わたしの黒騎士様
エピソード5・レオン編・2
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オレの家で談笑した後、キャロルは父親の容態を見てから使いを寄越すと約束して、一足先に家に帰って行った。
キャロルがいなくなると、家の中は静かになった。
母は黙って夕食の支度に取り掛かり、それが返って不気味だった。
暇になったので、仕事場で作業を始めた父のところに行き、手伝いを申し出た。
使っていない仕事道具の手入れを頼まれ、磨き始める。
小さい頃は、母に叱られると、仕事をしている父のところに逃げ込んでいた。
話はそれほどしなかったが、父のいる場所は温かく、居心地が良かった。
だからと言って、母が冷たかったというわけではない。
母もオレを愛してくれていたし、オレも二人を同じぐらい大切に思っている。
ただ、あまり口のまわらないオレは、父に同族の匂いを感じて安心していたのかもしれない。
「そうだ、レオン。足を出してみろ」
父に言われ、靴を脱いで足を見せる。
父はオレの足を持ち、大きさや形を調べて、既存の型で合う物がないか探していた。
「せっかくの休暇だ。何日か滞在するんだろう? その間に一足作ってやる。お嬢様の分も揃いでな。靴は幾らあっても困らないからな」
型が見つかると、後の作業は流れるように進んでいく。
型に沿って、材料の皮を切り、父は靴の縫製を始めた。
その表情は生き生きとしていて、喜びに輝いている。
自分の仕事に、誇りと生きがいを持っているんだ。
「ありがとう、父さん」
「こんなことぐらいしかしてやれんしな。王都にはもっと良い靴もあろうが、土産代わりに持っていけ」
父は謙遜してそんなことを言ったが、王宮に出入りしている職人の靴にだって負けていない。
オレのために作ってくれたものなんだ。
世界に一つしかない、大切な靴だ。
「母さんもレオンが帰ってきたら持たせてやるんだと言って、毎年冬が近づくと毛糸をたくさん買い込んできて、ひざ掛けやら手袋なんかを熱心に編んでるんだ。昔の分は人にやっちまっただろうが、今年の分はとっておいてあるだろうよ」
父の話を聞いて、思わず台所に目を向けた。
出入り口から覗くと、台所の様子が少しだけ見える。
料理をしている母の後姿を見て、小さくなったとしみじみ思った。
「これからは、なるべく毎年帰るようにする」
オレがそう言うと、父は穏やかに微笑した。
「そうしておくれ。母さんもお前の前では強がっちゃいるが、いつもレオンは無事でいるのか、元気でやっているのかと心配しておる。わしらの子供はお前だけだからな」
その日の夜は静かに過ぎた。
母は疲れたと言って早めに寝てしまったが、オレの部屋は綺麗に掃除されていて、寝具も新しいものに交換されていた。
ベッドに入り、体を休めた。
両親のいる久しぶりの我が家は、オレに安らぎを与えてくれた。
翌朝、キャロルの使いだと言って、男が訪ねて来た。
フランクリン伯爵は一時期は確かに寝込んでいたものの、今は完治して執務にも戻っているらしい。
オレが訪ねても問題はないようだ。
向こうも歓迎してくれるということで、荷物の中に入れていた礼装に着換えた。
式典やら王への謁見は騎士団の制服でいいが、たまに招かれる舞踏会などではそうもいかない。
一級騎士になってから必要に迫られて作った。
黒の生地を選んだのは、他の色がどうにも似合わずに困った末の選択だ。
剣を装備して支度を終える。
他の荷物は実家に預けていくことにする。
帰る前にもう一度立ち寄るつもりだからだ。
領主の屋敷には初めて足を踏み入れる。
街を見下ろす高台に立てられた屋敷は近くで見るとさらに大きい。
そして古い。
改築の跡があちこちに見られ、壁も新しい箇所と古い箇所で色が違っていたりした。
正門は開いており、庭に使用人らしき男女がいる。
掃除をしていた彼らは、オレに気づくなり、一人は奥へ知らせに行き、他の者は整列して出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。レオン=ラングフォード様ですね?」
「ああ、そうだ」
確認の問いかけに頷いた。
「お待ちしておりました。どうぞ、屋敷の中にお進みください」
彼らが示す方向に屋敷の玄関が見えた。
一歩進み、立ち止まる。
どこからか不穏な気配を感じる。
即座に視線を動かしたが、それらしい影は捉えられなかった。
あれは殺気だ。
しかも、明らかにオレに向けられたものだ。
「どうかなされましたか?」
使用人の一人が怪訝そうに問いかけてきた。
同時に殺気も消える。
この場から離れたのか?
