償い

第8話 婚約者

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 一日だけ兄妹に戻りたいとのわたしの願いをお兄ちゃんは叶えてくれた。
 だけど、それは全て演技で、彼はわたしの兄であったことを否定した。

 あれからお兄ちゃんは、わたしを避けるようになった。
 帰ってこない日もある。
 鳶坂さんの部屋に押しかけていく時もあるけど、理由のわからない日も多かった。
 女性用の香水の匂いがスーツに残っていることもあり、ちらつく女性の影に不安を覚えた。
 憎しみの感情が消えない限り、お兄ちゃんはわたしを手放さない。
 でも、復讐よりも大事にしたい存在に出会えたとしたら?
 わたしの価値はなくなる。
 お兄ちゃんに捨てられる。
 そんなの嫌だ。
 彼に安らぎと幸せをと願っているのに、本心ではその時が来ることを恐れていた。
 自分の中に宿る醜い感情に吐き気がした。
 わたしはお兄ちゃんを愛している。
 愛されなくてもいいなんて、ただの強がりだった。
 愛して欲しい。
 昔のように、雛が一番好きだと言って欲しかった。




 心の中には常に嵐が渦巻いていても、日常は平穏に過ぎていく。
 今日も大学での一日は何事もなく終わった。
 外に出て、鳶坂さんの姿を探す。
 彼は構内のベンチで、文庫本を読みながら待っていた。
 あまりにも自然体だからか、部外者だと咎められたことはないらしい。

「鳶坂さん、お待たせしました」
「お帰り、雛ちゃん」

 合流すると、鳶坂さんは構内にある駐車場の方へと歩き始めた。

「そっちは駐車場ですよ。今日は車なんですか?」

 わたしの問いに、鳶坂さんは頭を掻いた。
 あまり気乗りしていない様子で、言いにくそうに口を開く。

「今日は社長が一緒なんだ。雛ちゃんと話したいことがあるんだって」
「社長って、隼人さんが?」

 鷲見隼人さん。
 つぐみさんの再婚相手で、お兄ちゃんの義父となった人。
 年齢もまだ四十代半ばで、外見も若々しく、三十代と言っても通じそうなぐらい。
 常にスーツをスマートに着こなし、品のいいコロンの香りを漂わせている。話術も巧みで落ち着きがあり、聞くもの全てを納得させて安心感を抱かせる、揺るぎない自信を備えた声をしていた。
 お兄ちゃんも隼人さんは特別みたいで、助言をされれば反発することなく聞き入れる。
 お父さんとはケンカばかりしていたのにね。
 過去の経緯を考えれば仕方ないのかもしれないけど、本当の親子なのに、お兄ちゃんとお父さんを隔てる溝は深く大きい。
 隼人さんとお兄ちゃんを見ていると、悲しくなるのはそのせい。

 駐車場には白のリムジンが止まっていた。
 ああ、目立つ。
 目立っている。
 建物や車の陰から、たくさんの視線が注がれているのを感じた。

「こんにちは、雛ちゃん」

 隼人さんはわたしに気がつくと、窓から顔を覗かせて手を振った。

「隼人さん、お久しぶりです」
「とりあえず、乗って。話は車の中でしよう」
「はい」

 ドアを開けてもらって、鳶坂さんと一緒に乗り込む。
 わたしは隼人さんの隣に座り、緊張気味に姿勢を正した。
 考えてみれば、隼人さんと二人で会うのは珍しいことだ。いつもは、お兄ちゃんかつぐみさんのどちらかが一緒だった。
 子供の頃、隼人さんはお兄ちゃんを連れて行くついでに、わたしも一緒に南の島とか軽井沢の別荘などの珍しい観光地に連れていってくれた。
 隼人さんもつぐみさんも、いつも親切にしてくれた。
 二人にとって、わたしは邪魔な存在でしかなかったはずなのに、お兄ちゃんの妹として扱ってくれていた。
 真実を知った後、わたしはそのことが不思議でたまらなかった。

 車が走り始めると隼人さんが話し始めた。

「今日は雛ちゃんに聞きたいことがあってね。鷹雄には私の方から連絡を入れておいたから、夕食に付き合ってくれないかな」

 お兄ちゃん公認とあれば、わたしに断る理由はない。
 承諾して、ついていくことにする。
 隼人さんはにっこり微笑み、ふと何かを思いついたのか、運転手さんに改めて行き先を指示した。
 どこかのお店に寄るみたい。

