採取か」
その男性はそこで納得したように頷いた後で、俺に目を向けた。「そちらは? 顔色が悪いようだが」
どうも、酷く警戒されているような気がした。
警戒すべきなのはこちらもだ、と内心で思う。
俺はこの状況が一体どういうものなのか解らず、一瞬だけ顔を顰めた後でギルバートの横顔に向かって鋭く言った。
「何が目的で俺をここに連れてきた?」
「え?」
そこでギルバートが俺を見た。「どこか、話ができるところを探そうと思ってたんだけどさ、あんまり変なところに連れていくわけにもいかないじゃん」
「話?」
「別に森の中に連れ込んでもよかったかと思ったけど、二人きりだと絶対警戒されると思って」
「当たり前だ」
瞬時にそう返してから、俺はゆっくりと右手を握りしめる。そんな俺の緊張に気づいたのか、ギルバートが頭を掻きながら笑った。
「あ、ここで戦うのはなしね。関係ない人間巻き込むのは勘弁してくれ」
「そんなもの、俺には関係ない。俺は」
「戦う? 何をしたのあんた」
女性――おそらくサンドラという名前の女性は、鋭い視線をギルバートに向けて低く訊いた。すると、ギルバートはとても簡単に――まるで挨拶の言葉を口にするかのように言った。
「そいつのこと、強姦しちゃったんだよね、俺。で、すっげえ怒られて殺されそうになってる」
眩暈。
俺はその場に座り込みたくなる衝動を堪えつつ、一歩ギルバートの方へ足を踏み出した。
「ちょ、ストップストップ!」
ギルバートが慌てたように椅子から立ち上がり、両手を前で振りながら俺をなだめようとする。「暴れるなら外に出よう、外に」
「望むところだ」
そう言った俺の口の中で、歯ぎしりの音が響く。
この男を殺すことができるのであれば、何だっていい。どんな方法でもいい。とにかく殺さねば、という強迫観念にも似た感情。
「……男、だよな……」
男性が困惑したように呟くのを聞き流し、俺はそのままギルバートの横を抜けて扉へと手をかけた。
しかし。
「その前に、その薬草を」
と、男性がカウンターのそばに近寄ってギルバートに声をかける。「これはお前が持ち込んだ薬草か? 売ってもらえるんだな?」
俺が振り返ると、カウンターの上に積まれた薬草を真剣な表情で見つめる男性の姿があった。ギルバートもそう言われて足を止め、笑いながら頷く。
「俺がサンドラに売りつけて、その後でサンドラがあんたに、ってことでいい?」
「それでいい。値段の交渉は裏でやってくれ。俺はここで待ってるから」
その男性はそう言った後で店の中を見て回り、壁際に立って動きをとめた。
ギルバートは部屋の隅でサンドラと何か小声で言い合った後、商談がまとまったらしく何度も彼女に頷いて見せた後でその男性に声をかける。
「なあ、あんたって薬師? 魔法使い?」
「……それを聞いてどうする」
男性が眉を顰めてギルバートを見つめる。
すると、ギルバートはどこかそわそわした様子で彼に近づき、酷く純粋できらきらと輝く瞳を向け、小さく言った。
「媚薬の作り方とか知ってんの?」
「……それを聞いてどうする」
「飲ませるに決まってんじゃん」
「誰に」
「そりゃもちろん」
と、ギルバートだけではなく、男性も、サンドラの視線も俺に向けられて。
俺はまっすぐギルバートに近寄ると、力任せに殴りつけた。がつ、という鈍い音が響き、ギルバートがその場にしゃがみこんで頭を抱え込んでいた。
こいつの頭が石頭なのは間違いない。本気で殴りつけた俺の拳も痛かった。
「お前、ここで殺す」
俺がそう唸るように言った瞬間、男性が同情を含んだ声を上げた。
「……万が一、変な薬を飲まされた時の解毒剤の調合を教えてやろう」
その男性の名前はライルといった。
どうやら俺と同業者らしい。街の魔法使いで、薬草を手に入れるためにこんな村にまで足を延ばしてきているらしいとも知る。
俺は師であるアリウスには、あまり薬草学は教えてもらえていない。どうも、アリウスがそれを避けているようでもあった。その理由はよく解らないが、彼が俺に教えてくれたのは必要最低限の薬草学だけだった。
だから、正直なところ、ギルバートがこの店に持ち込んだ薬草など見たこともない。全ての薬草の効能を知るには、別の師に学ぶしかないのだろう。
