「忘れてやろうとしたんだ、解ってるのか!?」
俺は自分でも混乱していると理解していた。なのに、どうにもならなかった。
「接触しないと言ったのはお前の方だった。なのに、その舌の根も乾かないうちに姿を見せるわ、何度殴っても諦めないわ、その頭の中に詰まってるのは何だ、雑草でも生えてんのか!」
「いや、あの」
ギルバートが俺の剣幕に押されたのか、困惑して後ずさっている間に、もう一つの修羅場――変態と元勇者のところに歩み寄って二人を見下ろした。
「無理やりによる行為など、したうちに入らん! さっさと離れろ、この変質者が!」
「邪魔するな」
変態が不機嫌そうに俺を見上げたが、俺は構わずクレイグの腕を掴み、乱暴に身体を引き起こした。クレイグは苦しげに呻き、俺の腕に縋りつくようにして立ち上がろうとしたが、どうやっても立てないようだった。
見れば、クレイグの服の下には例の触手が蠢いているのが解ったし、クレイグもそれを引きはがそうと努力はしているようだったが、それに触れるだけで何か刺激があるらしく、引きはがそうとする手の指にも力が入らなくなっている。
「……どうも、お前たち魔物ってやつは、無理やりやるのが好きなようだ」
俺は吐き捨てるように言う。「相手の気持ちなど気にしない、性処理するだけが重要なんだろう。だからこんなことも平気でできる」
すると、変態が自分の服の乱れを直しつつ立ち上がった。
「違うぞ、私は勇者のことを愛している。愛ゆえの行為……」
「黙れ性犯罪者」
俺はその場に座り込んだままのクレイグの服を乱暴にめくりあげると、そこにあった淫猥な異物を掴んで地面に投げ捨てた。その際にクレイグが奇妙な声を上げたことは聞かなかったことにする。
「……くそ」
俺は右手にまとわりついた粘液が酷く汚く感じて、かといって自分の服で拭くのも避けたかったので、ギルバートの胸元に手を伸ばしてそこで拭いた。
「え、ちょ」
「黙れ、お前も同類なんだ」
そう言った後、俺は自分の右手にぴりぴりとした刺激を感じて顔を顰めた。どうやら先ほどの触手――いや、異物には何か催淫効果のようなものがあるらしいと気づき、俺はすぐに服のポケットに入れたままの小瓶を取り出した。
サンドラのくれた薬草を丸薬にしてそこに入れてあった。それを一つ取り出して自分の口に放り込んで噛み砕くと、苦味が広がった。解毒作用が効いてくれればいいんだが、と思いつつ、クレイグにもそれを一つ飲ませた。
「……すまない」
クレイグが丸薬を飲んだ後、気まずそうに俺を見る。
ありがたいことに、薬は即効性があるらしく、クレイグの赤みがさしていた肌もすぐに平常へと戻っていくのが解った。クレイグはやがて自分の乱れた姿に我に返ったのか、慌てたように服装の乱れを直して立ち上がる。その動きには先ほどまでは確かにあった、心もとない様子など見えない。
安堵すれば、余計に気になるのが変態とその仲間の存在だ。
「で、何のためにここにいる」
俺が変態に目をやってそう訊くと、その変態は薄く微笑んで首を傾げて見せる。
「惚れた相手を追うのがそんなに奇妙か?」
「そうだよ」
ギルバートも我に返ったようで、酷く真剣な表情で俺の手を握りしめた。「好きだから追うんだ。忘れられないから」
とりあえず、俺は無表情のままギルバートを殴りつけておいた。
しかし、奴は全くめげた様子すら見せず、さらに真面目くさった表情で続ける。
「無理やりやったのが数に入らないっていうなら、これから合意の上で、栄えある一回目のセックスを」
そしてもう一度殴りつけようとしたが、今度はさすがのバカも学んだのか、その攻撃を避けた。
少し離れた場所で、ギルバートは恐る恐るといった感じで口を開く。
「でもマジな話、俺、お前が好きなんだよ。そりゃ、最初は会わないようにするって言ったの俺だし、あれは……その、まずかったと思うけどさ。でも本気でお前のことが気になるから、だからどうしてもお前と一緒にいたいって思うだけで」
俺はおそらく、奴を馬鹿にした表情をして見せただろう。
あるいは、表情が強張っていたか。
とにかく、ギルバートの言葉など聞くに値しない。
