束縛
05.服を着たまま
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月曜日が来て、わたしはいつも通りに家を出た。
冬樹くんは部活があるから、朝早くに出かける。
元から一緒には行けないけど、今朝は会えないことが残念だった。
昨夜はもっと話したかった。
聞きたいことがたくさんある。
教えてもらえないとわかっていても、冬樹くんの口から早く本当のことが聞きたかった。
昼休みに、わたしは生徒会室に行った。
昨夜、二人が話をするって言ってたから、気になったんだ。
二人っきりで話すならここかなって当たりをつけて来てみたけど、冬樹くんも穂高先輩もいなかった。
代わりに、副会長さんがお友達とお弁当を食べていた。
『会長なら屋上にいるんじゃないかな』って教えてくれた。
穂高先輩が、鍵を持って出て行ったそうだ。
屋上は、転落事故が起こらないように、生徒は立ち入り禁止になっている。文化祭の時とかに屋上から垂れ幕を下ろしたりするから、生徒会室には合鍵があって、いつもは副会長さんが昼休みに使っているんだけど、今日は穂高先輩に場所を貸してくれって頼まれたんだって。
わたしは生徒会室を出て、階段を上っていった。
昨夜の冬樹くんの剣幕を思い出して、ケンカになっていないことを祈った。
屋上の扉が見えてきて、声が聞こえた。
冬樹くんと穂高先輩の声だ。
言い争っているわけじゃないみたい。
ちょっとホッとした。
屋上へと続く重い扉に近寄ると、二人の会話がはっきりと聞こえてきた。
「結局、中学でも高校でも、オレはお前に一度も勝てなかった。委員長に生徒会長だの色んな役職引き受けて、いくら周りのヤツらに優秀だと認められても、オレはいつも二番目だ。いつでもオレの前にいるお前の存在が、正直言ってうっとうしかった」
穂高先輩は、どこか投げやりな態度でそんなことを言っていた。
二人は友達じゃなかったの?
先輩の気持ちが本当なら、冬樹くんは傷ついたはずだ。
「それで春香に近づいたのか? オレのものを奪って勝った気になりたかったのか? それがお前の本心なら、オレは絶対に許さない! 二度と春香に近づくな!」
冬樹くんが怒って声を張り上げた。
わたしもショックだったけど、穂高先輩の本心は違うと思う。
昨日の先輩がくれた優しさが、全部嘘だったとはどうしても思えなかった。
意を決して、わたしは扉を開けた。
扉が開く音は思いのほか大きくて、冬樹くんと先輩がこっちを向いた。
二人とも、驚いた顔をしていた。
「穂高先輩、今の話は本当? 冬樹くんに勝ちたいから、わたしに好きだって言ったの?」
違うって否定して欲しかった。
先輩は裏切らないって言った。
わたしのこと大事にするって言ってくれた。
これ以上、誰も疑いたくなかった。
冬樹くんのことも信じたい。
お願いだから、わたしを絶望させないで。
すがりつくように、穂高先輩を見つめた。
先輩は後ろのフェンスにもたれて苦笑した。
垣間見えた表情は、どこか寂しそうだった。
「雪城がうっとうしかったのは正直な気持ちだ。だけど、それは成績とかで負けたからじゃない。オレの初恋の人の心を捕らえて離さないばかりか、泣かしてることが気に入らなかった。春香ちゃんは、オレのこと全然覚えてないんだね。当たり前なのかもしれないけどさ」
覚えていない?
わたしが何を?
穂高先輩と過去に何かあったの?
「オレが初めて雪城の家に遊びに行ったのは、中一の時だった」
先輩が話し始めたのは、脈絡のない昔の話だった。
「なんだよ、急に」
いきなり関係なさそうな思い出話を振られて、冬樹くんが面食らった顔になった。
困惑している冬樹くんを無視して、先輩は話を続けた。
「雪城の部屋に入ったら、遊園地を背景に女の子と二人で写ってる写真が飾ってあった。仲良さそうに腕組んでてさ、二人とも楽しそうに笑ってた」
その写真に写っていたのは、もしかしてわたし?
