仕事が終わっての帰り道。私は相変わらず、駅の近くのスーパーマーケットで買い物をしてから帰途につく。
ちょうど総菜などが安くなる時間帯なので、家計も助かるというものだ。
「……何を買うの?」
私が酒類の並んでいるところに立ったとき、突然、横に滑り込んできた少年がそう声をかけてきた。
私は驚いてその少年を見下ろし、見覚えのないその横顔に、本当に彼が私に声をかけてきたのかと訝った。誰か、知り合いと勘違いしているのだろうか。
私がただ困惑したままそうしていると、その少年はわずかに肩をすくめてこう続けた。
「お兄さん、口がきけないの?」
「ああ、いや」
そこでやっと、彼が本当に私に声をかけてきているのだと理解する。そして、改めて彼を観察した。
私は彼を知らない。これだけ印象の強い彼なら、会っていたとしたら忘れるはずがないだろうに。
私は黙ったまま考えた。
本当に、そこにいた彼は綺麗な顔立ちをしている。少し気の強そうな目元、人をからかうのが好きだと言いたげな口元。
そして、ひどく人好きのするような笑顔。
「どこかで会ったか?」
私はふと、奇妙な感じを覚えながら彼にそう訊いた。すると、彼はくすくすと笑って頷いた。
「会ってるよ。お兄さんが忘れてるだけ」
「そうか」
私はそう応えながら、どこで彼と会っただろうかと必死に考える。しかし、どうしても思い出せない。
「で、何を買うわけ?」
少年の口調は、あまりにも自然だ。だから、それにつられてだろうか、私も普通に言葉を返していた。
「ビールを」
「ふうん」
少年は辺りを見回して、白ワインのボトルを私の下げていたショッピングカートに入れる。「俺はこっちを勧めるけどね」
「未成年だろう」
私はさすがに渋い表情をして、そのボトルを元の場所に戻した。さすがに、その行動には問題があるとしか思えない。だから、つい厳しい口調になった。
「悪いが、君のことも思い出せない。人違いの可能性がある」
「人違いなんかじゃないよ」
少年は肩をすくめてそう言うと、さらにこう続けた。「俺、お兄さんに助けてもらったんだよね」
「助けた?」
やはりそのような記憶はない。私が怪訝そうな顔をしているのを、彼は楽しげに見つめている。私はやがてため息をこぼしてから、その場を離れた。
「帰るの?」
私の後ろを少年が追ってきた。彼は私の隣に滑り込むようにして立つと、一緒にレジへと向かう。
「ああ。君も帰ったほうがいい。家は近くなのか」
「遠いよ」
私はちらりと彼の顔を見やる。さて、本当のことを言っているのか、それとも嘘なのか。
とにかく、どこか危険な感じがして、私はこれ以上彼と関わることはやめたほうがいいと自分に言い聞かせる。それは、動物的な勘のようなものだと思った。
後をついてくる彼に向かって、私は振り向きもせずに言った。
「悪いが、ついてこられると迷惑だ」
「……冷たいね」
そう言ったものの、少年は私の言葉に気を悪くした様子もなく、ただ一緒にレジに向かい、会計が終わるのを待っている。そして、会計の終わった荷物を袋に詰め終わった私の横で、じっと黙って私を見つめている。
居心地が悪い。
「何が目的だ?」
私は彼を見つめ直してそう低く訊いた。
すると、彼はひどく開けっぴろげに笑い、短く応えた。
「腹が減った」
どういう流れなんだろう。
私は困惑していた。
いつの間にか、彼は私のアパートへの道を私と一緒に歩いている。彼が何を考えているのかはわからない。そして、自分も何を考えているのかわからなかった。
「困る」
「家に帰ったほうがいい」
そう繰り返したのに彼は無邪気に笑うだけだ。そして、「今晩のおかずは何?」と興味津々に私に話しかけてきて。
いつの間にか、どうでもよくなってきていた。
とにかく、腹が減っているというのなら、食事をさせて帰らせてしまえばいい。そう決めてしまえば、後は楽だった。
私は、あまり広いとは言えない自分のアパートに彼を上がらせた。一応、部屋は二つある。寝室とリビング。広いとはいえないキッチンと、風呂場とトイレ。物を置くのは嫌いなので、家具も必要最低限しかない。だから、殺風景と言っても間違いではない。
「綺麗にしてるんだね」
少年がリビングに足を踏み入れ、テレビの近くにあるソファに腰を下ろして言った。私は手にしていた荷物をキッチンに運び、冷蔵庫の中にビールを入れる。そして、素っ気なく訊いた。
「好き嫌いはあるか?」
あると言われても困る。どうせ、ここにあるものでしか食事は出せない。だから、一応、参考までに訊いただけだ。
