憎しみの檻
アシル編・1
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祖国アーテスの王妃が第三子を産み落としたのと、オレが母の腹からこの世に生まれ出たのは、ほぼ同じ時期だった。
母はフェルナンと名づけられた王子の乳母となり、オレを連れて城に上がった。
そういった縁で、オレと王子は共に育てられた。
身分の違いがあることは、幼い頃からくどいほど言い聞かされてきたので、話す時は敬語を使うようにはしていたが、オレ達は兄弟であり親友でもあった。
第一王子と第二王子は政治向きの才能を発揮したが、フェルナン様だけは武芸に才能を見出された。
第三王子であることも騎士を目指すきっかけになったのかもしれない。
早々と将来の道を決めたフェルナン様は、剣の腕を磨き、軍略について熱心に学び始めた。
フェルナン様の補佐をする人間になろうと、物心ついた時から決めていたオレも、必然的に騎士を目指すことになった。
オレ達は励ましあって修行を積み、十二の年に騎士の称号を得て初陣を迎えた。
近衛騎士団はその時に結成された。
王は我が子のために優秀で忠誠心の厚い騎士を選抜し、最強の部隊を編成した。
以来、六年間、近衛騎士団はアーテス軍の主力となり、所属する騎士は軍において最上級の権限を持つエリートと認識された。
オレはフェルナン様の側近として近衛騎士団に所属し、共に幾多の戦を経験してきた。
腕の立つ騎士達に遅れを取るまいと着実に実力をつけていき、今では近衛騎士団一の剣技を持つと噂されるまでになった。
二年前から続く長年の宿敵でもあったネレシアとの戦争の最中でも、オレは数多くの武功を立てて、騎士団内での地位を不動のものにした。
そのネレシアとの戦だが、そろそろ終わりが見えてきた。
戦況はこちらの優勢で勝利を重ね、退却していく王を追って、我がアーテス軍はネレシアの領土に入った。
勝ち戦であることは誰の目にも明らかだった。
それゆえか、王は軍の総指揮官の任をフェルナン様に与え、王の名代として戦後の処理まで任すことにされた。
フェルナン様はアーテスの大軍を率いて、ネレシア軍に迫った。
オレ達はネレシア各地の砦を落としながら進軍を続け、ついに最後の砦まで王を追い詰めた。
この先に王都がある。
もう後がないネレシア軍は、残りの兵力を全てかき集めて砦に篭った。
フェルナン様は砦を一望できる丘を拠点に陣を張り、周辺に密偵を放って敵軍の補給経路を捕捉しては潰し、篭城している兵達を疲弊させる手に出た。
補給を絶つと同時に、降伏を勧める書状を何度も送ったが、ネレシア王は徹底抗戦の構えで提案を撥ね付けた。
戻ってきた使者から報告を聞き、フェルナン様はため息をついた。
「やはり降伏には応じないか。なるべく血を流さずに済ませたかったのだが……」
「ここまで来ちまったら無理でしょう。どっちの軍も死人が大勢出ている。あちらさんも、引っ込みつかない状態になってるんですよ」
ネレシアはアーテスと並ぶ大国だ。
誇り高い王は、敗北を認めて軍門に降ることなど、考えられないのだろう。
オレが推測を述べると、フェルナン様はますます憂い顔を濃くして、額を押さえた。
軍神なんて呼ばれているが、この人の気性は基本的に穏やかで優しい。
剣を握った時にはためらいなく敵を殺すが、それは王子として自国を守るためであり、本音を言うならば人殺しなどしたくないのだ。
そのため、フェルナン様は敵を包囲して降伏を促す戦法をよく取るが、今回ばかりは相手が悪かった。
敵も大国の面子にかけて降伏を承知せず、戦が長引いた分、互いの被害は甚大で、どうしたって穏便には済みそうにないところまできてしまった。
「降伏しないのなら仕方がない。砦を囲んで敵軍の攻撃に備える。補給を絶った今、彼らも血路を開こうと必ず討って出てくる。そこを一気に叩くんだ」
フェルナン様の読みは当たり、快晴となった三日後の朝に砦の門が開かれ、主力の騎士団を先頭にして、砦にいた全兵士が飛び出してきた。
連中は予想外の進路を取り、正面にいた近衛騎士団の陣に向かってくる。
