10

 疑念が首をもたげかけたとき、葵は再び戻ってきた。中身の詰まった小型のリュックを手に提げている。
 そのリュックの中から葵は握り飯を取り出した。
 コンビニで売ってる、ビニール包装のおにぎりである。シャケ、おかか、明太子と用意されている。
 シャケの握り飯を受け取ると、カイトはビニールシートを剥がすのももどかしそうに、ガブリと食いついた。
 その横で葵は水筒からコップにお茶を注いでいる。
「ごめんね、私、料理下手だから……」
「たしかに、そりゃ役立たずかもな」
 無神経な受け答えに葵は一瞬、傷ついたような顔をした。カイトはそんなこと意に介さず、がつがつと握り飯を食らった。
「次!」
 一個目の握り飯をたいらげてカイトはさも当然のように手を出した。
「おかかと、明太子とどっちがいい?」
「どっちでもいいよ! どうせ全部食べるんだから」
 どちらを渡そうかと迷ってる葵の手から握り飯をひったくり、カイトは大口を開けてかぶりついた。事情を知らない男がその光景を見てたなら、美少女が台無しだと嘆いたことだろう。
 やがて、三個目の握り飯にとりかかったところで、カイトは大きなゲップをした。
 そして、胃のあたりを手で押さえ、不思議そうに目をぱちくりさせた。
「なんでだ? 腹が一杯になってきたなんて……コンビニのおにぎりなんて、三個や四個、楽勝で食えるはずなのに」
「それはそうだよ。女の子の体になったぶん、胃袋だって小さくなってるんだから」
「マジかよ……」
 食いかけの握り飯を置くと、カイトは茶を流し込んだ。
 腹が満たされたおかげで、ともかくも人心地がついた。
 カイトは横でちょこんと正座してる葵に向かい合った。
「なあ。お前、こいつの鍵は持ってないのか?」
 ジャラジャラと首輪につけられた鎖を鳴らしてみせる。
 葵は首を横に振った。
「私が力になれるのは身の回りの世話とかだけだから……」
「なるほどな」
 カイトとしてもそこまで安易にことが運ぶとは思ってなかった。それに、例えこの旧校舎を逃げ出したとしても、前回のように外へ出た途端、沼作に捕まっては意味がない。
 満腹したおかげで、そういったことを冷静に計算するだけの余裕が生まれていた。
「ところでだ……」
「うん」
「お前の兄貴は、あいつは何者なんだ!」
「え……」
「脳移植って何なんだよ……なんでこんな田舎の研究所が、SFに出てくるみたいな実験してるんだ!?」
 カイトの知ってるムラタは、学校で週に一度生物の授業を担当してる非常勤講師だ。普段は学校の裏手にある研究所で働いてるというのも知ってる。
 けれど、生徒を拉致してSFのような生体実験に使ってるなどとは、想像の埒外もいいところだ。
「あの研究所はお兄ちゃんのための研究所なのよ」
「どういうことだよ?」
「ある国がお金を出してあの研究所を作ったのよ。その国の機関はお兄ちゃんの頭脳をすごく高く評価してて、当時一方的に大学を追放されてたお兄ちゃんを助けてくれたわ。非公式の援助だから、目立たないように田舎の村に研究所が作られたの」
「それって、軍事目的の研究とかしてるってことか?」
「詳しいことは私は何も……。お兄ちゃんが話してくれないから」
「そのお前のクサレ外道兄貴のせいで俺はこのザマだ!」
 カイトは胸に手を当てて抗議した。
「……お兄ちゃんを悪く言わないで……」
 葵は複雑な表情で言う。
 カイトは言い返そうとして思いとどまった。
(この女を怒らせるより、なんとか丸め込んで味方にできれば……)
 一度深呼吸をしたカイトは、宥めるように猫なで声で声をかけた。
「わかったよ。言い過ぎた」
「お兄ちゃんはね、本当はとっても優しいんだ」
 どこがだ!
 と叫びたくなるのを必死に堪えるカイトだった。
「お兄ちゃんがこんなことするのはきっと、やむを得ない事情があったんだと思う……」
(どういう事情があったら、いたいけな高校生男子を拉致って女の体に脳移植するんだよ!)
