束縛

04.人の気配がする場所

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 ホテルから出たら、もう夕方だった。
 そろそろ帰らないと、お母さんが心配する。
 でも、この時間を終わらせたくなくて、冬樹くんとつないだ手をぎゅと強く握った。
 そんなわたしに、冬樹くんが意外なことを言い出した。

「もう少し付き合ってくれるか? 家にはオレが電話する」

 断る気なんて起きなかった。
 頷いたら、冬樹くんがわたしの携帯から電話をかけて、遅くなるって断りを入れてくれた。
 お母さんも、冬樹くんが一緒ならって許してくれた。
 友達とだったら、早く帰ってきなさいってうるさいのに、本当に信用しきってるんだな。




 冬樹くんはわたしを宝飾店に連れて行った。
 ショーケースの中に宝石がついたアクセサリーがたくさん飾ってある。
 大粒のダイヤに見とれて、値札に目をやり、悲鳴を上げそうになって口元を押さえた。
 桁が違うよ、こんなの買う人ってどんな生活してるんだろ。

「春香、こっちだ」

 冬樹くんに呼ばれて行ってみると、そっちのケースの中にはかわいい型のリングが並んでいた。
 値段は一万から五万ぐらいで、ちょっと高いけどバイトができる高校生なら頑張れば手が届きそうな価格だった。

「この中から、好きなの選べ」

 信じられないことを冬樹くんは言った。
 わたしに指輪をプレゼントなんて、今日の彼はどうしたんだろう。熱でもあるの?
 あ、あのハート型のがいいな。
 スターリングシルバーでできた、ハートをモチーフにしたリングだ。

「じゃ、じゃあ、これ……」

 一目で気に入ったそのリングを指差した時、店内にどやどやとお客さんが大勢入ってきた。
 その中の先頭にいた男の人が、こっちに声をかけてきた。

「やっぱり雪城だ。外から見えたから、みんな誘って入っちまった」

 明るく笑うその声の持ち主は、穂高先輩だった。
 多分、後ろにいるのは、先輩や冬樹くんと同学年の人達。
 男の人も女の人もいて、全部で十人ぐらいいた。

「雪城くん、その子誰よ。まさか、浮気してるんじゃないでしょうね」

 女の先輩が、じろっと値踏みするような目でわたしを睨んだ。

「違うよ、この子は雪城の幼なじみの春香ちゃん。小さい頃からの仲良しなんだよね」

 そこにフォローを入れてくれたのは、穂高先輩だった。
 ねっ、と同意を求められて、わたしは思わず頷いていた。
 どさくさ紛れに春香ちゃんなんて呼ばれたけど、先輩が言うと自然で抵抗感がない。
 わたし達が幼なじみだって知ってたことにはびっくりしたけど、名簿の住所を見ればすぐにわかることだし、変じゃないか。

「あ、わかった。海藤へのプレゼント選んでたんだろ。誕生日は来月だったっけ? 春香ちゃんなら、いいの選んでくれそうだしな。内緒にしたかったみたいなのに、悪いことしたな」

 穂高先輩が謝って、周りの人たちは納得顔になった。
 そして一人の女性を、前に押し出した。
 長い黒髪の綺麗な女の人。
 海藤先輩!
 先輩もいたんだ。

「バレちゃった以上は、夏子が選びなよ。雪城くんがせっかく買ってくれるんだし、この後二人で遊びに行ってもいいよ。あたし達のことなら、気にしなくていいから」

 周りの人に勧められて、海藤先輩は遠慮がちにわたしを見た。

「で、でも、悪いよ。せっかくここまで来てくれたのに」

 冬樹くんの様子も窺いながら、海藤先輩は首を横に振った。
 わたしは何も言えずに立ちすくんだ。
 海藤先輩へのプレゼントを、わたしに選ばせようとしていたなんて。
 冬樹くんの表情からは、感情が読み取れなかった。
 みんなに否定をしないってことは、本当にそのつもりだったの?

