わたしの黒騎士様
エピソード5・レオン編・3
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食後の余興にと、伯爵がダーツを用意した。
彼の腕前はなかなかで、中心とはいかないまでも確実に的に当てている。
「若い頃は苦も無く中心に当てられたのだがな。年には勝てんようだ」
伯爵は口惜しそうにこぼした。
夫人がまあまあと慰めている。
伯爵が椅子に腰掛けると、シェリーが立ち上がった。
「次はわたしが挑戦します」
ダーツを手に取り、的を見据える。
シェリーの手から放たれたダーツは、力強く的の中心に突き立った。
キャロルが「すごい!」と歓声を上げた。
シェリーはキャロルの賛辞を受けて嬉しそうだ。
どうしてだか、その笑顔だけは本物だと思えた。
「わたし、ダーツは得意ですの。動く的でも当ててみせる自信がありましてよ」
キャロルからオレへと視線を向け、シェリーは言ったが、その目はもう笑っていなかった。
動く的とはオレのことだ。
この女、やはりオレを抹殺する気だ。
どんな手で来る気なのかはわからないが、受けて立つ。
ここで逃げては、オレとキャロルに幸せな未来はこない。
対決する心積もりはできたが、唯一気がかりなことがある。
キャロルだ。
彼女が妹の恐ろしい本性に気づくことがないようにと、オレは願った。
団らんを終えて、キャロルに客用寝室に案内された。
部屋を出て行こうとする彼女を呼び止めてキスをする。
キャロルはどこか不安そうだったが、尋ねると否定した。
きっとオレがシェリーに心を奪われたのではないかと案じていたんだろう。
バカだな。
傾国の美姫だろうと、キャロル以上に惹かれる存在なんていないのに。
キャロルが部屋を出て行くのを見届けて、上着の内ポケットに入れていた小瓶を取り出した。
中身は薬品の中和剤。
一級騎士の備えとして、オレ達は解毒剤と全ての薬品の効果を無効にする中和剤を常備している。
さほど珍しい薬でない限りは、種類も判別できる。
スープに混ぜられていたのは睡眠薬だ。
中和剤を適量飲み、水を飲む。
さて、どう出てくる。
寝込みを襲う計画なのは読めたが、その先はわからない。
手荒なマネはしたくないが、それはシェリー次第だ。
おとなしく話を聞いて、納得してくれればいいんだがな。
部屋の明かりを消し、夜着には着換えず、剣を装備したままベッドに入った。
掛け布を被り、寝たフリをする。
近くの部屋も静まり返り、家人が眠りについたのがわかった。
暗闇の中、時間が過ぎていく。
部屋の扉が小さな音を立てて開いた。
来た。
気配が近づいてきたのを確かめて、体を起こし、侵入者の腕を掴んだ。
「……っ!?」
腕の持ち主が驚愕で体を強張らせたのがわかった。
細い腕だ。
柔らかい肌の感触は若い女のものだ。
オレは腕を掴んだまま、窓へと歩み寄り、カーテンを開けた。
月明かりが室内を淡く照らし、視界を明るくする。
掴んでいた腕を離す。
相手は身を引き、解放された腕を擦りながら妖艶に微笑んだ。
「起きていらっしゃったの? 寝たフリをしているなんて、人の悪い方」
シェリーはフフッと小さく笑みをこぼし、髪をかきあげた。
白のナイトドレスは丈の長いロングスカートだが薄物だ。
布越しでもわかる豊満な胸の膨らみ、半袖から伸びる腕が、衣服の下に隠されたくびれた腰や肉感的な足を連想させる。
男の部屋を夜中に訪ねること自体が非常識だが、わざわざ相手の欲情を煽る装いをしてきたことに、この女の意図が窺えた。
「部屋を間違えたのなら、すぐに出て行かれるといい。家人に見咎められて、不本意な誤解をされても困る」
シェリーに逃げる口実を与えた。
このまま去ればそれでよし。
だが、シェリーは動かなかった。
「間違えたわけではないの。あなたと二人っきりでお話がしたくなったんです」
囁きは甘く蕩けそうなほど、魅惑的な響きを持っていた。
免疫のない男なら、彼女に好意を持たれていると、簡単に騙される。
しかし、計算ずくだと頭からわかっているオレの目には、彼女の仕草が全て胡散臭く映った。
