あなたしか見えなくて

騎士の独白

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「アレックス、明日も会いに来てくれる?」

 私が剣を捧げた人の言葉は、威圧的な命令口調ではなく、懇願に近い低姿勢で発せられた。
 主であるというのに拒絶されることを恐れながら、縋りつくような瞳でこちらを見つめてくる。
 切り立った崖の上で唯一の命綱を掴もうとするがごとき必死さに、体の芯からぞくぞくと愉悦の喜びが湧き上がってきた。
 無論、そのような感情を表に出すことはない。
 本心を隠し、別の人格を装うことなど、私にとっては息を吸う行為に等しかった。

「はい、必ず。明日と言わず、ローナ様の為ならばすぐさま参上致しますので、何時でもお召しください」

 周囲の者曰く、誠実さの滲み出る微笑とやらを浮かべ、彼女の前に跪いて約束した。
 表情はともかく、言葉は違わない。
 彼女が私を求めるのなら、喜んで飛んでいく。
 彼女こそが、私の生きる意味。
 この世で唯一の価値ある存在だからだ。

「ありがとう。会いに来てくれるだけでいいの、私のことを忘れないでね」

 私の愛しい姫君は、たったそれだけの願いごとを口にしただけで、恐れを交えて声を震わせた。
 親しく言葉を交わし、信頼を寄せていた者達が全て離れてしまい、その理由のわからぬ彼女は、原因を全て己に起因するものと思い込んだ。
 一人傍に残った私さえ、いつ離れていくのか分からず、不安に怯えているのが手に取るように伝わってくる。

 さあ、そろそろ仕上げにかからねば。
 私はあなたを愛しているのです。
 いつまでも孤独の中に置いて、悲しませることなど望んでいない。
 他の何者にも目を向けず、私だけを見つめて微笑んでください。
 そうすれば私は満足できる。
 常に渇きひび割れた私の心を満たすことができるのは、あなただけなのです。




 ローナを手に入れるために、随分と長い時間を費やした。
 彼女は一国の王女だ。
 それゆえに邪魔者は多く、数え切れないほど排除してきた。
 彼女を愛する者、私と彼女の間を引き裂く者。
 弱みを握り、謂れのない罪を被せ、それが叶わぬ者は力ずくで闇へと葬り去った。
 私をこの世に生み出した者達も、役に立つ所か足を引っ張り始めたので、静養との名目をつけ、辺境の山深き地にお隠れ頂いた。
 彼らが王都へ戻ることはない。
 私の父母は『貴族社会の軋轢に耐えかねて、不幸なことに精神を患った』ことになっているのだから。

 両親は政略結婚で結ばれ、我ら親子の間に人並みの情が育まれることはなかった。
 彼らは身分の差で結ばれなかった最愛の人とやらをそれぞれ愛人にしており、外で幸せな家庭を築いていたようだが、私には関係のないことだ。
 二人が私に望んだことは、公爵家の跡継ぎに相応しい見目良く優秀で使える人間になることだった。
 食事の席に共に着いたことはなく、私が彼らと顔を合わせるのは決まって父の執務室で、並ぶ二人の前に立たされて、教師が成長過程を報告する数分にも満たない間だけだった。
 思い返せば、あれはまるで品評される家畜そのものだった。
 労いや励ましの言葉をかけることもなく、彼らは報告結果に満足すると犬でも追い払うかのごとく手を振って、私を下がらせた。
 一緒に部屋を出た教師達が痛ましい視線を送ってくるのを感じて、私は彼らに微笑んだ。
 生まれた時からこうなのだから、両親の態度に思うことはない。
 自分の立場を理解した時から、こちらもせいぜい利用させてもらうことにしたのだ。
 私には何事か成すべき大きな使命がある。
 誰に吹き込まれたわけでもなく、自我が芽生えた時から、自然にそう思うようになっていた。
 己に課せられた使命を果たす時が来るまで、私は出来る限りの力を身につけねばならない。
 家内の使用人達は、両親に愛されずにいながら、健気に期待に応えようと頑張る私に同情しており、親身になって尽くしてくれた。
 私が教養や武術を身につけ、勉学に励んでいたのは、全て己のためでしかなかったのだが、都合が良かったので誤解を解こうとはしなかった。
 思惑はともかく我が身に高貴な身分と教育を与え、それなりに役には立っていた両親が本格的に目障りになってきたのは、私がローナ様を得るために巡らせていた策略が成果を見せ始めた頃だった。

「アレックス、お前のために良い縁談を持ってきたぞ。男爵家の娘だが、父親には商才があってな、婚姻を結べば莫大な利権を譲渡してくれるというぞ」
「受けなさい、アレックス。この縁談は我が家のためになるわ」

 いつもと同じく執務室に呼びつけられた私は、一方的に進められる話を黙って聞いていたが、内心うんざりしていた。
 お前のため、我が家のため。
 二人が口にする度に嘲笑が浮かぶ。
 結局、得をするのはお前達だけ。
 得た莫大な利益で、己の伴侶と子供達と豪遊するだけだろうに。

「お断りします」

 これまで従順だった私の初めての反抗に、両親の顔色が見る間に変わった。
 怒りで真っ赤に染まり歪んでいく顔を見ても、何の感情も湧いてこなかった。
 こんなものを見るより、ローナ様の笑顔を見ていたい。