逃げるのではなく、総指揮官を討ち取り、一気に形勢を逆転させる気だ。
「騎士団は騎乗し、槍を構えろ! 他の部隊に伝令を出せ! 近衛騎士団を囮に、左右、背後から敵軍を囲み、退路を絶て!」
敵が間近に迫っても、フェルナン様は取り乱すことなく矢継ぎ早に命令を告げて騎士団を鼓舞した。
「怯むな、迎え撃て! 敵は少数、我が軍の勝利は揺るぎない!」
王子の檄に、兵は勢いを取り戻して、突撃してくる敵兵を迎え撃った。
周囲を囲んでいた他の部隊も合流し、ネレシア軍はさらに打撃を受けて数を減らしていった。
だが、敵兵の数が残り僅かとなっても、王を捕らえることはできなかった。
最後に残った騎士達は、ネレシア軍最強を誇る精鋭達だったのだ。
王を囲んで守護する騎士達の剣は、襲い掛かるアーテスの兵を全て斬り捨て、無数の屍が彼らの前に折り重なっていく。
「全軍、攻撃をやめろ! 包囲したまま距離を取って下がれ!」
放っておけば、さらに大勢の味方の血が流れると判断したフェルナン様の命令で、アーテス軍は包囲を解かぬまま距離を置いた。
ネレシアの騎士はもう十人も残っていない。
正確に数えてみれば八人だった。
馬も乱戦の最中にやられたか、彼らの身を守るのは己がまとう鎧のみ、盾もすでにない、手にする武器は剣だけ。
それなのに、誰一人として戦意を失っていなかった。
なぜ戦える。
これほどの絶望的状況に追い込まれながら、臆することなく戦い続ける男達に戦慄した。
それと同時に高揚感も覚える。
強敵を前にして、闘志が燃え盛った。
戦いたくて体が疼く。
後方に配置されていた弓兵の部隊が前面に出てきた。
携える弓は大型のもので、遠距離攻撃に適し、鋼鉄の矢を使用しているので威力も強大。
その攻撃を四方から浴びせられては、いかに頑強な鎧を身につけていても防ぎようがない。
確かに、味方に被害を出さずに勝利するには合理的な戦法だ。
だが、本当にこれでいいのか?
オレは我慢できずにフェルナン様に向かって叫んでいた。
「殿下、弓兵を下がらせてください! 敵は残り八人、王を入れても十人に満たない数。これだけの大軍を用いておきながら、敵の強さに臆して弓矢での攻撃で討ち取ったとあれば、我が軍の騎士は腰抜けかと世間の笑い者になってしまいます!」
剣を抜き、オレは単騎でネレシアの騎士に向かっていった。
「弓兵は構えを取れ! だが、合図があるまで矢は放つな!」
殿下はオレの行動を黙認し、弓兵を抑えてくれた。
大口叩いたからには、必ず勝つ。
ネレシアの騎士達は王を守ったまま、その場を動かない。
一人の騎士だけがオレの前に進み出てきた。
深緑のマントを身につけた騎士は、残った騎士達の指揮官のようだ。
年はまだ若そうで、多分、二十代半ばぐらい。
鎧は傷だらけ、兜もなく、金糸の髪が隠す額には包帯を巻いている。
騎士の澄みきった青い目は戦場には似つかわしくなく穏やかで、やけに印象的だった。
「私はネレシア王の騎士、ドミニク=ベルモンドだ。アーテスの勇敢なる騎士よ、貴殿の名は?」
「アシル=ロートレックだ。アーテス第三王子フェルナン様に忠誠を誓っている」
ドミニク=ベルモンドは有名な騎士だ。
今回の戦争でも、敗走を続けるネレシア軍にあって、唯一この男が率いる部隊だけが戦果を上げていた。
アーテスの高名な騎士も幾人かはこいつに討ち取られた。
父親の将軍は先ほど討ち取ったと報告があったが、息子の方はまだ生きていたんだ。
「あんた、この状況でなぜ戦う? フェルナン様はむやみに血を流すことを良しとされない。降伏すれば命だけは助けると言っているのに、王もあんた達もなぜ無駄に命を捨てようとする!?」
問いかけると、ドミニクは微笑んだ。
「騎士にそれは愚問だよ。主君が最後まで戦うと言われたなら、我々は勝利を求めて戦うだけだ。騎士とは剣を捧げた人の名誉を守るために戦うものだ。勝てないからと途中で敵に背を向けては、主君の名に泥を塗り、また我が名も臆病風に吹かれた不忠者として、永遠に拭い去ることのできない汚名を被ることになる」
ドミニクが剣を構えた。
穏やかだった気配が消え、闘気が全身に漲り、顔つきは戦場を駆ける戦士のものに変わった。