 さっきまでの幸せな気分が吹き飛んでいく。
 でも、ここで泣いたら変に思われる。
 今は全部忘れよう。
 もう一人のわたしを作らなきゃ。
 冬樹くんの単なる幼なじみという、わたしを。

 わたしは顔を上げて、にこっと笑顔を作った。
 海藤先輩は何も悪くない。
 大丈夫、笑える。

「冬樹くんに先輩を驚かせたいからって言われて協力してたんですけど、バレちゃいましたね。もう隠す必要もないし、先輩が選んでください。遅くなるとお母さんが心配するから、わたしはこれで帰ります」

 笑顔でわたしは嘘をついた。
 みんな騙されている。
 まだ少し疑いの目を向けていた人達も、今の一言で安心したのか顔を緩めた。

「じゃあね、冬樹くん。ちゃんと先輩、送って帰りなよ」

 冬樹くんに笑いかけて、出口に向かう。
 後ろから「気をつけて帰れよ」って、冬樹くんのそっけない声が聞こえた。
 涙が出そうになったけど、堪えて会釈しながら先輩達の横を通り過ぎた。

「外暗いし、春香ちゃんはオレが送るよ。先帰るから、後は勝手にやってくれ」

 背後で穂高先輩の声がした。
 お店のドアを開けて外に出たら、先輩達も一緒に出てきた。

「穂高ぁ、送り狼になるなよー」
「ばぁか、なるかよ。これでもオレは優等生の生徒会長なんだからな」

 男の先輩の冷やかしに、穂高先輩も軽口で答えた。
 他の先輩達は逆方向に行くみたい。
 冬樹くんと海藤先輩はお店の中。
 わたしは穂高先輩と駅に向かって歩き始めた。

 しばらく歩いて先輩達の目がなくなったら、穂高先輩が肩を抱いてきた。

「春香ちゃん、泣きたいんじゃない? 胸貸すから、泣いてもいいよ」

 優しい声で囁かれて、道の端で立ち止まる。
 先輩の声がわたしの心を緩ませて、抑えていた涙があふれ出てきた。

「う…ふぇ……、うう…」

 止まらない。
 泣いてもいいって言ってもらえたから、張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れた。
 先輩にしがみついて、わんわん泣いた。
 人通りは少なかったけど、それでもじろじろ見られているのには変わりがない。
 それなのに穂高先輩はちっとも嫌がらずに慰めてくれた。

「オレに嘘は通じないって言っただろ。よく笑えたな、春香ちゃんは頑張ったよ」

 頭を撫でてくれる手が暖かい。
 掛けてくれる言葉も愛情に満ちている。
 今のわたしには、先輩がくれる優しさが救いだった。

「存分に泣けるところに行こうか。遅くなっても、家にはオレが責任持って送り届けるからさ」

 先輩に従い、方向を変えた。
 すがりつくものが欲しかったわたしは、どこかおかしい先輩の言動に、疑問すら抱かなかった。




 先輩が連れてきてくれたのは公園だった。
 日はすっかり落ちて、もう真っ暗。
 芝生のある広場を抜けて、木々が生い茂る遊歩道に出る。
 街灯はまばらで、結構暗い。
 でも、雰囲気が変。
 姿は見えないのに、たくさんの人の気配がする。

「春香ちゃん、こっち」

 先輩に手を引っ張られて、茂みに連れ込まれた。
 木の幹に背中を預けて、先輩と向かい合う。

「あ、あの、先輩。周りがなんか変なんですけど?」

 私たちがいる茂みの向こうから、泣き声に似た変な声が洩れていた。
 明らかに情事の声。
 男女が行為に耽っていると思われる喘ぎ声が、どこからともなく聞こえてくる。一組どころじゃない、複数いる!

