本日の魔王様 番外編1-6


「久しぶりだな」
 ギルドの受付窓口では、見覚えのある男性が立っていた。顎鬚を生やした四十代の男性で、癖毛の下に埋もれるようにして見える双眸には、穏やかな輝きがあった。
 確か、名前はターセルといったと思う。
 誰にでも愛想がよく、健康的な肌の色をした太った男。
「どうも」
 俺が短く挨拶をして彼の前に立つと、ターセルは素早く俺の姿を上から下まで見下ろしてから、ロビーへと続く扉を顎でしゃくって見せた。
「連れは先に来てるぜ」
 そう言いながら。
「だと思った」
 俺は僅かに肩をすくめると、そのまま扉を開けて中へと入る。
 受付の前でさえ人間の姿が多くて騒々しかったというのに、ロビーに入ればさらに賑やかな雰囲気となる。そこに集まっているのは、仕事を探しに来ている人間だけではなく、商人たちといった姿も多いからだ。
 ターセルが言った連れというのは、きっとクレイグのことだろう。バートラムはきっと神殿だろうから。
 ただ、俺はクレイグを探すつもりはなかった。
 別に、仕事ができるのであれば誰と組もうが問題はない。一人でやれる仕事であれば、一番気楽だろう。
 しかし、ロビーに集まっている人間は一緒に行動する仲間を探す奴も多い。俺の見た目からしても、剣士ではなく魔法使いだということがはっきりと解るため、知らない人間に声をかけられるのが多かった。
「よう、魔法使いか」
「仕事は決まったか」
「今までどんな仕事をしてきた?」
 世間話のように見せかけて、相手の能力を見抜こうとする彼らの目は鋭い。一度や二度なら我慢できるが、これが続くと話しかけられるのが面倒になってくる。
 ロビーの奥にある仕事の斡旋窓口はたくさんあるが、さらにそこは人の姿であふれかえっている。近くにある掲示板には、仕事の依頼書が無数に貼り出されているが、そこにあるのは小さな依頼ばかりで報酬もあまり見込めない。
 窓口か、小金を稼ぐか。
 当たり前だが、窓口なんだろうな、とため息をつく。
 だとすれば、さっさと同行者を選んだ方がいい……んだが。
 と、俺はロビーの片隅に寄って、その場に集まっている人間の顔を見回した。

 だが。

「よう、連れはいないのか」
 と、見知らぬ男が俺の肩を叩いた瞬間、俺は思わずその手を払いのけて『しまった』と顔を顰めた。
「すまん、驚いて」
 と、慌ててそいつの顔を見つめ直す。
 明らかに剣士と思われるその男は、背中に大剣を担いでいて、いかにもといった身体つきをしている。服の上からでも解る、ごつい筋肉。
「……小心者じゃでかい仕事はつとまらねーぜ」
 と、その男は急に俺に興味を失ったような目つきとなり、すぐに俺のそばから離れて別の人間のそばへと近寄っていく。明らかな拒否といったものをその背中に感じる。
 ――くそ。
 俺は内心で悪態をついた。
 人間に――いや、男に触られるのが厭になったのは、絶対にあいつのせいだ。あのバカ獣人のせい。
 俺は壁に寄りかかり、乱暴に頭を掻いた。
「……大丈夫か」
 そこに、聞きたくない声が響いた。
 俺は顔を上げずに小さく返す。
「お前こそ」
 俺の隣でクレイグが壁に寄りかかる気配があった。俺も疲れが隠せていなかっただろうが、クレイグもそれは同様で、どこか冴えない声音であった。
「正直に言えば、どこか遠くに行きたい気分なんだ」
 クレイグは力なく言う。
 ――失恋とやらは厄介だ。
 俺はそこで顔を上げ、横にいるクレイグの横顔を見つめた。あまり顔色はよくないし、よく眠れていないのだろうかといった表情。彼は床を見下ろしたままの姿で俺を見ようとはせず、小さく続けた。
「何かでかいことをやったら、忘れられると思うか?」
「さあな」
 俺は苦笑した。「やってみなければ解らないこともある」
「……そうだな」
 そこで、クレイグが俺に視線だけを投げた。「仕事は決めたか」
「いや、お前は?」
「これから決める。その、コンラッド」
 若干、歯切れの悪い彼の言葉。だが、彼が期待していることは解った。
「不本意だが付き合おう」
「不本意なのか」
「お互い、本調子じゃない。まずは手慣らしになる仕事にしよう」
「そうだな」
 結局、こうなるのだ。
 窓口へと向かうクレイグの背中を見送りつつ、俺は苦笑を漏らす。できれば一人で――と思っていたのに、何だろう、これは。
 孤独。
 一人。
 それなら誰からも傷つけられることはない。しかし、誰からも守られることもない。
 それでもいいと思っていたのに、いざこうなってしまえば安堵している自分を見つけてしまう。これが俺の弱さなんだろうか。