遊園地で撮った写真。
いつか冬樹くんが、二人で写っているのを写真立てに入れて飾ってるって言ってたことがある。
「それで聞いたんだよ、『妹いるのか?』って。そしたら、その子は隣の家の幼なじみで、冷やかされるのが嫌で内緒にしてるけど、お前にだけは言うからなって、好き合ってる仲だってことを教えてくれた」
穂高先輩は懐かしそうに目を細めた。
その時はただ微笑ましかったって言って、空を仰いだ。
「内緒にしてる分、誰かに言いたくてたまらなかったんだろ。その後、春香ちゃんとの思い出を、アルバム引っ張り出してまで喋り始めて、しまいにうんざりさせられた。でも、そのアルバムの中にいた女の子を見つめていることには飽きなかった。見た目じゃなくて、ほんわりした幸せそうな笑顔に惹かれたんだよ。ああ、オレもこういう子が隣に欲しいなって、雪城が羨ましくなった」
穂高先輩は写真で一目惚れをしたのだと告白した。
それでもまだ親友の彼女だと、割り切っていたのだとも続けた。
「中二になった時、春香ちゃんが入学してきた。オレにはすぐにわかったけど、面識もないし声をかけるきっかけもなくて、ずっと遠くから見てた。毎日、写真と同じ笑顔をしてて、見てるだけでこっちまで幸せな気持ちになれた。そんな日がしばらく続いて、偶然にも話す機会がめぐってきた。春香ちゃんは覚えてない? 図書室で君がよろけて本棚に当たって、棚が倒れてきたこと」
あ、それは覚えてる。
本を探してて、何か黒いものが足下を走り抜けるのを見て、びっくりして飛びのいて本棚に勢い良く当たったんだ。
ぐらついた棚がこっちに倒れこんできて、下敷きにされそうになったのを、近くにいた男子に助けてもらった。
じゃあ、あの時の人が穂高先輩だったの?
「君はすっかりパニックを起こして、オレにしがみついて震えてた。初めて触れた体はすごく頼りなくて、大切にしたいと思ったな。保健室まで連れてって、気が紛れるように取り留めのない話をしてた。やっと落ち着いてくれて、オレの話が聞けるようになったと思ったら先生と君のお母さんが来て、邪魔になりそうだったから黙って保健室を出た。名乗るのを忘れていたから、あれが誰だったのか春香ちゃんは知らないままだっただろう」
そうだった。
保健室にいたら、取り乱した様子でお母さんが先生と一緒に来て、ケガもないし大丈夫だからって逆に宥めてたら、助けてくれた男の子はいなくなってた。
図書室の本棚が倒れたことで、学校中が大騒ぎになってて先生達も慌ててたから、次の日あれが誰だったのか尋ねても、先生達にもわからなかったんだ。わたしも気が動転してて、顔もはっきり覚えてなかったし、探しようがなかった。
だけど、どうしてもお礼が言いたくて、校内新聞とか放送で呼びかけてもらったけど、名乗り出てくれた人はいなかった。
照れくさくて名乗り出れないんだろうということで、お礼は校内放送で言わせてもらった。
わたしは図書室に行くたびに、大変な目に遭ったと思い出すだけだったけど、先輩には忘れられない思い出になっていたんだね。
「オレを探してくれたのは嬉しかったけど、名乗り出ることはできなかった。近づけば近づくほど、君を想う気持ちが強くなることがわかったからだ。抱きしめた体の感触が忘れられなくてさ、中学生のくせに夜の街でナンパして他の女抱いて忘れようともした。自分でも、すごいバカなことしてるって、自己嫌悪することもしょっちゅうだった」
