「付き合う?」
私は警戒した声を上げた。自分の中にじわりと広がった不安に気がつき、慌てて表情を消した。秋葉は真剣な表情で私を見つめていたが、やはりどこか疑いのような感情が私の中にあって、素直に彼を見つめ返すことができなかった。
つい、私はそばに立っていた真治にちらりと視線を投げた。自分でも気がついたことだが、それは助けを求めるような視線になっていただろうと思う。
私の腕を掴んでいた秋葉の手に、さらに力がこめられた。
「大介、頼むよ。一緒にきてくれ」
秋葉が私の耳元に唇を寄せてそう言うと、私も厭だとは言えなかった。彼の口調があまりにも必死だったから、無視はできないと思ったのだ。
だから、こう訊いた。
「どこに付き合えばいい?」
「潤様?」
途端、真治が咎めるような声を上げる。
「危険なことはしないよ」
表情の厳しくなった真治から目をそらしつつ、秋葉が小さく言った。「いくら俺だって、今の自分の状況は解ってる。無茶もしない。安全だけを考える。だから、いいだろ?」
「では、私もご一緒します」
真治が低く言うと、秋葉は仕方ない、といったように頷いて見せる。それから、改めて私の方に向き直り、秋葉はぎこちなく微笑む。
「……本当に、迷惑はかけないから」
私はしばらくの間沈黙したままだったが、やがてため息をこぼしてから頷いた。
「解った、付き合おう」
それを聞いて、秋葉がほっとしたように笑ったのが印象的だった。
真治の運転で私たちは外出した。
私は後部座席に座り、窓の外を見つめていた。そうしないと、隣に座る秋葉のことを意識してしまいそうだったからだ。真治はただ無言で車を運転していて、秋葉は時折私の方へ視線を向けてきている。
ぎこちない時間が流れている。
「大介」
やがて、秋葉が躊躇いながら口を開いた。
私は窓の外を見つめたままで、しばらくそれに返事すべきかどうか悩んだ。その結論が出る前に、彼は続けた。
「もしかして大介は、俺より真治みたいなヤツの方が好み?」
何を言ってるんだ。
私は心の底から呆れかえって、ひどく冷めた目つきで彼に向き直ったと思う。そんな私の視線を受けても、彼の表情は変わらない。どうやら本気で言っているらしいと気づく。
「俺みたいなヤツよりも、真治みたいな真面目なヤツの方がいい? 一緒にいて楽しいのか?」
「……秋葉」
私は小さなため息をついてから応えた。「そうだな、君と一緒にいるよりはいいと思う」
バックミラーに視線を感じて、つい運転席の方に目をやった。すると、真治が困惑したような視線を鏡の中に向けていた。
「どこがいいんだ?」
秋葉が慌てたように続けた。少しだけその顔色が悪くなったようだ。
「こう言っちゃアレだけど、真治って頭は硬いし融通聞かないし、顔はいいけど性格は悪いし」
「秋葉。他人のことをそう言うのはどうかと思う」
私は軽く手を挙げて彼の言葉を遮り、こんな言い方をするのは卑怯かとも思ったが続けた。「こう言ってはまずいと自覚しているなら、言わない方がいい。君は他人を貶して気分がいいのかもしれないが、聞いているこちらの感情まで考えていないのだろう。正直、こういった会話は不愉快だ。それとも、私を不快にさせるのが目的であるのならば、成功しているのだろうな」
「違う、ごめん」
秋葉の顔色がさらに白くなった。
そして、その瞳に広がった自己嫌悪の色。それから彼は何も言えなくなったらしく、私から目をそらした。そこで私は、バックミラーの中の真治の目が、わずかに細められたことに気づいた。それがどんな意味を含むのかと鏡の中を見つめたが、真治はすでに感情らしき色を全て取り去っていた。
「真治、ごめん」
やがて、秋葉が小さく言う。
そっとその横顔を盗み見ると、秋葉は真剣な表情で真治のことを見つめていた。
「その、さっきのは本気じゃない。……真治は真面目でいいヤツだと思ってる。いつも助けられてるし」
ぎこちなくそう続けた秋葉に、真治が薄く笑って応えた。
「ええ、あなた様の性格はよく解っています。色々おっしゃいますが、それは本音ではありませんね」
そこで真治はミラー越しに私を見つめた。「だから、潤様をあまりいじめないでやってください。……少し、こちらもこんな潤様の様子には戸惑います」
どこかで聞いたような台詞だ。
「いじめているわけではない」
そう言った私は、よほど不本意であると言いたげな表情をしたらしい。真治が苦笑してそうと解る。