「いや、何でもない」
もう一度だけ周囲に気を配り、気配が消えたことを確かめて進む。
案内に従って屋敷に近づくと、玄関の扉が開いた。
出てきたのはキャロルだ。
「レオン、いらっしゃい」
オレを見て微笑む彼女は、白地のドレスを着て令嬢らしい装いをしていた。
髪は短いままだったが、それはそれで似合っている。
唇は微かに赤く彩られており、肌は薄化粧で品よく整えられて美しい。
年相応の少女らしい装いをしたキャロルも新鮮でいい。
口を開けば惚気てしまいそうな自分に苦笑して、それだけ惚れているのだと自覚を新たにした。
「キャロライン、そちらがレオン殿か?」
キャロルの背後から、壮年の男性が現れた。
この人がフランクリン伯爵だろう。
キャロルと同じ青い目に金の髪を持っているが、表情は険しく、領主に相応しい威厳がある。
意外なことに、伯爵はオレに笑顔を向けた。
「よく来てくださった。キャロラインが世話になっていることもあるが、貴殿は我が国の英雄だ。賓客としてもてなしをさせていただく。遠慮なく滞在してくだされ」
一級騎士の肩書きが効力を発揮したらしい。
初対面のオレに、伯爵が好感を抱くわけはそれしかない。
とにかくこれで友好的に話が進められそうだ。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、失礼いたします」
せっかく与えた好印象を維持しようと、礼を尽くした受け答えを返す。
伯爵は満足そうに頷き、キャロルにオレの案内役を命じた。
「屋敷の案内はキャロラインに任せる。わかっているだろうが、懇意にしている相手とはいえ、彼はお客様だ。失礼のないようにな」
「はい、お父様」
キャロルも今日はしおらしい。
領主の娘に相応しい態度で振る舞う彼女は、本物の令嬢だった。
オレが剣を教えなければ、キャロルは淑やかな少女に育っただろう。
あの時の自分の行動が良かったのか悪かったのか、今となってはわからない。
ただ、あの広場で、オレがキャロルに声をかけなければ、この未来はなかったことだけは確かだ。
「客間に案内するわ、ついてきて」
キャロルが案内のために隣に立つ。
オレは彼女の耳に届くように口を寄せ囁いた。
「似合っている」
もちろん装いのことだ。
キャロルは照れて、頬を染めた。
初々しい反応がかわいい。
緊張で強張っていたオレの顔も自然に緩んでいた。
領主夫人とは、客間で会った。
キャロルは母親と妹には、オレと交際していることを話していた。
知らないのは父親だけ。
どこかキャロルに面影の重なる夫人は、そう言って苦笑した。
「あの方は厳しいように見えて子煩悩なんです。領主の立場から普段は表に出すことを控えていますが、子供達が幼い頃の溺愛ぶりは相当なものでしたよ。キャロルにお付き合いしている男性がいると知ったら取り乱すかもしれませんね」
キャロルは半信半疑で納得いかない顔をしていた。
オレも意外だ。
キャロルから聞いた話では、冷徹で私情を挟まない鬼のような父親像しか思い浮かばなかったからだ。結果が出せないキャロルが、自分は疎まれているのだと悩むほどに厳しい人物だと想像していた。
「私からも話しておきますから、心配はいりません。レオン殿は我が国の英雄、婿としてこれほど頼もしい方はおられませんもの。騎士を引退なさっても、これまでの功績を評価され、陛下より爵位に見合うだけの領地を与えられるはず。それならば、故郷のこの地に戻られることが一番いいでしょう」
夫人はオレ達の仲を応援してくれるようだ。
この様子だと、父親の方も大丈夫だろう。
そうなると、反対してくると思われるのは妹のシェリーだけだ。
シェリーは朝から外出しているらしく不在だった。
昔、オレの前で黒い感情を曝け出した少女は、今でも心に闇を持っているのだろうか。
この屋敷に足を踏み入れた時、恐ろしいほどの殺気を感じた。
直接対面した人間のものではない。
影から鋭く射抜くような、例えるなら暗殺者の気配。
あれがシェリーのものであるとは断言できないが、可能性は高い。
気を抜かないようにしよう。
夫人を相手に和やかな会話を続けながら、自身に迫る敵の存在を確信し、警戒心を強くした。
シェリーがオレの前に現れたのは、夕食の席でのことだ。
「はじめまして、レオン殿。キャロラインの妹のシェリーと申します」
礼儀正しくお辞儀をして、シェリー=フランクリンは微笑んだ。
キャロルと同じ色を持ちながら、異なる容姿。
顔の輪郭はほどよく緩やかな線を保ち、人を惹きつける輝きを秘めた瞳は長い睫毛で縁取られ、その下についた鼻も程よい大きさと形で申し分ない。薔薇色をした唇は小さくふっくらとして、成熟した色気を持っている。
オレの記憶に残っている人形のように精巧な顔立ちをした美しい少女は、幼き日の面影を残しつつ、世の男が十人中九人は間違いなく一目惚れで崇拝者となるであろう美貌を備えた女になっていた。
