憎しみの檻
アシル編・2
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ドミニクの遺体を丁寧に清めて防腐の処置を施し、服を着せ直して、清潔な布で包んだ。
作業をしている間に、心は静まり、死者となった男に抱く感情は穏やかなものに変わっていた。
一人の騎士として尊敬に値する高潔な男だった。
だからこそ、オレは自分を貶めてしまう。
男が騎士として挑んだ最後の戦いを、途中で投げ出させてしまったことが悔やまれる。
オレがもっと強ければ、矢が放たれる前に倒せていればと、戻らない時を何度も恨めしく思い返した。
「アシル」
フェルナン様が声をかけてきた。
気がつけば、ほとんどの者が作業を終えて、幾つかの荷台に処置の終わった遺体を積んでいるところだった。
「遺体の清めは終わったか? 用意が出来次第、王都に向けて出発する」
「はい」
頷いて、ドミニクの体を荷台に乗せた。
準備を終えた軍は砦を越えて、進軍を開始した。
途中の村は素通りで、末端の兵に到るまで、住人に危害を加えるなと徹底した命令が出されていた。
違反した者はその場で斬り捨てる。
容赦のない軍律のおかげで、我が軍は整然と行軍を続けた。
ネレシアの王都には、ほとんど兵がいなかった。
城門まで何事もなく進み、堅く閉ざされた扉の前で進軍を止める。
「私はアーテスの総指揮官、第三王子フェルナンだ! 中にいる王妃に告げよ。武器を捨てて投降するならば、城内の者は一切傷つけないと約束する。貴国の敗北を認めるならば、すみやかに城門を開き、我らを受け入れよと!」
フェルナン様が大声で呼びかけると、城壁の上にいた見張りの兵達がざわめいた。
一人の姿が消え、残りの者は警戒心を解くことなく、こちらの出方を窺っているようだ。
やがて、城門が開かれた。
身分の高い貴族らしい男が非武装で現れ、男の後ろにいた兵士達も剣を持っていなかった。
「王妃様は抵抗せずに要求に従えと仰せになりました。フェルナン王子を玉座の間へご案内せよとのご指示を賜わり、お迎えに上がりました」
王が討ち取られたことは、もう城にも届いていたらしい。
開城の要求はあっさりと受け入れられ、オレ達は門をくぐり、入城した。
王妃はこちらの要求を全て受け入れ、戦後の処理は滞りなく進んだ。
最後にしきたりに倣い、回収した遺体を城壁に晒すことになった。
木材を城壁に上げて、磔用の柱を組み、遺体を固定していく。
作業が終わると、交代で見張りに立った。
死臭を嗅ぎつけたカラスや獣が遺体を荒らしに来るからだ。
三日目に見張りを交代したオレは、ドミニクの遺体の前に足を向けた。
隣には父親の遺体もある。
近づいて、二人の亡骸を食い入るように見つめている女がいることに気がついた。
背中まで届く金の髪。
着ている服は侍女のお仕着せで、年は十代の半ばだと思われた。
ドミニクの女だろうか。
女は肩を震わせて立っていた。
泣いているんだろう。
なぜか放っておけなくて、声をかけていた。
「その騎士達は、お前の身内か?」
女は手で目元を拭うと振り返った。
払っても涙が滲む目で、オレを見据え、質問に答えた。
「父と兄です」
女はドミニクの妹だった。
言われてみれば、顔立ちがよく似ていた。
だが、兄は晴れ晴れとした青空のような目をしていたのに、妹の目はどこかくすんで見えた。
それが表情のせいだとすぐに気づき、居たたまれない空気をごまかすために髪を掻いた。
視線を動かし、ドミニクの遺体を見上げる。
「すげぇ強い騎士だった。一人でこっちの兵隊を数え切れねぇほど斬り捨てた。最期の瞬間まで身を盾にして主君を守り、忠義を尽くして己の騎士道を全うした誇り高い死に様だったぜ」
どうしてオレはこんな話をしているんだろう。
ドミニクの顔を見ていたら、言わずにはいられなかった。
この男が最期まで騎士として誇り高く生き、名誉ある死を遂げたのだと伝えねばならないとさえ思っていた。
女は目を伏せて、唇を噛んだ。
