その涯を知らず  ―― 如月(2) ――

                  翠 はるか



 翌朝、まだ早い時分に、友雅は人の足音で目が覚めた。目を薄く開いて気配を窺うと、この部屋へ続く廊下を、誰かが早足で歩いてきているのに気づく。
 …何か起こったか。
 友雅は身を起こして、乱れた髪や単衣を簡単に直した。そうしている内に、部屋の前で足音が止まる。
「―――殿。お目覚めでいらっしゃいますか?」
 女房の一人だった。彼女はこの邸に長く勤め、簡単に取り乱すような事はない。
 これは、いよいよ何か起こったらしいと、友雅は袿を羽織って、寝間を出て行った。
「ああ。そんなに慌てて、何かあったのかい?」
 部屋の外に声をかけると、廊下に控えていた女房が入って来る。手には文箱を持っていた。
「先ほど使いの方が参りまして。殿へお文を預かっております。お急ぎ、ご覧下さいとのことです」
「文? 誰からのものだ?」
「…帝からでございます」
 憚るように告げられた名に、友雅は眉を寄せた。帝からの緊急の文となれば、ただ事ではない。すぐさま文箱を開けて、中の文を広げる。
 内容は短いものだった。すぐに読み終え、友雅は女房に視線を向ける。
「すまないが、出発の支度をしてくれるかい? 急いで参内せよと帝の仰せだ」
「はい、すぐに」
 女房は一礼すると、下がっていった。
 友雅はそれを鋭い眼差しで見送った後、文をしまう。
 文には、火急の用につき急ぎ参内せよとだけ記され、詳細は一切なかった。文には書けぬ用事という事だろう。
 さて、災禍でもあったか、どこぞで乱でも起きたか。まいったね、心当たりがありすぎる。
 友雅は軽く肩をすくめ、部屋の奥へ戻った。