「いや、ない」
少年はそう言いながらテレビをつける。途端、明るい笑い声がテレビの中からこぼれだした。私はテレビを見つめている少年の背中を見つめ、小さなため息をつく。それから、食事を作るためにキッチンに向き直る。
炊飯器にはタイマーがかかっていて、一人分の飯がそろそろ炊きあがる予定になっている。仕方なく、私はそれでチャーハンを作ろうと思い立つ。具をたくさん入れてしまえば、量も増える。
それと、冷蔵庫の中には焼きそばの麺が入っていたはずだ。私は手際よく料理を済ませ、少年の前に皿を置く。そして、彼が食事を始めてから自分も座る。
「人違いではないと言ったな」
私は食事の合間に彼に訊いた。彼はテレビを見ながら焼きそばをつつき、ときどきくすくすと笑っている。しかし、テレビから目をそらして私を見やり、わずかに真面目そうな表情で頷いた。
「そうだよ。……あの時はありがとう、お兄さん」
「あの時と言われても」
私が眉をひそめていると、彼は薄く笑って皿をテーブルの上に置いた。そして、そのままにじり寄るようにして私のほうへ近寄ってくる。何となく反射的に、彼から遠ざかろうと身を引いたところで、彼の手が私の首筋に伸びた。冷たい指先が私の首に触れて。
「あの時、やりすぎちゃったかなって思ったんだよね。俺、制御できなかったし、お兄さんに負担をかけちゃったかな、って」
「何の」
話、と言いかけて。
少年が突然、私の首筋に顔を寄せた。慌ててそれを押しのけようとしたものの、それはあっという間だったのだ。
ちくりとした感触と、忘れていた快感。
「……あ」
私の指先が震えた。必死に少年を押しのけようとしていた腕から力が抜けた。自分が意図しないままに、息が上がる。その場に倒れ込みたいという欲求に負けそうになった。
力が入らない。
「今日はさ、お兄さんにも楽しんでもらおうと思って。だから、無茶はしないよ」
少年の唇が私の首から離れる。しかし、彼の手はいつの間にか私のシャツのボタンを外し、その唇が私の鎖骨をなぞり、そしてゆっくりと腹のほうへと降りていく。
ぞくぞくとした感触。
それは、ひどく甘かった。
「……放せ」
それでも、必死に私は最後の自制心を引っ張り出してきて言った。それは囁く程度の大きさにしかならなかった。
そして、突然頭の中に弾けた記憶。
忘れていた記憶が、戻る感触。それはまるで頭の中で光が弾けたようだった。
「お、前……っ」
あの時の、と言いかけて私は唇を噛んだ。少年の手が、私の股間へと降りたからだ。ズボンの上からそこを撫でられ、急に思考能力が停止した。
何が起きてるんだ?
一体、何を?
私が少年を見つめていると、私のそれを撫でながら彼はそっと笑った。
「……男とヤったことないでしょ、お兄さん」
彼の唇が歪むように笑うのが見えて。私は慌てて彼の手を振り払った。しかし、すぐに私の手首を掴んで逃がさないようにと力を込めてくる。
「結構、気持ちいいと思うよ。俺、上手いから」
何が上手いのか、と怖くなった。何をされるのか解らない、というか解りたくなかったのだ。
はだけた俺の腹に、彼の唇が這う。そろり、と彼の舌が腹の上をなぞり、私はその感触に身を震わせた。
まずい。
何とかしなくては。
そう思っても力が入らない。
ちょうど臍の下辺りで、また小さな痛みが走る。それと同時に、こらえられない快感も。私は喉をのけぞらせた。必死に唇を噛みしめ、声を上げないようにする。そして、今の自分の顔を彼に見せないようにと。
「……っ」
唇の間から吐息が漏れる。どうしたらいいのか解らないうちに、彼の手が私のズボンの前を開けて、その中に滑り込む。やわやわとくすぐられるように触れられて、私は首を振った。
「や、やめ」
自分でも認めたくなかった。私のそれは、彼が少し触れただけでもゆっくりと勃ち上がっていこうとしている。少年がそれを見て嬉しそうに笑ったのが解る。途端、この場から逃げ出したくなる。いくらなんでも、男にこんなことをされて感じている自分が情けなかった。
しかし。
彼の手は私の棹の部分を擦り上げ、やがてにじみ出した先走りの滴でそこが滑らかになり。濡れた音が辺りに響き始めると、そのあまりの恥ずかしさに死にそうになる。
「んっ、あ」
やがて、私は堪えきれずに小さな悲鳴を上げた。
あまりにも簡単に、私は達してしまっていたのだ。それはひどく気持ちよかったものの、私の心のどこからか罪悪感を引き出した行為だった。