その涯を知らず  ―― 卯月(1) ――

                  翠 はるか



 八葉としての生活は、友雅にとって思ったより刺激的なものだった。負う役目自体より、共に選ばれた者たちが、皆、個性的で興味深い。
 やはり、楽しく過ごせるかどうかは、興味を持てる人がいるかどうかなのだろうと思いつつ、友雅は今日も土御門邸を訪れた。
 内裏の仕事関係で遅れてしまったので、あかねは既に天真と出かけてしまっていたが、藤姫を訪ねる事にして、女房に案内してもらう。
 友雅が部屋を訪れると、藤姫は書を読んでいる最中だった。彼に気付いて、顔を上げつつ書を置く。
「あら、友雅殿。神子様はもうお出かけになりましたわ」
「ああ、聞いたよ。それなら、今日は落ち込みやすい姫君のご機嫌伺いをして過ごそうかと思ってね」
「まあ。そのお言葉は、どう捉えたらよろしいのでしょう?」
 藤姫がふくれて見せる。友雅は軽く笑うと、彼女の前の座に腰を下ろした。
「機嫌を損ねてしまったかな。あなたは頑張りすぎる癖があるから、無理をしていないかと思ったのだが」
「いえ、無理など。神子様がいらしてから、私は毎日がとても楽しいですわ」
 藤姫がそう言って、無邪気に笑う。友雅はかすかに目を細めた。
「そう…。そうだね、私もだよ」
「本当ですの? まあ、友雅殿からそんなお言葉を引き出すなんて、さすがは神子様ですわね」
「おや、それは謙遜しているのかな。私が楽しいのは、ここに集う者が懸命な者たちばかりだからだ。無論、その中には藤姫殿も入っているのだよ。皆、あなたを頼みと思っているようだし」
 素直な賞賛に、藤姫はかすかに頬を赤らめる。
「そのような…。皆様を導いておられるのは神子様ですわ」
「その神子殿を導くのがあなただろう? 何を急いているのか知らないが、そんな風に落ち着かなげに書を読み耽るのは良くないと思うよ」
「あ……」
 藤姫は先ほどとは別の意味で頬を赤らめた。
 己の力不足に焦って、何かしていないと落ち着かないのだと見抜かれている。
「友雅殿には敵いませんわね」
「そんな事はないよ。あなたのように一途に振る舞うことは、私にはできそうにない。羨ましいものだね……」
「そんな…」
 藤姫は答えつつ、首を傾げた。
 一途に振る舞える事が羨ましいとは、どういう意味だろう。
 だが、疑問が形になる前に、一人の女房が藤姫の部屋へやって来た。
「藤姫様、神子様がお戻りになりました」
「え? 今日はずいぶんとお早いのですね。何かあったのでしょうか…」
 藤姫が驚きつつ、部屋の外へ目を向ける。すぐに、足音が響いて、あかねが部屋の前に姿を見せた。
「やあ、神子殿」
 友雅が声をかけると、あかねは少し驚いたようにした後、笑みを浮かべる。
「友雅さん…。来てたんですね」
「…元気がないようだね。どうかしたのかい?」
 あかねの表情が沈んでいることに気付き、友雅が尋ねる。藤姫も心配そうに重ねて尋ねた。
「神子様、お帰りが早うございましたが、何かあったのですか?」
「うん……」
 あかねは何か迷っているような感じだったが、すぐに部屋の中に入ってきた。
「藤姫、ちょっと話があるの。友雅さんも聞いててください」
「は、はい…。何でしょう?」
 藤姫が不安げにあかねを見つめる。あかねは少しためらった後、ため息をついて話しはじめた。
「前に少し話したことあったよね。黒髪の鬼のこと」
「はい…。怨霊を操るという少女のことですね?」
 以前に、あかねの前に現れ、札を集めるのをやめないなら怨霊を使うと脅かしてきた事があるという。
「うん、そう。今日…、天真くんと将軍塚に行ったら、また彼女に出くわして……」
 あかねが口ごもる。藤姫は彼女の言葉を待っていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、天真殿はどうなさいましたの? ご一緒に出かけられたのでは」
「………私を送って、また出かけていった。話っていうのは、天真くんに関係あるの」
「天真殿に?」
 あかねは頷いて、表情をいっそう険しくした。
「天真くんに、行方不明の妹がいるって聞いたことあるよね」
「ええ……」
 藤姫が話題の変わりように戸惑いつつ頷く。その脇で、友雅がはっとした表情になった。
「神子殿。もしや、その鬼の少女が?」
「…そうです。彼女が天真くんの妹だったんです」
「まあ…!」
 藤姫が驚いて、袖で口元を押さえる。
「天真殿の妹君が…。なぜ、そのような……」
「分からない。それに、彼女…ランは天真くんの事が分からなかったみたいだし」
「天真殿が分からない? 妹君なのでしょう?」
「うん…。間違いないって、天真くんが言ってた。でも…。本当に、全然分からないの」
 あかねの声が段々と高くなる。かなり混乱しているようだ。友雅はかすかに眉を寄せると、藤姫に代わってあかねに尋ねた。
「それで、その少女は今どこに?」
 あかねが目を伏せる。
「…消えてしまいました。天真くんが呼びかけたんですけど」
「そうか。それで、天真は妹君を追いかけていったのかい?」
「いいえ。多分、神楽岡あたりだと思います。頭を整理してくるって。ずい分ショック…、驚いてましたから。ランが逃げちゃった事にも傷ついてたみたいだし」
「そう……」
 友雅は頷いて、考え込んだ。
「私も何て言っていいのか分からなくて。まさか、ランが…。一体、どういう事なんでしょう?」
「どういう事と言ってもねえ。私の知る限り、彼女がここへ来られる方法はひとつしかないが」
 友雅がそう言うと、藤姫がはっとした表情になる。
「何者かに召喚されたと言うのですか?」
「そう、神子殿のようにね。そして、そんな事を成しうるのは恐らく……」
「―――アクラム」
 あかねが友雅の言葉を継ぎ、さっと青ざめる。
「彼女が鬼のもとにいる事を考えても、その可能性が高いね。その少女は怨霊を操ると言うし、その力ゆえに鬼に呼ばれたのかも」
「京を穢すために?」
「今までの話が正しければ、そうだろう」
「そんなの…、ひどい……」
 あかねが口唇をかむ。身体も小刻みに震えている。
 ランに対する感情だけでなく、天真が今までどんな思いでいたか、彼女が一番良く知っている。
「…神子殿、今日はここまでにしておこう。考えるには情報が少なすぎるしね。神子殿も、少し休まれるといいよ」
「でも…」
「今日は、気分を落ち着けることに時間を使うといい。天真もね」
「そうですわ、神子様。天真殿がお戻りになりましたら、同じように伝えておきますから」
 二人に見られ、あかねは頷いた。実際に疲れてもいた。
「ありがとう。それじゃ、部屋に戻ります」
 あかねが立ち上がり、部屋のほうへ歩いていった。その背を藤姫が気遣わしげに見送る。
「大丈夫でしょうか……」
「これくらいでは、負けたりしないだろう。神子殿はね」
「そう…。そうですわね」
 友雅の言葉に、藤姫はやっと笑みを浮かべた。


