憎しみの檻

レリア編

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 【3】

 汗で濡れた体が気持ち悪くて起き出した。
 浴場には常に新鮮な水が湛えられており、温かい湯は無理でも水浴びならばできる。
 気温は高く風邪なども引く心配はなかった。
 タオルや着替えを揃えて部屋を出た。

 屋敷の中は静かだった。
 部屋の明かりは大半が消されていて、通りかかった食堂にも誰もいなかった。
 今夜は近衛騎士団の人間が大勢集まって、酒宴が開かれていた。
 騎士団員の誰かが奥方をもらったらしく、その祝いに集まったのだ。
 わたしとエリーヌ様は挨拶だけしてすぐに退席したが、遅くまで宴は続けられた様子だ。

 ほとんどの騎士は帰宅したようだが、数人は泊まっていく者もいた。
 世話は屋敷の使用人がするだろうし、わたしには関係のないことではあるが、一応はと教えられていた。

 浴場にも人の気配はなかった。
 衣服を脱ぎ、浴室へ続く扉を開けた。
 中は広く、大理石の柱が天井を支え、濡れても滑らない素材の白い石で床が作られている。
 絶えず新鮮な水が流れ込んでいる浴槽は、大人が十人は余裕で入れる大きさだ。
 清水で汗を流して体を洗い、洗髪した髪に少量の香料をつける。
 窓からは月明かりが射し込み、癒しの空間を作り出す手助けをしていた。

 髪が半乾きになった頃、浴槽から出た。
 部屋に戻ったらすぐ寝よう。
 また明日も仕事がある。

 裸で脱衣場へと戻ったわたしは、そこに有り得ない人物の姿を見つけた。
 わたしが脱いだ衣服の側で、アシルは壁にもたれかかって立っていた。
 衣服はくだけた着こなしのシャツ一枚とズボンを身につけている。
 彼の目がわたしの体を眺めていることに気づいて、慌てて腕で隠した。

「あ、あなた、どうしてここに……」
「酔い覚ましに水浴びしようと思って来たんだが、ちょうど良かった。いいもん見つけた」

 うろたえるわたしの問いに、アシルはシャツを脱ぎながら答えた。
 酔っているのか、微かに酒の匂いがした。

 アシルの晒された上半身に思わず見入ってしまう。
 筋肉がバランス良く無駄なくつき、腹筋も見事に割れている。
 あの逞しい腕なら、どれほど重い剣だろうと見事に操れるだろう。
 屈強な戦士の体だ。
 あの悪夢と同じ状況になれば、殺されるのはやはりわたしの方だ。

 アシルが目の前にくる。
 無意識に足が後ろに動き、壁に背中が当たった。
 頭の横に手をつかれて、捕らえられたことに気がついた。

「な……、何をする気?」

 恐怖で足がすくんだ。
 洗ったばかりの髪が掬い上げられる。
 背中に届くわたしの髪を掴み、アシルは顔を埋めた。

「良い匂いだな。体も洗ったんなら準備はいいな」

 準備ってなんの?
 足は動かず、声も出すことができない。
 どこもかしこも震えてしまって、歯がカチカチ音を立てた。

「そう怖がるなって、優しくしてやるからよ。なあ、お前、自分が周りからどんな目で見られているか知ってるか? 戦敗国から来た、庇護者のない食べ頃の女だってもっぱらの噂だ。狙っているヤツは騎士団や王宮に大勢いるぜ」

 聞かされた内容に、頭を殴られたような衝撃が襲った。
 冷静さを取り戻す前に、アシルが唇を重ねてきた。
 貪るという表現がぴったりな激しいキスをしながら、わたしの胸を手の平で包み込んで撫でている。

「なかなか肉付きもいい、楽しめそうだな。お前は初めてか?」
「あ、当たり前でしょう! こ、こんなこと……、恥知らず! それでも騎士なの!?」

 声を振り絞って非難の言葉を浴びせても、アシルは行為をやめなかった。
 耳朶を甘く噛んで、耳の中まで舐めてくる。
 腰に回された彼の左手が臀部を撫で回し、右手が執拗に胸を揉んでいた。

「いやっ、やめて! やだぁ……っ!」

 逃げようと暴れても、腕の中から抜け出すことができない。
 浴場は屋敷の者達の寝室からは離れていて、大声を出しても気づかれないほどの距離がある。

「騎士っつっても男だしな。目の前に好みの女が裸でいれば、抱きたくなるのが性ってもんだろ? おまけにお前なら誰も文句は言わねぇ。たとえ殿下に訴えたとしても取り合ってもらえねぇだろうな、オレの方が信頼されてるのは知ってるだろう」