「アシル=ロートレック。貴殿は忠誠を誓う王子のため、私は剣を捧げた王のために戦うのだ。我々の間には、戦の中で生み出された禍根ももちろんある。だが、私は貴殿に敬意を表す。恐らく生涯最後となるであろうこの戦いにおいて、騎士として誇り高く剣を交える機会を与えてくれたことを感謝する」
オレも馬から下りて剣を抜いた。腕に装備していた盾も放り投げる。
こいつとは対等に戦いたい。
そして勝利を我が王子に捧げる。
両軍が見守る中で、オレ達は剣を交えた。
ドミニクの剣は、オレが今まで出会ったどんな騎士や剣士よりも冴え渡り、受けるので精一杯なほど強烈だった。
余裕なんてなかった。
少しでも気を逸らせば斬られると、心に死への恐れを抱きながらも、同時に異常なほど興奮していた。
血が騒ぎ、心が躍る。
この男に勝ちたいという気持ちだけがオレを突き動かす。
刃が重なり、打ち合う音だけが辺りに響いた。
渾身の力を込めて剣を振るい、迫る敵の剣を避け、足を使って走り回った。
「うおおおおおっ!」
無数の斬撃の応酬の末、オレの剣がドミニクの鎧を砕き、肩に食い込んだ。
ヤツが一瞬だけ見せた隙をついた攻撃が決まったのだ。
返り血が降りかかる中、ドミニクの向こうに見えていたネレシアの騎士に矢が突き刺さるのを見た。
誰かが誤ってか、先走ってか、矢を放ったんだ。
それを合図と勘違いしたのか、弓兵達が次々と矢を射掛けた。
殿下が止める声も兵達には届かない。
「陛下!」
ドミニクはもうオレを見ていなかった。
血の流れる肩にも構うことなく王の許に駆け、その身を盾に矢を受けた。
他の騎士達も、王を庇って次々と倒れていく。
まだ決着はついていなかったのに、なぜ攻撃したんだ?
呆然と立ち竦んでいたオレは、馬で走り寄り飛び降りてきたフェルナン様に突き飛ばされて、共に地面を転がった。
起こそうとした頭を乱暴に押さえこまれる。
「アシル、伏せていろ! 流れ矢に当たる!」
フェルナン様が盾をかざして標的を逸れて飛んでくる矢を防ぎ、オレ達は盾の影で攻撃が終わるのを待った。
しばらくして、矢が止まった。
オレとフェルナン様は体を起こして、場の惨状を視界に入れた。
騎士達は一人残らず死んでおり、彼らの影に隠れて王の姿は見えない。
ドミニクもすでに事切れていた。
体には何本もの矢が突き刺さり、新しい血が大量に流れ出て大地に広がっていく。
遺体が僅かに揺れ動き、影に庇われていた王が姿を見せた。
立ち上がった王は無傷で、自分を囲んで倒れている騎士達を取り乱すことなく見回すと、オレ達に顔を向けた。
王の目がフェルナン様を捉えた。
「そなたがアーテスの王子だな。我が騎士達は全て倒れた、後はこの身が残るだけ。この場で全ての敵を倒し、我が城に帰れるとは余も考えてはおらぬ」
王は手にした剣を構えた。
再び弓兵が構えたが、殿下は「やめろ!」と一喝し、伝令兵を呼び寄せて弓兵達を下がらせた。
そして王に非難の眼差しを向けた。
「ネレシアの王よ。騎士達にこれほどの忠義を尽くされるあなたが、全滅を承知の上で多くの兵達を死地に追いやったのはなぜなのですか? もっと早く降伏してくだされば、我らは国土には侵入せず、和睦の道も探ったでしょうに」
王は笑い、天を仰いだ。
「和睦と言うが、負けを認めれば我が国はアーテスに従属するしかない。のう、フェルナン王子。大国の王とは面倒なものだな。プライドが高すぎて、他者に膝を折ることなど認めることができんのだ」
快晴の空を見上げながら、王は自嘲の呟きをもらした。
「愚かと思うか? 理解しろとも思わぬがな。だが、この忠義者達の屍の前で、余は無様な最期を迎えるわけにはいかんのだ。フェルナン王子、そなたは王子でありながら騎士でもある。相手の名誉を重んじる気構えがあるのなら、余と手合わせをしてみぬか? 余は逃げも隠れもせぬ、無傷で勝利を得たいのであれば、先ほどの弓兵達にもう一度矢を射掛けろと命じても良い」
フェルナン様は王を見据え、剣を抜いた。
「誰も手を出すな。ネレシアの王は私が討つ」
「殿下、お下がりください! 王の相手ならオレがします!」
