その涯を知らず  ―― 弥生 ――

                  翠 はるか



 大文字山からの下り道。
 春の空を彩るように、はらはらと桜花が散っていた。
 地面には、散った花びらが降り積もり、土を覆い隠している。
 天も地も桜花に染められる、陽気な一日。
 その中を、三人の人間が歓談しながら歩いていた。
「今日はありがとうございました。札のありかも分かったし、後は取りに行くだけですね」
 龍神の神子、あかねがにっこりと笑ってそう言うと、友雅も笑い返しながら彼女に目を向ける。
「簡単に言ってくれるね。ふふ、頼もしいことだ」
 彼らは、四神を取り戻すための札を入手するための情報収集に来た帰りだ。京をあちこち回って、今日、無事に札のありかを突き止める事ができた。
「あ、いえ、別に甘く見てる訳じゃないんですけど…」
 あかねが慌てたような表情で、両手を胸の前で振る。彼女の仕草は、この年頃の女性にしては少々幼い。最初の日に、彼女が神力を発現するのを見たのでなければ、普通の少女としか思えなかっただろう。
 神子が召喚された日。結局、鬼の首領は取り逃がしたが、龍神の神子は取り返すことができた。今、彼女は左大臣邸で厳重な警備に守られている。
…まあ、あれはあの男が取り返させたと言ったほうが正しいだろうが。どうやら、鬼の首領はなかなかに酔狂な人物らしい。
「ああ、分かっているよ。神子殿がそんな風に前向きだと、私の力など必要ないかもしれないね」
「えっ? いえ、それは困りますっ」
「冗談だよ。神子殿は本当に楽しいね」
「…お前なあ、もう少し真面目にやれよ」
 顔をしかめて口を挟んできたのは、地の青龍である森村天真だ。
 彼は神子と共にこの地へと召喚された、異国の者。藤姫の占いに出なかったのは、そのためだったらしい。
 友雅は、楽しげな視線を天真に向けた。
「私は真面目には見えないかな。熱心に神子殿のもとに通いつめているつもりだが」
「ふうん、普段はよっぽど怠けてんだな。こんな奴に税金から給料払ってんのかよ」
「ちょ、ちょっと、天真くん。やめなよ」
 天真の険悪な口調に、あかねが慌てたように割って入ってくる。
「なんだよ、素直な感想を言ったまでだぜ」
「でも、友雅さんがいてくれたから、あの貴族の人も話を聞いてくれたんだよ」
「ふふ、神子殿、構わないよ。彼は素直な感想を言ったまでだからね」
 友雅がそう言ってあかねの言葉をとどめると、天真が呆れたように友雅を見た。
「ホント、お前って訳分かんねえ奴だな。酔狂っつーか」
「神子殿には敵わないよ。縁もゆかりもないこの地のために戦ってくれているのだからね。この上は、私も微力の限りでお仕えしようと思っているよ」
「本当ですか? 嬉しいです」
 あかねが言葉通り嬉しそうに言うと、天真がその頭を軽く拳で叩いた。
「喜ぶなよ。要するに、簡単にできる事しかしないって言ってんだぞ」
「おや、意外に聡いのだね」
「てめえなっ!」
 天真が今度は掴みかかりそうになり、あかねは慌てて彼を止める。
「天真くんってば! 友雅さんも、あんまり挑発するようなこと言わないで下さい」
「ああ、すまなかった。確かに、言い合いに時間を費やしてしまうには、もったいない時間だ」
 友雅は言って、木々の合間から覗く空に目を向けた。
 話している内に日が傾き、空は切なげな橙色に染まっている。あかねもつられて空を見上げ、わあっと歓声を上げた。
「本当に綺麗ですね。それに、夕陽の中の桜っていうのも綺麗」
 そう言って、あかねは近くの桜の側に寄っていった。花びらが夕闇に溶けて、昼や夜とは違う趣がある。夕陽を照り返す桜花に向かって、あかねは両手を伸ばした。
 その様子に、友雅はどきりとした。
 花を追うあかねの姿に、一瞬あの少女の姿が重なって見えた。似た行動のためではない。もっと深いところで重なっているような感じを受ける。
 …何故だろう。雰囲気も全く違っているのに。
「ああ、花びらを捕まえるのって難しいですね、友雅さん」
 少しして、笑いながら振り返ったあかねは、友雅の固い表情に気付いて首を傾げる。
「どうしたんですか、友雅さん?」
 その言葉で、友雅ははっと我に返った。
「…あ、いや、夕陽に照り映える神子殿もなかなか魅力的だと思ってね」
「え? やだ。急に何言うんですか」
 あかねが赤くなって、友雅を軽く睨む。物慣れないこの純真さが神子の資質かと思っていると、天真があかねの肩を後ろから引いて、友雅から引き離すようにした。
「おい、あんまり、こいつをからかうんじゃねーよ」
 あからさまに牽制しようとする目線に、友雅はひそかに笑む。
「誉めただけだよ。君にそんな風に睨まれる筋合いではないと思うのだがね」
「筋はあるさ。俺はこいつのダチだからな。がけっぷちに気付かないようなら、声をかけて引き戻してやるのが当然だ」
「ずいぶんな言われようだねえ」
 友雅は笑った。天真は本気で言っているらしいが、特に気にはしていない。むしろ、打算も何もない彼の物言いは、友雅には新鮮で楽しい。
「さて、夕陽もいいが、もう戻らなくてはね。神子殿、行こうか」
「え? …ええ」
 あかねはちょっと首を傾げて、歩き出した友雅の後を追った。隣に並んで、彼の顔を覗き込む。
「今日、何かあるんですか?」
「ん? どうしてだい?」
「何だか時間を気にしてるみたいです。こんなに綺麗な夕焼けなのに、もう帰っちゃうなんて」
 風流に造詣が深いという彼は、何気ない風景の端々にも目を止め、その美しさを愛でる。まして、こんな綺麗な空なら、しばらくは眺めていくだろうと思ったのに。
 友雅が曖昧な笑みを浮かべる。
「おや、いつの間に、私の心を捉えられるようになったのだろうね、この姫は」
「友雅さんはいつも様子が変わらないから、たまに違うと少しの変化でも目立つんですよ」
 あかねが得意げに言うと、彼女を見返す友雅の瞳の色が深くなった。
「…ああ。今宵は望月だからね」
 囁くような低い声で言って、友雅はふっと微笑んだ。その笑みはいつもより艶めいている感じがして、あかねは思わず頬を赤らめる。
「そ、そうなんですか。…あ、月見の宴かなにかあるんですか?」
「まあ、そんなところだよ」
 友雅は答えて、再び下り道をたどり始めた。


