首筋の契約 6


 私たちが入ったのはファミリーレストランで、ちょうど夕食時間だったこともあって結構混み合っていた。ウェイトレスに案内されるままに奧のほうのテーブルにつき、私は彼と向き合うことになる。それは、本当に不本意な流れではあった。
「あ、俺、金がないから割り勘ね」
 少年はそう言って、早速メニューを開く。テーブルに頬杖をつきながらどれを注文しようかと悩み始めたようで、その真剣な表情がどことなく親近感をわかせることになる。
 その顔を見ている限りでは、どこからどう見ても普通の人間としか思えない。おそらく、他の人間から見てもそう思うだろう。
 だが、彼は人間ではない。
 それは確かなのだ。
「お兄さん、何食う?」
 彼はどうやら注文するものが決まったらしく、メニューを私に差しだしてきた。私はそれを受け取りながら、ただ眉根を寄せる。彼とどう接すればいいのかも解らない。これからどうしたらいいのかも。
 私は何とかメニューに視線を落とし、ただ注文するものを選ぶ。そして、ウェイトレスが注文を取っていった後も、どうしたらいいのか解らず黙り込んでいた。
「まず、自己紹介からいっとく?」
 そう言われて視線を上げ、そこでやっと、少年がじっと私を見つめていることに気づいて居心地が悪くなった。私が何も応えずにいると、彼は困ったように笑って続けた。
「秋葉潤。潤って覚えておいて」
 少年──秋葉と名乗った少年は、次に私に名乗るように促す。
 私は仕方なく口を開いた。
「蓮川大介。覚えなくていい」
 私は自分でもぎこちない声だと思った。喉の奥が緊張していて上手く言葉が出てこない。
「大介、大介ね。次からそう呼ぶよ」
 彼は私がさらに困惑して眉を顰めるのを、楽しそうに見つめる。そして、その視線が私の喉元に向かうからさらに落ち着かなくなる。
「……君は普通に食事をするのか」
 何か会話を探さないことには、この場にいられない。
 そんな気がして、私は周りを気にしながら口を開いた。
 すると、秋葉が笑いながら頷く。
「まあ、普通に取るよ。食べなかったら腹が減るし、仕方ない」
「しかし君は……」
「そう。血も飲む」
 彼は薄く笑って目を細める。その瞳がわずかに赤く染まって、心臓が厭な音を立てた。どうも、その眼の色は私の不安感をかき立てるようだ。
 彼はそんな私の反応に気づいているのかいないのか、楽しげに続ける。
「でもさ、普通に人間らしい食事をしていても、やっぱり駄目なんだよ。栄養が足りないんだ。血を飲んでいないままだと、だんだん気分が悪くなってくる。貧血状態になって倒れる。そう、お兄さん……じゃなかった、大介に初めて会った夜と同じ状態だね。あのときも、随分久しぶりだったんだ」
「なぜ、私を選んだ?」
 私は彼を正面から見つめ、小さく訊いた。「ただ、そこに居合わせただけが理由なのか?」
「うーん、確かに偶然居合わせたのも理由の一つだけど、それだけじゃないな。前も言ったじゃん。お兄さんみたいな人、好みなんだって」
 少年がそう言ったとき、我々の前に注文した品が並べられた。「お待たせいたしました」という、ウェイトレスの明るい声が、ひどく現実味のない響きを持っている。いや、現実味がないのは我々のほうか。未だに私の目の前にいる少年が吸血鬼だということが真実とは思いたくない。
「まあ確かに、大介は運が悪かったよ。あの場所で会わなければ、こうしてお互い顔を突き合わせることもなかったし。ま、俺はラッキーだけどね。大介の顔も好みだし、そういうクールな反応も好きだ。腹減ってたし、大介の血の味も気に入ったし。だから、ついこうして通ってしまうわけだ。本当は駄目なんだろうけどなー」
「駄目とは?」
 私は顔をしかめ、彼を──秋葉を見つめ直す。すると彼は、頭を掻いて短く言う。
「姉貴に怒られる」
「姉?」
 そう言えば、最初会ったときに見た女性。彼女がそうなのだろうか?