 その後しばらくして、友雅は土御門邸を辞した。
 従者に邸に戻るよう言いつけ、牛車に揺られながら鬼の少女について考える。
 友雅は話には聞いていたが、その少女を実際に見たことはなかった。見かけは京人と変わらないが、怨霊を操る力を持ち、京を穢しているという程度の認識しか持っていない。
 …それが、天真の妹だとはね。
 今までも、彼女は手強い相手だったが、これからもっと難しくなるだろう。鬼が、彼女が天真の妹だと知れば、きっとその関係を利用してくるだろうから。
 そうなったときに、それでも彼女に立ち向かう者が八葉にいるだろうか。
 実直な彼らの顔を思い浮かべつつ、思案する。その時、牛車の隣を歩いていた従者が声をかけてきた。
「殿。今宵は、八条の邸へ参られないのですか?」
「うん?」
 思わぬ質問に、友雅は物見の窓を開けて、問い返そうとした。だが、窓から覗いた空に望月が浮かんでいるのを見つけて、押し黙る。
 …ああ、今宵は望月だったね。
 今日の騒ぎで忘れていた。それにしても…。
 友雅は苦笑した。
 すっかり望月の晩に八条へ行くのが恒例になってしまった。連絡していないが、恐らく八条のほうでも来るものと思っているだろう。考えてみれば、あれ以来、月見の管弦にも出ていない。
「そうだね。八条へやってくれ」
 言いつけて、友雅は脇息に身体を預けた。
 あの少女も不可解だ。何者なのか、いつからあそこへ来ているのか。
 彼女も、鬼も、京も。―――さて、どう流れていくのだろうね。
 友雅は他人事のように考えた。これは以前からの事だ。だが、その結果をどうでもよいとは思わなくなっていた。


―― 続 ――


 

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