「さっそく本題に入るが、家での鷹雄の様子はどうかな? 変わったことはないかい?」
「いいえ、特に気になるようなことは何も。ただ、忙しいみたいで帰ってこない日が多くて……」

 答えに迷って、口を濁した。
 気になることはあるけど、隼人さんは何も知らないみたいだし、言ってはいけないような気がする。

「どうして、そんなことを聞かれるんですか?」

 問い返したわたしに、今度は隼人さんが声を詰まらせた。
 この人には珍しく、言っていいものか悩んでいるみたいだった。

「雛ちゃんはまだ聞いていないのかな。鷹雄が婚約するって言うんだよ。相手はうちの取引先のお嬢さんで、条件的にも良い話ではあるんだが、今までのことを考えると腑に落ちない点が多くてね」

 お兄ちゃんが婚約。
 そんな話は聞いてない。
 緊張と動揺で、どくんと心臓が跳ねた。

「鷹雄とケンカでもした?」

 投げかけられた問いに、首を横に振る。
 隼人さんは顎に手を当てて、思案顔になった。

「そうか、どうやら私の思い違いだったようだね。鷹雄はてっきり君と一緒になる気だと思っていたからさ」

 え?
 何を言ってるの?
 わたしとお兄ちゃんが?
 まさか、そんなことあり得ない。

「わたしとお兄ちゃんはそんな関係ではありません。縁談のお邪魔になってしまうようなら、わたしはすぐに実家に戻ります」
「いや、婚約と言っても、まだ話が出ているだけだ。それに万が一結婚へと話が進んでも、新居は別に用意することになる。雛ちゃんさえよければ、引き続きあのマンションに住んでくれてもいいんだ。ご両親もまだ会社の建て直しの最中で、金銭的にも余裕はないんだろう? 鷹雄にとって君達は大切な家族だ、私は彼の父として援助は惜しまないつもりだ」

 隼人さんはわたしの腕に手を置いて、落ち着くようにと諭した。

「君に確かめたかったことはそれだけだよ。本命にフラれてヤケになって結婚するのでなければ、私も口を挟む気はない。余計な話を聞かせてしまったお詫びに、今夜は最高のディナーをご馳走しよう」

 隼人さんに、ぎこちなく笑顔を返す。
 お兄ちゃんが他の女の人と結ばれる。
 いつか、こんな日が来ることがわかっていたはずなのに、想像するだけで悲しくて苦しかった。




 隼人さんは途中でブティックに立ち寄り、わたしの服と靴を揃えてくれた。
 見立ててもらったのは、淡いピンクのワンピース型のスーツ。靴とアクセサリーは店員さんが服に似合うものを選んで持ってきた。
 一流ホテルのレストランで食事と聞いて、大学帰りの普段着姿では入り口で門前払いされそうなので、わたしもおとなしく従った。
 服が揃うと次は美容室。
 髪型もお化粧も直されて、それなりに見栄え良い格好に整えられた。

「綺麗だよ、雛ちゃん。今夜は君を娘のつもりでエスコートさせてもらおう」

 隼人さんのお世辞に、わたしは照れ笑いを浮かべて頷いた。

 ホテルに到着すると、支配人自ら出迎えに来てくれた。
 このホテルも傘下企業の一つだそうで、下にも置かない丁寧な歓迎を受けた。
 隼人さんが差し出してくれた腕に手を添えて、レストランへと入っていく。
 実業家や著名人が贔屓にしているお店なのか、隼人さんはあちこちで声をかけられていた。
 席についても、挨拶に来る人が後を絶たない。
 彼らの視線が時々わたしにも向けられる。
 その内の一人がついに尋ねた。

「失礼ですが、こちらはどちらのお嬢さんですか? 鷲見社長は大変な愛妻家と聞いておりましたが、本日は奥様には内緒で?」

 言外に愛人ではないかと匂わしてくる。
 近くの席で聞き耳を立てている人もいた。
 隙あらば隼人さんの弱みを握ろうと探ってるんだ。

「彼女は妻の古い友人のお嬢さんでね。昔から家族ぐるみで付き合いがあるんですよ。もちろん妻も今日のことは承知しています」

 隼人さんの説明はつけいる隙のないもので、それ以上の追求はされなかった。
 後ろめたいものがないことは、堂々とした彼の態度が立証している。
 挨拶を終えた人達が立ち去ると、隼人さんはわたしに向き直った。

