その涯を知らず ―― 卯月(4) ――
翠 はるか
次の日、友雅は土御門邸を訪れた。あかねの供のためではなく、天真の妹という新たな問題を話し合いたいと、土御門のほうから文が来たのだ。 その文によると、とりあえず、あかねと天真の気分は落ち着いたらしい。あくまで表面上の事だろうと思うが。 友雅が藤姫の部屋へ行くと、ちょうど泰明が彼女と話をしているところだった。 「友雅か」 彼に気づいた泰明が話を中断して、振り返る。同じように振り返った藤姫と、二人に挨拶しながら、友雅は泰明の隣に向かって行った。 「ごきげんよう、藤姫、泰明殿」 「ご機嫌麗しゅうございます、友雅殿。ようこそ、おいで下さいました」 「お呼びとあれば、すぐに参るよ。他の者はまだのようだね」 「いえ…。本日はお二人しかお呼びしておりませんの」 友雅が軽く目を細めると、藤姫は物憂げな表情を面に浮かべながら、顔を伏せる。 「いずれ、皆様とお話しせねばならぬ事ですが、まず私自身が納得しておきたかったのです。一人では難しゅうございますので、ぜひお二人の意見を伺いたく、お越し頂きました」 「なるほど…。今日は、神子殿たちは?」 「神子様は、天真殿、詩紋殿と共に出かけられております。今しばらくは、お戻りになりませんわ」 藤姫がそう言うと同時に、泰明が怪訝そうな面持ちになって、彼女を見た。 「大方の事は聞いたが、私も友雅の推論の通りだと思う。納得も何も、事態ははっきりしていると思うが」 その言葉に、友雅は小さく苦笑した。 初対面の時から変わっていると思っていたが、その印象は今も変わっていない。それでも八葉として付き合う内に、少しは彼の事が分かっていた。 どうも、彼は物事を記号で捉えすぎるきらいがある。悪気はないのだが、なさすぎるところが問題だとでも言おうか。 「泰明殿。あなたの意見は正論だが、いま少し、人の思いを考慮に入れたほうがいいね。どんな理想的な考えも、所詮それを行なうのは心有る人なのだから」 「どういう事だ?」 泰明が、やはり怪訝そうな顔で友雅を見る。厳しい表情だが、怒っているのではない。ただ自分が理解できない事に対して、純粋に疑問を持っているのだ。 まるで、ひねくれているように見える素直さだと思う。確かにとっつきにくいが、分かってみればなかなか面白い男だと友雅は評していた。 「藤姫は、天真の妹御に対する自分の気持ちを整理したいのだよ」 途端に、藤姫がはっとした顔になった。 「友雅殿……」 頼りなげな声音で呟く彼女を、友雅は見返して柔らかく微笑む。すると、藤姫は胸の前で両手を強く握りしめ、語り始めた。 「……以前、神子様はその少女…蘭殿と言われるそうですが、その方は他の鬼とは違うと言っておられました。私もそう思いましたが、やはり鬼は鬼なのだとお答えしました。ですが、彼女は鬼ではなかった。しかも、天真殿の妹御でいらっしゃる。神子様や天真殿は彼女を助けたいと言われましたし、私もそうできたらと思います。けれど……」 藤姫の声が途切れる。だが、すぐに意を決したように、続く言葉を紡いだ。 「彼女は鬼でなくとも、鬼の下にいる方。…私は彼女が恐ろしいのです。いずれ、神子様に害を及ぼすことになりはしないかと。そう思うと、私は彼女を助け出す事をためらってしまう……」 「確かに、それは天真たちには聞かせられない言葉だね」 友雅が言うと、藤姫はさっと頬を赤らめて、袖で口元を覆った。 「はい…。申し訳ない事と思っているのですが」 「恥じる事などない。それは当然の事だよ。むしろ、その感情の及ぼす影響を自覚し、良き方向を考え、実行しようとなされている貴女は、とても賢明だ」 「とんでもございませんわ。どうしたら良いのか分からず、こうしてお二人に頼っておりますのに」 藤姫がため息をつく。彼女は本当に気に病んでいるのだが、友雅はそれを微笑ましく感じた。彼女も自覚がないという点では、泰明と同じ。いや、他の八葉も大なり小なり同じような性質を持っている。時折、まぶしくてたまらなくなる。 「それでは、まず情報の整理をしてみようか。蘭殿と言ったね。彼女の事情を、泰明殿ならば、もう少し詳しく分かるのではないか?」 