 私がそう考えたのを読んだかのように、秋葉が頷く。
「そ、最初見たヤツ、あれが俺の姉貴。すっげえ怖いんだぜー。すぐ暴力を振るうし、怒鳴るし、煩いし。何にでも口を挟んでくるし、説教するし。自由にさせてくれと言いたい」
 どうしてこの場にその女性がいないんだろう。もしもいたら、秋葉を連れて帰ってくれるだろうか。そしてもう二度と、私の目の前に現れなければいいのに。
「姉貴は、俺が外出するのも反対なんだ。家の中で大人しくしてろって言う。でも、そんなの無理だ。だからときどき抜け出して、気に入った人間のところに入り浸ってみたりする。できれば、大介の部屋に泊まり込みたいくらいだ」
「断る」
 私はすかさずそう言ってから、だんだん冷めていこうとする料理に手をつけた。大根おろしの乗った唐揚げの山を箸で崩しつつ、私はさらに続ける。
「では、今は他の人間のところに泊まり込んでいるのか」
「いや」
 秋葉がため息をこぼし、少しだけ淋しそうに言った。「そいつが結婚するっていうからさ、縁を切ってきた」
 私は顔を上げ、秋葉の顔を見つめ直す。彼は窓の外に視線を向けていて、その整った眉根を寄せて呟く。
「俺、趣味が悪いんだろーな。もともと、女好きの男に惹かれやすいんだ。男なんか興味ない、って言ってるようなヤツに手を出して、厭がる仕草を見るのが好きなんだよな。それで、だんだん俺に馴染んでくる課程が好きだ」
 私は急に食欲を失って箸を皿の上に置いた。
 頭痛まで覚えたような気がして、額に手を置いてため息を漏らす。すると、秋葉が小さく笑った。
「俺、こういう力を持ってるからさ、相手の抵抗をなくさせるなんてことは楽なんだ。相手が俺のキスに溶けそうになってるのを見ると、今回は上手くいくかなー、とも思う。でも、いつも同じだ。しばらく経つと、相手が言い出す。もういい加減にしてくれって」
 それはそうだろう。
 私もそう言うはずだ。
 もうすでに言っている気もするが。
「だから最近は割り切ってる。どうせ最終的には縁を切るんだったら、最初からそういう関係にしておけばいい。食事をして、セックスするだけの相手だよ。余計なことは言わずに済むし、お互い別れるときも楽だ。……どうせ、記憶は消して終わりにするから相手は何とも思わないだろうけど、ずっと寝てた相手なら、こっちは情がわくじゃん。俺は淋しいなあ、とか思うわけよ。……何だよ大介、信じてないだろ」
 ふと、秋葉が苦笑して私を見やる。
 私は何も言わずに彼を見つめているだけだ。やがて、彼は呆れたように笑った。
「俺はもともと、優しいよ? でもさ、ずっと人間から『化け物』とか呼ばれ続けたらグレたくもなるじゃん? 苛めたくもなるじゃんよ? それがいけない?」
 一瞬だけ、彼の瞳に真剣な輝きが灯ったように見えた。しかし、それはすぐにいたずら好きそうな笑みにとって変わってしまい、彼の本音が何なのか解らなくなる。
 だが、彼の言っていることは本当なのだろうとは思う。
 彼は人間じゃない。そして、我々人間から見れば『化け物』でしかない。それを口に出したとしても、それを責められる者がいるだろうか?