「おい」
 そこに、ちょうど目の前を通りがかった若い男性が足をとめて俺に声をかけてきた。黒いマントの下には紺色の服。あまり安物とは思えない仕立ての服も、腰に巻き付いている精巧な金属の飾りのついたベルトも、こんなギルドには似合わない立場の人間に思えた。
「悪いが、連れがいる」
 そう応えながらその男を見ると、探るような感情が見え隠れする彼の目がそこにあって戸惑った。見覚えのない男だった。だが、彼はどうやら違うらしい。
 その男は目を細めて俺をまじまじと見つめ、小さく訊いた。
「リィン・キンケイド、じゃないのか」
「誰だ。それは人の名前か?」
 俺は鼻を鳴らしつつ笑う。
 そしてふと、ライルも俺に見覚えがあるとか言っていたな、と思い出した。どうやら俺に似ている人間がいるらしい。
「悪いが、聞いたことのない名前だ」
 そう続けて言うと、彼も苦笑して見せた。
「まあ、普通ならこんなところにいるわけはないな。あっちは貴族の息子だ」
「貴族ね」
 なおさら、俺とは関係のない話だ。
 俺がわざと興味の失せたような表情を作り、クレイグが行った方向へ目をやっても、その男は俺から離れていこうとはしなかった。
「いや、本当に似てるが、あんたに兄弟とかいないのか? キンケイドという名前にも覚えは?」
「どっちも覚えがないね」
 俺はため息をこぼし、もう一度その男に目をやった。
 明らかに俺に興味を持ったような目つきの彼は、酷く馴れ馴れしい仕草で俺の肩に手を置いた。当然だがそれを振り払い、俺は不愉快さを面に出し、彼を軽く睨む。
「リィンっていうのも魔法使いでね」
 と、空気を読まずに話し続けたので俺はその話の腰を折ろうとした。
「貴族が魔法使いってのも呆れた話だ。正直、興味がない」
「まあ、聞けよ」
 その男はしつこかった。
 どこかのバカを思い出させるくらいに、こちらの話を聞こうという気配がない。
「リィンっていうのは確かに貴族の息子だが、近衛兵団に入ったりして城の中で剣を振り回して大きな顔をする、っていう普通の貴族らしいことはしていない。それは、父親が凄い力を持つ魔法使いだっていうのが理由でね。それこそ、その父親の方は国王陛下に信頼を置かれているくらいの、とんでもないくらい権力を持った男なわけだ」
「だから興味が」
「こういっちゃなんだが、父親は凄い魔法使いだとしても、息子のリィンは大した頭脳も魔法使いとしての腕も持っていない、母親似のお気楽な子供だ、というのが世間の評価らしい。そしてどうやらそのリィン、家を逃げ出したらしい」
「逃げ出した?」
 俺はそこで眉を顰め、彼を見つめ直す。
 すると、彼はニヤリと笑って続けた。
「重圧に負けたって話だ。父親の名声、なのに自分は……ってヤツ?」
「だから……ああ、なるほど」
 俺はそこでやっと納得がいって頷いた。「その逃げた男を探してるってわけか? あんたの服装はこんなギルドには似合わないと思っていたが」
「まあ、そういう話だ」
 そこで彼は肩をすくめ、意味深に目を細めて見せた。「で、ここでそのリィンによく似た男を見つけた。偶然かねえ? お前、魔法使いなんだろ?」
「残念ながら人違いだ」
 俺はせいぜい馬鹿にしたような表情を作って見せ、ちょうどそこに帰ってきたクレイグに目をやって壁から背中を離した。「こちらはこれから仕事に行くんでね、他を当たってくれ」
「おい」
 すぐにその男が慌てたように声を上げる。
 そして、俺の目の前には困惑したように俺とその男を交互に見やるクレイグ。
「……どうした」
 小声でクレイグが俺に訊いてきたが、俺が何か言う前に後ろから明るい声が飛んできた。
「じゃあ一緒に行くことにしよう」
「は?」
「どういうことだ」
 俺が振り返ると、その男は楽しげに声を上げて笑い、わざとらしく短い髪の毛を掻き上げて見せた。
「お前がリィンでないと納得したらお別れだ」
「……暇なんだな」
 俺は心の底から呆れかえってそう呟いた。