「つぐみも来たがっていたんだけどね。奥様には、奥様の付き合いがあるんだよ」
 
 隼人さんは笑って説明してくれた。
 つぐみさんは会社の取引先の社長夫人達に誘われて、泊まりがけで旅行に行っているそうだ。
 鷲見家と繋がりを持ちたがっている人は大勢いる。
 つぐみさんも大変そうだな。
 お兄ちゃんの奥さんになる人も、きっと……。

 考えたくない。
 お兄ちゃんが他の人を愛する姿なんて見たくない。
 膝の上で、ぎゅっと両手を握り締めた。
 隼人さんに、この気持ちを知られてはいけない。
 わたしは妹として、祝福しなければならないんだ。




 ふと顔を上げて、視線が釘付けになる。
 レストランにお兄ちゃんが入ってきた。
 彼はこちらには気づかずに、案内について近くのテーブル席へと移動していく。
 後ろには女の人がいた。
 華やかな暖色系のミニドレスを来て、ふわふわの白いショールを首に巻いた綺麗な人だった。
 モデルのような完璧な脚線美を誇示するかのごとく見せつけながら、優雅に歩を進めている。

「隼人さん?」

 お兄ちゃんがこちらに気がついた。
 わたしには気づいていない。
 隼人さんの姿を見つけて、声をかけたんだ。
 隼人さんが立ち上がり、片手を上げてお兄ちゃん達に歩み寄った。

「鷹雄もここで食事かい? それにそちらは駒枝さんだね。写真でお顔は存じていましたが、見合いの件は鷹雄が一人で進めていたもので、直接話すのは初めてですね」
「はい。ご挨拶は婚約が本決まりになってから、父と共にお伺いしようかと思いまして、ご遠慮しておりましたの。はじめまして、雁野駒枝です」

 雁野さんは優雅な物腰を崩すことなく、隼人さんに挨拶をした。
 派手なだけではなく、作法も完璧だった。
 彼女はちらりとわたしに目をやり、「そちらは?」と尋ねた。
 お兄ちゃんの視線も同時に動く。
 余計なことは何も言わない方がいいんだろうな。

「彼女は小鳥雛さんといって、昔から家族ぐるみで懇意にしている女性だ。婚約の話が進めば、彼女の素性も含めて改めて紹介させていただくよ」

 隼人さんに紹介され、わたしも席を立って会釈をした。

「はじめまして、小鳥雛です」

 気の利いた挨拶も思い浮かばず、型通りの言葉しか出てこなかった。
 雁野さんは微笑み、口元に手を当てた。

「あなたとは長い付き合いになりそうですね。よろしくお願いいたします」

 含みを込めた言い回しに、勘が働いた。
 この人は気づいている。
 わたしがお兄ちゃん達の単なる知人でないことに。

「あの、申し訳ありませんが、少し席を外させていただきます」

 わたしは席を立ち、非礼を詫びてレストランから出た。
 バッグを持ってきたから、化粧室だと察してくれればいいけど。
 時間を置いて戻れば、お兄ちゃんと雁野さんは別の席に移動しているはず。
 お兄ちゃんだって、彼女とわたしが同じテーブルで食事をすることを良くは思わないだろう。
 時間を稼ぐつもりで廊下に出たのに、わたしのすぐ後に彼女は出てきた。

「小鳥さん、あなたに前もってお話ししておきたいことがあるの。よろしいですか?」

 ぎくっと強張って振り向く。
 嫣然と微笑む雁野さん。
 彼女はつかつかと歩み寄ってくると、わたしの前に悠然と立った。

「失礼ですけど、あなたは中流かそれ以下の家庭でお育ちになったのではない? わたしにはわかるの、その服も髪も、急ごしらえの飾り物みたい。このような場に慣れてはいないのね」

 雁野さんの指摘は的を射ていた。
 わかる人にはわかるんだ。
 本物を見抜く洞察力を彼女は持っている。

「生まれや育ちをどうこう言う気はないのよ。だけどね、だからこそわかることもある。懇意にしているとはよく言ったものね。奥様の公認で、親子を相手にしているわけ? どんな事情を抱えているのか知らないけど、あなたも大変ね、同情するわ」