しかし、オレは彼女の美しさに、一ミリも心が動かなかった。
それより、気になったのはオレに向けられた視線だ。
笑みの裏側に潜む、別の感情を察する。
ざわりと殺気がオレを取り巻いた。
初めに感じた殺気の正体も、やはりこいつだ。
シェリーは変わっていなかった。
それどころか、さらに恐ろしい存在となってオレの前に現れた。
「こちらこそ、はじめまして。シェリー殿」
殺気に気づいたことはおくびにも出さずに、挨拶を返す。
あからさまなものではないため、伯爵も夫人も、キャロルですら気づいていない。
オレも気のせいだと思いたいが、現実から目を逸らしても何の解決にもならない。
「さあ、レオン殿。お席へどうぞ。すぐに晩餐を始めますわ」
夫人が場を仕切り、使用人に指示を出す。
オレは伯爵の向かいの席に座らされた。
隣にキャロル、その横にシェリーが並ぶ。夫人は当然伯爵の隣だ。
「料理が来るまで話でもしよう。レオン殿は王宮にも出入りされているのだろう? 政務に興味はおありかな?」
伯爵がオレに話しかけてくる。
やはり領主だ。
そちらの話題に興味があるのだろう。
「ええ、まあ。友人にそちら方面に詳しい者がいましてね。少し耳に入ってきます。夏に日照りが続いた地域が幾つか有り、今年の税率は全体的に下げる方向で調整が進んでいるそうです」
友人とはグレンのことだ。
あいつは経済新聞を熱心に読み、政治に関することにも興味を持っている。
オレは直接関係がないからと適当に話を聞いていたが、聞きかじっておいて損はなかった。
世の中、どんな場面で意外な知識が役に立つかわからんな。
「それはありがたい。我が領地でも穀物が不作でな。見た目だけではわからないだろうが、今年は例年の七割程度の収穫しか見込みがない。シェリーが始めた交易が成功して、そちらで王都に送る税は納められそうだったが、領民への負担が軽くなればそれにこしたことはない」
伯爵の話を聞いていると、真剣に領地のことを考えて、治めていることがわかる。
思い返してみても、この地に貧しさで飢える者はいない。
孤児は領主が援助をしている教会で保護され、扶養者のいない老人の生活も保障されている。
オレ達自身も助け合いの精神を持っているが、それも領主の庇護があってこそだ。
余裕があるからこそ、心にもゆとりが生まれる。
この人は精一杯、領主としての責任を果たしてきた。
キャロルの父親は立派な人だ。
隣にいるキャロルに視線を向けると、誇らしげな顔で父親を見つめている。
昨日、家に帰ってから両親とも話をしたんだろう。
期待に応えられずに、両親に愛されていないと悲しんでいたキャロル。
それも全て誤解で、心を通わせることができたのだと、彼女の態度で悟った。
良かったと、心の底からそう思った。
晩餐の料理が運ばれてくる。
食材も調理にも贅をつくした一級品だ。
丁寧に見目良く飾り切りされた色とりどりの野菜に、照りをつけて焼かれた鶏肉。
他にも食欲をそそるご馳走が次々と並べられ、食卓は一気に華やいだ。
最後にスープが置かれた。
よくよく灰汁を抜き、透明になるまで煮込まれた黄金色の一品だ。
だが、それを置いた使用人の手は微かに震えていた。
違和感を抱いて、顔を見る。
オレの視線に気づいた給仕の男は、さっと目を逸らし、頭を下げるなり、忙しなく奥へと引っ込んでしまった。
このスープに何かあるのか?
不審の目でスープに注目していると、シェリーがキャロルに話しかけた。
「キャロル、このスープおいしいの。わたしが頼んでメニューに入れておいてもらったのよ」
「そうなんだ。……うん、おいしい。レオンも飲んでみて」
無邪気にキャロルが勧めてくる。
彼女の向こうにいるシェリーは微笑みを浮かべてこちらを見ている。
まさか、毒を?
視線をスープに戻し、考える。
シェリーが毒を入れたとしても即効性ではないはずだ。
この場でオレが死ねば、明らかに不審死となる。
仮に毒が仕込まれていたとしても、夜中にゆるゆると全身にまわり、朝になれば死体になるぐらいの遅効性のものに間違いない。
意を決してスープをすくい、口に入れる。
微かだが、覚えのある薬品の匂いと味がした。
毒ではないが、確かに薬が混入されている。
吐き出さずに飲み込んだ。
笑顔を作り、キャロルに顔を向ける。
「ああ、確かにおいしい」
「でしょう?」
笑みを交わすオレ達に、シェリーが声をかけた。
「それは良かった。他の料理もたくさん召し上がってくださいね」
シェリーの言葉の裏に、これが最後の晩餐だという意味が込められているのではと勘ぐってしまうのは、被害妄想が過ぎるだろうか?
他の料理も口にしてみたが、手は加えられていない。
念のため、スープは半分ほど残して食事を切り上げた。
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