「アレックス、貴様!」

 父親が怒鳴りかけたが、最後まで言わせなかった。
 一歩踏み込み、顔面に拳を叩き込んだ。
 不意打ちとはいえ、無防備すぎる。
 地位の高さに胡坐を掻いて、他者に傅かれることを当然としていた男は、たった一撃で怒りが消し飛び、驚愕と恐怖に取って変わってしまったようだ。
 腰を抜かしてへたり込み、顔を抑えて蹲る。
 母親の方は血の気の失せた青白い顔で呆然と突っ立っていた。

「だ、誰か……」

 鼻と口から鮮血を滴らせて、弱弱しい声で助ける求める姿に嘲笑を向けた。

「無駄なことだ、貴方が執務を全て私に丸投げして、公爵の責務を放棄した時に、この屋敷の主人は変わったのです。王に訴えても無駄です、陛下は何ヶ月も貴方の姿を見ていないことに、気づいてはおられませんでしたよ。陛下より与えられた公爵の執務は私が滞りなく行っておりましたからね。これを聞けば、どちらの信任が厚いかはその愚かな頭でもわかるでしょう?」

 逃げ道を塞ぎ、有無を言わさず、その日のうちに屋敷から送り出した。
 愛人やその子らも、まとめて連れて行き、監視下に置いた。
 贅を尽くした生活からは縁遠くなってしまったが、彼らは幸せだろう。
 愛する者と、誰にも邪魔されることなく常に共に有り、愛し愛される生活を送れるのだから。
 私の邪魔さえしなければ良い。
 計画が順調に進んで機嫌が良かった私は、気まぐれから、利用価値を失った彼らに慈悲を与えたのだ。

 ローナと無事に結婚式を挙げ、面倒な手続きや雑務がようやく終わったと一息ついた私の下に、辺境の領地から報告書が届いた。
 両親とその家族が亡くなったとのことだ。
 興味はなかったが、義務と諦めて目を通す。
 死因は焼死。
 屋敷が全焼し、焼け跡から全員が物言わぬ姿となって発見された。
 火元は居間の暖炉で、その周辺が特に激しく燃えていたと記されている。
 不幸中の幸いか、使用人達は別の棟で寝ていた為に、そちらに死傷者はいなかった。
 彼らには見舞金を送り、別の働き口を紹介してやらねばな。
 両親の葬儀はこちらで行い、埋葬は彼の地で行わせよう。
 あちらに送る指示を頭の中で整理しつつ、付随していた書類に気づく。
 それは使用人が証言した、火事直前の両親達の様子だった。
 彼らは連日のように諍いを起こしていたそうだ。
 辺境の暮らしに不満を漏らし、酒に酔っては罵り合い、暴れる物音と泣き声と叫び声が屋敷から聞こえない日はないほどだった。
 そして、火事が起こった。
 あまりにも陳腐な内容に、先を読む気が失せて書類を暖炉に投げ入れた。
 用済みとなった紙が赤い炎に包まれ、黒く焼け焦げて灰となる。
 紙片が形を失っていく様を眺めるうちに、口の端が自然に持ち上がった。
 ローナは両親を失った私に同情を寄せて、あの麗しい瞳に涙を浮かべながら、精一杯慰めてくれるだろう。
 当分は喪に服し、悲嘆にくれる息子を演じるか。
 いい機会だ。
 心労を口実に休暇を多めに取って、二人だけで静かに過ごそう。




 私とローナの仲を邪魔する者はもういない。
 ローナを救おうと足掻いていた者達も、すっかり諦めて傍観者になってしまった。
 後はどちらかの命が終わる時まで、手に入れた至福の時を味わうだけ。
 他に野望や望みはない。
 生きるための営みさえ、煩わしいぐらいだ。
 ただ長く彼女と共にありたいから、私は人として生きているに過ぎない。

「アレックス!」

 帰宅した私に、ローナが抱きついてくる。
 柔らかく華奢な体を優しく抱きとめると、ローナは素直で真っ直ぐな眼差しを私に向けて微笑んだ。

「おかえりなさい、あなたと離れている間はとても寂しかったわ」

 彼女の瞳は私を捕らえて離さない。
 見つめれば見つめるほど魅入られて、可愛い声を紡ぐ唇や、光り輝く宝石のような肌を貪りたくなった。

 私には、何事か成さねばならぬことがあったはずなのに。

 とても大切なことだったような気がするのだが、ローナを抱きしめれば、どうでもよくなってくる。
 この人を手に入れること以上に、大切なことなどあるだろうか。

 そうだ、私は彼女と出会うために生まれてきたのだ。
 こうして触れ合うごとに増して行く幸福感が証明している。

「私も寂しかった。できることなら、どこへ行く時もあなたを連れて行きたい」

 私の言葉に、彼女は頬を染めてにっこり笑った。
 策を弄して捕らえたつもりが、今や虜囚は私の方だ。
 だが、悪くない。
 私の愛しい姫君。
 あなたは永遠に私のもの。
 この身が朽ち果て魂のみとなったとしても、私はあなたを逃がしはしない。


 END

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