冬樹くんに視線を向けると、呆然と穂高先輩の話を聞いていた。
今の話は、冬樹くんも知らなかったみたい。
先輩が長い間わたしに好意を抱いていたことを知って、驚いているみたいだった。
「オレが必死で忘れようとしてたのに、高校で再会した春香ちゃんは毎日泣きそうな顔してた。中三の受験でピリピリしてた時期に、雪城が春香ちゃんのバージンもらったって嬉しそうに言った時のこと思い出して余計にムカついた。春香ちゃんに本当のことを言えない事情も知ってるけど、これ以上悲しませるぐらいなら、オレが前みたいに笑わせてあげようって決めた。弱ってる心につけ込んだことは認める。オレは春香ちゃんが好きだから、どんな卑怯な手を使ってもオレのものにしたかった」
穂高先輩の独白は、最後には冬樹くんに向けられていた。
挑戦的な目で、先輩は冬樹くんを見つめていた。
「お前が彼女を不安にさせている間は、オレも退く気はない。春香ちゃん、覚えておいて、オレは君が好き。君が笑顔を見せてくれるならどんなことでもしてあげる」
最後に先輩は、わたしに向けて微笑んだ。
わたしは何を言っていいのかわからなかった。
先輩の好意には応えられない。
でも、拒絶の言葉は出てこなかった。
先輩の純粋な愛情が、苦しいぐらい胸に迫ってくる。
「話はおしまい、昼休みが終わるから教室に戻れ。オレは鍵を返しに戻らないといけないから、さっさと出てくれ」
穂高先輩に追い出されるように、わたしと冬樹くんは屋上を後にした。
冬樹くんは黙ったまま、ずっと難しい顔をしていた。
事情ってなんだろう。
冬樹くんと海藤先輩は、本当はどんな関係なの?
放課後、掃除当番だったわたしは、ゴミ箱を持って焼却場から教室に戻っていく途中だった。
「ねえ、ちょっとそこのあんた」
校舎の入り口で、上級生と思われる派手目の女子の集団に呼び止められた。どの人も厚い化粧をしてスカートも下着が見えそうなほど短くしていた。髪も金や茶色に染めていて、ピアスをしている人もいる。どちらかと言えば、怖い感じがした。
わたしをぐるりと取り囲んだ一団は、じろじろ観察しながら睨みつけてきた。
「雪城くんの幼なじみって、あんたなの? 大したことないどころか、ブスで地味過ぎ」
一団の一人に、いきなり失礼なことを言われてあっけにとられる。
周りの人たちは同調して、笑い声を上げた。
「あんたさぁ、幼なじみって特権利用して、雪城くんに近づかないでよ。夏子がかわいそうじゃない。取るに足りない不細工でも、自分の彼氏が他の女と仲良くしてるのなんて、気分がいいものじゃないでしょう?」
そう言ったのは、一番派手で目立つ顔立ちの女の人だった。
背が高く、スタイルも整っていて、艶のある髪はサイドで巻き毛にしてある。海藤先輩が日本人形なら、この人は西洋のアンティークドールだろうか。
派手な外見に見合う気の強さが、表情から滲み出ている。
綺麗な人だけど、嫌な雰囲気。
悪意がガンガンぶつけられてくるみたい。
「昨日、夏子へのプレゼントを選ぶついでに、遊びに連れてけって、ねだったんだって? 図々しいことするね。雪城くんも優しいから断りきれなくて、さぞかし迷惑だったろうね」
その人は、わたしが持ってたゴミ箱を、いきなり蹴り上げた。
びっくりして手を離したら、ゴミ箱は校舎の壁に当たって転がった。
蹴られた部分が思いっきりへこんで、ひしゃげている。