「だから、責任は果たしたいって思う。俺がやったことは、確かに許してもらえないかもしれないけど、でも、許してもらえるように努力はすべきだ。そう思うから、俺は」
「じゃあ、責任とって死ね」
「え、死ぬ以外で責任を」
――このくそったれが。
俺の口元が引きつったのが見えたのか、ギルバートは慌てて後ずさった。
そして、俺の背後でどこか気の抜けた声が響いた。
「……家出だと思ってたけど、駆け落ち?」
「うるせえ、お前も殺すぞ」
俺はそこにいたもう一人の同行者を睨みつけた。
そして、随分と遠くに離れた場所で頭痛を覚えているかのように額に手を置いて俯いている銀色の魔物のことも睨んだ。
部外者みたいな顔するんじゃない、と言いたかった。
「それで勇者よ、どこへ行こうというのだ?」
変態が急にその声に静かな感情を込めて言った。
からかうわけでもなく、純粋に興味を惹かれたかのように。
その表情も、先ほどよりは余程真面目に見えたし、それだけ見れば狂った変態さなどは予測もできない。
「……お前には関係ない」
しかしクレイグは緊張したように身体を強張らせ、短く言う。当然だが、変態の真面目な表情など信用できないのは俺も同じだ。
「こちらは暇なのでな、必要ならばお前の手助けをしてやろう」
変態がそこで薄く笑う。
クレイグの目が細められた。明らかに猜疑心交じりの瞳がそこにはある。
「何故、そんなことを?」
「見返りとしてお前の肉体を」
「断る」
「強姦が駄目だというから考えたのだぞ? これは正当な報酬を求める交渉だ、勇者よ。私のこの魔力を使い、お前が受けた仕事を簡単に終わらせることで」
「だから勇者じゃないと何度言えば解るんだ」
クレイグが呆れたように首を振り、そこでぎこちなく銀色の魔物へと目をやった。「……魔王の目的は何だ、シェリル」
「ええと……」
そこでシェリルは顔を上げ、情けない表情でクレイグを見つめる。「私にも理解できかねます」
「だろうな。訊いて悪かった」
そう言いながら、クレイグの目に複雑そうな色が浮かんだ。
そして、シェリルの目にも。
どちらからともなく視線はそらされ、ぎこちない空気が二人の間に流れたが、それすらも吹き飛ばす変態の存在感、発言。
「一度は惚れた相手の前で犯されるというのも面白いと思うのだがな」
「全く面白くない」
瞬時にクレイグが呟いた。
「あのさ、コンラッド」
ギルバートが微妙に遠くから口を開く。俺の拳が届かない位置。
「俺ができることなら何でもするし、償いはしたいと思ってる。だから」
――本当に面倒だ。
俺は忌々しいと思いつつ、ギルバートを見つめる。そして、とにかくこの顔をこれ以上見ていたくなくてこう言った。
「薬草を取ってこい」
そう言いながら、先ほどの小瓶を軽く振る。中にある丸薬がぶつかり合って軽い音を立てた。つまり、中身が少ないということを意味している。
「高いんだろう、これは? とりあえず、貢いでもらおうか」
軽く鼻で嗤って見せたが、どうやらその馬鹿にしたような笑みすらも、ギルバートにとっては嬉しいらしい。彼の髪の毛の間から獣人の耳が立ち上がり、嬉しそうに尻尾まで俺に振って見せると、「解った!」と姿を消した。
バカは単純で助かる。
俺は内心でため息をついた。
そして、改めてクレイグに顔を向けて言った。
「悪いが、俺はここで抜けさせてもらう。今回の仕事は割に合わん」
「いや、俺も諦める」
クレイグが素直に頷き、頭を掻いた。「俺たちだけでやれると思ったから受けた仕事だ。だが、こうなってしまうと……」
と、彼の視線が変態に向けられた時、当の魔王はシェリルに何か耳元で囁いていた。シェリルは身体を強張らせて変態の言葉を聞いていたが、やがて泣き笑いのような表情を作り、クレイグに言った。
「あの、私も一緒にいきます。あなたがたの仕事のお手伝いをさせていただきます」
「何故お前がそんなことを?」
「魔王様のご命令なので。ええと……どこに行けばいいのでしょうか」
そう言いながらも、シェリルの視線は宙を彷徨っている。現実逃避というやつかもしれない。