「ここが存分に泣ける場所。この辺にいるカップルは自分達のことに夢中で、人のことなんて誰も気にしてないから遠慮なくどうぞ」

 穂高先輩は、妙に楽しそうだ。
 そ、それはそうかもしれないけど、これじゃ気が散って、とても泣ける気分になれないよ。

「あはは、泣く気が削がれちゃった? びっくりしてる春香ちゃんもかわいい」
「先輩! からかってるだけなら、帰りますよ!」

 いい加減頭にきて、進路を遮っている先輩の体を押した。
 その手を掴まれて、いきなり抱きしめられる。

「好きな女の子が泣いているのを見るのは、気分のいいものじゃない」

 穂高先輩の雰囲気が変わった。
 ふざけてる口調じゃなくて、とても真剣な声。
 顔を上げたら、唇で口を封じられていた。

「忘れさせてあげる。オレに体を任せて」

 スカートの上から、お尻を撫でられた。
 胸に触れた先輩の手が、円を描くように動いている。

「やめて、先輩……」

 ブラウスのボタンが一つ一つ外されていって、その後を追うように、先輩の口付けが露わになった肌に落ちていく。

「痕ついてる、誰につけられたんだろうね」

 つんと肌をつつかれた。
 赤い痕が幾つもついている。
 昼間、冬樹くんにつけられたキスマークだ。
 慌てて隠そうとしたけど、腕を押さえられて上から痕をなぞるみたいに、その部分を強く吸われた。

「ダメ…わたしはまだ彼が好きで……、先輩のこと好きになってないのに、こんなことしちゃダメです」

 先輩が傷つくんだよ。
 相手が自分じゃない誰かを想って抱きあうことの虚しさを、わたしは身にしみてわかっている。
 先輩には、あんな思いをさせたくないの。

「春香ちゃんは真面目だね、それとも優しいのかな? オレはいいんだよ、好きな女の子を抱けて嬉しい思いができる。君も利用すればいい、オレはフラれても恨んだりしないから」

 そう言いながら、先輩はブラのホックを外して、上にずらしてしまった。
 こぼれ出た膨らみを両手で包まれ、柔らかく揉まれた。

「あん、いやぁ」

 冬樹くん以外の男の人に、胸を見られて触られた。
 思いがけない展開に、軽いパニックを起こしかけている。
 穂高先輩と、どうしてこんなことになってるの?

 先輩はわたしの右の胸の先端を口に含んだ。
 乳首に軽く歯を立てられ、舌で舐め転がされて、快感の波が押し寄せてくる。

「ああぅ…や、やめてぇ……、だめぇ」

 左の膨らみにも口付けられた。
 その間も彼の手は胸を揉み解している。

「委員会を通じて君と話す前から、ずっと見てた。あいつのものだと知ってても、君が欲しかった」

 話す前? 高校に入る前?
 確かに中学は一緒だったかもしれないけど、わたしが先輩を知ってても、先輩がわたしを知る機会はなかったはずだ。

 先輩の手がスカートの中にもぐりこんできて、ショーツにかかった。

「いや! それだけはやめてください!」

 押さえる手に力が入らなくて、膝まで下ろされた。
 足を閉じる間もなく、股間に指を這わされる。
 そこからくちょんて、気持ちの悪い湿った感触が伝わってきた。

「もうこんなに濡れてる。春香ちゃんって、真面目そうなのにやらしい子だなぁ」

 言葉で嬲られて、涙が浮かんでくる。
 軽蔑された。
 淫乱だってバカにされてる。

「先輩の変態! もう帰るっ! 離して!」

 先輩を睨みつけて罵って、力いっぱい彼の胸を叩いた。
 でも、やっぱり力じゃ勝てなくて、再び木の幹に体を押し付けられて、逃げられないように押さえつけられた。

「でもね、そんな春香ちゃんが、オレは好き」

 意外なことに、先輩はうっとりした声で囁いてきた。
 軽蔑されたわけじゃない?