挑発に乗せられて、フェルナン様を危険に晒すわけにはいかない。
オレが止めなければ。
だが、伸ばしたオレの手を、殿下はやんわりと振り払った。
「アシル、先ほどお前が言ったのだ。これだけの大軍を用いておきながら、敵の強さに臆して弓矢での攻撃で討ち取ったとあれば、我が軍の騎士は腰抜けかと世間の笑い者になってしまうと。私も騎士の端くれだ。名誉を賭けた戦いを挑まれて逃げることなどできない」
自分の発言を持ち出されてはこれ以上は止めることもできず、仕方なく下がる。
フェルナン様は王と向き合い、抜いた剣を構えた。
「いざ、まいります」
「来るが良い。だが、この首、易々とは取らせぬぞ」
王は朗らかに笑い、フェルナン様に斬りかかった。
フェルナン様も怯むことなく飛び込み、両者は激しく剣を交えた。
老いたとはいえ、王はいまだ現役の騎士であった。
振り下ろされる剣は力強く、太刀筋には迷いがなく、正確に相手を追い詰めていく。
フェルナン様は防戦一方だったが、攻撃は全て受け流し、反撃に備えていた。
少しずつ、王の動きが鈍り始めた。
敗走と篭城、そして今の戦闘で、王の気力と体力は極限まで削り取られている。
終末はすでに見えていた。
だからこそ、王は名もなき兵卒の矢に倒れることよりも、敵国の王子の手にかかることを望んだのだ。
フェルナン様の剣が王の鎧を叩き割り、胸に深い切り傷を負わせた。
「ぐぅ!」
王は血を流しながらも剣を振りかざしたが、フェルナン様は間髪入れずに腹に剣を突き込んだ。
王の口から大量の血が吐き出される。
フェルナン様は剣を引き、構えをとったまま王と対峙した。
「見事だ、フェルナン王子。……そなたほどの英傑にならば、娘をくれてやっても良い。あれはまだ小さいが、母に似て美しくなる。そなたを真の騎士と見込んで頼む。我が后と王女の命だけは助けてやってくれ……。我が騎士達よ、不甲斐ない王を許せ……」
王は倒れた。
最後に口にしたのは、妻子に対する命乞いと、忠誠を捧げて散っていった騎士達への謝罪の言葉だった。
フェルナン様は複雑な表情で王の遺骸を見つめていたが、やがて顔を上げ、全軍に指示を出した。
「戦の慣わしに従い、敵軍の名のある騎士の遺体を収容し清めるのだ。他の戦没者の亡骸は両軍共に遺品を取り除き、火葬にする。敵兵とはいえ、くれぐれも遺体は粗略に扱うな。これ以上の禍根をこの地に残してはならぬ!」
兵達は命令を受けて黙々と作業を始めた。
オレはドミニクの遺体を運び、体に刺さった矢を抜いた。
血糊を拭き取るために鎧を脱がせて驚愕した。
男の体は包帯だらけで、オレがつけた傷だけではなく古い傷も、治りかけのまま完治していないものが無数にあった。
あれほどの騎士が、単に敵兵と斬りあっただけでこれだけの傷を負ったとは思えない。長い戦の最中、王や仲間を庇って傷ついたものだ。
一歩動くだけで激痛が走ったはずだ。
それなのに、痛みを少しも表に出さず、軍を指揮し、最後まで王を守るために戦った。
剣を交えた時も、オレは相手に集中するだけで精一杯だったのに、この男は常に周りにも気を配り、王の危機を察知し、勝負を放り投げて主君の許に走ったのだ。
敗北感に打ちのめされた。
何が対等だ。
オレは最初から負けていた。
オレの剣がドミニクを斬ったのも、実力ではなく運が良かっただけだ。
ヤツが一瞬だけ見せたあの隙は、弓兵が放った矢のせいだったんだ。
周囲ではドミニクを討ち取ったオレに対する賛辞の言葉が交わされている。
弓兵の邪魔がなくても、あのまま続けていればオレが勝ったと誰もが思っていた。
真実は違うのだと知る者は、オレ以外にいない。
己がとてつもない卑怯者に思えてきた。
腹立たしさと、悔しさで、胸がムカムカする。
ドミニクの死に顔は安らかで、それはこの男が悔いのない最期を迎えた証拠でもあった。
オレはこの結末に、何一つ納得していないのに。
できることなら、こいつを死の世界より呼び戻して勝負のやり直しをしたかった。
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