「話ならキャロルの前でしてくれないか。君に良識があるのなら、自分のしていることが姉への裏切りであることはわかるだろう」
キャロルを裏切る。
その言葉は思いのほか、シェリーに動揺を与えた。
余裕が消え、笑みを形作っていた唇が悔しそうに歪む。
「あなたを甘く見ていたわ。簡単に心が移るほど、軽薄ではないと、そういうことなのね」
「当たり前だ。オレのキャロルを想う気持ちは本物だ。どんな女が誘惑してこようと、はねつける自信がある」
胸を張って答えた。
シェリーはふっと息を吐き、瞼を閉じた。
考え事をしているのか、黙したまま動かない。
やがて、彼女は目を開けた。
「キャロルは一度も社交の場に出ていないの。だから、社交界での彼女は病弱な深窓の令嬢として、多くの男性達の興味を惹いている。もちろん今でもよ。わたしの姿を見て、キャロルを想像し、勝手に恋焦がれるの。そんな求婚者が後を絶たないわ。お父様に断られても諦めずにしつこい男は、影でわたしが始末してきたけどね」
シェリーはオレをちらりと見て、さらに続けた。
「ある男はキャロルとわたしの両方を妻にしようとした。病弱では跡継ぎは作れないかもしれないから、姉妹揃って娶ろうなんて浅ましいでしょう? 腹が立ったから、ちょっと怖い目に遭わせて脅かしてあげたら、自分の屋敷に引っ込んでしまって出てこなくなったわ。男なんて、どれも同じよ。口先だけで意気地のない、いやらしくて最低な生き物。わたしのキャロルに相応しい男なんてこの世にはいないのよ」
人間不信もさることながら、男性不信はもっと根深いようだ。
おまけにキャロルを自分のだと言い切る辺り、異常ともいえる執着だ。
これに認めさせるのは、少々骨が折れそうだな。
「オレは君が今まで見てきた男とは違うと言える自負がある。心変わりの心配がないことは証明して見せた。他にどんな証拠が欲しい? 勇気を試したいのなら受けて立つ。オレは一級騎士だ。どんな敵が相手だろうと、逃げずに戦う。そして勝つ自信がある」
シェリーの言葉を打ち消すために、声にも自信を漲らせた。
彼女は眉をしかめたが、すぐに不敵な微笑を浮かべた。
「外に出ましょう。夜空の下で咲く我が家の庭の花達も、昼間に負けず劣らず綺麗でしてよ」
シェリーが先に部屋を出て行く。
廊下には執事を含めた数人の使用人がいた。
誰も彼もが怯えた顔で、主人とオレの動向を窺っている。
「作戦は変更よ。あなた達はもうお休みなさい。わかっているでしょうけど、他言無用よ。その口が余計なことを言ったらどうなるのか、身を持って知りたい?」
シェリーの脅しに男達は揃って首を横に振った。
「め、滅相もございません。全てシェリー様のお言いつけに従います。それでは、お先に失礼いたします」
慌てて去っていく使用人達。
中にはオレに同情の視線を向ける者もいた。
シェリーが彼らにどれほど恐れられているのか、その片鱗を垣間見た気がする。
シェリーの後ろについて歩き、屋敷の裏手に面した庭に出た。
各部屋のテラスから覗ける作りになっているせいで、庭園は特に手入れされ、秋の花が咲き乱れていた。
天使や女性を模った像も、あちこちに飾られている。
「始めの作戦はね。あなたが寝入った隙を狙って、わたしの部屋に運ばせ、夜這いの罪を着せようと考えたのよ」
シェリーは悪質な計画を、こともなげに告白した。
「朝になって、わたしのベッドで裸で眠っているあなたの側で、わたしは無理やり犯されたと泣くの。お父様は激怒するだろうし、お母様もキャロルもわたしを信じるでしょう。そしてあなたはこの地から追放され、泣く泣く王都に一人寂しく帰るって筋書きよ。王都に戻ったところで、領主の娘を強姦した罪で裁かれるでしょうけどね。それでもまだ穏便でかわいらしいものでしょう?」
どこがかわいらしいんだ。
つまりオレは危うく、してもいない夜這いの罪を着せられて、地位も名誉も信頼も、キャロルの愛まで全て失うところだったのか。
恐ろしい女だ。
本当にキャロルと同じ血が流れているのか?