「きっと男の子に戻れるから、いまはヤケを起こしたりしないでね」
「わ、わかったてるよ……」
 と、神妙に肯いてみせる。
 葵を人質にとるよりも手なずけて味方にしたほうが、現状の打開策としては確実だろうという判断だった。
「そういやあんた、まるで俺のこと知ってるみたいな口振りだが」
「うん……カイト君は私のことなんて覚えてないよね」
「あ? どっかで会ったか?」
「…………」
 葵は一瞬傷ついたように目を伏せた。
(やば、好感度が……)
 慌ててフォローしようとしたとき、葵は笑顔を浮かべて言った。
「気にしないで。私、もともと目立たないほうだから」
「い、いや……」
「前にね、カイト君に助けてもらったことがあるの、私」
「へ? そ、そうなのか?」
「カイト君にとっては何でもない、ちょっとしたことだったかもしれないけど、私はそのときのこと一度も忘れたことないわ」
 カイトは相変わらず何も思い出せず、適当に相づちを打つことしかできなかった。
「お兄ちゃんが研究所の人と話してるのを聞いてカイト君がこうなってることを知ったの。だから私、お兄ちゃんにお願いしてカイト君の面倒をみさせてもらうことになったのよ」
「飼育係ってわけか……」
「え、何?」
「いやなんでもないぜ。あんた、じゃなかった……葵ちゃんは優しいんだな」
「そ、そんなこと……」
 と、葵は頬を赤らめて俯く。
 あまり世間ズレしてないお嬢様タイプ、とカイトは冷静に値踏みをした。
(こいつを突破口に……)
 葵を利用する算段を立てているそばで、彼女はカイトに気遣わしげに視線を投げかけていた。
 葵の目線がカイトの胸の双球に注がれる。
 バストのサイズでは明らかに葵よりも上だ。
 視線に気づいたカイトは気恥ずかしくなって身をよじった。
「な、なんだよ、ジロジロと」
「体操着の下、何も着けてないのね?」
「いいだろ、別に!」
 ロケットの先端のように突き出したバストの先端で、体操着にくっきりと乳首の形が浮き出てた。布地がこすれたせいで敏感に勃ってしまった。そのことに気づいてカイトは狼狽えた。
「下着がなかったら、居心地悪いでしょ?」
 葵は同性の気安さでカイトの胸をじろじろと見る。
 彼女のいう通り、一度意識してしまうと身動きするたびに胸が好き勝手にプルンプルンと揺れるのは気になってしかたなかった。おまけに体育着の裏地が乳首を擦ったりすると、突き刺すようなくすぐったさに襲われてしまう。
「あら、ちゃんと用意されてるわ」
 そういって葵は置いてあったコンビニのビニール袋からブラジャーとパンティを引っ張り出した。
 カイトは敢えて無視していたが、体育着と一緒に女物の下着も用意されていたのだ。
「ブラの着けかた、きっと分からないよね。私が着けさせてあげる」
 葵は迷いのない手つきでカイトの体育着をめくりあげた。ぽろん、とこぼれるように踊り出す色白の双乳。
「きれいな胸……」
 呟きながら、葵はブラを着けさせようとした。慌てたのはカイトだった。
「こら、待て! なに勝手なことしようとしてんだ! 殺すぞ、このアマ!」
 びくっと葵が身をすくませ、怯えた顔でカイトを見た。
(まずい! こいつを敵にしちゃ元も子もないんだった!)