「やらなくていい。俺は別の仕事を探す」
クレイグがそう小さく言うと、それを聞いていた変態が口を挟んだ。
「ならば協力してやれ、シェリル」
「え」
シェリルは戸惑ったように眉根を寄せた後、変態に訊いた。「あの、協力とは……」
「私はこれから、勇者を口説くのに忙しくなる。だが、勇者とて仕事をせねば暮らしていけまい。しばらく代わりに仕事をし、勇者に貢いでやるといい」
「全く意味が解りませんが」
と、さすがのシェリルもこの状況についていけていないようだった。しかし、結局は変態の配下である彼がその言葉に逆らえるはずはない。
「でもとにかく、ご命令には従います」
やがて、何か吹っ切れたのか、シェリルはその表情を引き締めて頷いた。そして、クレイグに目をやって思いつめたように言った。
「あなたが引き受けた仕事の内容を教えてください。すぐに行って済ましてきますので、あなたはここでお待ちを」
「待て」
クレイグが慌てたようにシェリルの腕を掴んで引き寄せた。「お前はそんなことしなくていい」
「いや、お前こそ何もしなくていい」
いつの間にか変態がクレイグの肩に手を置き、そのまま彼の腹へと指を滑らすようにして動かす。
「触るな」
クレイグが変態の腕を振りほどいている間に、シェリルがクレイグの服のポケット辺りに手を伸ばし、そこにあった紙を抜き取って目を通していた。
「行ってきます」
そう言い残してシェリルの姿がこの場から消えると、クレイグが慌てたように辺りを見回し、木につないでいた馬の手綱を引いてその背中に飛び乗った。
そこで変態が不満げに目を細め、クレイグが姿を消した方向を見つめる。
予想はついたが、変態の姿も掻き消える。
おそらく、クレイグたちを追ったのだろうと思う。
俺は微かな頭痛を覚え、小さくため息をついた。
全く、嵐のような出来事だった。
その場に残された俺ともう一人は、言葉もなく立ち尽くすだけ。
何だかやる気がでなくなって、俺はクレイグを放置してギルドに戻ろうかと考えた。
すると、名前も知らない男が困惑した様子で口を開く。
「お前、魔物と……魔王とどういう関係?」
「敵対関係」
「いや、そんな感じはしないというか……。リィンという男ならおそらく、大した魔法使いじゃないという噂だから、魔物とこんな関係など築けないと思うし」
「だからリィンという男じゃないと言ってるんだ。いい加減納得したらどうだ」
俺がまたため息をつき、うんざりとその言葉を吐き出すと、彼は何か考え込んだ後に小さく頷いた。
「まあ、おそらくそうなんじゃないかって思い始めてるけど。もし本当に違うっていうなら、別にルーズベリーに出ても問題ないよな?」
「ルーズベリーに?」
俺は眉を顰めた。
「そう。ちょっとキンケイド家に寄って、顔合わせしてくれるだけでいいんだ。で、別人ならそのまま帰ってくればいいし」
「無駄だろう、それは。大体、別人を連れていっても」
俺は呆れて肩をすくめる。
「相手はお金の有り余る貴族様なんだよ」
だが、彼はにやりと笑って続けた。「似た人間を見た、という情報を持ち込んだだけで、多少の礼金は出るって噂でね。無駄足にはならないだろうな、ってことだ」
「お前には金になる。じゃあ、俺は?」
俺のその言葉に、彼は少しだけ詰まったようだった。
しかし、すぐに何か思いついたようで笑みを口元に浮かべた。
「ルーズベリーにもギルドがある。さっきのギルドとは違って規模は小さいかもしれんが、やっぱり城の近くということもあって、もっと金になる仕事もたくさんあるんだよ。俺もそこでこの仕事を見つけたしな」
「それで?」
「そこの人間に紹介してやる。ちょっと立場が上の人間なんでね、顔を覚えておいてもらえるといい仕事が回してもらえるんだ」
「なるほど」
俺は少しだけ考え込んだ。
そういえば、ライルもルーズベリーにいる。そして、俺を探していたという話だった。
ギルドに行くついでに、ライルのところに顔を出してみるのもいいのかもしれない、と思った。
いや、それとも。
ライルもまた、こいつと同じようにリィン・キンケイドを探しているのだろうか?