そして――ライルの知識は俺よりもずっと多い。だから少しだけ、俺は彼に興味を持ったのは事実だ。
目の前にギルバートという邪魔者がいなければ、もっと深く会話ができただろうに。
ギルバートは俺に殴られた後、すねたような表情で部屋の隅で椅子に座っている。その様子が目に入るだけでも苛立つ。
俺はその存在すら忘れたくて、少しの間だけ、彼が教えてくれる薬草学についての会話に集中していた。
「……コンラッド、か」
ライルは帰り際、首を傾げて俺に訊いてきた。「どこかで会ったことはないか?」
「俺と?」
俺は店から出ていこうとするライルを見送りつつ、軽く首を横に振った。「いや、会ったことはないはずだ」
「そうか。じゃあ、似てる誰かを見たのかもしれないな」
ライルは小さく苦笑して、軽く俺の肩を叩いた。そして、どうしても感じてしまう他人の手に対する嫌悪感を必死に押し殺す。だが、俺の身体が強張ったことに気づいたらしいライルが憐れむような目つきで俺を見つめ、素早くギルバートに目をやって囁いた。
「……バカに関わるとろくなことにならない。これだけは忠告しておく」
「解ってる」
俺も囁いて返した。
そんなことは言われなくても解っていることだった。でも、関わらないなんてことができるはずがない。だから諦めているだけだ。
「バカに付き合うのは慣れてる」
そう言葉を続けると、彼はため息をついて肩をすくめた。そして、それ以上何も言わずに店を出ていった。
「ギルバート、いい加減におし」
俺の背後で、サンドラの声が響いていた。
振り返ると、ギルバートはサンドラの前で不満げに眉を顰めている。椅子に座り、肩を落としているその姿は、情けなく見える。
――こんな、奴に。
改めて俺は自分の中に怒りを感じて、そんなギルバートの背中を睨みつけた。
「あんたはバカだけど、根はいいやつだと思ってたよ。でも、それは間違いだった。そういうことだね」
「でも俺」
「でもとか言わない」
サンドラの口調は静かであったが厳しかった。「さっきの言葉が本当なら、あんたは本当に最低なことをしたんだよ。解ってるのかい?」
「解ってる。だから謝りたいと」
「無理に決まってるだろ」
そう、無理なのだ。
俺はそこで彼らをその場所に残したまま、店を出た。扉を開けると、そこには狭い路地があった。
この薬屋はどうやら、大通りからは随分と離れた場所にあるらしい。店をやるには似つかわしくない、人間があまり入り込まないような場所に。
だが、その理由は何となく理解できた。
先ほど、ライルとの会話の中で、少しだけ伝わってきた事実。
それが、サンドラがやっているこの店が扱う薬草は、毒草が多いということだ。毒草とはいえ、きちんとした使い方をすれば、普通の薬ともなる。だが、効き目が強い。強すぎる薬は毒にもなる。それは薬を扱う者だったら誰でも理解できていることだろう。
ギルバートが持ち込む薬草も、この店が取り扱うに見合うものが多い。つまり、毒草を選んで持ちこんできている。それは、高く売れるからという理由もあるだろう。だが、それだけではないような気もする。
「おい、コンラッド」
路地を歩き進んでいくうちに、俺の背後からギルバートの慌てたような声が追ってきた。
俺は振り向かずに応える。
「ここで殺し合うか?」
「いや、話し合い」
ギルバートの声は少しだけ緊張しているように思えた。先ほどまでのお気楽さはそこにはなく、改まったような口調。
だから、俺は足をとめて振り返った。
「何を話すことがある? どこで戦うか、そういう話か?」
俺が睨んでも、ギルバートは怯む様子を見せなかった。薄暗くなりかけた空の下で、彼の表情も曇りがちのようだった。
「違う。お互いの立場ってやつを話し合おう」
「立場ね」
俺は低く声を上げて笑った。「人間を犯すことを正当化しようってことか」
「違うよ。ただ、俺たちも人間も、そんなに変わんない」
「変わらない? どこがだ!?」
俺の声が大きくなった。慌てて声を潜め、それでも怒り交じりの言葉を吐き出した。
「お前たちは殺されても文句は言えない立場にある」
「何でだよ」
「お前は……俺を」
そこで呼吸が乱れ、俺は自分の服の胸元を掴んだ。