「それでは君にもリスクがある。傷物になったと噂されては求婚者もいなくなるはずだ。成功しなくて良かっただろう」
「さっきも言ったけど、わたしは男が嫌いなの、好都合だわ。キャロルはわたしに同情してくれて一石二鳥よ。あの子は優しいから、恋人を寝取られたなんてお門違いな逆恨みはしない。むしろ、あなたに裏切られたと知って、男に失望するでしょうね」
シェリーはそこまで計算していたのか。
伴侶を求めず、姉妹二人で生涯一緒に暮らす。
そんなことを本気で考えているなんて、オレはシェリーを甘く見ていた。
「でもね、それがだめとなると、わたしも不本意だけど強硬な手に出るしかなくなった。レオン殿は一級騎士だもの、かなりお強いはずよね。キャロルが熱心にあなたの勇猛な戦いぶりを話してくれたわ。手加減なんて必要ないわよね」
くすくすと声を立てて笑うシェリー。
その顔が、何かに気づいたように上を向く。
ふわりと穏やかに微笑した彼女は、目線の先にあるものに対してか手を振った。
オレもそちらを見る。
二階のテラスの扉が閉まるのが見えた。
誰かがいた?
「キャロルよ。見えなかった? ふふ、計画が狂って、今日は運が悪いのかと思ったけど、そうでもないわね。これで都合よくことが運びそう」
シェリーは嬉しそうな声音で呟いたが、オレは聞いていなかった。
キャロルだと?
まずい、誤解された!
深夜に男女が庭を散歩なんて、誰が見ても仲を疑うだろう。
弁解にいかないと。
シェリーの説得は後回しだ。
屋敷に戻ろうと駆け出した。
「待ちなさい!」
ヒステリックな鋭い声と共に、ひゅっと耳の側を何かが通り過ぎた。
カツンッと近くの木に突き立ったそれは、銀色に光るナイフだった。
細身の、切るより突く目的で作られた鋭利な刃物。
それを投げたのは、間違いなくシェリーだ。
「行かせないわよ。あなたには我が家自慢の、とっておきの楽しい場所に案内してあげる」
シェリーは夜着の右の裾を左手で太腿までたくし上げていた。
形良く適度に肉のついた腿には、不似合いなごつい皮ベルトが巻かれている。
ベルトには先ほどのナイフが幾つも納まっていた。
シェリーはベルトから新たにナイフを二本抜き、人さし指と中指で挟み込み、投げる構えを見せた。
「ダーツも得意だけど、こちらの方がもっと得意なの。今のはわざと外しただけ、見くびらない方が身のためよ」
シェリーは手の中のナイフを投げつけてきた。
夜の闇に目が慣れてきたのも幸いして、軌道をはっきり捉えることができた。
右に飛んでかわす。
続けて数本連続で飛んできたが、これらも難なくかわして、庭園の中を移動する。
気がつけば、庭園の中心にいた。
そこだけ、ぽっかりと空間が空いており、何もない。
円を描くように空いたその場所の地面は、磨き上げられた黒い石で舗装されていた。
黒石には八等分するように白い筋が走り、そこだけ他の地面より僅かばかり窪んでいた。
「我が家は古くてね。昔、敵に攻め込まれた時に備えて色んな仕掛けが作られたの。これもその一つなのよ」
シェリーは庭に無造作に置かれていた天使の像に手を伸ばした。
背中の羽根を掴み、少し下へとずらすと地響きが聞こえ始める。
「何だ?」
震源を探るべく耳を済ませたのと、地面が消えたのは同時だ。