「穂高くんにも色目つかってるしさ、目障りなのよ。一度、痛い目みないとわからないと思って、身の程知らずなあんたのために、親切で優しい先輩達がここまで出向いてきてあげたのよ」
綺麗な顔が醜く歪んで、勢い良く手が振り上げられた。
叩かれる。
構えて歯を食いしばったけど、その手は振り下ろされなかった。
手を掴んで押さえている人がいたからだ。
「な、夏子!?」
手を掴まれている人が、ぎょっと目を見開いて叫んだ。
いきなり現れた海藤先輩は、掴んだ手を離して、わたしを庇うように立った。
「あなた達、この子に何をしているの?」
高めの澄んだ綺麗な声が、わたしを取り囲んでいた先輩達を威圧した。
海藤先輩に咎められて、他の先輩達は戸惑った様子で顔を見合わせた。
「だって、夏子、わたし達はあなたのために……。そ、その子が雪城くんにちょっかい出してたの、昨日あなたも見たんでしょう、ムカつかないの!?」
先輩達はわたしを指差して、海藤先輩に詰め寄った。
だけど、海藤先輩は周りの人達を見回して、くすっと微笑んだ。気のせいか、笑顔にトゲがついているみたい。
「わたしのため? あなたのためじゃないの? 火野灯子(ひの・とうこ)さん」
海藤先輩は、わたしを叩こうとしていた先輩に向かって言った。
火野と呼ばれたその先輩は、顔色を変えて海藤先輩に食って掛かった。
「な、何よ、それ! あんたの彼氏の害虫駆除して、それがどうしてわたしのためになるのよ!」
そうだと周りの人も口を揃えた。
どうやらこの人達は、海藤先輩のことを心配して、わたしに憤っていたらしい。
「灯子の名誉のために言わないでおこうと思ってたけど、去年の春にあなたが冬樹に告白してフラれたことは知ってたわ。その後、彼女が誰なのかしつこく聞きだそうとしたこともね。わたしが相手だから諦めたけど、自分より劣って見える平凡な女の子が彼と親しげにしていたら、自尊心が傷つけられて嫌なだけなんでしょう?」
海藤先輩は軽蔑しきった目で、火野先輩を見つめた。
周りの人も、輪を崩して火野先輩から離れていく。
「容姿や成績だけで、人に優劣つけるなんてバカなんじゃないの? 人をダシにしてみんなをけしかけて、わたしと冬樹に迷惑かけてるのはあなたの方よ。昨日のことだって、春香ちゃんはわたしのために冬樹に付き合ってくれていたの、かわいい指輪を選んでくれていたわ」
火野先輩をみんなの前で断罪して、海藤先輩はわたしの肩を抱いて引き寄せた。
「春香ちゃんは、わたしと冬樹の大事な妹みたいな子なの。穂高くんだって委員会を通じて知り合った後輩だから、自然に親しくなっただけ。勝手な憶測で言いがかりをつけて、彼女にひどいことをしたら、わたし達が許さないからね!」
海藤先輩が、わたしのために怒鳴っていた。
先輩とは一度も話したことがない。それなのに、嘘をついてまで庇ってくれてる。
どうしてなんだろう。
わたしに話せない事情に関係あるの?
「仮に冬樹がわたしより春香ちゃんを選んだとしても、それは彼女にわたし以上に惹かれる魅力を見出したからよ。恋愛は結婚と違って、契約しているわけじゃない。しこりは残るかもしれないけど、そうなったら別れるだけよ。付け加えて言えば、あなた達の誰にでもチャンスはある。自分に自信があるなら、わたしから冬樹を奪ってみなさい」
さらに先輩は、きつい口調で畳み掛けていく。
誰も口を挟めずに、彼女の声に聞き入っていた。
か、海藤先輩のイメージが崩れていく。
こんなにたくましい人だったの?