振り返ると、泰明はまだ良く分からないという表情をしていた。だが、二人が自分を見たのに気付くと、平素の顔に戻って話し始めた。 「その者を鬼の首領が召喚したというのは、恐らくその通りだと思う。だが、分からぬ事がひとつある。いくら、あの鬼の力が強くても、その力だけでは、時空を越える術を使うなど不可能だ」 「と言うと?」 「時空を越える術が使えるのは神のみ。神の力を通して召喚したとしか考えられぬ。しかし、そう簡単に、神が誰かを召喚するとは思えない。何らかの形で選ばれた者でなければ」 泰明はそこで言葉を途切れさせた。その顔には、珍しく惑ったような表情が浮かんでいる。 「気になるのは、その娘の事情が、神子がこちらへ来た時とよく似ている事だ。同じ世界から、時空を越えて召喚された二人の娘。呼んだのは、共に鬼の首領。この符合が気にかかる」 「確かに……」 鬼の一族は、もう数えるほどしか残っていないと聞くから、一族以外に力ある者を求めるのは分かる。だが、何故それが天真の妹だったのか。何故、時空を越える術を使う必要があったのか。 藤姫が緊張した面持ちで、泰明を見つめる。 「蘭殿も、神に選ばれた方という事なのでしょうか?」 「これ以上の事は、今の私には分からぬ。だが、その娘には、怨霊を操る以上の何かがあるように思う。邸に戻り、もっと詳しく調べてみよう」 「お願いいたします。…やはり、お二人に相談してみて良かったですわ。そのような事まで思い至りませんでしたもの」 「いや、私のほうも至らぬところがあったようだ。しかし、お前ですらそのように迷っているのならば、天真はどうなのだろうな」 泰明が独白のように呟く。友雅はかすかに眉を寄せたが、泰明はそのまま言葉を続けた。 「神子か妹か、どちらかを捨てねばならぬとしたら、天真はどちらを選ぶだろうか」 「泰明殿、それは…!」 藤姫が驚いたように目を見開く。友雅は小さく息をつくと、彼女に向かって落ち着くように手で示した。 正直なところ、彼女にはあまり聞かせたくない話だったが、仕方ないだろう。気付かない振りをして過ごす訳にはいかない問題だ。 「やはり、考えておかねばならないだろうね。この京は神子を失う訳にはいかない。だが、彼に神子殿を選べというのは酷だろう」 「あの、それでは……」 「しばらくの間は、神子殿と天真二人での外出はさせないほうがいいだろう。そのように気をつけておいてくれまいか、藤姫。あなたは、これまで通りに過ごして構わないよ」 「は…、はい」 藤姫が不安げな表情で頷く。そこへ、泰明も言葉を加えた。 「できれば、神子に、私か友雅、頼久を一人は供に選ぶように言ってほしい」 泰明がそう言った瞬間、友雅は彼に視線を向けた。泰明は相変わらず淡々とした表情だ。 …さらりと言ってくれるね。 軽く肩をすくめる友雅をよそに、藤姫は深く頷く。 「…承知しましたわ」 「では、他に用がなければ、私は邸へ戻る」 「はい。本日はありがとうございました。蘭殿について何か分かりましたら、お知らせください」 泰明は黙って頷き、立ち上がった。それに合わせて、友雅も立ち上がる。 「では、私ももう行こう。藤姫、あまり気に病まれずに、あなたは無心に神子殿に仕えておられればいいよ」 「ありがとうございます」 藤姫は深く頭を下げた。その頭上で、二人が出て行く足音が響く。 その音が、部屋の出口にさしかかった時、藤姫は不意に弾かれたように顔を上げた。 「あの…っ」 その声に、二人は振り返った。そして、藤姫の不安げな表情と出会う。 「あの…、それでは、お二人は蘭殿を……」 彼女の瞳は揺れていた。彼女が何を言いたいのか理解して、友雅は口をつぐんだままその瞳を見返す。だが、藤姫は結局何も言わずに顔を伏せた。 「いえ、何でもありませぬ」 友雅は苦い笑みを浮かべつつ、彼女の沈んだ表情を見遣った。 聡い者は気の毒だ。気付かなければ、余計な心労を抱え込む事もないのに。 ―――泰明が神子の供にと挙げた者は、いざとなれば天真の妹を見捨てられると彼が判断した者なのだ。
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