束縛

07.声を殺しても

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 約束の日曜日。
 冬樹くんは一緒には行けないからと、待ち合わせ場所を指定してきた。
 指定されたのは、離れた街の駅だった。
 急行に乗って四十分ほどで着く、終点の大きな駅だ。
 時間も変で、正午に中央改札の前。
 わたしは電車に揺られながら、不安な気持ちと向き合って、心を落ち着かせようとした。




 終点の駅で、電車を降りる。
 中央の改札口は……あっちだ。
 広い構内を案内板を頼りに進んでいく。
 改札口の外側に、冬樹くんと海藤先輩の姿が見えた。
 二人と一緒に、もう一人男の人がいた。
 離れてはっきり見えない上に、普段着だからか年はわからないけど、高校生には見えない。若くは見えるから、大学生か社会人になりたてぐらい?
 とりあえず改札を出たら、冬樹くんが気づいて来てくれた。

「ちゃんと迷わずに来られたな。ちょっと心配したぞ」

 冬樹くんはわたしの頭を撫で撫でして『偉いぞ』って褒めた。
 あのね、わたし高校生なんだよ? 電車ぐらい一人で乗れる。
 おまけに降りる駅は乗り換えなしの終点で、待ち合わせ場所は案内板があちこちにある大きな駅の中央改札。これで迷うなら、よっぽどの方向音痴だ、失礼な。

「迷うわけないじゃない。いつまでも子ども扱いしないで」

 むくれて口をへの字に曲げたら、海藤先輩がくすくす笑った。
 隣の男の人も苦笑している。
 ん? この人見たことある。
 ううん、見たことあるどころか、よく知ってる!

「土倉(つちくら)先生!」

 わたしは驚きのあまり指をさして叫んでいた。
 途端に三人とも顔色を変えて、冬樹くんがわたしの手を引っ張って、慌てて駆け出した。
 駅近くの駐車場に止めてあった黒の乗用車に押し込まれて、全員が乗り込むなり、車は動き出した。
 何がなんだかわからなくて、心臓がばくばく鳴っている。
 わたしは押し込まれた後部座席から、運転席にいる土倉先生を見つめた。

 土倉大地(つちくら・だいち)先生は、わたし達の出身中学で国語を教えている先生だ。
 去年、中三だった時の、わたしのクラス担任でもあった。
 生徒指導に熱心で、独身で若い先生は、女生徒の憧れの的。
 わたしは冬樹くん一筋で特別な感情はなかったけど、バレンタインの時は友達と一緒に義理チョコを贈った。気さくで面倒見のいい人柄で、みんなから慕われている先生だった。

「桜沢、驚かせて悪かったな。今は運転中だし、説明はオレの家についてからゆっくりとさせてくれ」

 バックミラーに映っている先生の顔は困りきっていて、わたしは黙って頷いた。
 代わりに隣にいた冬樹くんの手を握った。
 握り返してくれた手の温もりが、わたしの不安な気持ちをやわらげてくれた。
 車は三十分ほど走り、高層マンションの駐車場に入っていった。
 わざわざ電車で遠くに来させたのは、知り合いに見られないようにするためらしい。
 会わせたい人って、先生のことだったのか。
 だけど、会うことを隠さなきゃいけないなんて変だ。
 三人の関係が、誰にも秘密なんだってことはわかったけど、先生がどう関わっているのか、わたしにはまだ想像がつかなかった。



 先生の家は、マンションの十二階だった。
 間取りは4LDKで、一人暮らしをするには広すぎる部屋だ。
 数年前までは家族で住んでいて、ご両親が県外に一戸建てを建てて引っ越してしまい、通勤にはここの方が便利だからと先生は残って一人暮らしを始めたのだと、エレベーターの中で説明してもらった。

 リビングに通されて、冬樹くんと一緒に二人掛けのソファに座った。
 海藤先輩は勝手知ったる様子で、お茶の用意をしていた。
 上等の茶葉を使って、急須で入れている。手馴れているのか、動きに無駄がなく、わたしは惚れ惚れと先輩の動きに見とれていた。

