わたしの黒騎士様

エピソード2・おまけ 副団長のバカップル観察記録

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 盤上の駒を進めるたびに、目の前にいる後輩がため息をつく。
 憂いの漂う表情であさっての方を向き、時々意識がこちらに戻ってくるものの、戦略は行き当たりばったりで簡単にこちらの術中にはまっている。
 このように思考の大半を他の考え事に費やしている相手に負けるほど、私は落ちぶれていない。
 ぬかりなく、こちらの有利に駒を進め、最後の一手を決めた。

「チェックメイト」

 勝利の宣言も、単なるゲーム終了の合図でしかない。
 つまらない。
 今夜、彼を招いたのは失敗だった。

「あれ? もういいんですか?」

 盤と駒を片付け始めた私を見て、ノエルが驚きの声を上げた。
 それはそうだろう。
 いつもは最低でも五ゲーム近く付き合わせる私が、一ゲームでお開きにするのだから。

「やめておくよ、今夜の君はゲームを楽しめる状態じゃない」
「すみません……」

 私の言葉にハッとしたノエルは、主人に叱られた犬のごとく俯いた。
 怒っているわけではないのだが、そう受け取られてしまったようだ。

「チェスはまた今度にしよう、それより悩みがあるなら話してみなさい。これでも私は副団長だ、力になれるかもしれない」

 悩みと問われて、ノエルは姿勢を正した。
 はあっと大きなため息をついて、しばし沈黙した後、腹を決めたのか、顔を上げた。

「オレの初恋は、近所の遊び友達の女の子でした」
「え? ああ、それで?」

 なんだろう?
 恋愛の相談か?
 故郷に置いてきた彼女が浮気して三角関係で修羅場とか、家族が反対していて引き裂かれそう、などといった重い話だったら困るな。

「次の恋は学校のクラスメイトの女の子で、その次はパン屋で働いていたちょっと年上のお姉さんで……」

 ノエルは恋の遍歴を五つほど挙げ、一度言葉を切った。

「このように、オレは女性が好きなんです。自分はノーマルだと思ってました。ここであいつに出会うまでは……」

 ん?
 この流れはひょっとして、あれか。
 例がないわけでもないので、すぐに思い当たった。

「うん、まあ、長い人生そういうこともあるよ。異常ってわけでもないし、気にすることはない。ただ、相手の気持ちは尊重してあげないとね。気持ちを伝えずに、片思いで終わる恋にしておいた方がいいこともある」

 先輩らしく威厳を繕い、忠告を口にする。
 忠告……、というのもおこがましいか。
 ようするに黙っていろ、面倒を起こすなと、私は自分の意見を述べたに過ぎない。

「わかっています。こんな気持ちに気づかれたら、あいつはオレを軽蔑するでしょう。あの澄んだな湖水のごとく清らな瞳が、侮蔑を込めた眼差しに変わる瞬間が怖い。そんなこと、耐えられない。そのためには、この想いを封印してしまった方がいいんですね」

 そうだとも、黙っているのが一番だ。
 普通の告白より、成功の確立が低い上に、断られたらその後の生活が悲惨なものになる。
 私の考えは正しい。
 いらぬ傷心を味わうより、どうせ叶わぬ恋だと諦めて、密かに想いを美しく昇華した方がいい。

「ところで相手は誰なんだい? トニーだとしたら、同室だし、色々困るだろうから部屋替えを考えても良いけど」
「違いますよ。確かに目の色は同じですけど、トニーは弟みたいなものです。そういう対象にはなりません」

 トニーではないなら、他に彼と親しくしているのは……。

「キャロル?」

 私が口にした名に、ノエルは露骨に反応した。
 びくっと肩が揺れ、顔が真っ赤に染まる。

「あ、うぅ、その……はい」

 ごまかす素振りを見せたものの、観念したのか彼は認めた。
 なるほど、キャロルか。
 それなら納得がいく。
 だって、あの子は女の子なんだ。
 君はノーマルなんだと言ってやりたいが、彼女の秘密を勝手にもらしていいとも思えないので黙っておく。
 それにどちらにしても彼の恋は叶わない。
 キャロルはすでに、レオンのものなんだから。