 まさか、当の本人が『化け物』と呼ばれて傷つくとは思わない。
「それにさ、あんたも同じだ」
 秋葉がテーブルに頬杖をついて言った。「俺が極悪非道で血も涙もなくて、ただの性欲魔神のほうが楽だろ? 憎んでいればいいだけだもんな。余計な会話もなしで、俺はたまにちょっと血をもらえればいい。それと、セックスと」
「断る」
 私はまたそう意思表示をする。しかし、秋葉はそれを聞き流して続けた。
「本当にたまにでいいんだ、血を飲むのは。だからその辺、考慮してよ」
「考慮するも何も、これだけ断ると言っているのに……」
 私はまたため息をこぼした。そして、心の奥にあった疑問を口に出す。
「それに、血を吸うという行為には、どうしても抵抗がある。……その、よく小説などではあるようだが、吸血鬼に血を吸われると……」
「ああ、吸われたほうも吸血鬼になるっていうアレ?」
 秋葉が明るく笑う。「それ、嘘だから。そんな簡単に吸血鬼が増えていったら、この日本、人間がいなくなるのもあっという間だよ。何、大介、吸血鬼になりたいと思う?」
「いや」
 私はすぐに首を横に振ったが、彼はいたずら好きそうに目を輝かせて見せる。
「もちろん、吸血鬼になる方法はある。俺たち──吸血鬼と血の契約を結んでくれればね。でも、ほとんどそんなことしないよ。こっちが面倒だからね。そりゃ、人間から見れば吸血鬼になるっていいことばかりのように思えるかもしれない。長生きできるし、人間にはない特殊な能力も持てるしね。でも、結構面倒なんだよな、これ」
「長生き……」
 私はふと、この目の前にいる少年は一体何歳なんだろうと考えた。おそらく、私が考えている以上に──。
「あ、俺、二百年くらい生きてるから。でも、若いほうだよ、俺」
 突然、私の考えを読んだかのように彼は無造作に言う。そこで、もしかしたら彼には人間の思考を読む能力があるのかと疑った。しかし、そう疑ったのが表情に出たようで、秋葉が小さく苦笑した。
「大介、結構考えていることが表情に出るほう? 意外ー」
 私は慌てて表情を消した。すると、その私の反応が面白かったのか、さらに小さく声を上げて笑う。
「勘は鋭いほうだと思うけど、誰かの考えが読めるような力はないよ。だから、全部こう考えてるんだろうな、と勘で言ってる。ま、別にいいじゃん。軽く考えておいてよ。お互い、楽しめればいいんだし。吸血鬼になったって色々あるし、面倒事ばかりだし、紛争とかもあるし……なりたいとか思うのはやめておいてよ」
 いや、なりたいとは考えてもいないのだが。
 私がただ困惑して秋葉の顔を見つめ続けていると、彼は私の手元に視線を落として首を傾げた。
「食欲ない?」
「……ああ」
「だから体調が悪くなるんじゃない?」
 明るい彼の言葉に、私はまたため息をこぼす。もう、何も言いたくなくなってきた。彼との会話も、ただの苦痛でしかない。
「私はこれで失礼する」
 私はほとんど食事に手をつけないまま立ち上がる。そして、テーブルの脇に置かれた伝票を手にレジへと向かうと、秋葉が慌てたように追ってきた。
「君は食事して帰るといい」
 私は振り向かないままで言った。「そして、これきり会わないようにしたい」
「何で?」
 秋葉が私の手首を掴んで引き留めた。「何でそこまで堅いんだよ。もうちょっとさ……」
 私は無言のまま会計を済ませ、レストランの外に出る。その後をついてきた秋葉の足音を後ろに聞き、やがて道端で足をとめて彼の方を振り返った。
「君は以前、何と言った?」
 私は彼の胸元に指を突きつけた。彼がそれ以上私に近づかないように、そのまま遠くに押しやるように。
「人間は君たちの餌だと言ったのだ。そんな相手と一緒にいて、私が楽しいと思うか?」
「それは」
「君が人間をただの食料としか思ってない以上、私は君に嫌悪しか覚えない。それはきっと、これからも変わらないだろう」
 私は彼を見下ろし、静かに続けた。自分でも驚くくらい、突き放した言い方になった。
「こうして我々は同じ言葉を話している。コミュニケーションを取れるツールを持っている。しかし、会話することが無意味だ。君と私はあまりにも違いすぎる。理解し合えることは絶対にない。私は君と一緒にいることすら苦痛だが、きっと君は私のことなどどうでもいいのだろう。どんなに私が苦しんでいたとしても、私は君にとってただの餌だ。餌が死のうが生きようがどうでもいい。死んだら次を探せばいい。それだけのことだろう」
「それは……」
 秋葉の目の中に、わずかに苦しげな色が混じったと思う。しかし、私はそれに気づかなかったふりをした。相手は結局、『化け物』なのだ。私をいつか殺すかもしれない相手なのだ。
「我々人間も、たくさんの命を奪って生きている。牛や豚、鶏など、その他あらゆるものの命を。それら食料に対して、何の感情を抱く? 所詮、肉は肉だろう。君も同じだ。餌となるべき人間に、親愛の情があるなどと言うつもりはないはずだ」
 秋葉は私の言葉を黙って聞いていた。
 そして、何度か口を開きかけ、やめる、という行為を繰り返す。
 私は彼に優しく微笑んで言った。
「楽しい時間をありがとう」
 そう、心にもない言葉を彼に投げつけて、私は一人でアパートへの道を歩き始めた。


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