「昼はピザを頼むから、もうちょっと我慢してくれ」

 先生が電話をかけている間に、湯気の出ているお茶が出された。
 きちっとお茶菓子までつけてある。
 海藤先輩、奥さんみたい。
 先生が戻ってきて、ガラステーブルを挟んで正面に座った。先輩はその隣に寄り添うように膝を崩してくっついた。
 二人が親密な間柄であることを、その距離が教えてくれた。

「それじゃあ、順番に説明しようか。まずはオレが話すから、聞いてくれ」

 口を開いたのは冬樹くんだった。
 わたしは彼の話に耳を傾けた。

「始まりは、去年の春だ。高校に入った途端、オレはやたらと告白されるようになった。ちょうど今みたいな状況で、毎日誰かに呼び出されていた。もちろんオレには春香がいるから断り続けた。彼女がいるって言えば、大抵の子は諦めてくれた」

 中学の時でも、面と向かって告白する人は少なかったけど、冬樹くんはモテてたもんね。
 卒業式の前の日に、制服の第二ボタンを先にくれたっけ。
 本命のボタンがないのに、当日には全部のボタンをむしり取られていて、あ然としたな。

「火野に告白された時も、そう言って断った。だけどあいつは、彼女は誰だってしつこく聞いてきた。普通の女じゃ認めないとか言い出して、かなりヤバい感じだった。気に入らないヤツを影でいじめてるって噂もあったし、春香のことを知られたら、絶対何かしてくると思った。いくらオレが守ろうとしても、目が届く範囲には限界がある。みすみす危険に晒すとわかっていて、お前の名前を出せるわけがないだろう。それからも、火野は何度も詰め寄ってきた。穂高に相談することも考えたけど、無関係のあいつに迷惑はかけられないから一人で悩んでいた。夏子が声をかけてきたのは、ちょうどその時だった」

 冬樹くんの視線を受けて、話の続きを海藤先輩が引き継いだ。

「灯子との会話を偶然立ち聞きしたの。冬樹が困っているのを知って、彼女のフリをしてあげようかって声をかけた。わたしの方が灯子より友達も多いし、成績も上だったから、黙らせる自信はあった。その代わりに、冬樹にも彼氏のフリをしてもらう条件でね。お互い、恋人の存在を隠したいわけだから、わたし達の目的は一致していた」

 土倉先生がため息をついた。
 眉間に皺を寄せて、苦悩が滲み出る憂い顔をこっちに向けた。

「その隠したい恋人がオレだったわけだ。いくら愛があって、健全な付き合いをしていると主張しようが、中学教師が教え子に手を出すなんて許されないことだ。彼女の親や世間にバレたら免職はもちろん、引き離されるのは確実だ。卒業式の日に両思いになって付き合い始めてからは、会うことはおろか連絡を取ることすら自由にはできなくなった。二人が偽の恋人を演じ始めたと知った時も、オレには何も言えなかった」

 海藤先輩は、土倉先生にしがみついて涙ぐんだ。
 表立って付き合えない二人は、わたしと冬樹くんに似ていた。
 それでも、わたし達が交際を内緒にしていたのは冷やかされるのが嫌だっただけだし、毎日一緒にいられる空間と時間があり、交際を打ち明ければ互いの家族も認めてくれると楽観的な空気があった。先生と先輩ほど、つらいものじゃなかった。
 二人の感情が伝染してきたみたいに、いつの間にかもらい泣きをしていた。
 冬樹くんがわたしを抱き寄せて、頭を撫でてくれた。

「夏子と先生のことは秘密にする約束だったから、春香にも言えなかった。穂高には春香のことを話してたから、すぐに問い詰められてバレたけど、理解して黙っててくれてた。あいつには春香に事情を打ち明けないのはよくないって、一度ものすごい剣幕で怒られたことがあった。真面目だからかと思ってたんだけど、あれは春香のことを大事に思ってたからだったんだな」

 真実が明かされて、目の前を覆っていた霧が晴れていく。
 冬樹くんは裏切ってなんかいなかった。
 全部、わたしを守るためにしたことだったんだ。
 そのことが確認できて、嬉しくて、わたしは冬樹くんに抱きついていた。

 わたし達の様子を見て、海藤先輩が微笑んだ。

「春香ちゃん、今まで苦しい思いをさせてごめんなさい。でも、もう我慢しなくていいの。これからは冬樹の恋人だって、みんなの前で堂々としていていいからね」

 わたしは顔を上げて、海藤先輩を見つめた。
 我慢しなくていいって、恋人のフリをやめるってこと?
 確かに火野先輩はもう何もしてこないだろうけど、先生と先輩を取り巻く状況は変わらないままだ。