何と続けたらいいのか解らず、私はしばらく黙り込んでいた。すると、車がスピードを落として小さな駐車場に入っていくのが解った。
大通りから細い路地に入り、しばらくいったところにある場所。小さな飲み屋や個人経営のレストランが並んでいて、人通りは少ない。街灯も少なめであったから、昼間ならともかく夜になると女性だったら一人では歩けなさそうな所だ。
「……何をお考えですか」
車をその駐車場に駐めたとき、真治が少しだけ探るように秋葉に問いかける。私は今の状況がどういったものなのか解らないから、彼らの言葉に耳を澄ませた。
「大介の身を守りたいんだよ。……真治は怒るかもしれないけど」
秋葉が小さく囁くのが聞こえる。
私の身を守る? 一体どういう意味なのか。
私が秋葉を見つめていると、彼はその視線に気がついて私に笑いかけてきた。でも、その笑みは今までに見たことのないくらい、力のないものだった。
「……本気だよ?」
秋葉が何を考えたのかは知らない。しかし、本当に私のことを心配しているらしいということは理解できた。
それにほだされたのかもしれない。
私はやがて秋葉にそっと微笑みかけると、秋葉の白い顔に嬉しそうな表情が浮かんだ。
困ったことに、秋葉は憎めないところがある。まっすぐな感情をぶつけられるからそう感じるのかもしれない。彼には『裏』がない。思ったことを素直に表情に出す。
もっと彼の性格が悪かったら、拒否するのも楽だったろうな、と思った。
車を降りると、秋葉が辺りをぐるりと見回してから歩き出した。私と真治がそれに続く。
駐車場のすぐ裏手に、小さな店があった。小さな看板が立てかけられていたが、そこにあるのは店の名前だけで何の店なのかは解らなかった。
『EXODUS』
それがこの店の名前らしい。真っ黒な扉に、優美な流れを描く金属の取っ手がついているのが見える。扉の右上についているオレンジ色の輝きを放つ明かりは、その扉だけを照らし出していてそれ以上広がらない。
気がつくと、秋葉が扉の右側についていた鉄の輪に手をかけ、ノックをしている。ひどく古めかしい雰囲気のそれも、どこか店の雰囲気に似合っていた。
何の店なのか、そして何のためにここにきたのか、と私が考えている間に、がちりという音が響いてその扉が開けられた。
「潤様?」
そこから顔を覗かせた若い女性が、驚いたように秋葉を見つめる。それから真治と私を見やり、戸惑ったように笑った。
「珍しいですね」
彼女はそう言いながら、秋葉が店の中に入れるようにと身体を横にずらした。秋葉は彼女に小さく頷いてから、私たちに「入ろう」と囁く。それに促されて中に入ると、わずかに薄暗い明かりの中でオールディーズの音楽が流れているのに気がつく。
入り口を入ってすぐにあるレジ、その横に観葉植物の鉢植えが並んでいる。店内の内装は落ち着いていて、居心地の良さを伝えてきていた。
店内はそれほど広いわけではなかった。奥に進むと、壁際にあるカウンターとテーブル席が五つほど。そこにいた客は十人くらいだろうか。それと、カウンターの中に店の人間だと思われる男性が二人。
「何かあったんですか?」
迎えに出てきてくれた女性が秋葉の隣に立って訊いてきた。他の客も椅子から立ち上がって秋葉に軽く頭を下げてくる。明らかに、目上の者に対する態度だ。
それから、その彼女はちらりと私に視線を投げる。
「人間?」
そう囁いた彼女の目が赤く染まる。それと同時にその赤い唇から覗く犬歯。彼女も吸血鬼なのか、と再確認した時、秋葉が唸るように言った。
「こいつは俺の」
そう彼は俺の腕を取り、まるで恋人のような仕草で頭を私の肩にもたれかかってくる。それを押しのけるのは躊躇われて、私は何も言わずにその女性を見つめ続けていた。すると彼女は残念、と言いたげに笑って犬歯を引っ込めた。その瞳の色も黒くなった。そして彼女は肩をすくめ、近くのテーブル席に座っている男性の方へと歩いていってしまった。
「人間をここにお連れになるのは初めてですね」
カウンターの中から男性が声をかけてきた。若い声だな、と思いながらそちらの方に目をやって、私は目を細めた。そこにいたのは二人の男性。彼らは共に二十歳ぐらいの年齢で、ぞっとするくらいその顔立ちは整っていた。そして、もう一つ。その二人の顔立ちは双子のようにそっくりで――双子なのだろうか?