 首の付け根の辺りをきつく吸われて痕がつく。
 口づけは胸へと降りていき、膨らみを嘗め回して、頂を唇に含む。
 口の中で舌がいやらしく蠢き、捕らえた乳首を弄んだ。

「は、離せっ、いやあーっ!」

 男の腕から逃れるべく、必死に抵抗した。
 なりふり構ってはいられなかった。
 恐怖の感情だけが頭を支配して、ただこの場から逃げたかった。

 アシルはわたしの両手首をまとめて掴み上げた。
 ズボンのベルトを抜き、それで手首を縛る。
 床の上に仰向けに転がされ、男の体が圧し掛かってくる。

「助けて、誰か……っ! んぅうっ!」

 助けを求める声が手で塞がれた。
 アシルが耳に口を寄せてくる。

「さっきも言ったけどよ。狙ってるヤツは大勢いるんだ。このままだとお前、街の娼婦よりひどいことになるぜ。あっちは商売だが、お前が相手なら金はいらねぇ、好きなだけ抱いて面倒になれば簡単に捨てられる。世の中それほど優しくないぜ、王宮にも騎士団にもそんな輩がたくさんいる」

 嘘だと否定できなかった。
 男達のよからぬ視線を感じることが少なからずあったからだ。
 あれは気のせいではなかった?
 改めて自分の立場が、いかに不安定なものであるのか思い知った。

「大勢の男と、オレ一人に抱かれるのとどっちがいい? オレを選ぶなら他のヤツからは守ってやる。その代わり、オレの気が向いた時に好きなだけ抱かせろ。何でも言うことを聞く奴隷になるんだ」

 なんて卑怯で、卑劣な男。
 騎士の風上にもおけない。

 答えを聞くためか、口から手が離された。
 大きく息を吸い、怒りと軽侮の念を込めて、アシルを睨みつける。

「どっちもお断りよ。この国の男は最低ね。無力な女を犯すことしか頭にないの?」

 悔しくて涙が溢れてくる。
 アシルはわたしの頭を押さえ込み、頬を伝う涙を舐め取った。

「予想通りの答えだな。選ぶ気がないならそれでもいい。オレも勝手にやらせてもらう。今からお前はオレの女だ」
「ああっ」

 胸の下辺りを舌が這った。
 アシルはまとめられたわたしの両腕を片手で押さえて、もう片方の手で足を開かせながら、腹部の辺りを舐め始めた。
 太腿を撫で回され、指が秘所に触れてくる。
 肌の上を這い回る舌は、臍の周りを辿って下腹部へと向かう。
 生理的な反応なのか、嫌悪感と同時にじわじわと快感が湧き上がる。
 胎内への入り口を探る指に愛液が絡まり始めた。

「ほらな、気持ちいいだろ? もっと可愛がってやるから良い声で啼けよ」

 秘裂を弄んでいた指を引き、アシルはわたしの足の間に顔を埋めた。
 舌が往復するたびに体が痺れた。
 嫌だと思っても、腰は揺れて快楽を享受しようとする。
 感じたくないのに。
 心を裏切って、体は受け入れる準備を整えていく。

「ああ……、やあああああっ!」

 何度も達して、喘ぎとも悲鳴ともつかぬ声を上げた。
 誰もくる気配はない。
 助けを求めても答える声はなく、アシルの意地の悪い声だけが聞こえた。

「処女のクセにやらしい女だな。諦めな、誰も来ないし、来たとしても仲間に入りたがるだけだ」

 アシルは頭を起こして、ズボンに手をやった。
 暗がりで動く彼が何をしているのかに気づいて、思考が止まる。
 裸になった男の股間には凶器にしか見えないものが備わっていた。
 あれで貫かれるのだと、少ない知識でも理解できた。

「やだっ、いやだぁ!」

 膝が曲げられて胸に押し付けられる。
 ぐっと開かれた足の付け根に、硬くて熱い肉の塊が押し付けられた。
 濡れた秘裂を割ってアシルが侵入してくる。
 満たされた愛液を塗りつけながら、彼はゆっくりと腰を進めた。