先輩の挑発的な言動に、火野先輩は赤くなったり青くなったりして、落ち着きがなくなっていた。
周りの人達は、すっかりこっちの陣営に移ってしまい、海藤先輩に向けて盛んに拍手を送っている。
「夏子、カッコイイ!」
「そこまで言えるなんて、すごい!」
「火野、最低! 自分が雪城くんの彼女になれなかったからって、あたし達を騙して、仲がいいだけの幼なじみの子をいじめようとしてたなんて!」
一気に形勢逆転で、火野先輩はみんなから非難の集中砲火を浴びていた。
勝ち目がないと悟ったのか、火野先輩は悔しそうに歯噛みして後ずさった。
「お、覚えてなさいよ! あんた達みんな、いずれ酷い目にあわせてやるから!」
捨てゼリフを吐いて逃げ出そうとした火野先輩の背中に、海藤先輩が声をかけた。
「酷い目に合うのはどっちだろうね? さっきも言ったけど、穂高くんもすごく春香ちゃんのこと気に入ってるんだよ。あなたが今したことを知ったら、彼どうするかなぁ? せいぜい夜道を歩く時は気をつけなさい」
びくっと火野先輩の背中が震えた。
さっきまでの威勢はどこへやらで、小さくなってそそくさと逃げていったけど、穂高先輩ってそんなに怖いの?
他の人も、海藤先輩に『穂高くんには言わないで』って泣きついていた。
「それはあなた達の態度しだいよ。春香ちゃんへの誤解も解けたことだし、二度とこんなバカなことしないでね」
海藤先輩は笑顔でみんなに念を押して解散させた。
二人だけになると、海藤先輩はぎゅっとわたしを抱きしめた。
先輩からは香水なのか、ほのかに柑橘系のいい香りがした。
「怖い思いをさせて、ごめんなさい。ケガはない?」
海藤先輩は優しかった。
わたしと冬樹くんのこと知らないのかな。
もしかしたら立場が逆で、冬樹くんが先輩を騙しているんだとしたら、許せないと思う。
謝罪の後、先輩はわたしの耳に顔を寄せて、小声で続きを囁いた。
「本当にごめんなさい。昨日のこともつらかったでしょう? 近いうちに全部話すから、今は冬樹を信じてあげて」
わたしが驚いている間に、先輩は体を離していた。
それから転がっていたゴミ箱を手にとって、肩をすくめてこっちを振り返った。
「ゴミ箱ダメになったね。これは灯子のせいだし、先生にはわたしが話して新しいのもらってあげる。用務員室に予備のがあるはずだから心配ないよ」
海藤先輩はわたしの手を取って、一緒に行こうって言ってくれた。
遠くの方で、さっきの人たちが様子を窺っているのが見えた。
先輩も気づいたみたいで、わたしに『大丈夫だよ』って小声で囁いて、安心させようと笑いかけてくれた。
海藤先輩は素敵な人だ。
冬樹くんが大事に思うのもわかる。
だけど、わたしは冬樹くんが好き。
冬樹くんが信じろって言ってくれたから、信じる。
それに先輩も、冬樹くんを信じてあげてって言った。
だから、もう一度信じるの。
海藤先輩と一緒に受け取った新品のゴミ箱。
灯油の空き缶でできたそれは、まだピカピカだった。
昨日と今日で、目まぐるしく変わったわたしの状況みたい。
一回壊れて、新しくなった心。
今日からは、昨日までとは違う明日が来るような気がした。
もうすぐ勉強会の時間になる。
わたしは部屋で冬樹くんが来るのを待っていた。
早く会いたいって、また思うことができる。
わたしの幸せが戻ってきた。
噛みしめて、そっと胸に手を当てる。
チャイムの音が鳴った。
わたしは急いで部屋を出て、階段を下りた。
玄関に冬樹くんの姿を見つけて、飛びついていく。
「いらっしゃい、冬樹くん!」
冬樹くんはわたしを受け止めてくれた。
お母さんが目を丸くしてたけど、構わない。
体中で喜びを表現したい気持ちだったんだ。
「お出迎えありがとう、今夜もしっかり勉強しような」
冬樹くんはお母さんの前だからか、勉強の部分を強調して、わたしの頭を撫でた。
「もう、春香ったら、高校生にもなって子供みたいなことして。こんなことじゃ、まだまだ冬樹くんの恋人にはなれないわね」
苦笑するお母さんに、わたしも冬樹くんも曖昧な笑みを返した。
