わたしの黒騎士様
エピソード4・1
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平時の騎士団の役割は、国内の治安維持の他に、軍事力を示すことで他国への牽制となることが目的だ。
だからこそ、騎士達は日々の修練を怠ることは許されない。
戦時下で一つだった騎士団が二つに分けられた理由は、競い合い切磋琢磨することで緊張感を与え、馴れ合いの堕落した空気を作ることを避けるためだった。
当時の指導者達の目論みは成功し、ロシュア王国の白と黒の騎士団は、他国を凌駕するに申し分の無い戦闘能力を誇り、王国を有数の大国の一つに数えるまでに伸し上げた。
野心に燃える王ならば、ここで侵略戦争を起こしそうなものだけど、代々の王は温厚な人柄で、外交も平和的に解決することを望み、軍事力もあくまで牽制の手段にしか使用する気はないようだ。
わたしも争いごとが好きなわけじゃない。
剣を習ったのは、それが初めて認めてもらえたものだからだ。
戦争なんか起こらない方がいい。
わたし達が強くあることで、無用な戦いが避けられるのなら、厳しい修練にも耐える意味がある。
朝の雑用が終わり、いよいよ修練が始まる。
だけど、今日は様子が違う。
指導役の上級騎士がわたし達に向かって、修練を白騎士団と合同で行うことを告げた。
「今日の修練は白騎士団との交流試合だ。試合を通じて従騎士同士の親睦を深め合うのもいいが、互いに競い合って実力を高めるのが本来の目的だ。気を抜かずに全力で行け」
「はいっ!」
白騎士団の従騎士達と交流試合。
緊張するけど、楽しみでもある。
向こうの従騎士はどんな人達なんだろう?
気の合う人がいるといいな。
交流試合は闘技場で行われる。
観客はいない。
監督をしている二級騎士達の指示に従い、各騎士団から数名ずつが中央に出て、複数組の試合が同時に開始された。
順番を待っている間は脇で見学。
戦っている人達の動きを目で追い、自分と比較するのも修練の一つ。
わたしの前で戦っているのはトニーだ。
彼はわたし以上に素早い。
自分より背の高い大柄な相手を軽やかな動きで翻弄している。
右に左へと方向転換も瞬時にやってのけるため、彼の動きの先を読み、捉えるのは難しい。
そして、相手が焦って隙を見せ始めると、そこへ連続で打ちかかっていく。
トニーはサーカスの一座で育てられたそうだ。
綱渡りや玉乗りなど、優れたバランス感覚を必要とする技が得意で、それらの技の基本となる足のバネは小柄な見かけ以上に強靭だ。
ジャンプで相手の頭上を飛び越えて、背後を取るなんて荒業もこなしてしまう。
騎士の戦い方としては変則的だけど、周囲との体格差をスピードで補うわたしにとって、トニーの戦い方は非常に参考になる。
「そこまで! 交代だ!」
監督騎士の号令で、順番がまわってくる。
剣を収めて戻って来たトニーが、すれ違い様に背中を叩いてきた。
「頑張ってね、ボクもキャロルの戦い方を参考にするからさ」
「うん!」
この場にいる全ての人間が影響を与え合うライバルだ。
わたしも負けていられない。
気合を入れて、前に進み出る。
わたしの相手は同じぐらいの体格の子だった。
漆黒の髪は癖がなく、細身で手足はすらりと長い。
少女と見まがうような中性的で整った顔立ち、目許は凛々しく、少々きつい印象を受ける。
気のせいか睨まれているような?
「キャロル=フランクリンです。今日はよろしく」
「エルマー=バーネットだ。手加減はしない、覚悟しろ」
わたしの挨拶に、彼は険のある声で答えた。
気のせいじゃない。
この人はわたしに敵意を持っている。
「始め!」
戸惑っている間に、開始の合図が出された。
とにかく集中しないと。
気を取り直して、剣を握り締める。
こちらが動くより先に、エルマーが打ちかかってきた。
避けるのが間に合わず、剣で受け止めた。
「はぁっ!」
お腹に力を入れて足を踏ん張り、剣を押し返す。
向こうの体勢が崩れた隙を逃さず、反撃に出た。
足を使って横に回り、側面からの攻撃。
エルマーも負けてはいなくて、素早く体を反応させ、わたしの剣を避けた。
「えいっ!」
「やぁ!」
互いに声を出して剣を振る。
攻守を入れ替え、走り回り、わたしと彼は剣を交えた。
キレの鋭い剣を紙一重でかわし、一撃を繰り出す。
その度にエルマーも受け止め、またはかわして、どちらの優勢かもわからないまま時間が過ぎていく。
すごい。
こんなに充実した稽古は初めてかもしれない。
自分とまったく同じ戦闘スタイルを持つ相手に出会えて、驚きと嬉しさが湧き起こる。
「そこまで!」
結局、勝敗がつかない状態で終了となった。
だけど、そんなことはどうでもいい。
息を切らせながら、笑みが込み上げてくる。
楽しかった。
満足感で一杯の笑顔で、わたしはエルマーに手を差し出した。
「ありがとう、とてもいい稽古になったよ」
握手を求めたわたしの手を、エルマーは一瞥して背中を向けた。
「ふざけるな、それで余裕を出してるつもりか? 次は絶対に負けない」
差し出した手を引っ込めることもできずに立ち尽くす。
なんなの一体?