「さすがにキツイな。そのうち慣れてくるだろうから、今は我慢しろ」

 アシルは腰を引いては押し入ってを繰り返し、ついに根元まで入り込んだ。
 それだけでは終わらず、内部を往復し始める。

「ああぁっ! やぁ、いやあああっ!」

 痛くて怖くて何も考えられなくなった。
 早くこの陵辱が終わってくれることだけを願い、恐怖に震えながらアシルが果てるまでの長い時間を耐えた。




 アシルは最後の瞬間を中では迎えず、吐き出された精は全てわたしの体の上に降りかかった。
 異物感の残る秘所は僅かだが血で汚れ、純潔が散らされたことを証明していた。

 放心しているわたしを抱えて、アシルは浴室に入った。
 手首を戒めていたベルトは外されていたが、抵抗する気力も湧いてこなかった。

 アシルは水の中に腰を下ろし、わたしを膝の上に乗せて、陵辱の痕を洗い流していく。
 幾ら清めたって、綺麗になるわけないのに。
 触れられている体の感覚を他人事のように感じながら、アシルの肩に頭を預けて身を任せた。

 そのまま脱衣場に放置されるかと思ったが、彼はご丁寧にも着替えまでさせて、わたしを部屋に運んだ。
 ベッドの上に下ろされた時も、わたしは人形みたいに反応しなかった。
 虚ろな目で宙を見ているわたしに、アシルが囁いた。

「守ってやるのは本当だ。誰にも手は出させない、それだけは信じろ」

 扉が閉まる音を聞いた。
 足音が遠ざかる。

 アシルの気配が消えたと同時に凍り付いていた感情が息を吹き返し、煮えくり返るほどの憎悪を生み出した。
 大人になったら素敵な男性と出会い、幸せな結婚をするのだと夢見ていた。
 それなのに、望まない形で純潔を奪われ、辱められた。

 未来が真っ黒に塗りかえられていく。
 手の届かない残骸となった未来の果てに見えたものは、深い絶望と憎しみ。

 わたしから大切なものを奪ったこの国と、この地に生きる全ての人間。
 そして、残された未来までをも奪い去ったあの男を、わたしは絶対に許さない。




 アーテスで暮らし始めて一年が過ぎた。
 結婚式も済ませ、エリーヌ様はフェルナン王子の正妃となられた。
 わたしよりエリーヌ様の方が順応性が高く、異国での生活にもすっかり馴染んでしまわれた。

「レリア、明日フェルナン様が遠乗りに連れていってくださるのですって。行ってもいいでしょう?」

 エリーヌ様がおずおずとわたしの顔色を窺ってくる。
 主君ではあるが、行動を決めるのはわたしの仕事だ。
 我が侭を許さぬために、侍女についた時に王妃様から申し付けられた事だが、それはここに来てからも変わらない。

「王子のお誘いであれば、お断りするわけにもいきませんね。ちょうど外出用に仕立てたドレスが届けられたばかりです。それを着て行かれればいいでしょう」
「ありがとう、レリア。嬉しいわ」

 エリーヌ様は王子との外出を楽しみにされていた。
 わたしが幾ら、故国の滅亡と王子の関係を説いても効果がない。
 好意的な人間に心を許してしまうのは仕方がない部分もある、特に敵の多いこの国では。

 エリーヌ様とフェルナン王子は、よく共に外出される。
 王子は劇場やサロンなどにエリーヌ様を伴って訪れ、夫婦仲が良好であることを周囲に見せつけていた。
 さらにエリーヌ様に肩身の狭い思いはさせられないと言って、妾妃を娶るように勧める家臣達をやり過ごす方便にも使っているらしい。

 そのせいか、エリーヌ様と王のいる宮殿に出向くと、貴族の姫君達の視線が痛い。
 中には本気でフェルナン王子に懸想している娘もいたようで、聞こえよがしの悪口をひそひそと囁く者までいた。
 彼女達の悪意に満ちた声を聞いても、エリーヌ様は黙って耐えておられた。

「仕方がないわ、私は戦敗国から人質に連れてこられたのだもの。フェルナン様に相応しくて選ばれたわけじゃない。彼女達が怒るのも当然よ」

 エリーヌ様は落ち込んだ様子で呟かれた。
 そして、いつか王子に相応しい后になってみせると決意を新たにされるのだ。
 わたしはいつもそこで危機感を強める。
 エリーヌ様は恋をされている。
 憎き仇であるはずの王子に。

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