どれほど称えられようとも、この女の兄は死んだ。父親も同様だ。
悲しみにむせ返る胸中を思えば、オレの言葉は気休めにしかならない。
容姿も、意志の強い輝きを秘めた瞳も、女はあの男にとてもよく似ていた。
ただ一つ違うのは、こいつが女であるがゆえに、兄について理解しがたい境地があるということだ。
兄自身が悔いなき最期を迎えたと思っていても、妹のこいつは納得などしない。
きっと死の原因となった人間を憎む。
オレの心に暗い喜びが宿った。
一言告げれば、女の憎しみはオレに向かう。
「戦場で出会わなかったら、何度でも手合わせしたいほど骨のある相手だった」
含みを持たせて呟くと、女はハッとしたようにオレを見た。
真っ青な顔をして、オレを凝視している。
体は再び震えだし、動揺が伝わってくる。
「お前の兄貴はオレが斬った」
ドミニクと同じ瞳に憎悪が宿る。
あの男はオレのことなんて、これっぽっちも恨みはしなかっただろう。
弓兵の行動が、オレとは無関係だとわかっていたはずだから。
だけど、オレは責めて欲しかった。
ヤツの妹に憎しみと怒りを向けられることで、オレは自分の心に救いを見出していた。
本国に連れて帰るエリーヌ王女に、侍女が一人ついてくることになった。
殿下は念のために侍女の素性を調べさせ、不安要素がないか確認をとった。
「名はレリア=ベルモンド、年は十五だ。ドミニク=ベルモンドの妹だそうだよ。十二の年に城に上がり、王女付きの侍女として働いている。報告を見る限りでは普通の娘だ。密偵や暗殺者である可能性はないだろう」
城壁で会った女が共に来る。
オレに憎しみを抱く、あの女が。
「王女がいる限り、下手なことはしないでしょう。それに仮に復讐のために誰かの命を狙ってきたとしても、真っ先に狙われるのは殿下じゃない、オレだ。そのことだけは保障しますよ」
「アシル。お前は彼女に何をしたんだ?」
殿下は眉根を寄せてオレに問いかけた。
肩をすくめて事情を話した。
あの女に兄を斬ったのはオレだと告げたことを。
「なぜ、そんなことを……」
頭痛を覚えたのか、殿下は頭を押さえて呻いた。
自分でもバカだと思う。
わざわざ恨みを買うようなマネをしても、何の益もないというのに。
「自己満足ですかね。オレは弱い自分が称賛されることが許せなかった。誰にといえば、ドミニク自身に責めて欲しかった。ヤツに似ている妹を見ていたら、つい口が動いていた」
あの女に憎まれた瞬間、オレは満足したんだ。
一生残る悔恨の記憶を共有し、あいつはオレを責め続ける。
だが、卑怯者のオレは素直に懺悔なんかしてやらない。
許しは必要ない。
欲しいのは、この身を滅ぼすほどの憎しみだけだ。
「本国に着くまでは、なるべく姿を見せないようにしますよ。王女が懐いている侍女は彼女だけなんでしょう? なら、来てもらわないと困る」
「そうか。お前がそう言うなら、やはり彼女を連れて行こう」
フェルナン様は侍女を変えることも考えた様子だったが、オレの言葉で予定通りレリアを連れて行くことにした。
そうでなくてはオレも困る。
他の人間では、あの女の代わりはできない。
ドミニクと同じ目で憎しみをぶつけてくるヤツでないと、オレの心は満たされないんだ。
ネレシアにいる間、レリアと顔を合わせたのは一度だけ。
中庭で訓練中に、窓から覗いてる彼女と目が合った。
遠目ではあったが、女の憎悪をひしひしと感じた。
消えるどころか強くなっている憎しみに安堵し、あの瞳がオレを映すことに例えようもないほどの充足感を得た。
本国に戻り、フェルナン様の屋敷で三度目の邂逅を果たす。
オレはわざと初対面のごとく振る舞った。
レリアは王子の手前、感情を抑えていたが、オレに対しての嫌悪感は隠し切れず、僅かだが滲み出ていた。
その様子を見て、オレはまた暗い喜びに囚われた。
憎めばいい。
オレはお前の大切な兄を殺した男だ。
憎んで、憎んで、そして最後にはオレを……。
その先は、真っ白だった。
オレは何を望んでいる?