「潤様の特別な相手ですか?」
「提供者候補?」
二人は並んでそう言う。同じくらいの首の傾げ方で。
私はつい、眉を顰めていた。
「そう、特別」
秋葉は短くそう応えてから、私の腕を軽く叩く。まるで、この場は任せてくれと言いたげに。だから、私は黙ってこの場の成り行きを見守っていた。
「提供者になるかどうかは曖昧だな。勝手にそんなことをしたら姉貴が煩いしね。でも、俺の特別な相手には違いない。だから、手を出さないでくれる?」
「もちろん」
二人は苦笑してそう応え、それから辺りを見回した。その場にいた全員が納得したように頷き、やがてその視線が私に集まった。それが私を観察している視線であったから、とても居心地が悪かった。彼らは全員、吸血鬼なんだろうか。その瞳の鋭さからしても、そうなのかもしれない。
ということは、この店は吸血鬼だけが入れる店?
私はそれとなく店の中を観察した。
「皆に頼みがあるんだ」
やがて、秋葉がその場を見回して続けた。「彼は大介。蓮川大介。俺のそばにいるせいか、黒崎に目をつけられたかもしれない。だから、守って欲しいんだ。俺もできるだけ大介のそばにいたいけど、姉貴のこともあるし、なかなか外出もできない。大介は仕事もあるし、もしかしたら黒崎の周りの連中が接触をしてくるかもしれない。で、もしも大介を連れて行かれたら……」
「連れ返せばいいってことですね」
先ほどの女性が明るく笑って言うと、双子らしき男性二人が並んで言った。
「連れて行かせなければ」
「いいんじゃないかな」
「ま、そういうこと」
秋葉が少しだけほっとしたように笑い、その肩から力を抜いた。そこで私は、秋葉が緊張していたらしいと知る。それはなぜなのか。奇妙に思いながら秋葉の横顔を見つめていると、真治が私の耳元で囁いた。
「潤様がここまで誰かに入れ込むことは少ないのです。いつも、遊びの相手くらいにしか考えていなかったですからね、そばに置く人間の存在のことを」
「……私を巻き込んだことに対する責任感か」
そう呟くと、真治が肩をすくめた。
「それだけだったら私も助かります」
どういう意味だ。
私は困惑して真治の顔を見つめた。
すると、秋葉が慌てたように私の腕を掴み、優しく引き寄せた。それから私を見上げてきた彼の瞳の中には、不安の影が見えた。
「どうした」
困惑して私がそう彼に声をかけると、秋葉は「え……」と言葉を詰まらせる。
「潤様、何か飲まれますか? 真治さんと……大介さんとやらも」
双子の男性たちがそうそこに声をかけてきて、秋葉が我に返ったように息を吐く。それから、ぎこちなく笑って頷いた。
「大介、何を飲む?」
秋葉はそう言いながら私の腕を引き、カウンターの椅子へと誘った。
双子の名前は秋葉ミツルとアキラというらしい。秋葉の名字を名乗っているということは、『そういうこと』なんだろう。秋葉の一族。吸血鬼として、秋葉潤に近い位置にいる存在。
私は椅子に座った後も、じっと沈黙を守っていた。ミツルだかアキラだかどちらだか解らないが、どちらかの男性が私の前に飲み物のグラスを置いた。手持ち無沙汰であったから、私はそれを一口飲んで顔をしかめた。どうやら酒のようだ。
右隣に座った真治も私と似たようなもので、出されたグラスに口をつけ、黙り込んでいる。
そして秋葉だけが不安げに時折私を見つめ、気遣うように訊いてきた。
「夕食、まだだよね。何か食う?」
「……そうだな」
空きっ腹に酒というのは酔いが早く回ってしまう。そんな危機感もあるので、私は秋葉が差し出してきたメニュー表に視線を落とした。
そして、頭の隅で思う。
秋葉が厭に私のことを気遣っている。こちらの態度を窺いながら、私を怒らせないように、不快に感じさせないようにとしているのが解るのだ。