「……しかしまあ……」
 俺はギルドの建物を出て、クレイグから渡された資料の紙の束をめくりながら小さく唸る。
 手慣らし、と言ったはずなんだが、何故、こんな厄介そうな仕事をもらってきたのか、と思う。
 どうやらクレイグが興味を惹かれたのは、この街から随分離れた場所にある山に出る、魔物討伐。かなり報酬はいいらしいが、それよりも場所が遠すぎるし、相手は魔物。
 ――魔物、か。
 俺はクレイグの横顔に問いかけた。
「魔物相手に情が沸いてるんじゃないのか。大丈夫か」
 すると、クレイグが短く言った。
「言葉は通じないらしいから大丈夫だ」
 ――なるほど。
 その日、俺が一体何度目か忘れてしまったため息をつくと、すぐ横を歩いている例の男が口を開いた。
「魔物討伐って、大丈夫なのか」
 明らかに怖気づいている気配に、俺はまた深いため息をこぼした。
 ところで、まだこいつの名前すら知らない。まあ、別にどうでもいいことだが。
 ただ、この男はあまり修羅場をくぐってきたことがないらしく、きっとこの人探しの旅も気楽なノリで受けた仕事なのだろうと解る。確かに、普通の人探しなら争い事、しかも魔物と戦うなんて場面とは無縁だろう。身体つきは俺よりも細いし、肌の色も白い。
 ――真っ先に死ぬタイプだな。
 そう思ったが、別にどうでもいいので放置することした。
 どうせ、こういうのは危険な場面に立ち会えば、真っ先に逃げ出すだろうから。

 そして、俺たちは――正確に言えば俺とクレイグが、だが――旅に必要なものを街で購入し、そのまま目的地へ向かうことにした。
 その山は街から南に遠く離れた場所にあり、歩いていくのは暴挙の類だった。だから、馬すら必要となる旅だ。
「乗馬は苦手なんだが」
 と、ぶつぶつ何か言っている男を無視しつつ、俺たちは街を出て、そして。

「ふははははは、楽しそうだな、勇者よ!」
 と、草木の生い茂る森の中に入った瞬間、悪夢の中に紛れ込んだのか、と思う『例の声』が聞こえてきて、俺はそのまま馬の腹を蹴り、踵を返して森から出ようとした。
「おい、コンラッド!」
 背後から聞こえてくるクレイグの声も無視したかった。
 邪魔者でしかないもう一人の連れは、急に辺りに響いた声に驚いてその場に固まっていて、恐る恐る辺りを見回している。
 まだ陽は高く、とても危険とは思えない森の中。
 しかし、唐突に危険な森へと変化したわけだ。
 危険なのはクレイグの貞操かもしれないが。