「今は正騎士になることだけを考えて、訓練に励むといい。君は若いんだ、そのうち新しい出会いが訪れるさ」
「ありがとうございます。グレン様に話して良かった。一人で抱えるにはつらくなってきたところだったんです」

 素直に感謝されて、内心複雑だった。
 私は何もしていない。
 願わくば、この罪なき純情な青年が傷つくことのないように神に祈るばかりだ。




 ノエルから胸に秘めたキャロルへの恋心を吐露されてから、数日後のこと。
 私とレオンは用事で白騎士団の敷地内を訪れ、アーサー=メイスンと会った。
 レオンはメイスンを視界に入れるなり、不快感を露わにした。
 相手の方は、喜色満面で手など振って駆け寄ってくるというのに、とんでもない意識の差だ。

「やあ、レオン! 私に会いに来てくれたんだね!」
「オレは仕事でこちらに来ただけだ! お前の顔なんぞ見たくもなかった!」

 容赦がないな。
 仕方ないと言えば、仕方がないんだけど。

 だが、メイスンはさほどダメージを受けていない。
 彼らはいつもこんな感じだ。
 レオンが律儀に反応して突っかかっていくものだから、会話は成立している。
 メイスンはそれで満足しているのだろう。
 ポジティブというか、よくわからない男だ。

「そうだ。さっき、黒騎士団のすごくかわいい従騎士さんに会ったよ。お別れが寂しかったから、記念に頬にキスしたら、恥ずかしがって逃げてしまった。金髪碧眼で肌も白くて天使みたいなかわいい子だったな」

 金髪碧眼の天使みたいな、かわいい従騎士?
 特徴で該当する人物を頭に浮かべて、次々消していく。
 基本的に騎士団員は大柄で筋肉質な男が多い。天使みたいな……という表現が使われている以上、小柄で華奢な細身のタイプだろう。……そんな子、この条件では一人しかいないじゃないか。
 隣の様子を窺うと、レオンのこめかみには怒りで青筋が浮かんでいる。
 彼も見当がついたようだ。
 メイスンの言う天使に。

「キャロルは素直そうでいい子だね。あの子にお世話をしてもらえる君達が羨ましいよ」

 ああ、やっぱり。
 キャロルの名が出た途端、レオンが動いた。
 へらりとした笑みを浮かべるメイスンの顔面に、レオンの拳が力強く入る。

「貴様、キャロルに手を出したのか!」

 頬にキスはしっかり聞き取っていたらしい。
 激怒したレオンはメイスンを殴りつけて、胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。

「あいつには近づくな! 二度目はない! 手を出したら、ぶち殺す!」

 穏やかならぬレオンの剣幕に、さすがのメイスンも怯んだようだ。
 いつもの軽口さえもたたく事を忘れ、驚いた顔で止まっている。
 しかし、沈黙も数秒だけ。
 彼は元の飄々とした表情に戻ると、服を掴んでいるレオンの手を外し、殴られた頬に手をやった。

「そう怒らないで欲しいな、ちょっとした挨拶のつもりだったのに。親愛の情を込めたスキンシップだよ、それ以上のことは同意がなければする気はない。君がくれた教訓だよ、レオン」

 そうだ。
 六年前に、メイスンは身を持って知ったのだ。
 若気の至りで、その気のない人間を押し倒したりしたらどうなるのかを……。

 


 メイスンと別れてから、レオンはずっと不機嫌だった。
 最愛の彼女が他の男に食われそうになったのだ。
 特にそれがあのメイスンであったから、怒りは倍増している。

 レオンがメイスンを嫌うのにはわけがある。
 出会った頃の彼らは、現在では想像もつかないほど仲が良かった。
 レオンはメイスンの剣の腕に惚れこみ、気さくで明るい人柄にも好感を持って親睦を深めていたのだ。
 だが、事件は六年前のある夜に起こった。

「グレン、今夜はアーサーのところで泊まってくる。朝には戻るから、後は頼む」

 当時、私とレオンはルームメイトで、彼は外泊を告げると白騎士団の寮へと出かけていった。
 仲のいい友人同士、夜遅くまで語り明かしたいのだろう。
 微笑ましく見送り、私は読みかけの推理小説を開いた。
 今夜は話し相手がいないから、集中して読書ができそうだ。