――困ったな。
だんだん、別の意味で居心地が悪くなってきた。
これはよくない心境の変化だと思う。変化しているのは私の方なのだ。何とか、秋葉とは距離を取らなくてはならない。
私は食事の注文を済ませてから、左隣に秋葉に向き直る。そして、できるだけ穏やかに響くような声を選んで言った。
「引っ越しが済んだら、それで終わりだ。君たちは私の記憶を消すのだろう? きっと、そうなれば黒崎という吸血鬼も私を狙う理由がなくなる。守ってもらわなくても、大丈夫ではないだろうか?」
「黒崎は何をするか解らないよ。あいつは気まぐれだし」
秋葉が表情を曇らせる。そして、落ち着かない様子で真治と私を交互に見やり、やがて思い切ったように続けた。
「できれば、引っ越しを先延ばしにしたらどうかな? 様子を見た方が……」
「それは得策とは思えません」
すぐに真治が口を開いた。「長くそばに置けば、余計に黒崎に蓮川さんを『特別な存在』なのだと印象づけてしまうでしょう。彼を人質に取られて脅迫されたら、あなたは彼を切り捨てることができますか? 無理でしょう?」
「でも、俺」
秋葉が眉根を寄せて悩ましげな表情をした。苦しげに吐かれる息。揺らめく彼の瞳の色。
「俺、大介のそばにいたいよ。このまま別れるのは厭だ」
彼は乱暴に頭を掻いてテーブルに視線を落とす。「だって、大介に迷惑をかけたままじゃないか。俺、何も大介にしてやってないよ。嫌われたままじゃん、俺」
「記憶を消されてしまえば、そんなことは関係なくなる」
私は静かに続けた。
秋葉が小さく肩を震わせ、私を見つめ直す。それがあまりにも傷ついたような表情であったから、私も何て言ったらいいのか解らなくなった。
そこに、真治が苦笑混じりに言葉を挟んできた。その視線は秋葉の方に向いている。
「もう、あきらめた方がいいのではないですか? どうやら蓮川さんは潤様には興味がないようです。あなたも早く、次の人間を」
「違う」
秋葉が真治を暗い瞳で睨みつけた。「大介は違う。今までの人間とは違うんだ。……特別なんだよ」
特別、か。
私は苦く笑った。
そういえば、秋葉はまだ前の人間と別れたばかりだったはずだ。そして、偶然出会った私にもう執着している。真治も言っていたではないか。秋葉は切り替えが早いと。血が飲めれば誰でもいいのではないか。それと……セックスと。
「大丈夫、すぐに君は忘れるだろう」
やがて私は穏やかに続けた。「次の相手さえ見つけてしまえば、今と同じ台詞をその相手に言えるはずだ。君は人間と付き合うのは遊びだと言ったろう。本気になどならないと。だから大丈夫だ。すぐに忘れられる」
「違う」
秋葉は茫然と私を見つめながらそれを否定したが、私はこれでこの話題は終わりだと考え、真治の方に向き直った。
「ここはどういう店なんだ?」
私は秋葉に向けた笑顔そのままに、真治に訊いた。できるだけうち解けた様子を装い、この今の笑顔は誰にでも向けるものだと秋葉に見せつけながら。
これが私にできる『拒否』だった。秋葉に彼のことを何とも思っていないと解ってもらうための。
「……我々の関係者が経営している店です」
一瞬、なぜか真治は言葉に詰まったようだった。しかしすぐに我に返ったように静かに言う。
「我々吸血鬼一族が運営しているものはたくさんあります。我々が人間の中に紛れ込むのは難しい場合もありますから、吸血鬼だけが集まれる場所があるというのは都合がいい」
確かにそうかもしれない。私は辺りを見回してそう思う。
確かに彼らは人間と見かけは同じだ。しかし、その気配はやっぱり人間とは違う。どこかただならない雰囲気を醸し出している。そんな彼らが人間の中に潜むというのは、難しいことなのかもしれない。