 カイトは葵にヘラヘラと愛想笑いを振りまいた。
「怒ってるの、カイト君?」
「んなこたーねーけど」
「よかったぁ〜」
 胸を撫で下ろしたかと思うと、葵はもう一度ブラを手に取った。
「女の子の体形なんだから、下着つけてたほうが絶対楽だよ。ほら、ブラはね、こういうふうに着けるの」
「お、おい……」
 葵はカイトの背後に回り込んでブラを引っ張った。ブラのカップが胸に覆い被さってくる。さらに胸の肉を葵のやわらかい手がすくって、ブラのカップに詰め込んだ。
「ンッ!」
 乳房をこね回されると自然に鼻に掛かった喘ぎ声を出してしまう。
 パチンッと背後でブラの留め具が合わさり、肩紐の位置も調整された。
「これでいいわ。あと、パンツもはかないと、衛生的に問題よね」
「あーうー……」
 断る方法が見つからないうちにパンティのほうもなし崩しに穿かされていた。
「これでいいわね。どう動きやすくなったでしょう?」
「………………」
 カイトは内心憮然としていた。
 ただ、ブラジャーにすっぽり胸が包まれたおかげで乳房の重みが支えられ、それまでより体が楽になったのは確かだった。スースーする股間もやわらかなシルクのパンティに包まれて快適になった。
 女の体形に女物の下着が合うという事実は認めざるを得なかった。
「私、そろそろ戻らないとお兄ちゃんに怒られちゃう。また……明日も来るからね?」
「ああ。頼むぜ、葵ちゃん」
「……うん」
 カイトに男っぽい口調で名前を言われると、葵は顔を真っ赤にして頷いた。
 葵はぺこりと頭を下げると、逃げるようにタタタと走り去っていった。

「……ヘンな女だぜ」
 カイトはため息をついた。
 ヘンな女だろうと、脱出への唯一の糸口には変わりない。
 葵につけられたブラを外そうとしたが、背中に手を回しても留め具がどうしても外れなかった。思いあまってブラの紐を千切ろうとしたが、内部に針金が通っていてビクともしない。
 カイトはあきらめて体育着の裾を下ろした。
 ブラに支えられた胸はいよいよツンと飛び出して自己主張している。めりはりのついた凹凸がセクシーで、それと学生っぽい体育着のゼッケンがミスマッチだった。
「ちくしょう、なんでこんなエロいんだ……」
 しみじみと己の体の凹凸に手を這わせるカイト。
 エログラビアでも滅多にお目にかかれないようないやらしい女の体に、つい昨日まで健全な男子高校生だったカイトがムラムラしない筈がなかった。
 股間でちん●が勃ちあがるような気配がしたが、それは虚しい幻覚だった。
「ああくそ、たまんねえ。犯してーよ……」
 自分の声のハスキーな色っぽさもますますカイトの性衝動を刺激した。
 たまらず腰をくねらせてしまう。見えないペニスを突き立てようとするかのように……。
「やめだ、やめ!」
 自分の姿の滑稽さに腹が立ったカイトは、怒鳴ってマットレスの上にうずくまった。
 葵も去って静まりかえった廃教室でカイトは懸命に高ぶる気持ちを鎮めた。


 一方、葵は自宅に戻るとダイニングルームの食卓をチェックした。
 兄のために用意してあったレトルト尽くしの夕食はきれいに片付いている。
 そうっと二階に上がると、クラシック音楽が耳に入ってきた。
 兄が自室のコンポでCD鑑賞しているのだ。
 突然、音楽が止んだ。
「……葵か?」
「うん」
「そうか、カイト君の様子を見に行ってたのか」
「おにぎり、食べさせてあげたよ」
「彼は、もともと綺麗な顔をしてたけど、女の子にしてあげたらそれはもう美少女になったよ、フフ」
「うん、とっても綺麗だった。それに、男の子のりりしさも残ってて……」
「葵は、男だったときの彼とセックスしたこと、あったのかい?」
「え!? ううん、そんなことないよぅ……」
 葵は困った顔で俯いた。
 カイトとの出会いは、葵がバイト先のファミレスでレイプされかけたのがきっかけだった。
 葵をトイレに連れ込もうとしてた高校生グループを、たまたま先客としてトイレにいたカイトが叩きのめしてくれたのだ。そのときのカイトの姿は葵の瞼に焼き付いている。
 その後、ときどきファミレスにやってくるカイトにさりげなく接近を試みたりしたのだが、カイトのほうは葵のことを特に意識してないようだった。
「でも……お兄ちゃんはどうしてカイト君を被験者に選んだの?」
「お前が詮索するようなことではないだろう?」
 冷たく言い放つムラタ。葵はあわてて兄に謝った。返事はなく、再びクラシック音楽が流れた。
「私、またお兄ちゃんを怒らせちゃった……」
 葵は自分の部屋に入ると、制服を脱いでベッドに横になった。
 廃教室でのカイトの姿、声が甦ってくる。
 姿はたしかに女の子なのに、カイトの仕草や喋り方は初めて彼に会ったときそのままだった。その倒錯的なイメージが葵の心を刺激した。
「カイト君……」
 呟きながら葵はそっと自分を慰めた。

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