本当のことは言えないな。
お母さんの信頼を裏切っていることに、改めてちょっぴり罪悪感を覚えた。
部屋に入ってドアを閉めたと同時に、冬樹くんが後ろから抱きしめてきた。
長袖のTシャツの上から、胸を揉まれる。
「きょ、今日は嫌がらないから、無理やりはやめてっ」
うなじにキスを落とされながら、わたしは慌てて彼を押し留めた。
「ごめん、ちょっと不安だったから焦ってた」
向かい合うと、冬樹くんはわたしの頬に両手を添え、上を向かせて唇にキスをした。
「部活の後、夏子に聞いた。今日はオレのせいで大変だったんだな。穂高のことで焦って、思い出の場所をまわったことが仇になった。まさか、ただの幼なじみってだけで、火野が手を出してくるなんて思わなかったんだ。危ない目に合わせたくなくて、今まで隠してきたのに守りきれなくてごめんな」
火野先輩から隠してきた?
今日みたいなことが起こることを、冬樹くんはわかっていたの?
冬樹くんはわたしを労わるように、頬や額にキスしていった。
「穂高のことも、あいつが昔から春香のことを想い続けていたなんて知らなかった。春香はあれ聞いて、絶対心が動いたよな。オレが泣かした分、穂高が慰めてくれたんだからな」
いつも自信たっぷりだった冬樹くんが、今日は頼りなく見えた。
わたしが穂高先輩を好きになったかもって、不安がってるんだ。
そんなことないのに。
わたしが好きな人は、あなただけなのに。
「冬樹くんが大事にしてくれないと、穂高先輩のこと好きになっちゃうよ。ちゃんとわたしを見て、愛してくれる人の方がいい」
わたしはわざと意地悪を言った。
このぐらい言っても、冬樹くんがわたしにしたことに比べたら、かわいいものよ。
「大事にする。オレは一度も他の女なんか抱いてないし、キスもしてない。好きなのは春香だけだ、誓うよ」
真っ直ぐわたしを見つめる冬樹くんの瞳は、後ろ暗いもののない、真摯な輝きがあった。
わたしを愛して見つめてくれていた頃と、まったく変わらない色を湛えている。
「無理やりしたのは悪かったよ。でも、春香も悪いんだぞ。オレが夏子とはそんな関係じゃないって否定したのに抱かれるの嫌がるから、てっきりオレのこと嫌いになったのかと思って、それで……」
ごにょごにょと、冬樹くんは言い訳めいた言葉を呟いた。
つまり冬樹くんは、海藤先輩と体の関係がないことを伝えて誤解を解いたつもりでいて、それなのに、わたしが嫌がるのは自分のことを嫌いになったからだと思ったみたい。
デートに誘って思い出の場所をまわったのは、わたしに好きあってた頃の気持ちを思い出して欲しかったからだそうだ。
この半年間、冬樹くんに弄ばれているんだと苦しんできたわたしは何だったの。
「だって、海藤先輩のことは大事だから抱かないって言ったじゃない。だから、わたしのことは大事じゃないから抱くんだと思った。それに、冬樹くんは海藤先輩が彼女だってこと、一度も否定しなかった。他の人が一番なのに、抱かれるのはつらかったよ」
恨みがましく呟いたら、冬樹くんはわたしを抱きしめて、何度もごめんて謝った。
「夏子は大事な友達で、恋人のフリをしているだけだ。オレがそうしてきたのは火野からお前を隠すためだ。だけど、夏子の事情は秘密にする約束だからまだ言えない。これだけじゃ、信じられないか?」
わたしは首を横に振った。
まだ不安は残ってるけど、冬樹くんを信じたい。
「オレがお前を犯したのは、心はダメでも体で繋ぎとめておけば、いつかもう一度オレを好きになってくれるかもしれないと思ったからだ。そこまでするほどオレは春香が好きなんだ、お前以外の女はいらない。これだけオレを惚れさせたんだから、責任とってもらうからな」
言うなり、冬樹くんはわたしを押し倒して、足からショーツを抜き取った。
スカートをめくり上げられて、足が大きく開かされる。
「や、やだ、無理やりは嫌って言ったのにぃ」
露わになった秘所を舌で舐められた。
冬樹くんはそれがおいしいものみたいに、ベロベロ夢中で舐めまわした。
い、いきなり、それですか?