わたしはただお礼が言いたかっただけなのに……。
「エルマー、そういう言い方は良くないな」
わたし達の間に割って入ってきたのはアーサー様だった。
近くを通りがかったついでに様子を見に来たのかな。
エルマーは立ち止まり、アーサー様をじっと睨んだ。
上級騎士だからか、あからさまな敵意はないけど、友好的とはいいがたい態度だ。
「キャロルは稽古のお礼を言っただけだよ。君だって彼との稽古は身になったはずだ。自分でもわかっているんだろう?」
アーサー様は彼の頑なな態度を崩そうと優しく微笑み、諭すように言い聞かせる。
エルマーは眉を寄せて、ますます険しい表情になった。
「敵にお礼を言ってどうするんです。それにボクが誰にどんな態度で接したとしても、アーサー様には関係ありません」
不機嫌に言い捨てて、エルマーは立ち去った。
去り際に、強い視線で射抜かれた。
うう、なんなの。
嫌われる覚えなんかないのに。
「すまない、キャロル。彼には後でよく言って聞かせておくよ」
アーサー様が困った顔で謝ってくれた。
別にアーサー様が悪いわけじゃないのに、後輩のことだから責任を感じているんだろうか。
「いいえ、ちょっとびっくりしただけです。あんな風に敵意を向けられるなんて思ってなかったから……」
「彼は少し人付き合いが苦手な子でね。それでも最近はよくなってきていたし、機嫌が悪いからって誰かに当たることもなかったんだけど、どうしたんだろう?」
アーサー様の話では、エルマーは仲間とは距離を置いた付き合いしかしていないらしい。
かといって協調性がないわけではなく、仲間の輪の中にはそれなりに入っていて、特に対人関係でトラブルを起こしたこともない。
どちらかというと、他人に関心がなく、自分から積極的に関わろうとしないタイプだそうだ。
そんな人が、どうして喋ったことのないわたしに敵意を向けるんだろう。
「多分、キャロルに自分と通じるものを見つけたのかもしれないね。競争意識を持つのは悪いことじゃない。これからも手合わせする機会はあるだろう。打ち解けるまで、大目にみてあげてもらえるかな?」
アーサー様の言葉に頷いた。
きっとエルマーは気が立っていたんだ。
彼の気持ちなんてわからないけど、この騎士団で名を上げようと必死に頑張っているんだ。対戦相手と馴れ合いの空気を作りたくなかっただけかもしれない。
「はい、ケンカとか対立するのは嫌いですけど、競争意識も必要ですよね。彼に負けないようにわたしも頑張ります」
わたしの答えに、アーサー様はにっこり笑った。
次の瞬間、その腕にぎゅーっと抱きしめられた。
「キャロルはいい子だね、頭を撫でたくなるぐらい、かわいいっ!」
「うぎゃーっ! 何をするんですかっ! やめてーっ! 苦しいっ!」
顔が胸に押し付けられて、窒息寸前。
ばたばた暴れるわたしに構わず、アーサー様はお気に入りのぬいぐるみを愛でるがごとく、抱きしめて頭を撫で回してくる。
みんなは呆れてるのか、あっけにとられているのか、こっちを遠巻きにして近寄ってこない。
だ、誰か助けてーっ!
「おい、アーサー。ふざけてんなら、もう行くぞ」
低い柄の悪そうな男の人の声が聞こえて、解放された。
肺に酸素が戻ってくる。
はあ、助かった。
「オスカー、待って。じゃあね、キャロル」
わたしの頭を軽く撫でると、アーサー様は離れていった。
彼の向かう方向には、白騎士団の騎士がいた。
白騎士団の人には珍しく、着崩した制服が印象的な人だ。
長身でスマートだけど、声と同じく、顔立ちも野性味に溢れている。
制服の上着は胸元まで開けられ、首に架かる銀のネックレスと、筋肉で覆われた厚い胸板が見えた。
上品な白騎士団の雰囲気とは相容れない粗野な風貌の男性は、アーサー様が側に戻ると、こちらにちらっと視線を向けて去っていった。
「大変だったね、キャロル」
「大丈夫か?」
トニーとノエルが声をかけてくれたけど、二人とも遅いよ。
もう、白騎士団の人に関わると色々疲れるなぁ。
ため息をついてから、さっきの人が気になってトニーに尋ねてみた。
「アーサー様と一緒にいた人って一級騎士かな? トニーは知ってる?」
「うん、近くで見たのは初めてだけど、オスカー=ライアン様だね。白騎士団の副団長だ」
副団長なんだ。
団長の補佐役だから、グレン様みたいな知的な人を想像していたけど、全然違うな。
ああ見えて、性格は冷静沈着とか?