 望月が西天から冴え冴えとした光を放っている。
 友雅はその光を浴びながら、八条邸の庭に立ち尽くしていた。表情は普段とあまり変わらないが、その拳は固く握りしめられている。
 ……なぜ。
 この一刻の間に何度も繰り返した言葉を唱える。
 今宵、あの少女は姿を現さなかった。
 いつもの場所でずいぶんと待ったが、林は静寂なまま、その姿を変える事はなかった。
 …私が触れたから、消えてしまったのだろうか。
 答えのない問いかけが、頭をよぎる。
 …やはり、触れなければ良かったのか。
 神の気まぐれは終わってしまったか。いや、何らかの理由で、今宵は来られなかったというだけかもしれない。
しかし、少なくともここ一年の間、続けられてきた散策が途切れてしまったならば、同じ地にはもう戻ってこないのではという予感が胸を占める。
 そうだとすれば、友雅には彼女を追う手段がない。
 地にすがって暮らすただ人の彼には、月へ昇ることは叶わない。あちらが降りてこないならば、本当にここで終わりだ。
 友雅は顔を上げ、変わらず美しい光を放つ月を見上げた。
 けれど、もしかしたら、このまま惜しみながら別れるのが一番かもしれない。この記憶だけで、きっとしばしの生きる糧にはなる。彼女には、感謝するべきだろう。後悔という感情を覚えたのも久し振りだ。
 また、別の空ろを埋めるものを探そうか。今度は、本当に死の深淵でも覗いてみようか。
 友雅は小さく笑んだ。
 無理かもしれない。死という言葉が、自分にはこんなにも軽くて遠い。死の深淵を覗き込むとは、きっと己の心の深淵を覗くにも似た事。死を易いものとしか思えない自分には…。
 ふと、一首の和歌が友雅の口唇から滑りだした。
「恋しきに命をかふる物ならば 死にはやすくぞあるべかりける……」
 
(命と引きかえに恋が叶うならば、死ぬという事はひどく容易なことだろう)
 ああ…、そうか。そういう事なのか。
 友雅は笑った。そういう気持ちを抱いた事に対してか、今まで気付こうともしなかった事に対してか、それとも他の事に対してなのか、何がおかしいのか自分でも良く分からなかったが、とにかく笑いがおさまらなかった。
 しばらくして、ようやく笑いをおさめ、再び月を見上げる。
 …とりあえず、次の望月まで待ってみようか。それではっきりするだろう。それまでは、八葉の役目とやらに、少し真面目に付き合ってみるか。
 友雅はそう思考し、八葉という役目を初めてありがたいと感じた。


―― 続 ――


 

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