 夜も更け、そろそろ寝なければとしおりを挟んで本を閉じた。
 部屋の明かりを落とそうと、ランプに手を伸ばす。
 その時、音を立てて部屋のドアが開いた。
 びっくりしてそちらを振り返ると、レオンが息を切らせて飛び込んできた。

「レオン?」

 私の問いかけも無視して、レオンは自分のクローゼットを開くと、タオルを引っつかみ外に駆け出していった。
 何が起こったのかわからなくて後を追いかけた。
 レオンは井戸まで走り、上半身の服を脱ぎ捨てると、頭から水を被り始めた。

「レオン! こんな夜中に何をしてるんだ!?」
「オレに触るな! 気持ち悪い、気持ち悪さが取れないんだ!」

 レオンは私の手を払いのけて、何度も冷水を浴びた。
 気のせいか、白騎士団の寮の方が騒がしい。
 気にはなったが、とにかく目の前のレオンを落ち着かせよう。
 大き目のタオルを取って戻り、レオンを井戸から引き離して渡した。
 彼は頭が冷えたのか、部屋に戻ると、青い顔をして布団にもぐって動かなくなった。
 メイスンの部屋で何が起こったのか聞き出すことはできなかったが、翌日には真相が明かされた。

「つまり、猥褻目的で押し倒したと、メイスンが自供したわけですね?」
「猥褻と言うと身もふたもないが、似たようなものだな。欲望に任せて襲い掛かり、返り討ちにあったと本人は言っている」

 部屋までレオンの事情聴取にやってきた上級騎士に、私が代わって応対した。
 昨夜、アーサー=メイスンは何者かによって暴行を受け、アバラ骨を折られて重傷。近くの部屋の者がレオンを目撃していたために、メイスンが口を開かずとも犯人が割れたそうだ。

「メイスンは自分が悪い、レオンは悪くないと言っていてな。詳しく事情を聞けばそういうことらしいし、今回の暴力事件に関してはレオンにお咎めはなしってことになった。事情聴取って形で様子を見に来たんだが、そっとしておいた方がよさそうだ。男に襲われたなんて、オレでも耐えられないダメージだからな。グレンは同室だし、気をつけてやってくれ」

 上級騎士はレオンを気の毒そうに見舞うと帰っていった。
 レオンは布団にくるまったままだ。
 私の気配にも怯える始末で、ショックの大きさがうかがい知れた。

 一週間もすると、レオンは元の生活に戻った。
 一心不乱に仕事と稽古に励み、白騎士団の敷地に近づくこともなく、メイスンの名も口にしなくなった。
 忌まわしき名として永遠に忘れることにしたのだろうかと思っていたが、そうではなかった。
 レオンは、彼なりに深く悩んで答えを出したのだ。

「明日、アーサーの見舞いに行く」

 レオンの言葉に私は耳を疑った。

「見舞いにって、平気なのか?」
「正直言って抵抗はあるけど、あいつだって悩んであんなことしたと思うんだ。男が男を好きだなんて、覚悟がなくちゃ言えないだろう? やり方が強引だったのは許せないが、オレも殴ってケガをさせてしまったから、もう忘れることにする。オレはあいつの気持ちを大事にしたい、受け取れないけど気持ちは嬉しいって伝えたいんだ」

 彼らの友情は、こんなことで壊れるほど脆くはなかったのだ。
 私は感動を覚えて同行を申し出た。
 レオンが心配でもあったが、多少の好奇心があったことも認めよう。

 私とレオンは白騎士団の敷地内にある医務室を訪れた。
 骨折が完治するまで、メイスンはここで療養中だ。
 レオンが緊張した面持ちで、ドアノブに手を伸ばす。
 いざ、開けようとした手は中から聞こえた声で止まり、室内で行われている会話が私達の耳に流れ込んできた。

「やぁん、もう。アーサー君てば、本気にしちゃうじゃない」
「本気にしてくれて結構ですよ、君のような美しい女性に出会えた運命を神に感謝します」
「ふふ、運命かぁ。信じたくなってきたかも」