 何を言われているのか、わからなかった。
 きょとんと瞬きしていると、雁野さんはぷっと吹き出した。

「やだ、本気でわからないの? まあ、顔はかわいいから、傍に置いてかわいがりたくなるのもわかるわ。それも長くは続かないでしょうけどね」

 朧気にだけど、彼女の言っていることが理解できた。
 この人は、わたしが隼人さんとお兄ちゃんの愛人だと思ってるんだ。
 そして、若さを失えば捨てられるんだと哀れんでいる。

「違います。わたしと隼人さんはそんな関係ではありません」
「じゃあ、鷹雄さんの方かしら? 一応、そういう意味のことは聞いているから、隠さなくてもいいわよ」

 話についていけない。
 この人はどうして平然としているの?
 お兄ちゃんと婚約しようとしているのに、愛人がいても平気なの?

「何を驚いているの? まさか、ヒステリックに「この泥棒猫!」とか言って、ひっぱたくとでも思った? わたしの父親もよそに愛人いっぱい抱えてる人でね。そういうことは割り切ってるつもりだけど、子供もやたら多くて相続問題やら女同士の確執で泥沼だから、そういった事態だけは避けたいの。面倒ごとは嫌いだしね」
「どうして愛人を認められるんですか? お……、た、鷹雄さんのことを愛しているんじゃないんですか?」

 雁野さんは首を傾げて、不思議そうにわたしを見つめた。

「おかしなことを言うのね。それでお払い箱になったら、困るのはあなたでしょう? わたしはね、愛なんて信じていないの。男女の間には欲と駆け引きしか存在しない。わたしが鷹雄さんとの婚姻で得るものは、パートナーとしての責務を果たすことと引き換えに、有り余るほどの財産を自由に使う権利よ。その権利を脅かす存在でなければ、愛人が何人いても構わない。むしろ、いて欲しいぐらいよ。わたしの代わりに、彼のご機嫌取りをやってくれるならね」

 彼女の言葉にショックを受けた。
 この人じゃだめだ。
 結婚してもお兄ちゃんは幸せになれない。
 お兄ちゃんに必要なのは、心から愛してくれる人なんだ。
 財産目当てで選ぶなんて、彼じゃなくてもいいんだ。
 お兄ちゃんはこのことを知ってるの?

「愛だ何だと口にする所を見ると、まだ夢を見たいお年頃のようね。彼と恋愛ごっこがしたいなら、いくらでもイチャついていいわよ。だけど、出しゃばらないように気をつけなさい、本妻の立場まで譲る気はないからね」

 彼女は哀れむような目をわたしに向けて、唇を笑みの形にゆがめた。
 勝利を確信した、優越感に満ちた顔。
 わたしは怒りで我を忘れた。
 お兄ちゃんを不幸にする存在は許さない。

「あなたは彼に相応しくない!」

 自分でもどこから出たのかわからない大声が出た。

「そんな気持ちで彼に近づかないで! 条件とかお金とか、そんな価値だけで彼を見ないで! ちゃんと彼の心と向きあって、愛してくれなきゃだめなのよ!」

 雁野さんはあ然とした顔で立ち尽くしていた。
 息を弾ませて、彼女を睨みつけたわたしは、その後ろにお兄ちゃんの姿を見つけて狼狽した。
 今の会話を聞かれた?
 お兄ちゃんは近づいてくると、わたしと雁野さんの間に割って入った。

「渡、雛を連れて行け。隼人さんにはオレから言っとく」

 いつの間にか傍に来ていた鳶坂さんに、お兄ちゃんはどこかの部屋のものらしきカードキーを渡した。
 そうしてわたしの腕を掴み、鳶坂さんの方へと押しやった。
 肩を彼に支えられて、呆然とお兄ちゃんを見つめる。
 お兄ちゃんは雁野さんを連れて、レストランへ戻っていった。
 一度もわたしを振り返ってくれなかった。
 お兄ちゃんはあの人を選んだんだ。

 どうして、あの人なの?
 お兄ちゃんのことを条件でしか見ていない人なのに。
 愛していないのに愛される彼女と、愛しているのに愛されないわたし。
 わたしが選ばれないことぐらい、わかりきっていたことだった。
 でも、苦しい。
 心が引き裂かれそうに痛い。