喉まで出かかった本心を飲み込み、その場を立ち去った。
エリーヌ王女はフェルナン様の正妃に迎えられることになった。
フェルナン様はネレシアを発つ前から、王女を自分の妻にしようと考えていたらしい。
「兄上達なら断ると思っていたよ。王女を娶っても何のメリットもないからね。おまけに夜伽もさせられない幼子では、なおさらだ」
王女を娶ることが決まった後に、オレにだけこっそり本音を明かしてくれた。
「幼い身で敵国に嫁ぐことになった姫を不憫に思ってのことだったが、彼女は想像以上に素直で可愛い子だったよ。あのまま大きくなってくれれば、私好みの姫になりそうだ。数年後には兄上達が手をつけなかったことを悔しがるほどの美姫になるだろう。今から楽しみだ」
フェルナン様は王女を大層気に入った様子で惚気てくれた。
仕事や武芸の修練に熱心な人だから、王女とままごとのような夫婦関係が数年続くことになっても、それほど不満はないのだろう。
体より先に心を添わせようと、積極的に外出に誘ったりして努力しているようだ。
「それ、あんまり人前で言わない方がいいっすよ。正妃が決まったことで、殿下を狙っていたご婦人方は怒り心頭だ。その上、惚気話まで聞いたらますます嫉妬に狂って、妬みの矛先を全て王女に向けるでしょう。表立って侮辱はしなくても、女ってのはあの手この手で陰湿にネチネチ責めてくるもんなんです」
「そ、そうなのか? 女の世界とは怖いものだな。宮中でエリーヌの味方になってくれそうな婦人を早めに探しておこう」
フェルナン様の睨みがきいているせいか、王女の方は女達の陰口程度で済んでいる。
だが、その側にいるレリアには庇護者がない。
戦敗国から来た女であることも、男達のよからぬ欲望を煽る要因になっていた。
「レリアのことでも、周囲に牽制をかけたいとは思っているんだ」
あれらの視線に、フェルナン様も気づいていたようだ。
難しい顔をして腕を組み、椅子に背中を預けてオレを見上げてくる。
「結婚させるのが一番なんだが、祖国を滅ぼした国の男が相手では抵抗があるだろう。アシルも彼女の周辺に気をつけて、不埒な輩から守ってやって欲しい」
「わかりました。余計な男は近づけさせません」
あいつが憎むのはオレだけでいい。
余計な存在は言われなくても排除するさ。
アーテスの国民は黒かそれに近い色の髪を持ち、国内で金髪の者を見かけることは滅多にない。
金髪碧眼の容姿は、ネレシアとその支配下であった国の出だとわかる大きな特徴だ。
王女とレリアは、生まれ持った髪と瞳の色で、顔を知らなくても一目見ただけで素性の知れる、ある意味目立つ存在だった。
「エリーヌ王女の侍女を見たか? なかなか綺麗な顔立ちをしている上に、体も良い具合に育ってるぜ」
「手を出してバレても適当に言い訳できるしな。戦敗国の女なんだ、本来なら好きなようにしていいってのに、うちの王様達はお人好しすぎて困る」
兵舎の側を通りかかって耳にした、下衆な悪巧み。
十人ほどの男が修練を行う広場にいて、ろくに剣も振らずに、先ほど耳に入ってきたような、ろくでもない話ばかりしていた。
男達は近衛騎士団より格下の部隊に所属する、貴族の坊ちゃん連中だ。
親は家の面子を保つために、大金をはたいて影から手をまわし、息子に騎士の称号を与えようとする。差し出された大金に目が眩んだ一部の大臣のおかげで、こういった名ばかりの騎士が生まれてしまうのだ。
か弱い女を守り、主君に忠義を尽くす騎士道精神も、こいつらの頭の中には存在しないんだろう。
「面白そうな相談してるじゃねぇか」
オレが姿を現すと、一瞬びくついた顔をした連中は、ニタリと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「これはこれは、近衛騎士団のロートレック様ではありませんか。聞いておいでとは人が悪い」
「どうです、ご一緒に。もちろん最初はお譲りしますよ。楽しみはみんなで分け合わないと」
オレを勝手に仲間に認定して、フェルナン様の目を掻い潜ってレリアを襲うべく、あれやこれやと計画を立て始めた。
アホか。
オレの忠誠心も見くびられたもんだ。
殿下からこそこそ隠れなきゃならんようなこと、誰がするかよ。
すぐ近くにいた男の襟首を背後から掴み、地面に引きずり倒した。
仰天した男達の視線がオレに集まる。
「確かに面白そうとは言ったけどよ、参加するとは言ってねぇぜ。オレは女を抱くなら一人でやる。てめぇらみてぇに徒党を組んで動くのは趣味じゃねぇ」