黒も白も、一級騎士は何かとクセのある人が多いと思う。
この日は何事もなかったけど、エルマー=バーネットは顔を合わせる度にわたしを挑発し、勝負を挑んでくるようになった。
剣での修練はもちろん、ボランティアで借り出された街の清掃でまで競争した。結果的に綺麗になって街の人には喜ばれたけど、ゴミの量は同じぐらい。勝敗がつくこともなかった。
そのせいか、エルマーの競争意識が消えることはなく、むしろ加熱していく気配を感じた。
騎士の嗜みとして、馬は乗りこなせて当たり前。
騎士団入りするまで、馬に触れる機会のない者もいるため、従騎士には定期的な乗馬の訓練が義務付けられている。
休日に騎士団所有の馬を借りて、練習している人も少なくない。
幸いわたしには経験があった。
乗馬は貴族の令嬢の嗜みでもあったから、実家でも咎められることなく練習ができたのだ。
曇り空で清々しいとは言いがたい天気だけど、両騎士団の従騎士と、監督役の上級騎士数名は王都の外れに有る牧草地にやってきた。
ここは騎士団の所有地で、乗馬のための訓練場。
柵で仕切られた馬場の中は、馬が走るに十分なスペースが確保され、競技用の障害物が設置されている。
用意された障害物を楽々と越え、馬場の中を一周してくる。
どれだけ乗りこなせるかの確認が行われているんだ。
わたしは合格を告げられ、時間が来るまで周辺を自由に乗ってきていいと許可をもらった。
喜んで柵から抜け出した。
風を切って牧草地を駆けていく、これで晴天なら申し分ないんだけど、贅沢は言わないでおこう。
後ろから、馬の蹄の音が聞こえてきた。
後方の馬は瞬く間に追いついてきて横に並んだ。
エルマーだ。
彼はわたしを睨むと、追い越そうと速度を上げた。
むむ。
追い越されると、負けたみたいで癪だ。
わたしも馬を急かして先に行こうとする。
すると、彼はますますスピードを上げた。
負けるもんかっ!
どこに向かうのか、考えることもなく、無我夢中で馬を駆る。
その点ではエルマーも同じだったらしい。
わたし達は牧草地を抜けて森に入り、深い緑の中をさらに突き進んだ。
高かった日もすっかり暮れ、森の中は真っ暗。
完全に迷った。
下手に動くと危険かもしれない。
競争どころではなくなり、わたし達は並んで馬を歩かせていた。
当てもなく移動を続けていると、エルマーが右前方を指差した。
「そこに洞窟がある。動かずに夜明けを待った方がいいだろう」
自然にできたと思しき空洞がある。
内部はそれほど深くなく、雨露を凌ぐだけなら十分なスペースがあった。
「うん。視界も悪いし、おとなしくしていた方がいいよね」
わたしとエルマーはここで夜を明かすことにして、馬を近くの木に繋いで洞窟に入った。
洞窟の奥に背を向けて、並んで座る。
今頃、大騒ぎになってるだろうか?