「雛ちゃん、部屋で休もう。こっちにおいで」

 鳶坂さんが倒れそうな体を支えて、案内してくれた。
 彼がつれてきてくれたのは、上階のスイートルーム。
 カードキーは、この部屋のものだった。

「夕食を食べ損ねたし、ルームサービスでも頼むかい?」
「いいえ、今は何も食べたくありません」

 鳶坂さんが心配して勧めてくれたけど、喉に何も通らない。
 落ち着くようにと差し出された冷水がおいしかった。

「鷹雄も後でくるはずだから、お風呂にでも入ってゆっくりしてなよ。オレは別の部屋で待機しているから、携帯で呼んでくれたらすぐ来るよ」

 鳶坂さんが出て行って一人になった。
 とりあえずお化粧を落とし、衣服を脱いで、バスルームに入った。
 大理石の床に、ジャグジー付きの大きな浴槽。
 備え付けの入浴剤を入れて、お湯につかった。
 膝を抱えてじんわりと肌を暖める。
 涙がお湯の中に落ちた。

「……う…ぇ……、ふうぅ……」

 さっきの冷たいお兄ちゃんの態度を思い返して、涙が溢れてくる。
 今まで耐えてきた感情が、壁を壊してこぼれだす。
 愛されないことが、こんなに苦しいなんて思わなかった。




 お風呂から出て、下着の替えがないことに気がついた。
 鳶坂さんにお願いすれば手配してくれるだろうけど、今は連絡を取る気にはなれなかった。
 裸にバスローブだけを着て、ベッドに入る。
 心が疲れきっていたせいか、すぐに意識が消えていく。
 どんなに償っても償いきれない罪なら、いっそいなくなった方がいいのかもしれない。
 彼の前から、永遠に姿を消したい。

「お兄ちゃん、ごめんなさい……」

 わたしではあなたを救えない。
 どうすれば償えるの?
 あなたから奪った幸せを、どうすれば返してあげられるんだろう。
 夢の中でも、あなたは憎しみに囚われた目でわたしを見る。
 解放してあげたい。
 その苦しみから、解き放ってあげたいのに、わたしは無力だ。

 冷たい闇に暖かな光が差し込んだ。
 体を優しく包み込まれる。
 頭に頬に、温もりが触れる。
 わたしは知っている。
 この温かさをずっと昔から知っていた。
 確かめようと、わたしは重い瞼を上げた。




 わたしが起きたことに気づくと、お兄ちゃんは頬に触れていた手を離した。

「お兄ちゃん、どうしてここに? 隼人さんは? それに……」
「隼人さんと駒枝なら帰ったよ。ここは今夜のオレの宿だ。誰かさんのおかげで、予定が大幅に狂っちまった」

 不機嫌に説明するお兄ちゃんを見て青くなった。
 わたしのせいだ。
 今夜は雁野さんと過ごすつもりだったのに、邪魔をしてしまったんだ。

「ごめんなさい。あの人、お兄ちゃんの……なのに……」

 婚約者って部分だけ声が掠れて出なかった。
 お兄ちゃんは仏頂面を向けたまま、両手でわたしの頬を挟んだ。
 そのまま噛み付く勢いでキスをした。

「躾けのなってないペットにはお仕置きが必要だ。謝罪がしたいなら、体で償え」

 そう言って、ネクタイを外してシャツを脱ぎ捨てると、お兄ちゃんはわたしの体をベッドに押し付けた。
 再び唇が重ねられ、彼の手がバスローブの前を割って胸に触れた。
 膨らみを揉まれ、指が先端を弾く。

「うぁっ」

 これだけで感じている。
 お兄ちゃんは、わたしのバスローブを脱がせると、覆いかぶさってきた。

 肌に幾つも赤い痕がついていく。
 彼の舌がつつっと脇の方へと滑っていく。
 そうかと思えば、乳房へと戻ってくる。
 乳首が尖りきってしまったのは、空気に触れたせいだけではない。
 唾液に濡れた舌で弄ばれるたびに、ぴくんぴくんと体の奥が疼いて腰が跳ねた。