「だから我々は、色々な施設を運営しています。学校や病院などといった、日常生活に必要なものを。人間の施設では我々も使えないこともありますから」
「なるほど」
私がそう頷いたとき、目の前に料理の皿が置かれた。ミツルだかアキラだかどちらかが私の前に立って、にこりと笑う。
「お待たせしました」
私が注文したのはパスタのセットだ。ボロネーゼとコンソメスープ、グリーンサラダ。どちらかというとこの店は飲み屋であったから、料理よりも酒の方に力を入れているのかと思ったが、私が予想していた以上に美味しかった。だから、私の食べる様子を見ていたミツルだかアキラだかの彼に、そっと微笑みかけて言った。
「美味しい。ありがとう」
「どういたしまして」
彼はそこでほっとしたように笑うと、少し上機嫌な表情で秋葉に囁いた。「彼、いいですねえ。潤様のお手つきじゃなかったら、口説いてたかも」
それは困る。
私はそこで笑みを消した。明らかに警戒したように黙り込んだ私を彼は楽しそうに見つめてから、「潤様、飲み物のおかわりをお持ちします」と言ってその場を離れる。私が彼のその背中を見つめ続けていたのは、秋葉の視線を強く感じたからだ。どうしたらいいのか解らなかった。
「大介、手を」
秋葉はやがて短く言った。
手?
私がため息混じりに秋葉の方に視線を投げると、彼はどこか泣きそうな顔で私を見つめていた。でも彼はどうやらポーカーフェイスを装うつもりのようで、あらゆる感情をその顔から消そうとしている。でも、その目だけは雄弁だ。
「潤様」
ふと、真治が困惑したような声を上げる。それを聞いても、秋葉は何も言わずに私を見つめていた。やがて彼は私の手を取って、自分の口元へ引き寄せようとする。
「秋葉、待て」
私が手を引こうとしても、彼の力は強い。彼の唇から犬歯が伸び、さらにその双眸が紅く染まったのを見て、不安になった。
「大丈夫、吸うのが目的じゃない」
秋葉は低くそう囁いてから、私の右手の中指に歯を突き立てた。ちくりとした感触と、それから広がるわずかな心地よさ。でも、彼の言葉の通り、秋葉は吸血行為をするわけではなかった。すぐに彼は私の手から唇を離し、カウンターの中へ顔を向けた。
「ミツル、アキラ」
彼はカウンターの中で洗い物をしたり飲み物を準備している双子を呼んだ。すぐに二人は秋葉のところまで歩いてきて、わずかに首を傾げてみせる。
「味、覚えてくれる? で、二人で大介を守って」
「はい」
「かしこまりました」
二人が明るく笑って頷くと、秋葉が私の指先から浮かび上がってきた紅い珠を自分の指先に掬い取り、血で汚れた手を双子の方に差し出す。
一体、何をするのかと不安に思う私の目の前で、その二人は秋葉の指先に唇を寄せた。
凄まじいまでの美貌の持ち主である二人の瞳が紅く染まり、どこか淫靡な雰囲気をまとわりつかせながら秋葉の指についた私の血を舐め取る光景は、あまりにも官能的だった。だからつい、私は彼らから目をそらした。
「覚えたよ」
その私の目の前に、双子の顔が現れる。急に顔を覗き込まれて私は息を呑み、心臓が暴れたのを感じて胸に手を置いた。
必死に心臓を落ち着かせようと呼吸をする私の目の前で、二人は全く同じ鮮やかな笑顔を見せる。
「大丈夫、あなたが血を流す前に助けにいってあげる」
「潤様の思い人だもの、守ってあげるよ」
しかし。
私は遠く思う。
引っ越しして、記憶を消されるのは間近ではないのか。それで終わりではないのか。なぜ、こんなことになった?
「……お嬢様が何ておっしゃるか」
真治があきらめに似た口調で呟くのが聞こえる。「深入りしすぎですよ、潤様」
「解ってる」
秋葉がそっと言葉を吐き出した。「覚悟はしてるんだ」