「だけど、恋人のフリをやめたら、先生と先輩はどうするんですか?」

 わたしの問いに、二人は互いを見交わして頷きあった。
 答えてくれたのは先生だった。

「時期が来るのを待つことに決めた。夏子が高校を卒業するまで会わないことにする。オレ達の気持ちが本物なら、一年半ほど会わないぐらいで別れたりはしない。これ以上、お前達に迷惑はかけられないからな。今までありがとう、そしてすまなかった」

 お礼は冬樹くんに、謝罪はわたしに向けてのものだった。
 二人の決意を聞いて、涙が鼻につんときた。
 このまま放っておけない。
 知ってしまったからには、知らないフリができなかった。

「会わないなんて言わないで! わたしは毎日でも冬樹くんに会いたい、会えなくなったら悲しい。だから、先生も先輩に寂しい思いをさせないで!」

 声を上げたわたしに、三人の驚きの視線が集まっていた。
 わたしはもらい泣きで出た涙を拭って、二人に笑いかけた。

「わたしなら大丈夫です。中学の時もずっと内緒の恋だった。残り一年半ぐらいどうってことない。わたしは毎日冬樹くんに会える。冬樹くんがわたしを好きでいてくれることだけが大事なことだから、誰にも知られなくてもいい」
「だめよ、そんなことできない」

 喜んでくれると思ったのに、海藤先輩はつらそうに顔を歪めた。

「学校に行けば、わたしと冬樹が恋人扱いされているのを黙って見ていなければいけないんだよ? 演技だとわかっていても、きっとつらくなる。わたし達のために、あなたが我慢する必要はないの」

 わたし、海藤先輩のこと好きになりそうだ。
 何かしてあげたいって気持ちが強く湧いてくる。
 みんなで幸せになれるなら、その方がいいに決まっている。

「もう決めたの。その代わり、冬樹くんに乗り換えて、先生と別れたらダメだからね」

 わたしは冬樹くんにしがみついた。
 冬樹くんは微笑して、わたしを深く抱きしめた。

「春香なら、そう言ってくれると思ったよ」

 海藤先輩は冬樹くんの大事な友達。
 困っているのを知って、放っておけるはずがない。
 元は取引から始まった関係でも、自分のことだけ解決しておしまいにするなんて、わたしの好きな彼なら絶対にしない。
 冬樹くんとわたしの気持ちは同じだった。
 今度は大丈夫。
 真実を打ち明けてもらえたから、何が起ころうとも、不安に怯えるようなことにはならない。

 わたしから、揺らぐことのない信頼を感じたのだろう。
 冬樹くんは視線を動かして、海藤先輩に話しかけた。

「春香がせっかく言ってくれてるんだ。夏子も好意は素直に受けてくれ。オレもお前が先生と会えないのに、目の前で春香とイチャつけるほど無神経じゃない。オレ達は毎日愛し合えるけど、そっちは今だってたまにだもんな。関わったからには、最後まで協力するよ」

 冬樹くんからも継続を申し出られて、困惑した様子の先生と先輩。
 やがて、二人は揃って頭を下げた。

「ありがとう、面倒をかけてすまないが、もうしばらく世話になる」

 この瞬間から、新たな秘密の関係が始まった。




 遅い昼食となったピザを食べ終わると、土倉先生はわたしと冬樹くんに客間を貸してくれた。
 帰る時間が来るまで、別々に過ごすことにしようってことらしい。
 客間にはダブルベッドが置いてあった。
 ご両親や友達が来た時のために、置いてあるんだって。
 ちゃんと寝具は変えてある。
 お風呂も使っていいって言ってくれた。
 すでに卒業したとはいえ、教師が教え子にそういうこと勧めていいのかな?