黒い石が内側へと引き込まれるようにスライドしていき、底の見えない空洞が現れる。
足場を失い、体が落下した。
咄嗟に片手で穴の縁にしがみつき、落下を防いだ。
その手の側に、シェリーの気配が近づいてきたのがわかった。
シェリーはオレを見下ろして、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「その下はとっても広い地下の牢獄になっている。大きなネズミがたくさんいるの、噛まれないようにお気をつけて。出口は一応あるけど、たどり着つくことができるかしら。キャロルにはわたしからうまく言っておくわ。あなたがわたしに言い寄ったから、怒って追い出したってね。ふん、このロリコンの変態め! 幼いキャロルの心の隙をついて手懐けたばかりか、今度は恋人ですって、汚らわしい! 昔の思い出を利用して、強引にあの子の体を奪ったのね! 卑怯者! 八つ裂きにしても飽き足らないわ!」
喋っている間に興奮してきたのか、シェリーは怒りをむき出しにして喚きたてた。
シェリーはオレのことを覚えていたのか?
だが、今はそのことはどうでもいい。
違うと言いたいのだが、初体験の経緯に関しては、オレも少しは卑怯だった気がして反論できない。
いや、ここで怯んだら負けだ。
オレはキャロルを真剣に愛しているんだ。
シェリーの思い込みを正さないといけない。
「待て、オレは……」
「言い訳なんて見苦しい! さっさと地獄に落ちておしまい!」
体を支えていた手が蹴られ、あっさりと外れた。
ふわりと浮遊感に包まれたかと思うと、勢いをつけて落下が始まる。
「くそ!」
闇の中でちらりと金属の光が見えた。
咄嗟に手を伸ばすと、それは横に伸びた棒だった。
両手でそれを掴み、落下を止めた。
落ち着いてよく見ると、掴んでいたのは梯子だ。
これで登れると上を見上げると、上部の穴はすでに閉まっていた。
「このまま下りるしかないのか。出口は一応あると言っていたが、それを探すしかないな」
何年も使われていないと思われる穴の中は、埃っぽくて何度もむせた。
梯子を下りきり、足を下ろすと埃が舞った。
「うっ、げほっ!」
たまらず、上着のポケットから黒のハンカチを取り出す。
大き目のそれは応急処置用の包帯代わりにも使える布地だ。
口元を布で覆い隠し、頭の後ろで端を結ぶ。
盗賊にでもなった気分だ。
この迷宮には宝などないだろうがな。
周囲を探るために、目を凝らす必要はなかった。
空洞の上部には、幾つかの明り取りの窓があり、地表に降り注ぐ光を中に取り込んでいる。
曇りの夜なら完全な闇になるだろうが、幸い今夜は月が出ていた。
シェリーは地下牢と言っていたが、確かにそうらしい。
いかなる手を使って掘られたものか推測は難しいが、屋敷の下に広がる空洞は幾つかの部屋に分かれ、鉄製の柵が下りていた。
牢の中には崩れ落ちた人骨の欠片が散らばっている。
大昔にこの牢に入れられた人間のものだろうか?
気になって真新しいものがないか探してみたが、見当たらなかった。
嫌な予感は当たらず、ホッとした。
幾ら裏のある女とはいえ、そこまで非道な振る舞いはしないだろう。
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