 友雅が参内すると、待っていた女官に承香殿(しょうきょうでん)へ案内された。
 後宮は私的な話をする時によく使われる。加えて、承香殿は帝の一の女御の住まっている殿舎だ。
 そのため特に疑問にも思わず、案内された部屋へ入っていった。だが、そこに揃っている面々を見て、友雅は軽く首を傾げた。
 一番上座には帝が座している。そして、その脇には左大臣。反対側に皇弟の永泉がいる。
それだけでも珍しいが、下って、平間には二人の男性が控えていた。一人は友雅も知っている、治部少丞の藤原鷹通だ。もう一人には見覚えがない。だが、ひどく目立つ容貌をしていて、面立ちは綺麗なものの、顔の色が真ん中辺りから変わっていた。また、衣服からして七位の者だ。彼らは殿上人ではない。それが、このように帝に近しく呼ばれているとは。
 更に、左大臣の側には几帳が二つほど立てられており、その影に人の気配がある。
 妙な顔ぶれに、友雅は自分が呼ばれた理由が掴めなかった。
 さりげに彼らの様子を窺いながら、中に入る。すぐに、部屋の戸が締め切られた。恐らく、友雅で最後なのだろう。
「遅くなりまして、申し訳ありません」
「よい。急な事ゆえ仕方なかろう。そこに座るがよい」
 帝が永泉と鷹通の間を指す。それに従って友雅が座すと、帝は改まった表情になって、一同を見渡した。
「急に呼び立てて、さぞ驚いたことと思う。恐らく、互いに知らぬ者もおると思うが、さっそく用件に入りたい」
 帝はそこで一度言葉を切り、左大臣に目を向けた。左大臣が視線を受けて、軽く頷く。
「本日は、左大臣のぜひにとの意向により、そなた達に来てもらった」
 友雅は内心でなるほどと呟いた。承香殿女御は左大臣の娘。いわば大臣にとって味方の陣地だ。それもあって、この殿舎が選ばれたのだろう。
「では、大臣」
 帝が促すと、左大臣は心持ち身を起こし、残りの四人の顔を見渡した。
「火急の呼び出し、あいすまぬ。だが、四方にどうしても聞いてもらいたい儀があってな。もっとも、話があるのは私ではなく、我が娘なのだが。―――さ、先ほど奏上した話を今一度申し上げよ」
 左大臣が几帳に向かって声をかける。それに応えて、几帳に映った影が揺れた。
「はい、お父さま」
 友雅は軽く目を見開いた。聞き覚えのある声だったのだ。
「藤姫殿…?」
 呟くと、左大臣が振り返って、軽く笑う。
「ああ、少将は姫と面識があるのだったな。では、姫の血筋についても知っておろう」
「藤姫殿の血筋と仰られますと、星の一族の使命のことでございましょうか」
 友雅がそう言うと、場に静かな驚きが走った。
「他の者も、星の一族の存在は知っておるようだな。ならば、話は早い。藤姫」
「それでは、お話しさせて頂きますわ。私は橘少将殿が言われた通り、龍神と龍神の神子に仕える星の一族の血を受け継ぐ者です。本日、無理を言ってお集まり頂いたのは、皆様方がこれより都に起こる出来事に、深く関わる方々だからです」
 藤姫は一息に言うと、かすかに沈んだ声で続けた。
「星の一族のお役目に龍の宝玉を守ることがございます。龍神様は神子を通してのみ、そのお力を我らに分けてくださいます。龍の宝玉とは、その龍神の神子を召喚するために必要なもの。まこと宝と呼ぶべき玉でございます。ですが……」
 藤姫の声が段々と小さくなっていき、やがて途切れた。皆が怪訝そうに彼女の言葉を待っていると、左大臣が難しい顔をして、藤姫の言葉を継いだ。
「その宝玉が、昨夜盗まれてしまったのだ」
「何だと?」
 左大臣の言葉に反応したのは、七位の男だった。剣呑な目つきで几帳の向こうを睨みつける。
「龍の宝玉を奪われたというのか。あれがなくば、京の危機は現実のものとなるぞ」
 友雅は男の無遠慮な物言いに驚いた。左大臣やその姫に対して臆した様子もない。それに、彼の言った内容も気になる。
「まあまあ、泰明殿。そのように姫を責めないでもらいたい。宝玉を奪われたのは、姫のせいではないのだから」
 身を乗り出した男に、左大臣がなだめるように言った。彼は泰明と言うらしい。
「いえ、お父さま。その方のお怒りはごもっともです。一族の要ともいうべき宝玉でしたのに……」
 藤姫がまた口ごもる。その口調は、だいぶ沈んでしまっていた。友雅はひそかにため息をつくと、面倒に巻き込まれそうな予感を感じながら、左大臣に目を向けた。
「それで、左大臣様。宝玉を盗んだ者の手がかりはあるのでしょうか?」
 左大臣の眉がぴくりと震えた。
「それが本題だ。盗んだ者は分かっておる。その理由もな」
「と言いますと?」
「……鬼だ」
 左大臣が険しい声音で告げた一言に、また場にざわめきが走った。
「鬼が龍の宝玉を奪ったと言うのですか…」
 鬼とは、いつの頃からか京の近辺に住みついている異形の者たちだ。昔、幾度も抗争を繰り返し、しばらくは下火になっていたのだが、ここ最近また不穏な動きを見せている。
「そうだ。詳しい事は姫から聞くが良かろう」
「…はい。鬼が宝玉を奪っていきましたのは、恐らく神子を召喚するためでございましょう。龍神様は京に結界を張って守護してくださる神。その龍神様の力を手に入れんがための所業と思われます」
