首筋の契約 4



 私はしばらくの間、宙を見つめたまま動けずにいた。自分に起きたことが信じられなかったし、考えたくなかった。
 しかし、目の前にいる少年の存在は夢などではない。
 そして、見下ろすとちょうど腹の辺りに小さな傷があることも。
 吸血鬼?
 本当にそんなものが存在するのだろうか? この現代社会に?
 私はただ、今の状況を考えるのを避けるために、そんなことを考える。とにかく、現実逃避をするために。
 しかし。
「なあ、もう終わったと思ってる?」
 少年の手のひらが私の頬に触れた。私は反射的に彼の手を振り払い、その明るい笑顔のままの少年を睨みつけた。しかし、彼を見ていると否が応でも先ほどの行為を思いだして、自分自身に対しての嫌悪がわき起こる。
 相手は少年だ。
 女性じゃない。
 それなのに、私はどうした?
 私はすぐに目を伏せ、乱れた服装を直しにかかる。しかし、少年の手がそれをとめた。
「放せ」
 彼の力は強い。人間ではあり得ない力。私よりも身長が低い少年で、それほど力があるように見えない。しかし、どうやっても彼の腕を振り払えない。私は唇を噛んでしばらくの間抵抗していたが、だんだん不安が胸の中に広がってきていた。
 ──もう終わったと思ってる?
 彼はそう言った。
 まさか。
 私が慌てて立ち上がろうとするのも、彼は引き留める。そして、乱暴に私を床に押し倒し、組み伏せて笑う。
「お兄さんってさ、女の人が好きでしょ」
 腹の上にのしかかる彼の体重。
 そして、彼の手のひらが私の喉元から腹にかけてゆっくりと這い回り、『不安』が的中しそうだと知って怖くなる。
「だから、こういうのは初めてだよね」
 少年がにやりと笑って私の耳元に唇を寄せる。「こうして、男にやられるのはさ」
「放せ」
 今度こそ、彼を殴ってでも抵抗しなくては、という気が起きた。何とかしなくては。
 でも、彼は私が抵抗するのも解っていたようで、まるで子供をあやすかのような仕草で私を宥めようとし、それが無理だと知ってその唇を私の喉に落とした。そのまま、彼の唇が鎖骨の方へと動く。
「厭だ」
 本能的な恐怖感が私にそう言わせた。
 肌に食い込む彼の犬歯を感じて、すぐに全身を震わせる快感が押し寄せる。彼を押しのけようとする私の腕から力が抜けて、指先が震えた。
 血。
 彼は私の血を吸う。そしてどうする?
 人間は体内からどのくらい血を失ったら死ぬのだろうか。
 私が必死に頭を働かせていると、喉から唇を離した彼がまるで私の考えを読んだかのように言った。
「今日はそんなにお腹がすいてるわけじゃない。だから、噛むのはおまけみたいなもんだよ。その方が気持ちいいだろうから」
 彼はそう言いながら、抵抗できないでいる私の唇にキスを落とす。最初はひどく優しく触れるだけだったが、しばらく後に彼の舌が私の中に入り込んできた。
 慣れたキスだ。そう思う。
 彼の舌は執拗に私の口腔を嬲り、私の息が上がっていくのを楽しむように時折離れる。
 そうしている間、私の身体はまるで他人のように重く、動かすことができなかった。彼の手が、また私の下半身へと伸びて。そして。
「やめろ」
 そう言った私の声がかすれている。
 彼の手が私の陰茎に触れ、容赦なく擦り上げた。次第に熱くなるそれは、私の意に反して勃ち上がり、濡れた音を立て始める。
 それを認めたくなくて、私は目を閉じた。
 だが、彼の手が私自身から離れ、後ろに回されたときに身体が強ばる。「これは邪魔だな」と言って彼が私の服を引きはがすように脱がし、床に落とす。彼の手が私から離れた瞬間、何とか逃げようと身体を起こそうとしても、まるで自分の身体が別人のもののようでまともに動かせない。
「くっ」
 私は声を押し殺した。
 彼の濡れた指が、私に入ってこようとしている。その恐怖に、どうしたらいいのか解らなくなった。
 私は必死に身体を捻り、彼を見上げる。
 どうしたらいいんだ。どうしたら彼は『これ』をやめてくれる?