「はぁ、あんっ、……あうっ……ん……」

 何度も達して、荒い息を吐く。
 肌が敏感にお兄ちゃんを感じてる。
 触れられただけで、電気が走ったみたいに痺れていく。

「まだ入れてもいないのに、イキまくってんのか? 雛はどうしようもないスケベだな」

 耳朶を舐められ、嘲りの言葉を囁かれた。
 押し殺した笑い声を立てて、お兄ちゃんはわたしの首の付け根の辺りに顔を埋めた。
 ぺろっと生暖かい感触がする。

「あ…ぅん……、はぁ…あん……」

 首の下にお兄ちゃんの右腕が滑り込んだ。
 頭に手が置かれて、ぐいっと引き寄せられる。
 横になった彼に寄り添って、腕枕されている格好になっていた。
 すぐそばに、お兄ちゃんの瞳があった。
 とても穏やかな眼差しでわたしを見ている。
 先ほどまでの荒々しさが嘘みたいに消えて、唇を静かに重ねられた。
 勢いはなくて、愛でるみたいにゆっくりと。
 舌を差し出すと迎えてくれた。
 瞼を閉じて、貪りあった。

「…ぅはぁ……ぅん……」

 どうしたの?
 お兄ちゃんが優しい。

 彼の手が胸の膨らみに触れた。
 指先で乳首を捕らえられ、全体をやんわりと揉まれた。
 背中にも指がすべっていき、感じるラインをなぞっていく。
 気持ちいい。

 腕枕がなくなって、仰向けにされて向かい合った。
 上になったお兄ちゃんが、わたしの肌にキスをしてくる。
 そうやって上半身を彷徨っていた舌が、下へ向かって移動し始めた。
 お腹を伝い、足の間の茂みを抜けて、秘裂へと到達する。
 太腿が抱え込まれ、彼の頭を挟み込む形で固定された。
 無防備なそこに、お兄ちゃんが舌を入れてきた。

「ああんっ」

 濡れ始めた泉が潤っていく。
 お兄ちゃんの頭に手を置いて、喘ぎをもらす。

「お兄ちゃん、やぁ、イッちゃうよぉ。おかしくなるぅ」
「嫌なのか? やめてやってもいいぞ」

 お兄ちゃんの頭が離れかけたのを、わたしは手に力を入れて止めた。

「やめないで……、いいの、気持ちいいの……」

 懇願の声は聞き届けられて、愛撫が再開された。

「うっ、あっ、ひぅ……っ! あ、ああっ」

 敏感な突起が舌でつつかれて、さらに大きく腰が動く。
 ぐちゅくちゅと潤った割れ目がかき回されてる音が聞こえた。

「雛、気持ちいいか?」
「うん、いいよぉ……、夢の中にいるみたい」
「そうだ、雛は夢を見ている。それでいい、何も考えるな、お前は気持ちよくなってればいいんだ」
「うん、うん……」

 夢中になって、従順に頷く。
 お兄ちゃんは秘所から指を抜くと、体を起こした。

「入れるから、力抜け」

 ぼやぁとした頭に指示が下る。
 すとんと体の力を抜いて、彼が入ってくるのを待つ。
 お兄ちゃんの一部が、わたしの中を満たしていく。
 覆いかぶさってくる体にしがみつき、一緒に動いた。

「……ぅ…はぁ…、……雛、平気か?」

 行為の最中に、お兄ちゃんが体を気遣う言葉をかけてくれた。
 初めてだった。
 普通の恋人に接するみたいに、彼はわたしを労わり、キスをした。
 嬉し過ぎて、死にそう。
 そうだ、これは夢なんだよね。だから、お兄ちゃんは優しいんだ。

「大丈夫だよ。お兄ちゃんこそ、気持ちいい? わたし、何でもするよ。お兄ちゃんのためなら、どんなことでもするから……」

 わたしを捨てないで。
 最後に出かかった言葉を飲み込んで、代わりに強く抱きついた。
 わたしの中を満たすお兄ちゃんが動く速度が次第に早くなってくる。
 お兄ちゃんが達して、呻くような声を上げた。
 わたしの中で気持ちよくなってくれたんだ。
 満足感で胸がいっぱいになり、微笑みが浮かぶ。