蒼白になった男達に、近くにあった剣を放り投げた。
練習用のものではない、実戦に使うブロードソードだ。
「それよりもっと面白いことしようぜ。てめぇら、全員まとめてかかってこい。相手をするのはオレ一人だ、実戦と同じく容赦する必要はない。仮に相手が死んでも、事故でしたって言えばいい」
それまで怯えて腰が引けていた連中の目が、獰猛な光を帯びた。
元々、近衛騎士団に入り損ねた落ちこぼれどもだ。
妬みの元の上位騎士を、公然と嬲り殺せるとなれば乗ってくるのは明白だった。
「そうですね、訓練に事故は付き物です」
「では、遠慮なく稽古をつけてもらいましょう」
笑みを浮かべた男達が、剣を抜いて切りかかってくる。
これだけの数でかかって、勝てないとは思いもしないのだ。
動きを見切るのは簡単で、一人目の男に対しては、振り下ろしてきた剣を刀身で上に弾き、がら空きになった胸に拳を叩き込んだ。
肺を直撃した一撃に、相手は白目を向いてぶっ倒れる。
次に背後から斬りかかってきたヤツには、振り向きざまの斬撃を見舞う。
肩から胸にかけて裂けた傷から血が吹きだし、男は悲鳴を上げて転げまわった。
「いてぇ! ひぃいいい!」
「お、おい! しっかりしろ!」
「な、何でここまで……。こ、これは稽古じゃ……」
倒れた仲間を見て、男達は狼狽していた。
足が傍から見てもわかるほど震えていて、血を見ることに慣れていないのがわかる。
いいや、血を流すってのが、どういうことかわかってねぇんだ。
戦争の時も、戦力外のこいつらは、比較的安全な後方にばかり配置されていたんだ。
たまには敗者の立場になってみるのもいいだろう。
武器を扱うことが、どれほど重いことなのか、その身を持って教訓にするといい。
まあ、最後まで生きてりゃだけど。
「実戦と同じだって言っただろうが、オレにも容赦しなくていいんだぜ。お前らもさっきまでは乗り気だったじゃねぇか? なあ、勝てないとわかったら、急に怖くなったのか?」
別におかしくもなかったが、笑って言ってやった。
「ゆ、許してください!」
「こ、殺される! 助けてくれーっ!」
オレが一歩踏み出すごとに、男達は勝手に倒れて転がりながら逃げようとする。
戦意なんてとっくの昔に消えていて、どいつもこいつも涙と鼻水を垂らしながら命乞いをしていた。
無様で、みっともない姿。
怒りに任せて、這いずり回る体を蹴りつけた。
「てめぇらみたいな口先だけの輩が、オレは一番嫌いなんだ! そのくせ悪知恵とプライドだけは一人前とくる。誰のおかげでのうのうと生きてられると思ってんだ! たまたま戦勝国に生まれたってだけの能無しどもが!」
こんなクズみたいな輩が、あいつを穢そうとしていた。
怒りの根源はそこにあった。
あれはオレのものだ。
誰にも触らせないし、傷つけさせない。
憎悪に燃え滾る綺麗な目。
あの眼差しを向けられるべき者はオレだけなんだ。
あいつの心に強く宿るものは、オレへの憎しみであるべきだ。
剣を振るい、拳を振り上げ、足を蹴り上げた。
悲鳴と血飛沫が飛び交う中、全員動かなくなるまで嬲り続けた。
一方的な虐待とも呼べる稽古を終えた頃、騒ぎを聞きつけた部隊の隊長と思われる騎士がやってきた。
年はとっていても、階級はオレより下だ。
隊長は転がっている部下の姿を見て息を呑んだ後、恐る恐る何があったのか問いかけてきた。
オレは正直に事実を答えた。
「こいつらがエリーヌ王女の侍女を襲う計画を立てていたんでな、粛清を兼ねて指導した。これでよく入隊試験に合格できたな。これからは金を積まれても役に立たない兵士は入れるなと上層部に進言しなけりゃならん」
隊長は自分の監督不行き届きが報告されることに青くなっていた。
どうか内密にと懇願されたが、撥ね付けた。
この件を身内の不始末として握り潰す気はさらさらなかった。
「他にもこういう連中がいるようなら警告しとけ。エリーヌ王女の侍女はアシル=ロートレックの庇護下にある。手を出そうとしたヤツは例外なく再起不能にして王都から叩きだすとな」
ぶっ倒れている連中の素性を確認して、無一文にして王都から放り出す方法を考えた。
王子の側近として、高い地位を得ているオレには容易いことだった。
見せしめとして役にたってもらおう。
オレが本気であることは、これで周囲に知れ渡る。
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