「いい顔。すごく好みだよ、そういう反応」
 少年の笑みは崩れない。「俺さ、ストイックな感じの人が乱れるのって好きなんだよね」
「やめろ」
 それしか言えない自分が情けない。とにかく、恐怖が先にあった。ゆっくりと、そして確実に彼の指が中に入ってくる。その嫌悪感に顔をしかめ、こんな自分を見られたくなくて首を振る。
 無理矢理入ってくる痛みがあった。身体が強ばって、彼の指を拒否する。しかしそれも、彼がそこをかき混ぜているうちに変な気分になってきた。
「さすがに狭いから、最初は大変だと思うけど」
 少年はそう言って、また私の喉元に犬歯を突き立てる。途端、達しそうになって私は必死にそれを我慢した。唇を噛み、愉楽の声を上げないように。
 その快楽が続くうちに、彼の指の本数が増やされる。
 そして、『そこ』に触れた、と思った。
「ああっ……」
 たまらず、悲鳴を上げる。それが自分でも知らない声だったから、怖くなる。
 痛みはまだあったけれど、彼が『そこ』に触れるだけで全身が引きつけを起こしたように急激な快感に震えるのだ。
 何だ、これは。
「このままいこうか」
 突然、少年の手が私の片足を自分の肩に担ぎ上げる。乱暴な仕草。私の中を彼の指が激しくかき混ぜた後、私が抵抗する前に彼の指の代わりにそれが押し入ってきた。
「……っ!」
 その強烈な痛みに、悲鳴も上げられなかった。
 喉から漏れるのは乱れた呼吸だけで。
 そのまま、彼が乱暴に動き出す。しかし、私が急激な快感に震えた『そこ』を狙うようにして。
 自分でも知らないうちに、生理的な涙が浮かんでいたらしい。
 声を出さないように必死に唇を噛んで、痛みと一緒にわき上がってきた快感を気づきたくなくて、ただ首を振る。彼の身体を押しのけようと、私の手が動く。しかし、その手首を取られて床に押しつけられ、私はただ硬い床の上で足先まで震えるしかなかった。
 嘘だ。
 こんなのは嘘だ。
 次第に追い詰められていく快感に、私はどうしたらいいのか解らずにいた。意識が飛びそうになる感覚も初めてだったし、自分自身を操れないことに不安になるのも初めてだった。とても屈辱的で、背徳的な、そして認めたくはないが官能的だった。
 彼が私を揺さぶりながらまた唇を重ねてくる。私は熱に浮かされた気分になりつつ、彼の舌を受け入れるためにぎこちなく口を開いた。
 しかし、そのキスの間に私はもう限界が近づいてきていて、小さな吐息を漏らしながら彼から唇を離す。
 情けない声が喉の奥から漏れている。
「あ、あっ」
 彼の動きは激しくなる一方で、彼に与えられる快感は増していくだけだ。
 私の手は自然と彼の肩を掴み、引き寄せる。彼の肩に爪を立てながら、私は自分のあられもない格好を見下ろし、絶望に近い感情を抱いたと思った。しかしそれも、全て快感に押し流される。
 私はやがて、彼にしがみつきながら精を解き放った。
「帰ってくれ」
 身体が動かない。床の上で寝転がった姿のまま、乱れた呼吸が落ち着いてくるのを確認すると、私はかすれた声でそう言った。
 彼を見たくなかったのだ。だから俯いたままで、まだ身体の奧が熱いことにぞっとしながらも、冷静な声が出るようにと必死になっていた。
「もう終電も終わってると思うな」
 少年が笑いながらそう言っている。彼が服を着ている気配を感じながら、私もやっとの思いで自分の服を探す。彼に脱がされて床に放り出されたままの服。それを何とか落ち着いているように装いながら身につける。
 風呂に入りたいと思った。
 だが、彼がいるときにそういう──無防備な自分を見せたくない。だから、重ねて言った。
「君は人間じゃないはずだろう。電車など」
「……じゃあ、送ってよ」
 何を言うのか。
「断る」
 私は短く応え、のろのろと玄関のほうに歩いていった。そして、玄関の扉を開けて彼を振り返り、外に出ていくように促す。
「冷たいなあ」
 彼は勝手に私のアパートの台所に入り、冷蔵庫を開けてビールの缶を盗りだした。プルトップを上げて、無造作に口をつける。そして、ニヤリと笑って私を見つめる。
「あれだけ乱れた後に、そういう反応ってすごいよね」
 彼のからかうような台詞。
 私はそれを聞かなかったふりをした。そうでないと、先ほどのことを思いだしてしまう。心臓が恐怖に震えてしまう。だから、仮面をかぶる。先ほどのことは何てことない些細なことなのだ、と。
 しかし、内心では混乱の嵐だった。
 相手は男だ。
 そして、人間じゃない。
 そんな相手と……あんなことをしてしまった。無理矢理だったのは確かだが、最後には私も──。信じたくない。
「吸血鬼ってあんまり凶暴じゃないよ。お兄さんは誤解してるかもしれないけど」
 彼はシンクにもたれかかり、私を見つめながら言う。「セックスも気に入った相手とかしないしね。そりゃ、血を飲むのは誰だっていいけどさ。味さえ気に入っていればね」
 セックス、と言葉で聞いて私は眩暈を覚えた。
 聞きたくない言葉だ。
「血を飲むのが目的なんだろう? こういうことをするのも全て、結局は」
 私はかすれた声でそう言った。「人間は君たちの『餌』か?」
「そうだね」
 彼は無造作に応える。
 それは、私の背筋を凍らせる。餌と言い切った彼の目に、あまりにも穏やかな光が浮かんでいたからだろうか。人間を襲い、血を吸うことなど何とも思っていない目だ。
「ま、いいか。またくるよ」
 少年は飲みかけの缶ビールを私の手に押しつけ、私の頬を一撫でしてから外に出る。彼に触れられた瞬間、私の表情が歪んだと思う。彼はそれを満足そうに見上げ、くすくす笑う。悔しくて私の手が震えた。
「もうこないでくれ。もう二度と」
 私は強く彼にそう言ってから、扉を閉める。そして、鍵を閉めて唇を噛む。
 部屋の奥からはまだテレビの音が聞こえてきている。ひどく非現実的な夜。
 私はその場に座り込んで、額に手を置いた。



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