 二人っきりになると、さっそくと抱き合った。
 ベッドの上に転がって、キスを交し合う。
 服を脱ぐことはしなくて、そのままじゃれあっていた。
 よその家だし、冬樹くんもえっちしようとは誘ってこないよね。
 わたしはこういうので十分満足できる。
 好きなのは、えっちすることじゃなくて、冬樹くんなんだから。

「ねえ、冬樹くん。日曜日は海藤先輩のアリバイ作りでデートしてたの?」

 わたしの問いに冬樹くんは苦笑いを浮かべた。

「毎週ってわけじゃないけどな。近くの映画館とか遊園地で、それなりに仲いいフリして写真とか撮って、その後は電車で遠くに行って先生と合流する。オレは夏子が帰る時間が来るまで、図書館行ったり、バイトに行ったりして時間潰してた。送るところまでやっとかないと、夏子の家族に怪しまれるからな」
「そうだったんだ。バイトってどんなの?」
「ファーストフードの裏方に土日だけ入ってる。知り合いにバレないように、わざわざ遠くの街でだぜ。自分で稼いだ金で春香に指輪買ってやりたかったからさ。恋人だって周りに言えない代わりに、オレの気持ちを形にして示したかったんだ」

 冬樹くんは服のポケットを探って、小さなケースを取り出した。
 中に入っていたのは、わたしが選んだハートのリングだった。
 あの時選べって言ったのは、先輩へのプレゼントじゃなくて、わたしへのものだったんだ。

「冬樹くん、ありがとう!」

 嬉しくて飛びついたら、ころんと押し倒された。

「お礼は体で返してもらう」

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、冬樹くんはわたしの服を脱がせ始めた。
 ゆ、油断してた。
 早業で裸にされて、あちこち触られる。

「や、やんっ、くすぐったい」

 肌を舐められて、声を上げたら手で口を塞がれた。

「声出したら聞かれるぞ」

 こくこく頷いて、声を殺しながら再開したけど、覗かれているはずはないのに、扉のすぐ向こうに人の気配があるような気がして、羞恥から興奮が高まってくる。

「……く…ぅ……ひゃぁっ……うぅ……」

 押さえているつもりでも、声が出ちゃう。
 感度の高い胸の先端を舌で弄ばれて、腰を揺らしながら必死で堪えた。
 そんなわたしを、冬樹くんは恍惚とした表情で見つめていた。

「たまらないな、その顔に、声。何でだろうな、オレは春香じゃないと燃えない。小学校の中学年ぐらいで性に興味が湧いた時も、雑誌に載ってる際どい水着姿のグラビアアイドルより、色気のないお子様パンツ履いてる春香のパンチラですごい興奮した。変なんだよ、昔からどうしようもないぐらい春香しか見えてない」

 わたしでしか興奮しないって、嘘でしょう?
 しかも、そんな昔から、性の対象として見られていたなんて、ちょっと怖い。
 でも、好きな人にそこまで思われるのは素直に嬉しい。
 これでわたし達が好き合ってなかったら、イケメンの冬樹くんでも、ただの気持ち悪い変態さんに分類されてしまうところだ。世の中って微妙だなぁ。

「わ、わたしも冬樹くんじゃないと嫌。わたしに触れて……抱いていいのはあなただけ……」

 よがり狂わされながら、わたしは冬樹くんを求めて、彼とつながった。
 こぼれる声が次第に大きくなっていく。
 だめ、押さえなきゃ。
 先生や先輩に聞かれてしまう。
 恥ずかしくて、後で顔を合わせられなくなる。

 ふいに、リビングの方からテレビの音が聞こえてきた。
 わざと大きくしたみたい。
 我に返って、冬樹くんと見つめ合う。
 思わず噴出して笑い合い、わたし達は遠慮なく愛を交し合う行為に耽り始めた。




 帰り道、冬樹くんと海藤先輩に見送られてわたしは電車に乗り込んだ。
 二人は次の電車に乗って帰る。
 空いている車内の二人がけの席に腰をおろして、ホームにいる二人に手を振った。

 電車はすぐに動き出して、二人の姿が視界から消えた。
 窓から視線を離し、指にはめたリングに手を添えて、瞼を閉じる。

 帰り際に海藤先輩が教えてくれたことがある。
 冬樹くんは彼女について話す時、できる限り「夏子」とは言わず「彼女」と言うそうだ。

『オレは彼女一筋だから』

 告白の断り文句を言う時も、頭に思い浮かべるのはわたしのこと。
 真実が明かされていくたびに、冬樹くんの深い愛情を知る。
 一人っきりの帰り道だというのに、わたしの心は温かく幸せだった。

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