何とか呼吸を整えようとしていると、ギルバートは苦笑しつつ続けた。
「……前も言ったろ。お前が俺を殺そうとしたんだぜ? だからやり返しただけ」
「だからそれは」
「解ったんだ、あの時。お前、魔物を殺すのが目的なんだろ。ただ、楽しいから殺してるんだろ。何の理由もなく、虐殺を楽しんでる。そういうことだよな」
「違う」
「何が違う? だって、お前の目は」
「違う! 俺は、俺の両親は……魔物に殺された、だから」
そう俺が必死に言葉にした時、ギルバートが困惑したように首を傾げる。
「俺の両親も、前の魔王様が殺された時、一緒に人間に殺されたんだぜ? 何が違うの」
一瞬、俺の呼吸がとまった、ような気がする。
俺はギルバートの顔を見つめ、その表情を観察した。しかし、彼は不思議そうに俺を見つめているだけだ。
「そりゃ恨むのは当然だと思うよ。俺だって、子供の頃は人間のこと、嫌いだったし。でもさ、恨む相手は実際に手を下した奴のことだろ? 俺は両親を殺した人間のことは恨むけど、お前は何もしてないじゃん。だから、最初は何もする気なかった。だから口裏を合わせようって本気で言ったわけ。でも、お前は魔物討伐を理由に俺を、そして他の魔物も殺そうとする。それって恨みじゃないよな。遊びだろ?」
「遊び?」
「そう。子供が虫けらを足で潰して遊ぶ、そういうやつ。ちっぽけな命が死んでいくのを上から見て、気持ちよくなる。そういう遊びをしてるんだよな、お前は」
「違う」
「違わない。だから、最初はお前のこと、好きじゃなかった」
――最初は?
じゃあ、今は?
馬鹿馬鹿しいことを言う。
俺は冷ややかな目つきで彼を見ただろう。しかし、ギルバートは困ったように笑って続けた。
「でも、今はちょっと違う。以前と比べて目つきが違うし、何となく、根は違うんじゃないかなって思い始めてるし、何ていうかこう……可愛いんじゃないかって思うところもあるし」
――くそ。
俺は右手の拳を握りなおす。途端、ギルバートが慌てて後ずさる。
「ちょっとは真面目に話し合おう。暴力反対」
「貴様が変なことを言うから」
「変じゃない。事実ってやつ」
ギルバートはそこで表情を引き締める。「だからさ、話し合えば理解し合えるんじゃないかとも思うわけ」
「できるわけないだろう! 魔物は……殺すべき存在だ」
「何で?」
そこで、ギルバートが苛立ったように声を荒げた。「サンドラの夫って、人間に殺されたんだってさ。高価な薬狙いの盗賊に襲われたって。人間が人間を殺す。よくある事件だよな、そういうのって。なあ、その辺りはどう思うんだ」
「何が」
「魔物が人間を殺すから、魔物は殺すべき。そういう考えなら、人間が人間を殺す場合は? 人間も殺すべきなんじゃないの」
「それは」
「人間様は特別なの? 人間が人間を殺しても、それは許されるって考え? それがお前の信念だっていうのかよ」
「違う!」
「違わねーよ」
そこで急に、ギルバートが動いた。
気づけば彼の顔が目の前にあって、俺の腕は彼の手に掴まれていた。
俺は悲鳴じみた声を上げ、その手を振り払って後ずさる。
「お前のことは許さない! 殺してやる!」
「そりゃ別にいいよ。それだけのことをしたから」
ギルバートは酷くあっさりと言ったが、すぐにこう続けた。「でもな、それでも考えて欲しい。俺たちはお前に殺されるための、理由もなく虐殺されて踏みにじられるための存在じゃない」
「こんな会話、必要ない。お前の言葉など何の意味もない」
「虫けら同然の存在だから?」
「ああ、そうだとも!」
俺は激高に突き動かされるままに叫んだ。「お前たちは生きている価値などない存在なんだ!」
それは、長い沈黙だった。
ギルバートは何か言いかけ、そして口を閉じた。
明らかに俺に失望したような目を向け、軽く首を振る。それは、疲れた時にするような仕草のように見える。
「……本気で言ってる?」
やがて、ギルバートが苦々しげに笑いながら言う。
「本気だ」
俺はただ真剣な表情を作ろうと必死だった。魔物の言葉など信用できるはずもない。聞く価値などない、それは当然の考えのようにも思える。
それなのに、どこか苦しかった。
何故、そんな目で見られなきゃいけない?