 後始末を終えると、お兄ちゃんはわたしを抱きしめて眠ってしまった。
 肌と肌を触れ合わせ、互いの熱で温まりながら、幸せな気持ちでわたしも瞼を閉じた。




 翌朝、ベッドの中にいたのはわたし一人で、お兄ちゃんの姿がないことに不安を覚えた。

「お兄ちゃん、シャワー浴びに行ったのかな?」

 バスローブを着て隣の部屋に移動すると、ソファの上に、女性用の下着が用意されていた。
 昨夜はなかったはずだから、寝ている間に用意してくれたんだろう。
 お兄ちゃんはいないみたいだし、とりあえず着替えよう。

 シャワーを浴びて、髪を乾かしてから、下着を替えて昨日の服に着替える。
 お化粧を整え、身支度を終えると、バッグから携帯を取り出した。
 鳶坂さんの番号を呼び出しかけて、ドアが開けられたことに気づく。
 お兄ちゃんが戻ってきた。
 呼び出しを中止して、携帯はバッグに戻した。

「お兄ちゃん、置いてあった下着に着替えちゃったけど、良かった?」
「それはお前にやるよ、返されても困る」

 お兄ちゃんはそっけなく答えて、戸口にもたれかかった。
 わたしを見つめる瞳には、暗い炎が宿っていた。
 真実を告げてわたしを犯した時と同じように、憎しみを伴う負の感情がお兄ちゃんの中に渦巻いていることを感じた。

「手切れ金代わりにマンションはくれてやる、名義も書き換え済みだ。大学卒業までの学費は出してやる。もちろん、親父達への援助も続ける。後腐れなく別れたいからな」

 わたしは声を出せなかった。
 別れたいって言ったの?
 そうだ、お兄ちゃんは婚約するんだ。
 雁野さんがわたしを気に入らなかったから、もう傍に置く気がなくなったんだ。

「マンションはいらないよ、実家に帰る。わたしはお父さん達を助けるためと、お兄ちゃんに償うために傍にいたんだもの。わたしは何もできなかったけど、お兄ちゃんが雁野さんと幸せになってくれることを祈っているから」

 声が震えていた。
 泣いてはだめだ。

 お兄ちゃんの目が鋭く細められた。
 苛立たしく足を踏み鳴らすと、ドンッと強く壁を叩いた。
 びっくりして竦みあがる。
 お兄ちゃん、怒ってる。

「償うためだと? オレの幸せを祈っているだと? ふざけるな、お前はどれだけオレを振り回せば気が済むんだよ!」

 わたしには彼の怒りが理解できなかった。
 何があったのか、問うこともできない。
 そして、昨夜の触れ合いは夢だったのだと納得した。
 わたしはお兄ちゃんに憎まれる存在だ。
 あれはわたしの願望が見せた幻だ。
 目の前にいるお兄ちゃんの姿が、現実を教えてくれた。

「婚約の話はなくなった。お前みたいな面倒な愛人がいる男は願い下げだとよ。残念だったな、オレが他の女とくっつけば、解放されると喜んでたんだろ? 望み通り、解放してやる。金は好きなだけくれてやるから、二度とオレの前に現れるな!」

 婚約の話がなくなった?
 わたしのせいで……。

 違うよ。
 お金が欲しいんじゃない。
 解放されたかったわけじゃない。
 わたしはお兄ちゃんに幸せになって欲しかっただけなのに。

「待って、お兄ちゃん! わたしは……」

 追いすがろうと伸ばしたわたしの手を振り払い、お兄ちゃんは無言で部屋を出て行った。

「行かないで、お兄ちゃん!」

 追いかけて廊下に出たら、鳶坂さんがわたしの前に立ちはだかった。

「行かないほうがいい。今の雛ちゃんじゃ、行ってもムダだ」
「どいてください! お兄ちゃんが、お兄ちゃんが行ってしまう!」

 鳶坂さんは、わたしの体を抱えて行かせまいと邪魔をした。
 彼の腕の中で、暴れてもがいた。

「落ち着いて、雛ちゃん。あいつにも君にも、時間が必要なんだ。オレに任せて、悪いようにはしないから」

 優しく諭されて、わたしは暴れるのをやめた。
 涙がこぼれ落ちてくる。
 鳶坂さんが頭を撫でてくれた。
 その仕草がお兄ちゃんを思いださせて、わたしの涙は乾くことなく流れ続けた。

渡の独り言

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