こいつが狙ったように、似ている俺をキンケイド家に連れていこうとした?
だから俺を探していたのだとしたら。
ライルはルーズベリーではそれなりに名前を知られている、とサンドラが言っていた。
だとしたら、この男と先にキンケイド家に行くよりも、ライルに会った方が得策だろうか。
どちらにせよ、今さらながらにリィン・キンケイドという人間にも興味が出てきたのは確かだった。俺に似ているという男。
どうせクレイグは厄介なことに巻き込まれて当分の間は忙しいだろうし、こちらも適当にやってみるのも面白い。
「ルーズベリーには知り合いがいる。まずはそっちに寄りたいがいいだろうか」
俺がやがてそう言うと、男は酷く嬉しそうに笑った。
悪気はなさそうな笑顔なんだが、やはり関わりすぎるのもよくないだろうな、と頭のどこかで考える。
そして。
「持ってきた!」
その場を離れようとした瞬間、忘れようとしていた存在が戻ってきたことに気づいてうんざりした。
まるで、『褒めてくれ』と言わんばかりの笑顔と、期待に満ちた目を俺に向けつつ、ギルバートがどこからか手に入れた布袋の中に、薬草を詰めて俺に差し出している。
俺はつい、舌打ちした。
体のいい厄介払いのつもりだったんだが。
「そうか」
俺はその布袋を受け取ってから、何とかこのバカを追い払う方法を考えた。しかし、バカはどうやら先ほどの俺たちの会話を聞いていたらしい。いや、聞こえていたのだろう。獣人は耳も鼻もいいという話だから。
「ルーズベリーってアレだろ、凄くでかい街だよな!」
ギルバートは無邪気そのものと言った様子で、連れの男の肩を叩いている。
「あ、ああ、そうだが」
と、男は僅かに怖気づいたように身体を引きながら応える。
その反応は仕方ないだろう。人間の姿に近い恰好だとはいえ、今のバカは獣の耳も尻尾も出して歩いているのだ。
「俺も一緒に行っていい?」
バカはさらにばしばしと男の肩を叩き、人懐こそうな笑顔で彼の顔を覗き込む。男より背の高い獣人、その体つきも流れるような筋肉が目立っているわけだから、重圧感が凄かったのだろう。
「……構わないが」
と、あっさり応える男。
「……バカが」
思わず俺はそう呟いたが、ギルバートが浮かれて「よっしゃあ」などとテンションを高くしている間に、その男はこっそりと俺の顔に口を寄せてきた。
「神殿に行けば、金はかかるけど特別な魔法をかけてもらえるって聞いたことがある」
「神殿?」
男の声がかろうじて聞こえるくらいに小さかったから、俺も声を潜めて応える。
「そう。魔物を自由自在に操れるというか、配下にできるらしい」
なるほどな。
俺はふと、以前見た銀色の魔物――シェリルではなく、女性体である魔物のことを思い出した。
確かあれも、人間に逆らわないように、そして逃げ出さないようにと神官が術をかけていたはずだ。
「獣人なら体力はある。力仕事も簡単だろう。相手さえ選べば、きっと高く売れるさ」
そう続けた男の顔には、計算高い商人らしき表情が浮かんでいた。「神殿で払った金も、きっと取り戻せる……それどころか、儲かると思うけど」
「それは……いい考えだな」
そう言いながらも、俺は少しだけこの男に嫌悪感を抱いたのも確かだった。
別に、このバカ獣人がどうなろうと気にしない。
もともと、殺そうと思っていた相手だ。
だが、何となくこの展開は好きではないやり方だ。
そして、今の会話がギルバートに聞こえていればいい、とも思った。そうすれば、どんなバカでも逃げ出すだろうに。
しかし、聞こえていなかったのか、聞こえていないふりなのか、ギルバートは俺に近寄ってくると小さく言った。
「一緒にいられるだけでも一歩前進。そう思うよ」