俺は間違っていないはずだ。これが正しいことのはずだ。
それなのに、この後ろめたさはどこからくるというんだ?
「信用されたければ、人間の側につけよ」
俺は低く笑いながら続けた。「魔物……あの魔王の配下でいる限り、俺はお前を信用することはない。もし、少しでも価値のある話し合いをしたいというのなら、お前が人間の配下になってからだ」
「……配下、か」
ギルバートがぼりぼりと頭を掻き、ため息をこぼす。「やっぱ、上から目線は変わらず、かあ」
俺は何も応えない。
ただ、ギルバートを見つめるだけだ。
すると、彼は肩をすくめて身を翻す。そして、小さく言った。
「両親を殺されたものにとって、同族ってのは家族なんだよね。それを裏切って、人間の下僕として、奴隷として働けって言うんだから凄いや」
「できないくせに」
「できないよ。仲間は大切だし、俺は家族を守るよ。そんなの、当然じゃん」
魔物のくせに、家族を守るとかお笑い種だと思った。
そんな感情を持つなんておかしい、と。
「解り合えるんじゃないかって思った。真面目に話し合ったら、理解し合えるところもあるんじゃないか、って。でも、無理なのかもな。……もういいや、お前にはもう関わらない」
「それは、よかった」
「そうだな。会わないと約束する」
ギルバートはそう言い残し、姿を消した。
そう、消したというのが似つかわしいほど、呆気ない去り方だった。
いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていて、人の気配などまるでない。人通りのない路地。
そこに残された俺は、自分でも理由が解らない自己嫌悪に陥っていた。
認めたくなかったのだ。今まで信じてきたことを曲げたくなかったのだ。
魔物は殺すべきだ。それは変わらない。絶対に変えたくない。何があろうとも。
それなのに、何故こんなにも。
何故。
それからの俺は、心の中に重い石でも抱え込んでしまったかのようだった。どんなに考えても答えなどでない問題に向かい合っているかのようで、ただ苛立ちが募る。
苛立つ理由などないはずだった。
これで何もかも、片付くはずだった。
ギルバートと顔さえ合わさなければ、何も問題はない。終わりにできる。たとえ殺さなくても。
そう、殺さなくても。
これで、本当にいいんだろうか。
解らなかった。
いや、やっぱり殺すべきなのでは。関わらないと言った今の状況こそ、都合がいいのでは? あいつが油断しているなら、今戦えば簡単に殺せるのでは。
だが、しかし。
俺はいつもの日常に戻りつつも、ただ心の隅で考え続けていた。何が正しいのか、どうしたらいいのか。
そんな状況で、またギルバートは俺の前に姿を見せた。相変わらずの何の悩みもなさそうな笑顔で、「お前に奉仕すると誓おう」とか言い出す。
間違いない、こいつはただのバカだ!
悩んだ俺もバカだったのだと気づいた。