抱かれるのがわかっているから、お風呂はすでに入っているし、そんなに汚いわけじゃないけど、抵抗感ってものはないの?
わたしは胸ではできても、舐めるのだけは出来ないのに。
ああん、服も脱いでないのに、濡れてきちゃったよぉ。
指が入れられて、ぐちゅって濡れてる感触が伝わってきた。
ものの数分で、すっかり準備完了。
わたしの体は、冬樹くんの手で自由自在に高まってしまう。
わたしも冬樹くんじゃないと、満足できないかも。
「冬樹くん、待って……。服、脱いでないよぉ」
冬樹くんは中途半端にズボンを下ろして、こっちも準備万端になっている分身を出してきた。ポケットからコンドームも取り出している。
「もう、ダメ。一刻も早く繋がりたい。春香の中に入りたい」
いつもとは別の意味で余裕がなく、強引な冬樹くん。
この状況下でも避妊を忘れていないのは、さすがかもしれないけど、ふええん、なんか怖いよぉ。
「い、いいよ。でも、優しくしてね」
了解したら、間を置くことなく、秘所に冬樹くんが入ってきた。
体の奥が痺れてさらに蜜が湧き出し、彼の挿入を助けている。
冬樹くんはわたしの中を味わいながら、ゆっくりと腰を動かしていた。
焦っていたのは、入れることだけだったみたい。
「春香、好きだよ。愛してるよ」
睦言で、幾度も愛の言葉を囁かれる。
わたしも同じように、何度も「好き」と「愛してる」を繰り返した。
すごく幸せ。
彼と繋がっていることが、今までにないほど愛おしくて嬉しかった。
最近、まともに勉強してなかったので、感動の逢瀬は一時間で切り上げて、残りの半分の時間を勉学に励んだ。
テーブルを挟んで向かい合って、それぞれの課題に取り組む。
わからないところが出てきたら、冬樹くんに聞く。それがわたし達の勉強会のやり方だ。
冬樹くんと思いっきり愛し合えたせいか、頭がすっきりしててはかどるな。
冬樹くんも同じみたい。
復習のために参考書の問題を次々と解いては、答えあわせをして、正解ばかりのノートを見てはニヤついている。
この時の冬樹くんは、ちょっと怪しい人だ。
彼は昔から、満点の解答用紙を見るのが好きで、一生懸命勉強していた。
そんな動機でも、全部吸収して知識にしていくんだから、冬樹くんはすごいと思う。
小さい頃から何でもできる頼もしい彼は、わたしの憧れだった。
好きすぎて、会う時は嬉しくて、別れる時は寂しかった。
お隣さんなのにね。
今日もきっと、寂しくなる。
「冬樹くん」
呼びかけたら、冬樹くんがこっちを向いた。
腕を伸ばして、彼の指に自分の指を絡めた。
「大好き」
わたしの唐突な告白に、冬樹くんはくすくす笑った。
身を乗り出して、キスしてくれる。
わたしは冬樹くんの恋人。
もう一度、信じてもいいんだね。
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