「オレの手で、こんなに感じてるのを見てたら、押さえが効かない」

 先輩の股間はズボンの上からでもわかるぐらいに膨らんでいた。
 取り出されたものは、硬く起き上がっていて、いつでも挿入できそうなほど立派になっていた。
 冬樹くんので見慣れていても、他の人のはまた違う。
 それに先輩とそういうことになるなんて、考えもしていなかった。

「や、やめて、先輩っ! わ、わたし……冬樹くんじゃないとやだぁ!」

 わたしは我を忘れて冬樹くんの名前を叫んでいた。
 しまったって思った時には遅かったけど、先輩は驚きはしなかった。
 穂高先輩は知ってたんだ。
 過去にわたしを抱いた人が誰なのか。

 先輩の指が、わたしの中をかき回す。
 初めての体なのに、少しもためらうことなく指を動かしていた。次第に気持ちよくなってくる。
 先輩は馴れている。経験があるんだ。
 彼女がいたとは聞かないから、どこでしたのかな。
 呼び起こされる快感に翻弄されながら、人事みたいにそんなことを考えてた。

「やめてってお願いは聞かない。どうしてあいつがいいんだよ。目の前で、あんなにひどく裏切られても、好きでいられる理由って何? オレなら大事にする、君を裏切ったりしない。だから、オレを受け入れて」

 裏切らない。
 穂高先輩は裏切らない。
 朦朧とした頭に、囁かれた言葉が流れ込んでくる。

 冬樹くんと海藤先輩。
 仲の良い二人の姿が脳裏に浮かび上がる。

 入り込めないわたし。
 二番目のわたし。
 いつか、惨めに捨てられる。
 真っ暗な闇の底に落ちていくみたいな感覚がした。

「や…だ…。助けて、先輩……、助けて……」

 わたしは体に触れている温もりにすがりついていた。
 そうしないと、落ちてしまう。
 怖くて体が震える。

「じゃあ、受け入れて。そして先輩じゃなく、秋斗って呼んで。そうしたら助けてあげる」
「……ぅ…助けて…秋斗……」

 わたしは求めに応じて、穂高先輩の名前を口にしていた。
 自分からショーツも脱いだ。

「いい子だね。じゃあ、行くよ」

 右足の腿を抱え上げられて、立ったままの体勢で秘所に先輩のものが押し入ってきた。
 いつの間につけたのか、避妊具はちゃんとしてくれている。
 昼間に冬樹くんに馴らされていたせいか、そこはあっさりと先輩を受け入れてしまい、わたしを絶頂へと導こうと甘美な刺激を送り込んできた。
 立位で貫かれながら、わたしは彼に抱きついた。

「あ…あき…と……、秋斗ぉ……」

 夢中で秋斗って呼んだ。
 この人はわたしを助けてくれる人。
 彼から伝わってくる熱が、わたしの意識を押し上げて、つらいことを何もかも忘れさせてくれた。
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 わたしが先に達して、先輩もすぐにイッたみたいだった。

 荒い息を互いにしてる。
 繋がりが離れて、力が抜けた。
 真っ白に燃え尽きた感じ。
 考え事をするのも億劫なぐらい、ぐったりと疲れきっていた。

「愛してるよ、春香ちゃん」

 抜け殻みたいにへたり込んだわたしの体を抱きしめて、先輩が囁く。
 周辺に広がる闇の中からは、幾つもの男女の嬌声が絶えず上がっている。
 みんな愛し合っているのかな。
 そうならいい。
 体だけの繋がりなんて、悲しいだけだ。

 わたしが先輩を好きなら、とても満足できたはずだった。
 だけど、心は空っぽ。
 刹那の快楽が過ぎ去った後は、冬樹くんに犯された後と一緒でひどく虚しい。
 穂高先輩は、昼間の冬樹くんに負けないぐらい愛してくれた。終わった後も、優しく抱きしめてくれている。
 それなのに、わたしの心は応えることができなかった。
 胸が苦しい。
 涙が溢れて止まらない。

「痛かった? 泣かないで」

 先輩の舌がわたしの涙を舐めた。
 キスが目元に落とされる。

「違うの、先輩。わたし……」

 どう言えばいいのか迷う。
 それでも言わなければと口を開きかけたら、茂みが揺れる音がした。
 誰か来るのかと身構えてそっちを見たら、ここにいるはずのない人の姿が目に飛び込んできた。