「確かに、龍神の力を悪用されれば、この京などひとたまりもないでしょうね」
「そうであればこそ、京の危機だと言っている」
 また、泰明が厳しい声を発する。友雅は軽く首を傾げると、彼のほうに目を向けた。
「泰明殿と言われたか。君は何か知っている口ぶりだが、良かったら教えてはくれまいか?」
 訪ねると、泰明は友雅に向き直り、淡々と答える。
「お師匠から伺った。まもなく京は混乱に陥り、それを救うために龍神の神子が召喚される。私はその八葉となるのだと」
「まあ、晴明様が? そうですか、やはり感じておられたのですね」
 藤姫が驚いたように声を上げた。その言葉に出てきた名前を友雅は聞きとがめる。
 晴明? もしや、安倍晴明殿のことか。とすると、この青年は…。
 友雅は思い出した。希代の陰陽師、安倍晴明の最後にして最強の弟子と呼ばれる青年の存在を。その者は、力だけでなく、容貌も常人とは違うという。
 彼のことだったのか。
 納得する友雅の前で、藤姫はさらに言葉を続けた。
「八葉の事までお見通しとは、さすがでございますわ。それでは、泰明殿にはご説明の必要はありませんわね。では、他の方々へ…」
 藤姫がいったん言葉を切る。黙って成り行きを見守っていた鷹通と永泉が、表情を引き締めてそちらを見た。
 京の命運に関わる話となれば、自然と気も引き締まる。
「龍神の神子が選ばれると、その神子を守るために、八人の男性がまた選ばれます。その方々を八葉とお呼びします。近々、鬼の手により神子は召喚されるでしょう。その時、八葉となられるのが、ここにいらっしゃる方々です」
「…なんと。藤姫殿、それはまことですか? それはとても重大なお役目では……」
 鷹通が呆然とした声音で呟く。それまで、身分に遠慮して言葉を挟まないでいたのだが、さすがに驚きが勝ったらしい。
「ええ。一族に伝わる占術の力により、あなた方を捜し当てました。八葉は京の大事に関わるお役目です。そして、その最初のお役目として、神子様を鬼の手から取り戻してほしいのです」
「それで、私たちを呼ばれたという事ですか。しかし、取り戻すと言っても、鬼の居場所などは分かっていないのでは…」
「はい。ですが、神子を召喚する儀式は必ず神泉苑で行われることになっております。近いうちに、宝玉を奪った鬼は必ずそこへ現れるでしょう。そこで、急いで皆様を集めて頂いたのです」
「そうでしたか…」
 確かに、放置すれば大事に至ることだろう。それに、うまくすれば、鬼を捕らえるいい機会とも言える。
 友雅が二人の会話を聞きながらつらつらと考えていると、帝が真剣な面持ちで一同を見回した。
「今回の件で、いよいよ鬼との対立がはっきりした。事は京の存亡に関わる。また重要なことゆえ、軽々しく他へ知らせる訳に行かぬ。どうか頼む、そなた達」
「兄上、そのような勿体ない……」
 永泉が兄の様子に感極まった表情になる。鷹通も帝直々の命に感じ入ったように平伏した。
 友雅もならって礼をとる。
「帝の仰せとあらば、参りましょう」
 やはり面倒な事になりそうだという思考は、取りあえず置いておく。
 最後に、泰明が口を開いた。
「もとより、承知の上のこと。必ずや神子を取り戻し、理を正す」
 次いで、彼は藤姫に目を向ける。
「しかし、藤姫。八葉には四人足らぬが、残りの者はどうなっているのだ?」
「あ、はい。今一人は、私の邸に仕えております源頼久と申す者です。そして、今一人は市井の方。それゆえ、頼久に話に行ってもらっております。ですが、後のお二方は…」
「分からぬのか」
「分からないというより、存在しないと占いでは出たのです。そのようなはずはないのですが、いずれにせよ残りのお二方については判明しておりませぬ」
「ふむ…。良かろう。時が来れば真実は必ず姿を現す。今、残りの二人が判然としないのは、まだ時が来ていないという事なのだろう」
「左様でございましょうか…。いえ、泰明殿のお言葉ならば、そうなのでしょう。少し安堵いたしました」
 藤姫が言葉通り、ほっとした口調で答える。どうやら、残りの二人を捜し当てられなかった事を、かなり気にしていたようだ。
 真面目な彼女らしいと、友雅はひそかに笑んだ。
「それでは、皆様。八葉に関して、もう少し詳しい話をさせて頂きます。少々、長いお話になりますが、よろしくお聞きくださいませ」
 藤姫が改まった口調で切り出し、皆は彼女の話に聞き入っていった。

 …やはり、面倒なことになりそうだねえ。
 藤姫の話が終わり、近衛府に向かいながら、友雅は内心で呟いた。
 確かに重要な役目なのだろうとは思うが、神の御業や超自然的な力というものにあまり縁がなかったせいか、どうも実感が湧かない。
 まあ、たまには毛色の変わった仕事をしてみるのも、楽しいかもしれないね。とは言え…。
 友雅は小さく笑った。
それでも、私は次の満月もあそこを訪れるのだろうね。


―― 続 ――


 

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