帰ったら、怒られるんだろうな。
膝を抱えて、顔を伏せる。
隣に座っているエルマーは、無言で外を見つめていた。
わたしの方を向くことはない。
腹が立ってきたので、こっちも無視することにした。
きゅうっとお腹が小さく鳴った。
そろそろ夕飯の時間だな。
夕食はビーフシチューだったはずだ、お腹空いたなぁ。
隣でごそごそ音がした。
エルマーが上着のポケットから何かを取り出す。
取り出したのは銀紙に包まれたチョコレート。
棒状に固められたチョコレートは二つあった。
「やる」
エルマーは一つをわたしの手に押し付けた。
意外すぎて反応が遅れた。
てっきり嫌われているのかと思っていたから、思いがけない彼の行動が信じられなかった。
「何だ、いらないのか?」
「い、いるっ。ありがとう!」
銀紙を剥がして、一口齧る。
甘い。
空腹を満たすためにも、ゆっくりと味わう。
わたし達は正面を見たまま、無言で口を動かし続けた。
敵意を剥き出しにして挑んでくるかと思えば、こんな優しさも見せる。
彼はわたしに対してどんな感情を持っているんだろう。
同じ国の騎士団員なのに、敵同士だなんて思って欲しくないな。
辺りが明るくなり始めると、すぐに移動を始めた。
朝日が昇ってくる方角を目印に、森を抜けて牧草地に戻れた。
牧草地には手の空いている騎士団員で構成された捜索隊が集まってきていた。
夜明けを待って、朝から大捜索が展開される予定だったそうだ。
みんな、わたし達の帰還を喜んでくれたけど、当然ながらお小言も待っていた。
捜索隊を率いていたのは両騎士団の副団長で、わたしとエルマーはグレン様から注意を受けた後、深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました」
「申し訳ありません」
グレン様は気を抜いたのか柔らかく微笑み、オスカー様は頭を掻いてあくびをした。
責任上のこともあるからか、お二人はこの場所で寝ずに待機していてくださったらしい。
口を閉じたオスカー様が半眼でわたし達を見下ろしてくる。
眠気で半開き状態になった目が睨んでいるみたいで怖いかも。
彼は眠気を飛ばすように首を振ると、わたし達を指差した。
「まったく、いらん手間をかけさせんな。国を守る騎士団員が訓練中に遊びに出て遭難してたら洒落にならんだろうが。外部にバレたら騎士団全体の沽券にかかわる失態だぞ。罰として、てめぇら一週間早朝草むしりの刑だ。午前四時起床の上、朝の仕事が始まるまで従事すること。抜き打ちで監視に行くからサボるなよ」
予想外に軽い罰で済んだ。
毎朝早起きは大変だけど仕方ない。
わたしが迂闊だったんだ。
捜索隊は解散され、それぞれ休息や仕事に戻っていく。
エルマーはオスカー様について行き、わたしはグレン様と一緒に黒騎士団の寮に戻った。
食堂で朝食を食べながら、グレン様は無事で良かったと穏やかに言った。
「レオンもすごく心配していてね。夜中にも関わらず捜しに行くと言ってきかないから、押さえるのに一苦労だった。夜の森に入って、二次遭難されても困るからね。私が必ず見つけると約束して、今朝も仕事に送り出したんだ」
レオンにも心配かけたんだ。
温かいスープを飲んで体が温まったけど、彼の気持ちが心も温めてくれた。
レオンが帰ってきたら、たくさん謝って抱きしめてもらおう。
たった一晩離れただけなのに、彼の温もりが恋しい。
「それにしても何があったんだ? 一緒にいた白騎士団の子とは親しいのかい?」
グレン様の問いに、言っていいものか考えた。
相談しておいた方がいいかな。
グレン様なら、改善策を考えてくれるかもしれない。
「親しいというわけではありません。なぜか一方的に敵意を向けられていて、昨日も馬に乗っていたら隣に並んできたもので、こちらもつい受けて立ってしまい、気がついたら迷っていたんです。彼がわたしを嫌う理由もわからなくて、困っているんです」
交流試合のことから、昨日のことまでを簡単に説明した。
グレン様は顎に手を当てて考え込んだ。
「キャロルだけに敵意か。彼は白騎士団の所属だし、レオンに憧れて……という線は薄いな。白騎士団の知り合いにも話を聞いてみるよ。今のところは勝負を挑まれてもむやみに乗らない方がいい。交流試合なら問題はないが、昨日のようなこともあるなら、向こうの団長に注意してもらう必要があるね」
「はい、お願いします」
解決はしていないけど、これで少しは肩の荷が下りた。
白騎士団と合同で行う修練は暫くないし、エルマーのことは気になるけど、なるべく考えないようにしよう。
夜になり、やっとレオンと二人っきりになれる時間がやってきた。
ベッドに一緒に入り、腕枕をしてもらって寄り添う。
「無事で良かった。昨夜は心配で眠れなかったぞ」
レオンは肌でわたしの無事を確認しているのか、頬を撫で、口付けたりして、丹念に愛でている。
「ごめんなさい。これからは気をつけるからね」
愛撫のくすぐったさに笑みがこぼれる。
疲れているし、明日は早いしで、体を重ねることは遠慮してもらったけど、これだけの触れ合いでもわたしは十分満足だ。
レオンは……どうだろう?
もぞもぞ手が動いて、胸やお尻を撫でてくる。
「あ、ぅん……。今日はだめって言ったでしょう?」
触ってくる手を押さえて文句を言うと、レオンは名残惜しそうに愛撫をやめた。
「わかった、おやすみ」
口付けが唇に触れる。
舌が素早く潜り込んできて、わたしの口内を探っていく。
「……ん……んんぅ……、はぁ……」
おやすみの挨拶と呼ぶには濃厚すぎるキスは、欲求を押さえた反動なのかもしれない。
ごめんね、レオン。
罰の草むしりが終わるまで、一週間我慢してね。
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