「冬樹くん……」

 わたしは現れた彼の名を呟いた。
 幻ではなく、本物の冬樹くんが息を切らせて立っている。
 冬樹くんはわたし達を見つけると、大股で歩いてきた。

「帰るぞ、春香」

 腕を引っ張られて、穂高先輩から引き離された。
 どうして冬樹くんがここに?
 海藤先輩と一緒にいたんじゃないの?
 冬樹くんはわたしを抱き寄せて、穂高先輩を鋭い目で睨みつけた。

「穂高。お前、春香に何をした。店に入ったのもわざとだろう? どんなつもりでこんなマネをしたのか言ってみろ。返答次第じゃいくらお前でも許さない」

 冬樹くんの声は、今まで聞いたこともないほど怒りに満ちていた。
 険悪な空気の中で、穂高先輩は乱れた服を整えながら立ち上がり、余裕の笑みを冬樹くんに向けた。

「怒るのはお門違いじゃないのか? 元はと言えば雪城が悪い。オレは目の前に転がってきたチャンスを有効に活かしただけだし、春香ちゃんがオレに抱かれることを望んだのは、さっきのお前の態度のせいだ。今夜の件に関しては、お前にオレ達を咎める権利はない」

 穂高先輩の言い方が妙に引っかかる。
 裏切った冬樹くんが悪いのはわかるけど、チャンスって何?
 わたしの知らないところで、二人は何を話しているの?

「ここで言い争っても、他のカップルの迷惑になるしな、話の続きは明日の昼休みにでもするか。今夜のところはオレが退く、ここまで探して追いかけてきた情熱に免じて、春香ちゃんを送る役は返してやる」

 服を着直した先輩は「じゃあね」って、わたしに笑いかけて暗闇に消えた。
 残されたわたし達の間には、気まずい空気が漂っている。
 冬樹くんはわたしをジッと見て、すぐに顔を逸らした。

「春香、服を着直せ」

 不機嫌な冬樹くんに命じられて、慌てて後始末をして下着を身につけた。
 半ば脱がされていた上の服も全部直した。

「終わったよ」

 怖々声をかけたら、冬樹くんはこっちに向き直ってわたしの肩を掴んだ。
 息が止まるほどの勢いでキスをされた。
 舌が入ってくる。
 逃げようとした舌を絡めとられて、軽くリズムを取るみたいに吸われた。
 中だけじゃなく唇までも味わい尽くされて、ようやく離してもらえた。
 苦しくて咳き込んだ。涙も出てきたよぉ。

「本音を言うと、今ここで抱いてアイツのことを忘れさせたいところだが、これ以上は無理させられないからな。これで我慢してやる」

 冬樹くんは勝手なこと言ってる。
 わたしが穂高先輩に抱かれたのも、そもそも冬樹くんが海藤先輩へのプレゼントを、わたしに選ばせようなんてしたからじゃない!

「冬樹くん、ひどいよ。わたしの気持ちなんてどうでもいいの? もうやだよ、こんなの苦しいよぉ」

 あふれ出てくる気持ちを、押さえることなく打ち明けた。
 冬樹くんはわたしの頭を自分の胸に押し付けて、もう一方の手を背中にまわして抱きしめてくれた。

「春香、さっきはごめんな。今はまだ本当のことは言えないけど、オレが抱くのは後にも先にもお前だけだ。それだけは信じてくれ」

 冬樹くんの言葉に涙が止まった。
 抱くのはわたしだけ?
 それってつまり……。

「好きだから抱いてるんだよ。昔も今も、オレが本気で抱きたいのは春香しかいないんだ」

 だったらどうして、海藤先輩と?
 わたしの疑問に、冬樹くんは答えてくれなかった。
 信じてもいいの?

 帰り道、冬樹くんはわたしの手を、ずっと握ってくれていた。
 言葉の代わりに、離さないって言ってくれてるみたいで、わたしも強く握り返して気持ちを伝えた。
 裏切られるのは怖い。
 それでも離したくないの。
 どんなに鋭い刃物が切り裂こうとしても、断ち切ることができないぐらい、わたしの心は冬樹くんに囚われていた。

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