 結局、仕方なく馬をとめて振り返ると、森の奥の方に見覚えのありすぎる黒髪の男が立っていた。顔立ちは美しく、見た目は女性といっても通るくらいだ。黒いマントに黒い服、装飾が過多ともいえるくらいの、宝石のごてごてとついた首飾りやブレスレット、アンクレットまでついているという派手な男。
 とにかく、その場にいるだけで空気が変わる。
 無駄に目立つ秀麗な男。
 つまり、魔王である。
「……俺は逃げる」
 俺が小さくクレイグに言うと、クレイグも慌てたように俺のそばにまで馬を走らせてきた。
「俺だって逃げる」
「逃がさんぞ、勇者よ!」
 そこに、魔王がさらに大きな声で笑い声を上げてきて、急に目の前に閃光が走ったと思った瞬間、クレイグの身体が馬の上から消えた。
 というか、青々と茂った草むらの中に、魔王に引き倒されて仰向けになっていた。
 そして、いかにも予想がついた展開だったが、クレイグの腹の上には魔王が馬乗りになっており、その長い爪の伸びた指先でクレイグの頬を愛おしげに撫でていた。
「青空の下で強姦、略して青姦といこうではないか!」
 魔王が妖しげな笑みを口元に浮かべつつ、そう言った瞬間、近くで空気が揺れた気配がした。
「すみません、相変わらずで」
 そう言ってそこに立っていたのは、銀の魔物――クレイグが失恋したという、例の魔物だった。

「もう俺は勇者じゃない! いい加減に離せ!」
 クレイグが魔王の身体の下で無駄な抵抗をしている間に、俺たちと一緒に行動していた男が警戒しながら、そして腰の引けた様子で俺のそばにやってきた。
「一体、何だこれは」
「知らない方が幸せだろう」
 俺は鼻を鳴らす。
 すると、男は怯えた様子で俺の服の裾を掴み、そのまま無造作に引っ張った。
「……俺だって魔法は使える。そりゃ、大したことない力だし、あまり敵の強さとかも読めない程度だが……あれ……『あれ』は」
 と、明らかに魔王の魔力に当てられたのか、その顔色がだんだん優れなくなっていくのも解った。
 そして、クレイグはクレイグで修羅場を迎えていた。
 案の定というか、変態という名の魔王はその右手に以前も見た『触手』を作り出していた。肉の色が生々しく、その表面に浮かぶ血管のような筋が妙に性的なものを感じさせる、蛇のような生き物。それをクレイグの服の隙間にねじ込んで、いかにも邪悪な笑い声を上げているその姿を見て、俺はただ額に手を置いた。
「あれが魔王だと言ったら信じるか?」
 そう小さく囁くと、男が声にならない悲鳴のようなものを喉の奥に飲み込んだのが解った。
「普通、信じられないですよねえ」
 と、銀の魔物――シェリルも、どこか呆れたように変態を見つめ、ため息をついている。
 このシェリルという魔物もよく解らない男だった。
 顔立ちは大人しく、反応も魔物らしくない。いや、その魔力だけは魔物らしいものを持っているのだが、どうも話をしていると調子が狂うのだ。
「シェリル!」
 クレイグが悲鳴じみた声を上げたが、さて、これはとめるべきなのか。いや、それ以前に、とめられるものなのか。
 そして、俺が男に服の裾を掴まれていることに不快感を抱き、何とかそれを引きはがそうとしているところに、いきなり振ってわいたように現れた影。
「ちょ、ちょっとちょっと! これは俺の! 触るな!」
 と、慌てたように叫びつつ、俺と男の身体を無理やり引きはがすように間に割って入ってきた男がいる。そして、俺を背後から抱きしめるようにして、さらに何か叫ぼうとした。

 くそ。
 俺は問答無用でそいつを全力で振りほどき、振り向きざま、体重をかけるようにして殴りつけた。
「何でお前がここにいる!?」
 殴られた頭を抱えてその場に座り込んだ男――ギルバートに、忌々しさを露わにして怒鳴りつけると、彼は情けない目つきで俺を見上げてこう言うのだ。
「村を出て行ったって聞いたから追ってきたんじゃん。俺ってこんなに健気なのに、お前ってすげえ、冷てえ……」
「優しくされると思ってるのか、このバカが!」
 俺はさらにそう叫んだ後、少し離れた場所で身体を硬直させてこの場の成り行きを見守っていた男に手を差し伸べてさらに叫んだ。「武器を貸せ! 今、こいつを殺してやる!」
「いや、あの」
 明らかに困惑し、そして厄介ごとから逃げ出そうとしている男。
 そして、少し離れた場所ではクレイグがさらに危険な状況に陥っていたようだったが、俺はそれどころではなかった。
 ――やっと縁が切れると思ったのに、何だこれは!
 とにかく、無性に腹が立って仕方なかった。


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