 メイスンと会話をしているのは、看護を担当している女性のようだ。
 若い看護婦と、イチャイチャ愛の語らいをしている。
 レオンは怒りの形相で扉を凝視していた。
 うわあ、怒ってる。
 そりゃ、そうだ。
 この一週間、レオンはメイスンの激しい求愛に悩み、眠れぬ夜を過ごしたわけだからな。

 レオンが勢いよく扉を開けた。
 室内にいた二人がこちらを向く。
 メイスンはレオンに気づくと、ぱっと顔を輝かせた。

「来てくれたんだね、レオン! 一週間会えなくて寂しかった。会いたかったよ!」

 メイスンは両手を伸ばして、レオンを招いた。
 その姿は離れ離れになっていた恋人に再会して感極まっているようにも見えた。
 しかし、レオンの方は対照的に、親の仇に出会ったような殺気を漲らせている。

「何が運命だ! 貴様、誰にでもそれを口にしているんだな? この一週間、オレがどんなに悩んで苦しんだかも知らずに、能天気に女を口説いてよろしくやっていたわけか」

 看護婦がひぃっと悲鳴を上げて、後ずさった。
 殺気はメイスンに向けられたものだが、正直言って傍で見ている私も怖い。
 だが、メイスンは怒りに燃えるレオンにニコニコ笑いかけた。
 一切動揺することもなく、彼は心底愛おしい者を見る目でレオンを見つめたのだ。

「怒ってるの? 彼女もかわいいけど、レオンのことも大好きだよ。ヤキモチを妬いてくれるなんて嬉しいな」
「誰が嫉妬なんぞするか! 少しでもお前の気持ちを思いやろうと考えたオレがバカだった! オレが悩んだ貴重な時間を返せ!」

 アーサー=メイスンは生粋のプレイボーイだった。
 その後、彼には複数の恋人がいることが判明し、レオンはますます毛嫌いの度合いを深めていった。
 逆にメイスンはレオンの気を惹こうと、ことあるごとにちょっかいをかけてきて、それが例の賭けの件に繋がる。

 そのメイスンがキャロルを気に入ったというのだから、二人の関係はさらにややこしくなった。
 もっとも、彼が二人の間に入り込むことができるとも思えないので、単なるお邪魔虫になるだけだろうが……。

 だが、事態は急に動きだす。
 メイスンがキャロルに手を出したことで立腹したレオンは、思いもかけない行動に出た。
 なんと御前試合の場で、キャロルと恋仲であることを暴露して、メイスンに釘を刺したのだ。
 独占欲のなせるわざとしても、後先考えなさ過ぎる。
 案の定、場は大騒ぎとなり、団長は青ざめて立ち尽くしていた。
 一番ショックを受けたのはこの人だろう。
 他の者はあっさり受け入れて落ち着いたというのに、団長だけは数日経っても認めないとぶつぶつ独り言を呟いていた。
 色んな意味で頭の固い人だ。
 レオンとキャロルの交際に暗雲が立ち込める予感がしたが、現時点では手の打ちようがないので、傍観者に徹することにした。




 今日の分の観察記録をつけて、ノートを閉じる。
 そろそろノエルがやってくる頃だ。
 引き出しに、ノートをしまいこむと同時に、扉がノックされた。

「どうぞ、開いてるよ」

 声をかけると、ノエルが失礼しますと断って入ってきた。
 晴れやかな笑顔に、首を傾げる。

「何か良いことでもあったのかい?」
「ええ、良いこととは違いますけど、気持ちの整理がついたというか……」

 キャロルのことか。
 そういえば、レオンとのことがわかって、彼もショックを受けたんだろうか。

「さっき、そこでキャロルに会ったんですけど、とても幸せそうでした。レオン様はすごいですね、尊敬します。オレだったら、想いを伝えることも、ましてやみんなの前で告白なんてできません。あの人ならキャロルを守ってくれるでしょう。オレはあいつの幸せを願って、陰ながら見守ることにします」

 秘めた恋はまだ続行中らしい。
 まあ、すぐに冷める恋なら本物ではなかったということだし、無理もないか。
 しかし、健気なことだ。
 いつか彼にも温かい春がくるといいね。

 立ち上がり、棚から秘蔵の高級ワインを取り出した。
 滅多なことでは開けないのだが、今夜は特別だ。
 前途有る若者達の未来に幸を願って乾杯といこう。


 END

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